点字の名刺を受け取ってください


 この当時の私のもっとも大きな悩み、それは「彼女がいない」ことだった。
好きな女の人がいないわけではなかったが、その人はどうしても告白できない相手で、私は同年代の女の子と知り合いになりたくて仕方がなかった。
盲学校では交流学習といって、一般の学校に行って授業を受けてきたり、体育祭や文化祭などで一緒に何かやるということが行われていた。
私たちの栃木盲学校では、地元の宇都宮中央女子校と交流しており、時々同年代の女の子に会う機会はあったが、それでも仲良くなるにはとてもチャンスが少ないと言えた。
無線仲間にも女の子は少なかったので、私のこの思いは日に日に強くなるばかりだった。
しかし、こんな風に思っていても、あえて全盲の格好の良くない男の私に相手の方から近寄ってくるわけもなく、交流に言っても形式的な話で終わったり、決められたことをやるぐらいのことしかできなかった。
ところがその年の体育祭の日、私は偶然フォークダンスで最後に一緒に踊った女の子と気があった。
そして話はかなり盛り上がる方向に進むと思いきや、いいところで閉会式の時間になってしまった。
私は何とか電話番号だけでも交換しようと思っていた。相手もまんざらではないようで、何とかして電話番号を交換しようとして、いろいろな友達に「ねぇ、書くもの持ってない?」なんて聞いて歩いていたのだが、そのときは何処にもメモ用紙はなかった。
結局そういうことで、彼女とは電話番号を交換できないままその日は終わってしまい、私は相当悔しい思いをした。
そこでいろいろ考えた末、そのときから私は弱視の後輩に手伝ってもらい、自分の学校名と名前、そして携帯の電話番号を書いた名刺に点字を張って、何枚か持ち歩くことにした。
もちろんその名刺は、女の子が喜びそうなかわいいデザインのものを持っていった。当時はやっていた「名刺クラブ」というやつだ。
そして機会あるごとに、ちょっとでも気の合いそうな女の子を見つけると、話を意図的に点字の話に持っていった後に、
「点字の名刺があるんだけどこれどう?」
とか言って、点字を教えるふりをして渡すという作戦を実行した。
あまりあからさまに自分の電話番号の書いたものを押しつけると相手に怪しまれるので、この方法は結構有効な方法だった。
これを始めたのは高校2年の時からだったのだが、やっぱり私は魅力がないらしく、名刺を渡しても結局女の子から電話がかかってくることはなかった。
また、当時寄宿舎では携帯電話の利用が禁止になっており、休日にしか電源が入れられないのがこの状況に拍車をかけていた。
それでも懲りずに、私は「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の論理に基づき、名刺を渡し続けた。
その間、名刺のデザインもいろいろ変更したし、入れる文章にも工夫を凝らした。
すると、もう1校の交流校、塩屋高校との交流会の次の日、偶然週末と重なっていたこともあり、一人の女の子から電話がかかってきた。ところがどっこい、私はなんと運が悪いのだろう、そのときちょうど床屋で髪を切ってもらっている途中だったため、留守電にメッセージが残っていただけだった。
でも、このことはこれからの私に自信を与えてくれたことに違いなかった。
そしてこの調子で、名刺配りを3年生の時まで続けていたことが、後々役に立つ結果になる。


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