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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2001年12月21日(金)
広告掲載のお願いメールなんかいらない!

 ああ、寒い、寒い、寒いぞ〜〜!!
 しかもこんな寒い日に限って朝早く目がさめちゃうから困るんだよなあ・・・。
 そんなわけで少し早起きしてしまったので、また出会い系サイトを探検しようかなあと思っていると、なんとメルマガの読者の方からメールが届いていた。
 そのメールを読んでいて気が付いたんだけど、そういえばこのパソコンに、顔文字辞書を入れておくのを忘れていた。
 もしかすると、顔文字を知らない人がいるかもしれないので、ちょっと説明すると、いろいろな記号や何かを組み合わせて、人の顔の形を作って文章には書きにくい感情表現をする文字のことだ。
 ちなみにこの顔文字というのは、音声化ソフトでそのテキストを読むと、なんだかわけのわからない記号にしか聞こえないことがほとんどなのだ。そこで、俺みたいに出会い系サイトの探検が好きな視覚障害者のみなさんには、スクリーンリーダーの読み上げ辞書に、顔文字を登録しておくことを強くお勧めします。
 さて、ところで俺がパソコンに入れていなかったのは、このスクリーンリーダーの辞書じゃなくて、日本語変換システム用の顔文字辞書だった。前のパソコンには入れていたんだけど、最近面倒くさくて入れていなかった。顔文字入力用の日本語変換辞書をパソコンに組み込んでおけば、「なくう」と入力してスペースキーを押すと、
w(:_;)w
とか出てくる。これさえあれば顔の形を文字で作るのが難しい視覚障害者であっても、言葉を入力するだけなので、顔文字をバリバリ使って、晴眼者と変わりない楽しいメールが作成できる。 (~▽~@)♪♪♪
まあ、視覚障害者というのは、文字の形そのものを知らない人もいるので、こういう辞書がないとちょっと他の人より見劣りするメールになっちゃうもんね。ちなみにさっきの葉「喜ぶ」のつもりです。

 それから学校へ行くと、今年最後の授業だというのに、俺と友達の二人しか着ていなかった。さすがにここまで来ると先生もやる気がなくなってしまったらしく、休校になった。
 それから3時間目が終わってから、この際との中を前文検索できるように、いろいろと研究した。でも、こういうことって意外と考える人が多いので、すぐにスクリプトが見つかったので、めでたく本日から検索がご利用いただけます。

 それから家に帰ってメールをチェックしてみると、「広告掲載のお願い」なんていうくだらないメールがきていた。今日はこのメールについて一言言いたい。
 この手のメールには、必ず以下のような文章が冒頭にある。


「TomG's home page」ウェブ管理者様

突然のメールで申し訳ありません。○○株式会社と申します。

早速ですが、この度、貴方様のホームページ
http://tomg.wnj11.jp/
を拝見させていただき、とても優れたコンテンツをお持ちで、
今後さらに発展するページだと感じました。そこで、ぜひ弊社のバナー広告を
掲載いただきたく思い、ご案内させて頂いた次第です。


 こういうことを書いてくれるよりも、このページのよかったところを具体的に書いてくれる方が、広告掲載してもらえると思うんですけど、いかがですかねえ、最近こんなメールをたくさん私にくれる企業の皆様。こんな書き方では、
「ホームページ見付けた、メールアドレス書いてある!!わ〜い、宣伝メール送るぞ!!」
ってのが見え見栄なんですよねえ・・・。
 しかもこのごろこんなメールがたくさん来るんですが、その全てのメールに
「この度、貴方様のホームページを拝見させていただき、....(中略)....今後さらに発展するページだと感じました」って書いてあるんですけど、企業の間でメールの書き方でも決まっているんでしょうかねえ・・・。
こんなんじゃ、広告入れたいとか思う再と管理者少ないと思うんですけど。




