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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年05月01日(水)
ついにLinuxマシーン所有

 今日は5時間目の卒検の時間に、初めて自分のLinuxサーバーを持った。
最初なんだかデフォルトでインストールしてあっただけで、Telnetでログインすらできなかったんだけど、先生が何とか設定を変更してくれて、それなりに使えるようになった。
 まず最初に、何とか音声環境でEmacsを使えないかと思って、MS-DOS上で走るVkermitというソフトを使ってTelnetでサーバーに接続して、そこからチャレンジしてみると、かなり使いにくい者の何とか使うことはできた。
具体的にはEmacsを起動してすぐに、うるさいのでGrph+F11でVDMのスキャン読みを止めた後、カーソルキーでたどっていく。もちろんそのとき現在カーソル位置の文字は音声発生されないので、Grph+Tテンキー5で現在位置の文字を読み上げて対応した。
もちろん上下カーソルでもこの状態では行読みしないから、Grph+Kで読ませるわけだ。
ということで、何とかEmacsが使えるので、.bashrcを書き換えてプロンプトをシンプルな「% 」だけに変更した。このままにしておくと、エンターを押す旅に、長いプロンプトを音声が読み上げてうるさいからだ。カレントディレクトリなんてだいたい分かっているし、いよいよ分からなくなれば「pwd」を打てば良いだけだ。
そんなわけでエディタも使えるので調子に乗った俺は、同じゼミのWinona君のアカウントを作ろうとして「adduser」コマンドを使おうとした。しかし、
Command Not Found
と出てきて全く使い物にならない。
そこでWinona君が手元の本で調べてくれたところによると、どうもLinuxでは、adduserではなくてuseraddらしいことが判明した。
しかし、これもまた「Command not found」とか出てきてしまう。
もちろんsuコマンドでスーパーユーザーで入力してるんだけど、どうしてもうまくいかない。そこで今度はどこかにuseraddという名前のファイルがないかどうか探してみると、
/usr/sbin/useradd
というのがあった。そこで今度は、
% cd /usr/sbin
% useradd -u 3000 username エンターキー
とやってみた。しかし「Command not found」とかかえって来るではないか。
おかしい・・・ちゃんとカレントディレクトリにはコマンドはあるのに・・・。
もしかして、Linuxのbashrcというシェルでは、コマンドを入力されると、カレントディレクトリを検索しないのではないかなあとか考えた。
そこで今度は気を取り直して
% /usr/sbin/useradd -u 3000 username エンターキー
とやってみると、今度はちゃんと作成できた。
そこで次にパスワードを設定しようとして
% passwd username エンターキー
とやって仮のパスワードに「yamada」とか入れた。
すると、どうもなんだかこのパスワードは辞書にあるからだめだというようなメッセージがかえって来るではないか!!ああ、こんなところまで最近のLinuxはチェックするのか?
それからもっと感動したのは、こうやってほかのサーバーにTelnetで入ってしまえば、SSHしか許可していないサーバーに音声環境で何とかログインできるということだ。
まあ、これをやると、根本的に自分が操作している端末とサーバーの間が生のTelnetで接続されているので、せっかくSSHでログインしている意味がない。
まあメモ代わりにかいておくと、
% slogin username@hostname.domain.com エンターキー
とやればできる。その後なんだk認証キーがどうのこうのと聞いてくるから、「y」だったか「yes」と入れてやれば
password:
と聞いてくるのでパスを入れてエンターすれば接続できる。
まあそんなわけで、TomG君のサーバー構築計画は大きな一歩を踏み出したのでした。




