2006年10月05日

プチ悔しい気分になる瞬間

今日改めて思ったのだが、日本人というのは何で困っている人を見つけても見てみぬ不利をする人が多いのだろうか。こんな風に思った理由は電車の座席のことなのだが、明らかにがらがらな電車の中で、席を見つけられずに立っていても、あいている関を教えてくれる人はほとんどいない。

今日もそんな目にあってしまい、その話を後輩の女の子にしたら、彼女が今年の夏休みに語学研修に行ったカナダでは、道を歩いているだけで、さわやかに声をかけてくれる人が多くてかなりすごしやすかったという話をしてくれたからだ。確かに、俺もオーストラリアに2回行っているが、向こうの人は日本人のようにおどおどせず、さわやかに声をかけてくれる。もちろん、席が空いていれば誰かが教えてくれるし、バスに乗ると、運転手さんが行き先を聞いてくれて、そこについたら教えてくれることもある。決して、明らかに困ったそぶりをしているのに誰も助けてくれないなどということは無かったような気がする。驚くことに、かなり小さな子供でも、自分にできることをしてくれる。たとえば、「信号が変わりましたよ」と教えてくれたり、迷っていると「どこに行くんですか」と聞かれて、自分でわからないと、周りの人を呼んでくれたりする。俺は24年間、日本人として日本に住んでいるわけだが、小さな子供から声をかけられたことなんてほとんどない。もちろん、優しい人もたくさんいて、ぶつかりそうになったところを「危ないですよ」といって教えてもらったりすることもあるし、駅に向かう途中で時々声をかけてくれる人もいる。今日、俺が持っていた沖がさも、そういう優しい人がくれたものだ。だから、欧米人に比べて日本人が不親切だなどとは思っていない。おそらく、困っている人を見つけたとき、自分から声をかけるのが苦手な人が多いのだろう。これは、最近まで、日本では障害者が外に出る機械がいろいろな事情から極端に少なく、障害者を見慣れていないために、同接していいのかわからないのかもしれない。もしかすると、この空いている席を教えてくれる人が少ない件については、こちらが空いている席を見つけることができないということを、世間の人たちはわからないのかもしれない。それじゃぁ、関を探してくれるように誰かに頼めばいいじゃないかと思う人もいるだろう。しかし、できればそれは避けたい理由がある。もしそんな風に聞いて、席が空いていなかった場合、わざわざ空けてくれる人がいたりするからだ。俺は脚は悪くないので、人に席を譲ってもらうとものすごい後ろめたさを感じる。もちろん、純粋に座りたいという欲求はあるので、譲ってもらうと、障害とは別の理由でうれしいのだが、そんなことを望んでいるわけではなくて、空いている席があったら教えてほしいわけだ。どこのメーカーでもいいから、空いている席を探す機会、開発してくれないだろうか。すいていそうな電車の中で立っていると、結構惨めな気分になるので、ぜひ作ってほしいと切実に思う。

Posted by tomg at 2006年10月05日 21:28 | TrackBack
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