2001年12月22日(土)
忘年会

 今日はBLPCの忘年会があったので、朝早起きして出かけた。
 出かける途中でタクシーを待っていると、なんだか俺の足元に猫がくっついてきた。かわいいなあと思って触りまくっていると、なんだかこの猫おかしい。実はこの猫、尻尾がなかったのだ。何で世の中にはこんなに残酷なことをする人がいるんだろう。猫だって尻尾切られたら痛いんだぞ!!しかも、今はこんなに寒い磁気だから、このまま頬って置いたら死んじゃう。でも、俺にはどうしようもなかった。
 タクシーで筑波センターかに行って、いつもの様に高速バスで東京駅に向かうと、これが困ったことに、年末だからだろうか、道路がむちゃくちゃ込んでいた。そこでインストラクターのたん君(仮名)に電話して連絡しようとしたら、こういうときに限って連絡がつかないではないか!!しょうがないので向こうからの連絡を待っていると、ボラ代表のOさんら連絡が入った。そこで遅れる胸を連絡すると、到着まで集合場所で待っていてくれるということになった。しかし、この渋滞は並外れたものではなかったので、「これじゃあ、東京駅まで着くのに何分かかるかなあ・・・?」とか話していると、横に座っていたおばさんが、
「上野からごいっしょしましょうか?」と声をかけてくれた。
ああ、この辺の人は本当に両極端だなあ。この日記のコーナーでも,前に書いたような気がするけど、筑波の人というのは本当に両極端だ。「すいません」と声をかけても、聞こえない不利をして逃げてしまう人がほとんどだけど、このおばさんの様に、親切に助けてくれる人も結構いるから驚いた。
このあいだ東京に就職活動に行った時だって、東京の人は道は教えてくれるけど、やっぱりそこまでだもんなあ・・・。
 そんなわけで優しいおばさんに会えたおかげで、予定より1時間近く遅れて東京駅に着いた。
しかし、さすがにこれだけ遅れてしまうと、先に着いていた舞台はすでに秋葉原に向けて出発してしまい、たん君のお母さんだけが現場に残っていて待っていてくれた。
じつはこのたん君、目が見えないだけじゃなくて車椅子の人なので、お母さんが集合場所まで送ってきてくれていたのだ。
そんなわけでたん君のお母さんに秋葉原の集合場所まで案内してもらって、秋葉原ツアーを始めた。
 今回の忘年会の企画では、秋葉原ツアーは最初止めようという話もあったが、たん君の友達で大学に受かった全盲の双子の女の子がパソコンを買いたいとのことだったので、午前中は仕事みたいな感じになった。
実はこのたん君、この女の子のお姉さんのほうを狙っているのだ。それでこいつは、いつもよりもなんだか格好よさそうに(得意げに)パソコンの説明をしていた。
そして、今回は朝日パソコンという雑誌の記者がBLPCを取材に来てくださっていたので、秋葉原ツアーにも同行していただいた。でも、取材に着たにもかかわらず、この記者のNさんには、俺たちの手伝いばかりしてもらってしまった。
さて、秋葉原で一通りパソコンを見て回って、大体欲しそうな機種にめぼしがついたところで、インストラクターのYさんが、ノートパソコンを持ってきていたので、その女の子のお母さんに音声化ソフトのデモンストレーションを見てもらおうということになって、近くのインターネットカフェに入ったんだけど、Yさんはパソコンは持ってきていたものの、電源コードを忘れてきてしまったらしい。
しかし、せっかくネットカフェの一部屋に入ってしまったんだから、ここで取材を受けようということになり、記者のNさんのインタビューに1時間ちょっとの間答えていた。
 それから午後は楽しくカラオケ大会だった。もちろんこの貴社の人にも参加してもらった。
 ああ、久しぶりに歌いまくったら、かなり喉が疲れてしまった。
ここで俺は、ボラ代表のOさんが、とんでもないラブソングを歌いだしたので、「よ〜し!!対抗するぞ!!」とかいって、歌いまくってしまったのだ。
 カラオケが終わったあと、忘年会らしく今年の反省と、来年の予定を話し合ってから、カラオケボックスを出た。
 それから俺は明日また某社のイベントで東京にこなければならなかったので、たん君の家に止めてもらうことにした。