2002年05月02日(木)
明日の準備

 今日は昨日の夜遅く、やっと明日使うHTMLのテキストの点訳データが届いたので、朝7時に起きて印刷を始めた。
しかも今日は最初から午後学校をサボって資料作成と印刷に没頭するつもりでいたので、ロー化に転じプリンターを運び出して大量印刷の準備を万端整えた。
しかし、印刷中に事件は起こった。なんと俺の弟子のSが熱を出して倒れてしまったのだ。
イベント前だというのにどうしようもない。でも、こっちではどうすることもできないので、ともかく医者に言って薬をもらってきて寝ているように言った。
 それから印刷機を動かしっぱなしにして午前中の授業を受けてきた。
飯を食い終わって帰ってきてみると、ボランティアさんかが昨日速達で送ってくれたボランティア向けの実施要項のデータが届いていたので、こちらで用意した実施要項と違うところがないかチェックしながら会員向けの資料を作った。
 その後いつもの弁当屋に飯を買いに行ったら、例のおじさんが元気のなさそうな声で
「お兄ちゃん、今日は弁当サービスするよ」
とか言ってくれた。でも、なんだかこのおじさんにはいつもの元気がなかった。
しかも俺が何弁当を注文するか迷っていると、いきなりカウンターから出てきてメニューを読みながら説明してくれた。
弁当を買って店を出ようとしたとき、おじさんはいきなり
「お兄ちゃん、俺今日客と喧嘩しちゃったんだよ。だって、こっちは一生懸命やってるのに、早く弁当作れって若いあんちゃんが言ってくんだ。一生懸命こっちはやってるのに、何回も何回も言われると俺原田ってよう、ここにあるバケツ投げ地末端だよ。」
そんなことを言い出した。それから俺も時間があったので、いろいろと話を聞いてみると、ここの店は前につとめていたおばちゃんが止めてしまって、社長自ら本店からやってきて朝4時から起きて夜中12時まで働いて一人で切り盛りし始めたらしい。
どうもこのお店、やすくておいしいと思ったら、すべて手作りで作っているらしいのだ。
いやあ、しかしこれだけのメニューをよくもまあ、一人で作るんだと感心してしまった。
しかも今日はそんなわけで、新しく出た新メニューの弁当を格安で手に入れて上機嫌になった。
 しかし、この後気がついたんだけど、明日配る会員向けの資料は確かにできたんだけど、お客様に配る簡単な日程表を作っていないことに気がついてしまった。
そこで早急にこれを作って、今まで印刷した者を連続用紙を切り離して、1部ずつホチキスで留める作業をやって、先ほどやっと終わった。ああ、いよいよ明日か!
去年の忘年会の時から計画して、いろいろ準備を進めてきた。
会場探しでとまどったり、プレスリリースを乗せて欲しいと新聞社の人と交渉したり、ボランティアの人と喧嘩したり仲直りしたりといろいろやってきたけど、泣いても笑っても明日だ。
 多分視覚障害学生が主催するイベントではもっとも大きな者になるだろう。必ず成功させたい。がんばるしかない。今はそれだけだ。