2001年12月23日(日)
アメディアフェア

 今日は昨日からBLPC役員のたん君の家に泊まりこみで、東京のアメディアという会社のイベントに出かけた。
実はこのイベントの中で「視覚障害者にとっての優しいホームページ」というパネルディスカッションがあり、俺はそのパネリストとしてこのイベントに呼ばれていたのだ。
 さて、10時をちょっと過ぎたころ、ボラ代表のOさんがやってきた。彼は昨日のカラオケの歌いすぎと飲みすぎの影響で、頭は痛いし喉はおかしいしかなり大変な状況だったらしい。まあ、あれだけ歌いまくれば喉もおかしくなるなあ・・・。
 さて、この家から会場までは、電車を2本乗り継いで、少し歩いたところだった。
 もちろん遅れては大変なので、少し早めに出かけて行った。
 イベント会場に着いて「ハイテク点訳講習会」の会場に入って席に着くと、俺の学校のK先生が隣に座っていた。
 しかし、最近は面白いソフトがある。それは、画像ファイルを点字の図形に変換するソフトだ。このアメディアのソフトなんだけど、このソフトでアンパンマンの顔の絵を書いたものをもらってきたが、結構リアルで細かく再現されていてかわいかった。
 それから午後の打ち合わせをしてからお昼を食べた。
 さて、午後のディスカッションが始まると、俺はびっくりしてしまった。このディスカッション、俺が考えていた技術的な話というよりも、ページのレイアウトなどの「分かりやすさ」を中心に進められていたのだ。そんなわけで、昨日用意した原稿は全く使い物にならなかったので、即興で何とか終わらせることにした。ああ、即興でやるのはかなり緊張するなあ・・・。
 ディスカッションが終わったあと、展示会場のブースを回っていると、面白いものが展示してあった。それは音声ガイド付の電子手帳なんだけど、これがかなりすごい。メモ帳・スケジュール長・インターネット・メール・その他いろいろ、ポケットに入るパソコンの様に全ての操作を音声で行えるものだった。しかもこの製品、来年の4月には発売されるということだ。値段はかなり高くて90000円程度とのことだったが、発売されれば居間まで視覚障害者には不可能だった、携帯メールのようなこともできるようになるので、バイト代が許せばぜひ欲しい!!
 それから女の子を呼んでクリスマス会をやっていてこのイベントに凝られなかったたん君の家に今回の録音テープを届けてきた。
 そこからバスを乗り継いで筑波に戻ってから、二日分のメールを読んでいると、GBKから電話がかかってきて「ネットミーティングやろう」とか言うことになった。
 そこでネットミーティングの設定を済ませて音声チャットをひとしきり楽しんでから、12時頃に寝た。




2001年12月24日(月)
ネットミーティング

 今日はなんだか昨日かなり疲れていた性で、起きたのが10時を過ぎていた。今週から冬休みに入ったので、久しぶりにゆっくり寝たような気がする。
 今日は特にやることはないので、ホームページの更新作業をやったり、ネットミーティングで友達と話したりといろいろしていた。
 すると昼頃にボラ代表のOさんから電話が来て、明日役員のたん君と一緒に内に遊びに来ることになった。
 実はこのOさん、いま狙っている女の子がいるので、そのことしか考えていない。

 それから、副会長とネットミーティングしてみると、GBK君とは温室が全く違った。そこでいろいろと原因を考えてみると、GBK君のマイクに問題があることが分かった。
 まあ、愛知と東京だから、ここ筑波との距離も全く違うんだけど、これを使えば電話代がただで済むって言うのは魅力だなあ・・・。