2002年05月03日(金)
イベント初日

 今日はBLPCのイベントで朝から東京に出かけた。
 いつものようにタクシーでセンターまで行ってそこから東京駅日本橋口のバス乗り場まで行ったんだけど、行きのバスの中で筑波のメディカルセンターに実習に来ているお姉さんと席が隣になった。
俺が荷物をなるべく隣の人の方に出ないように気を付けているのをみて、「大丈夫ですよ、荷物こっちに出しても」と声をかけてくれたことから会話が始まった。その声がどうも優しそうに聞こえたので、俺はなんだか無性に話しかけてみたくなったのだった。
そこで、「どちらにいらっしゃるんですか?」と話しかけてみた。
そんなわけでそれから話が発展して、今大学でやっていることの話とか、高校時代の馬鹿話とか分けのわからない話で東京駅に着くまでかなり盛り上がった。
 そのお姉さんは言語障害を直す医療師の資格を取るために、わざわざ新潟の専門学校から筑波のメディカルセンターまで実習に来ていると言うことだった。
それにしてもメディカルセンターってそんなに大きい病院だったのかと、その時初めて知った。筑波にはろくな病院はないと思っていたんだけど、ここで何かあってもメディカルセンターは近いので、安心といえば安心なのかな?まあ、俺の実家で倒れるよりは遙かに安心なことは確実だ。
その言語障害を直す人というのは、どうも咀嚼傷害などを直すのも仕事らしく、脳系の病気で出てくる者が飲み込めなくなったりする傷害も治療すると言うことだった。
 さて、そんなことを話していると、時間はどんどん過ぎていった。しかも車は渋滞にはまってしまって、ほとんど動かない。このまま行くと間に合わない可能性が出てきたので、会場に着いていると思われるボラ主任のMR.Q2に連絡して、少し送れると言うことと、荷物があまりにも多いので運ぶのを手伝いに来てくれるように頼んだ。
ちなみにこの日は、8時20分の高速バスに乗って、東京駅に到着したのは10時10分頃だった。ちなみに関係のない話だけど、TomG君、お姉さんの名刺をもらってきてしまった。
 東京駅にバスが着くと、バスのトランクの中に入れてもらっていた荷物を下ろしてから、日本橋口でお姉さんと別れて主任と集合場所の身障者待合室に行った。
このとき主任は、東京人にもかかわらず、
「すみません、道をお尋ねしたいんですけど」
とかいって、かなり迷いまくっていた。
そのおかげで結局集合場所に着いたのは10時25分をすぎてしまっていた。
 それからもう一人来ていなかった人がいたので、その人が到着してから結団式をやった。
この日は事務局から9人のインストラクターが参加していた。実は10人の予定だったんだけど、副会長のピヨマルが風邪を引いて熱を出してしまったので、1日目は大事を取って休むことになった。
結団式ではまず事務局メンバーの自己紹介と、ボランティアスタッフの自己紹介、日程説明などをやった。
 その後、ハンディーキャブで会場の東京都障害者スポーツセンターに行った。
車の中で今回初めてイベントに参加するインストラクターの女の子の持ってきたノートパソコンがどうもいろいろとエラーが出ておかしいという話になった。そこで会場に着いたらすぐに、そのパソコンの修理をやることにした。ちなみについでにということで、今回会員が持ってきたパソコンの中で、どうも調子の悪い者については、俺ともう一人の技術部のインストラクターで修理することにした。
 そんなわけで現地に着いてからしばらくの間、パソコンのインストール作業と、用治療のパソコンのメンテナンスをやった。
 途中でお昼ご飯が到着したので、一時中断してお昼ご飯を食べながら、これからのスケジュールについて話し合ったりした。ちなみにこの日のお昼ご飯は大量の唐揚げとフライドポテトだった。しかもご飯がなかったので、かなり油っぽくて食べるのが大変だったけど、かなりうまい唐揚げだった。お昼を食べている途中、俺はとんでもないことに気がついた。それは、延長コードを家に忘れてきてしまったと言うことだ。これがないと会場のコンセントは多くても4つしかないので、これでは絶対にコンセントが足りなくなるのは目に見えていた。そこでお昼を食べ終わった直後、ボランティアの方とインストラクターのもぐもぐさん(加盟)に近くのコンビニまで行ってもらって、延長コードを買ってきて頂いた。ああ、全くどじをやったせいで2500円以上の出費だったなあ。
 午後になってメンテナンスやインストールの続きをやっていると、BLPCがいつもサーバーでお世話になっているフォレスト多摩の管理者の内田さんが来てくれた。お忙しい中いらして頂いただけでもうれしかったのに、なんとクッキーまで持ってきて頂いてしまった。
そんなわけで音声でパソコンを使う様子や、内の会の活動について見学して頂いた後、終わりの時間が近づいたので、内田さんは4時40分頃に帰られた。
 その後会場を片づけて、何とかスポーツセンターの終了時間には開場を出発することができた。
 それから宿泊場所の戸山サンライズについてから、飯を食おうとして部屋を出ると、主任がなんだか青い顔をしてたっていた。どうも会場に会費の排他バッグを忘れてきてしまったらしい。そこでしょうがないので、何とか食堂と交渉して、次の日にまとめて料金を精算することにした。
 飯を食い終わって風呂を出た後は、男子部屋に衆望して、昼間のメンテナンスとインストールの続きをやった。その後、簡単なExcel講座をやってから、次の日のことがあるので1時近くに寝た。




2002年05月04日(土)
イベント2日目

 今日はイベントの二日目立った。
 朝起きて飯を食って出発しようと思ったとき、早々からトラブルが発生した。
 なんと、車の運転担当のボランティアスタッフが寝坊してしまったのだ。
しかも7時50分に戸山サンライズの前に集合になっていたのが、その人が起きたのが7時50分だったのだから致命的だった。もちろんこんな状態でその日tの日程が成城に行くはずがない。ともかく遅れを最小限にとどめることと、受講者の皆さんに事務局の日程が送れていることをお伝えしてお詫びしなければならなかった。
 ちなみに実際の時間は、8時戸山サンライズ出発予定だったのが、9時近くなってしまっていた。それから何とか急いで会場には着いた者の、この時間になると人の移動も激しくなるらしく、会場到着が9時30分少し前、それからお客様のお迎えの車が東京駅の集合場所に到着したのは9時55分過ぎになってしまった。
もちろんこんなに時間が遅れてしまったので、お迎えに行ったスタッフは、受講者のご両親の方や付き添いの方々にかなり怒られてしまったとのことだった。
 それからこちらに受講者の方が到着したのが10時30分をすぎてからだった。
それから受付などをすませ、その後風邪を引いて休んでいた副会長ピヨマルがやってきた。開会式を終わると、時刻は11時を過ぎてしまっていた。
そんなわけで開始時間を30分遅らせてのスタートだった。
 午前中の講義が終わると、飯の時間になった。
ボランティアの方々に隣の控え室に飯を用意して頂いたんだけど、受講者の到着が遅れたせいで、弁当を取りに行くハンディーキャブが遅れてしまい、お昼の届く時間がかなり遅くなってしまっていた。
そんなわけで事務局のスタッフは、できる限り早めにご飯を食べて、隣の教室の方でパソコンのセッティングに入った。昨日ほとんどのインストールは終わっていたけど、どうもネットワーク関連でかなりトラブルが発生してしまい、また開始時間が30分ほど遅れて、2時30分になってしまった。
この時間の遅れについて、後でボランティアの方々から事務局の準備不足のご指摘をいただいたが、この件についてはかなりの異論があるので後でリーダーとしての正直な意見を書かせて頂くことにする。