2001年12月25日(火)
だらしない男

 今日は夕方から人が来ることになっていたので、一応部屋の片付けをやった。
 それからテレビを見ながらカップラーメンを食っていると、なんだか俺の思っている番組とテレビでやっている番組が全く違うことに気が付いた。
 実は俺は喉自慢が見たくてテレビをつけたんだけど、実際にやっていたのは「昼時日本列島」とか言うわけの分からない番組だった。そこで近くの電波時計で時間を確認して俺は初めて気がついたのだった。そう、今日は日曜日ではなかったのである。ああ、しかも月曜日だったのならいざ知らず、火曜日だったなんて・・・。俺もかなり休みボケが始まっている。
 それからネットラジオを聞いたり友達と電話で話し込んだりしているうちに、あの二人が筑波センターに到着したという連絡が入った。いつもここからが大変なんだけど、タクシーの運転手という人は、このアパートを知らない人が多い。だからここまで来るのがむちゃくちゃ大変なのだ。
今日もいつもと同じで、タクシーの運転手はこのアパートを知らなかったので、迷った挙句Oさんが痺れを切らして近くで降りてしまった。それからしばらくしてからやっと二人は到着した。
 するとまたまた女の子を狙っているたん君は、すぐに俺のパソコンを立ち上げて、キーボード練習ソフトを持ち出して練習し始めた。こいつ、やっぱりその子の前ではいいところを見せたいらしく、このキーボード練習ソフトの使い方をマスターしたくてがんばっているのだ。
 そこで俺とOさんは、そいつのことはほったらかしにしておいて、セブンに飯とケーキとシャンパンを買いに行ってきた。しかし、時間が遅かった製でケーキは全て売り切れていた。そこでしょうがないので、ロールケーキと週クリームを買って代用した。
 さて、家に帰るとまたあいつはキーボード練習ソフトにはまっている。しかもOさんはOさんで「風呂に入りたい」とか言い出した。そこで風呂を入れたんだけど、Oさんはお馬鹿なことに、水とお湯の蛇口のうち「お湯の蛇口」だけを回して部屋に戻ってきたので、しばらくたって湯船がいっぱいになってみると、それは思い切り熱湯だった。しかもそれを「おまえが教えてくれないからだろう」とか行って俺のせいにするし・・・。
 それからパーティーをやった。もちろんそれはそれでいいんだけど、このOさんという男は、今までに俺の部屋に泊まりにきた人の中で最もだらしない。たとえば次のような点だ、

 鼻をかんだティッシュペーパーをごみ箱に入れずにその辺に投げてしまう
 ジャンバーを脱いだらその辺にかけるとかそんなことをする気は全くない。もちろんこれもぐちゃぐちゃにしてその辺に投げる。
 何か食べたりして出たごみをごみ箱の近くまで行って捨てないで思い切りごみ箱めがけて放り投げる。もちろんごみ箱には入らない。
 使ったものは元の場所に置かないでこれもその辺に放り投げてしまう。
 まだジュースが入っているペットボトルにふたもしないでテーブルの上に立てかけておく。

 目の見える普通の人にとってはなんでもないかもしれないけど、目が見えない俺の家出こんなことをされると何が怒るかわからない。まずごみをその辺に投げると気が付かずに踏んでしまう。それが紙くずならいいけど、瓶のふただったりすると、瞬間に猛烈な痛みが走る。ジュースのボトルにふたをしないでその辺に立てておくと、それを知らずに倒してしまったときの被害は重大なものになってしまう。
使ったものを元に戻さないで放り投げると、踏んでしまったり自分が使いたくて捜しても、見付けるのに時間がかかったり、ひどいときにはずっと見つからないこともある。

 こんなことなので俺はついに切れてしまった。
しかし、この男かなりのつわもの、俺が怒っても全く聞き耳を持とうとしない。これがボラ代表じゃなかったら真っ先に殴り倒しているところだけど、そうはいかなかった。

 それからOさんがインターネットをしたいというので、パソコンを貸していると、どうやら怪しいサイトばかりを見ていたみたいだった。このときに俺が安心して彼にパソコンを預けてしまったのが大きな間違いだと気づくのは、次の日の朝型になってからのことだった。
 それからぱそこん3台をフル活用して遊んでから、モー不やらタオルケットやらいろいろ使って何とか3人寝ることができた。
ああ、一人ではこの部屋で十分だけど、3人ともなるとさすがに狭い。しかもOさんはだらしないので、荷物をその辺に放り投げてしまうから余計に部屋が狭くなるのだ。
 実は10月にも副会長とGBKがこの家にとまりにきたことが会った。しかし、このときは二泊三日だったんだけど、あんまり狭くてしょうがないとは感じなかったんだけどなあ・・・。




2001年12月26日(水)
ダイヤルQ2

 さてさて、昨日の続きです。
 目がさめてみると、なんだか怪しいOさんが、あさから勝手にパソコンの電源を入れて、怪しい最とぉ閲覧していた。しかもそれはまだ朝の5時40分頃だった。
 そのうちにたん君も目を覚ましたので、二人でこの男はほっておいて話していた。
しかし、なんだか眠い!!こんな朝早くから起きてしまったので俺も眠くて少ししたら眠ってしまった。するとたん君が
「なんだかモデムから音がする」というではないか!!
俺の家はケーブルテレビでネットに接続しているので、基本的にはモデムから音がするはずもなかった。不思議に思ってともかく安全のためにモデムの電源を切ってネットワークの設定を確認してみると、ダイヤルアップネットワークのパスワードと電話番号が書き換えられており、思い切りダイヤルQ2につながってしまっていた。
 気づくのが早かったので大事には至らなかったが、この男にパソコンを弄くらせると危ないということを、俺は実感した。そこでこれからこの男の子とを「MR.Q2」と名づけることにした。
 それからダイヤルアップの設定を直して、朝飯を食ってからNTTに電話してダイヤルQ2が使えないように、この回線に制限をかけてもらった。
それと、今回かかってしまった、ダイヤルQ2の料金の支払い拒否の手続きもとっておいた。初めて知ったんだけど、ダイヤルQ2にかけるつもりがないのに、悪意によってつながってしまった場合には、料金を払わなくてもいいという制度があったのだ。そのおかげで今回の料金は払わないで住んだ。
 それから少ししてからMR.Q2がまたネットをやりたいと言い出した。しょうがないのでモデムの電源を落としてやらせておいた。
 それからしばらくたん君と俺が話していると、MR.Q2はネットをやり飽きてしまったらしく、俺のベッドで昼寝をこきだした。しかも幾ら起こしてもこの男は起きない。その挙句にちょっと目がさめると変なことを言い出すので、困ってしまった。
 しかし、時間も押し迫ってきたので、何とかこの男を起こしてから、部屋の片づけとごみ処理をしてから、少しのんびり話していた。
 そんなわけでわけのわからない一日を過ごしているうちに、夕方になったので二人はタクシーで帰ることになった。
 タクシーが到着したころ、たん君が「あれっ、俺のポーチがない!!」とか言い出した。そこで「まあ、荷物の中にでも混じってるんじゃないの?とか言うことにして、タクシーは去っていった。
 それから部屋に戻ってたまったメールを読んでいると、聞きなれない電話の音がしている。しかもベッドの足元のほうから・・・。
そう、さっきたん君が捜していたポーチがこんなところに合ったのだった。
 そこで「たん君の携帯です」とか出ると、MR.Q2っが、「あれ、やっぱりこっちのほうにあった?」とか行っている。どうやらセンターについて二人は、センターまでのタクシー料金が払えなくて、少し安くしてもらってようやく何とかなったらしいけど、それからが大変だった。またタクシーで俺の家まで戻ってきて、やっとポーチをもって帰ることがことができたのだった。
 それからまたネットミーティングで副会長と話していると、どうやらそいつの所属している団体のページで、メンバー専用のページを作りたいけど、アクセス制限の方法がわからないとのことだったので、教えるよりもこっちでシステムを構築してしまったほうが早いと思って、代理でCGIを設置しておいた。
このCGI、案外面倒くさいと思っていたら、一度設置の経験があったので、すぐに設置できてしまった。