 さて、やっと準備が終わって講習会を始めたんだけど、俺の担当した受講者の方が、突然
「普段は点字入力でやっているので、ローマ字はあまりできないんです。点字入力でできませんか?」
とか言い出すではないか。これには正直言ってかなりびっくりしてしまった。
今回の講習会は募集要項にはっきりと「点字入力のサポートはできない」と書いていたので、点字入力のドライバなどはパソコンにインストールしていなかったのだ。
そこで何とかゆっくりでも良いからローマ字入力でやって頂くことにしたんだけど、こともあろうに俺は最低なやつで、かなりこのことでいらいらしてしまい、教え方が粗雑になってしまった。
今思ってみればわざわざ遠くからこの講習会のために高い交通費を払って来て頂いたのに、なんと失礼なことをしてしまったんだと思う。本当に申し訳ありませんでした。でも、俺の研修生でブラインドタッチを教えるのが専門のロービジョンセンターのインストラクターがついてくれていたので、俺がいらいらしていてもその子だけは冷静にちゃんと丁寧にローマ字入力の講師を務めてくれた。ロービジョンセンターのIインストラクター本当にありがとう。
 講習会が終わってホテルに向かう時間になると、ハンディーキャブのほかに、もう一人のボランティアさんが、自分の車に受講者の方を乗せて頂けると言って頂いたので、2往復しなければならなかった予定が1往復ですんだので、かなり時間の節約になった。
 もちろん総勢20名の宿泊者の方を2台の車でお送りするのは無理だったので、乗れなかった何名かのボランティアスタッフの方には、電車で戸山サンライズに来て頂いた。
 ホテルに着いてから受講者の方には荷物などをまとめて頂き、食事の時間になった。
食事は当初、みんな同じ者を頼んで頂くことにしていたんだけど、どうもそれでは悲しいので、予算をアップして何とか好きな者を頼んでも大丈夫なように修正した。
食事中、この間イフの就職フォーラムでお会いした先輩のお姉さんから電話が来た。
どうもWindows98SEのプロダクトキーがどこに書いてあるのか分からなくて困っているという。
しかし、ちょっと今の状態では手が離せなかったので、こちらの予想できる範囲で説明させて頂いた後、受講者の方と視覚障害者のパソコン環境に必要な特殊な設定についての話で盛り上がった。
 その後これからの日程について主任とちょっともめた。でも、こんなもめ事はしょっちゅうあったので、まあいつものことだと流していた。
もちろんこの後主任が切れるとは思ってなかったんだけど・・・。
 それからそれぞれ風呂に入って、事務局スタッフと一人の受講者を加えてああでも内向でもないとちょっと盛り上がっていると、なんだか主任が「ボランティア一同事務局に言いたいことがある」とか言って入ってきた。
そこで話を中断して、ボランティアの方々のお話を聞かせて頂くことにした。
すると、なんだかとんでもない話が出てきた。最初にボランティアの方々から事務局に対してのご意見などをいただいたんだけど、「おまえらは自己満足で講習会やってるのか」とか、「何でこんなに時間にルーズなのか」とか、さんざん言われてしまった。
はっきり言って悔しかった。俺たちはこの講習会を開くのに、約半年前から入念にスケジュールを立て、何度も何度も書き直した。ボランティアさんともめ事があって、講習会をやることすら不可能だとあきらめかけそうになったb。もちろん何度も挫折しそうになった。特に時間にルーズだと指摘されたときは、はらわたが煮えくりかえりそうになるのを感じたぐらいだ。だって、今回のスケジュールが送れてしまったのは、事務局のせいじゃない。いくら事務局が努力しても、こればっかりはどうしようもなかったのだ。
でも、俺たちは確かに自己満足で講習会をやっていた部分は大いにあると思う。どこかの学生のサークルのようになっていたといわれればそれも確かにそうかもしれない。
 そんなわけで、ボランティアさんが帰った後、この後どうすればいいかについてできる限り話し合いをした。
どうすれば受講者の方々に満足して帰って頂けるのか、インストラクターの心構えの話、ボランティアさんとのコミュニケーション不足などをどうやって解決していけばいいのかなど、いろいろ考えた。
その結果、ともかく隣に誰が座っているか分からないのでは話にならないので、ともかく隣に座った人が誰なのかをすぐに把握して、こちらから積極的に接することが大事だという話になった。そして、ともかく「心で」受講者の方々に接することが大事だと、そのときはっと我に返った。