2001年12月27日(木)
カレーライス

 今日は朝起きてから何もすることがないので、溜め込んでいた日記を書いていた。
 それから午後になってなんだかMaiというメールソフトのテンプレート設定をやっていたら、どうもうまくいかなかった。どうやら「決定」とか「選択保存」などのボタンを押すと、フォーカスが変なところにずれてしまって、キー操作だけでは手におえなくなってしまうらしい。しょうがないのでOSWを使って無理やり設定を変更した。このメールソフトは、音声で使える数少ないフリーのめーらなので、何とかキーボードだけでも使えるようにならないかなあと思ったりしている。このソフトの作者はどうやら大学の教授らしいので、頼み込んでみる価値はありそうだ。
 それからたん訓から電話があって、BLPCのサポート受付の入力フォームがホームページ・リーダーで読み上げられないとのことだったので、昔から原因は判明していたので、ソースを彼に送って修正してもらうことにした。
 それから大体6時ごろになってから、家に帰ってきた。
 今回はなぜかいつもはこちらに置きっぱなしにするスキャナまで運んできた。実は俺の友達が、面白い本を買ったというので、それを読みたかったので、スキャナを持ってきたのである。
 それから、久しぶりに家に帰ってきて母ちゃんの作ったカレーライスを食ってひそかな幸せに感動しているTomGなのでありました。




2001年12月28日(金)
膝掛け

 今日は、午前中今はやりの「ハリーポッターと賢者の石」とかいう本をスキャナで読もうとして、ともかく一通り取り込んでみた。しかし、活字ばかりなので読み取れそうな気はするけど、ルビが多くてほとんど分けのわからない文章になってしまう。ああ、なんとかならないもんかなあ・・・。
それから友達と久しぶりに無線で話した。
今日は平日なので無線がかなり込み合うので、しかたなく混信の合間を縫って何とか仕事中の友達とつながることができた。
 それから午後にこのダイヤルアップのむちゃくちゃつながり図らい環境から、ホームページの更新作業をやった。
でも、案外思っていたよりもすんなりつながったからこれから少しの間も更新を続けていけそうな気がする。

 それと、今日久しぶりに夕飯に焼きしゃけを食った。魚といえばしゃけが大好きな俺、久しぶりに食ったのでかなりうまかった。
 飯の後、アパートがあまりにも寒いので、暖房器具を買いに行った。
 最初はスチーム機能のついたセラミックヒーターがほしかったんだけど、家にもセラミックヒーターがあるので、それを持っていくことにした。それと、何気にいろいろ見て回っていると、「電気式ひざ掛け」なるものが売っていたので、これもいいかなあと思って買ってきてみた。
 ちなみに今このひざ掛けをかけながら箱の上にノートパソコンを載せてこの日記を書いている。使い心地はというと、かなり暖かくて気持ちいい。

 もうひとつ今日は書いておきたいことがある。それは筑波のケーブルテレビのメールサーバーのことだ。このメールサーバー、アクセスしてから受信し終わるまでに時間がかかりすぎる。俺はほかにもかなりの数のアカウントを持っているけど、こんな不安定なメールサーバーにはお目にかかったことがないくらいこのサーバーは不安定なのだ。
 まあ、ケーブルテレビで受信していればこの遅さも許せるけど、この環境だとあまりにもむかつく!!本当にこのサーバー、何とかならないかなあ・・・。





2001年12月29日(土)
つぶやき

 今日はいつも家に帰ってくるとするように、朝飯を食うために少し早めに起きた。どうもアパートで一人暮しをしていると、朝起きると「ご飯の用意ができている」という感覚が妙に懐かしくなってくる。
そんなわけで飯を食ってからまた寝直すという牛のような生活を家に帰るたびにしてしまうのであった。
 でも、今日はどうも牛のようにすぐに寝る気にはならなかったので、久しぶりに朝の栃木テレビを見ていた。すると、なんだかかなり昔のアニメを放送しているらしく、そんな漢字のCMが流れていた。ああ、栃木テレビってもしかして貧乏なのかなあ・・・。
 それからメールのチェックやらいろいろとやっていると、この前のアメディアフェアでもらってきたフロッピーを思い出した。これにはどうやら今注目されているテレビ携帯電話「FOMA」の視覚障害者における活用法についてのレポートが入っていた。
 このテレビ携帯電話を使って、自分の身の回りにあるものを移し、離れたところにいる眼の見える人にそれを見てもらえば、今まで独力で解決できなかったことであっても何とかなるという画期的な話だった。それによると、このテレビ携帯電話に内蔵されているカメラは案外使えるらしく、銀行のATMの画面を写すことで、離れたところからそおの内容を読み取ることもできる。しかもすごいのは、たとえばその携帯電話を持ってコンビニに行って、周りのものを写すことで、自分の探したいものの売り場に案内してもらったり、手に持っている商品の名前や値段を読んでもらえるということだった。この携帯電話が全国で利用できるようになれば、今までとはまったく違ったタイプの視覚障害者支援を行えるようになるだろうといった内容のレポートだった。ああ、俺もそんなのがほしいなあ・・・。そうしたら町の中を歩くのも困らないんだけどなあ・・・でも待て待て、そんなものがあったらかわいいお姉さんに
「大丈夫ですか?」って声をかけてもらうチャンスが減っちゃうなあ・・・(。
 それから友達が仕事で家の近くにきているというので、無線で話していると、
「ちょっと窓をあけてみろ」といわれたのでそのとおりにしてみた。
すると外でけたたましいクラクションの音が聞こえてきた。こんな音が聞こえてくるぐらいだから、本当に俺の家の近くにいたのだ。品ミニその男は、俺の家のアンテナが見える位置までやってきたらしい。

 それから夜にすごいテレビを見た。
その名も「今年の厄払い」とか言う番組で、今年身の回りに起こった悪夢のような出来事を紹介するという恐ろしい番組だった。出会い系サイトを通じて知り合った男性に付きまとわれて引越しをせざるを得なかった人の話、職場での悲惨ないじめ、ガス代の近くにあったスプレー缶が原因で家が爆発してしまった人の話など、本当にとんでもない話ばかりやっていた。ああ、こんなことが来年は起こりませんように。

 それにしても今年は本当にいろいろとあった。
 タバコ臭いのと変なやつが多いのでユニットを引越したのはいいけど、引っ越した先のユニットがうるさくて、2ヶ月ちょっとでアパートに引っ越して来たり、彼女に振られてしまったりと、悪いことがいっぱいあった。かと思うと、BLPCの活動が軌道に乗ってきて、独自ドメインも取得できたし、イベントも何回か行うこともできたし、パソコン雑誌でも紹介されそうなんだから、もしかするとどっちもどっちなのかなあ・・・。




2001年12月30日(日)
俺が影響を受けたアナウンサー

 今日も相変わらず早めに起きて、飯を食ってからテレビを見ていると、不信戦時件についての討論をやっていた。それによると、日本の自衛隊が所有している偵察機には、なんと写真を電波で送る装置の内蔵されているものが、わずかに2機しかないということだった。こんなことではもしほかの国が日本を攻めてきたら、会場警備隊が出動するまでに時間がかかりすぎて手遅れになりそうな気がして、これを見ながらぞっとしてしまった。
この番組、日曜討論という番組で、毎週いくつかのテーマを取り上げて、それに明るい人をゲストに招いて討論する番組で、俺のお気に入りの番組だったりする。ちなみに今日の後半は、日産自動車の社長が出てきて、日本企業の立てなおしを図る方法について述べていた。
 それから、昔のラジオ番組のテープを聞いていたんだけど、久しぶりにこの番組を聞いて、ちょっと感じてしまった。
この番組は今から5年ほどまえまで隣の県の茨城法曹で放送されていた
「パンパカパラダイス、今夜も聞かナイト」
とかいう中学・高校生向けの番組だった。実はこの番組の月曜日担当の「鹿原アナウンサー」に俺はあこがれていた。だから俺がミニFMの世界にはまり込んだのも、高校時代に放送クラブに所属していたのもこの人の影響だ。それだけではない!この人は俺の今の性格を形作っているほどの人だといっても過言ではない。
この人の声は本当にやさしく、リスナーからの手紙を読むときも本当にその人の気持ちになったように読んでくれる。それに、本当にリスナーのことを考え、お悩みの手紙が着たりなんかすると、心から親身にやさしく励ましの言葉を書けてくれる人なのだ。
この番組を俺がよく聞いていたのは、小額6年生のときだったので、月曜日の夜に家にいるときだけしか番組を聞くことはできなかった。そこでできるだけテープに録音していたものが、今もそのまま残っている。それほど、俺はその番組が楽しみでしかたなかった。うえでも書いたとおり、この番組は5年ほど前に終了してしまったけれど、俺が聞いていたのはもっと前の1992年〜1993年にかけての1年程度の期間だった。つまり俺がアマチュア無線の世界に突入する1歩手前の年だったのである。この番組から俺は、当時普通の中学生の間で流行していたこと、その人たちの興味・関心のあること、その人たちとどんな話をしたらついていけるのか、悩んでいる人への語り掛け方など、本当にたくさんのことを学び取った。だからこそ、栃木学生ハムクラブのセンター局を勤めることができたんだと、今になって思う。
 午後はパソコンで読書していたんだけど、部屋のカーテンを空けたら、日差しが気持ちよくて昼寝をしてしまった。でも、近くで枯草火災が発生したので、サイレンの音で目がさめてしまった。
 それから飯を食って風呂に入ってからこの日記を書いていると、MR.Q2から電話が入って、狙っていた女のこと明日会う約束をしたとか言っていた。ああ、まったく大晦日だって言うのにしょうがない叔父さんだなあ・・・。(うらやましいぞ!!)




2001年12月31日(月)
今年

 今日は昨日夜中にホームページの更新作業をしていた性で、朝飯を食った後すぐに寝てしまい、午前中はほとんど睡眠モードだった。
 それから午後は無線ばかりやっていた。最近インターネットが普及してきたので、無線に出てくる人もあまりいない。特に今日はなんだかかなりチャンネルががらがらだった。でも、久しぶりにCQをやったら、結構声をかけてくれる人がいた。
それから友達二人としばらくの間無線で話していると、一人の友達がなんだか最近中古の無線機を買ったらしく、それを使い始めた。その無線機、本人の話では、10wの機会とのことだったが、どうもそれにしては電波が強い。それでいろいろ調べたら、35wの機会だった。ああ、この機会を6000円で買ったなんて、うらやましいなあ・・・。
 それから年越しそばを食ってから、大晦日高齢のどらえもんを見てから、親と一緒に紅白を見て今にいたる。
 実はこれから今年1年を振り返っていろいろと書こうと思ったんだけど、あまりにも書くことが多すぎるので、ざっと書いてからなんだか友達3人が、無線に出ているので、年越し無線でもやることに使用。
 今年は3月に寮のユニットを引越した。煙草を吸う人がいるので、それがいやでユニットを引っ越したんだけど、その引っ越した先のユニットは、あまりにも夜中にうるさくて絶えられたものではない。次の日が学校なのにもかかわらず、朝の4時ごろまで友達を呼んで騒いでいるだけでなく、1号室の山男は、ほとんど夜起きていて昼間授業中に寝ているようなやつだった。そんな環境に俺は耐えられなくなって、6月12日に今年2回目の引越しをした。もちろん引っ越した先のアパートは、かなり静かだったので、俺の仕事もはかどるようになった。俺の主催しているパソコンサポートグループでは、独自ドメインを取得して、ホームページも解説できたし、今年後半になって、2回の講習会とイベントを行うことができたし、インストラクターも増えた。
でも、俺が仕事ばかりしていたせいで、彼女に振られてしまった。
 それからちょっとくだらない話かもしれないけど、今年9月には音声対応ナンバーディスプレイつきの電話機も買った。
そんなことを総合すると、今年はいいこともあり悪いこともあった。どっちもどっちということになるのかなあ・・・。




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