2002年05月05日(日)
イベント最終日

 今日は最後の日だった。メンバーみんな昨日怒られてしまったことと、反省したことでかなり朝からブルーモードだったけど、気合いはいつもよりもかなり入っていた。
だっていつもイベントの時には必ず寝坊してしまうピヨマルが、こんかいは早く起きて男子部屋のメンバーを起こしたのだから珍しいことこの上ない話だ。
 そんなわけで受講者の方は8時からご飯を食べて頂くことにして、俺たちは7時版から急いでご飯を食べて会場に向かった。
 今回は運転担当のボランティアさんもちゃんと時間通りに来てくれたので、予想よりもかなり早く会場に着いた。
それから会場が使用可能になるまでの少しの時間2回のロビーで待機した後、予定時間10分前に会場に入ってセッティングを始めた。今回はそんなにトラブルも出なかったので、案外早く始めることができたが、やっぱり昨日からのネットワークのトラブルが解決していなくて、一人の受講者の方にかなりご迷惑をおかけする結果となってしまった。
でも、みんなそれなりに気合いが入っていたので、受講者の方々には少しは気持ちが伝わったかもしれないと感じた。今回は俺は昨日の反省を元に、「ゆっくり心を込めて」を目標に受講者の方と接することにした。そんなわけで、午前中には少しトップページが何とか完成したような漢字になった。
 それから飯を食った後、事務局で圧待て午後の会議をやった。そして、午前中にご迷惑をかけてしまった受講者の方だけ、一足早く始めることにした。
 しかし受講者の方々は本当に熱心な人ばかりだ。休憩の宣言をしても全然休憩しようとしない。だから今回は3時間近くも、ほとんど休憩なしでひたすらしゃべり続けたらかなり疲れてしまった。
でも、とりあえず簡単だったけどページが完成して、それを音声で読み上げることができたときの、受講者の嬉しそうな声は忘れられない。
その後、そのページをFTPでサーバーにアップロードして、ほかのパソコンからそのページを聞いてみることにした。これも感動だった。
自分の作ったページはその方のポケットの中のフロッピーディスクに入っている。今音声の聞こえているパソコンにはその内容をコピーした覚えは全くないのに、それでもちゃんとそのパソコンからはちゃんと音声は出ていた。インターネットのホームページとして、小さいけれどちゃんと世界のどこからでも見える。そのとき俺は、自分が初めてこのホームページを公開したときのことを思い出した。あのときは本当に感動して、それから3・4日間はずっとその余韻に浸っていたと思う。
そのぐらい、ホームページを作ってインターネットという世界のどこにでも開かれたネットワークに公開することは感動ものなのだ。本当に受講者の方が喜んでくれて良かった!

 講座が終わった後、東京駅の食堂で打ち上げ会をやった。本当は事務局だけでやろうと思ってたんだけど、せっかくなので受講者の方々にも参加して頂くこととした。
その中で受講者の方々に感想をお聞きしてみると、嬉しいことに「勉強になった」とか、「受講して良かった」と皆さんがおっしゃってくださった。
そして、私たちも、本当にこの講習会を主催して良かったと思った。
ボランティアの方々に支えられ、受講者の方々に勇気づけられ、いろいろな困難を乗り越えて3回目の講習会を終了できた。本当に嬉しかった。
この講習会にお忙しい中ご協力くださったボランティアの皆様、そして遠くからわざわざ私たちの講習会を受講して頂いた受講者の皆様、本当にありがとうございました。
次は8月に何かやらかす予定でございますので、なにとぞよろしくお願い致します。

 ちなみに今回、俺が東京から高速バスで家に着いたのは10時50分頃だった。しかし、ボランティアさんの不足で、受講者の高校生の女の子が、地元の駅に到着するのが11時をすぎてしまった。
これからこのようなことがないように、厳重に注意していきたいと思う。




2002年05月06日(月)
恋い寝た

 今日はなんだか昨日からのイベントの影響でかなり眠かった。
でも、何気なく電話が来たので、午後9時頃には起きた。
 それからイベントのことについてひとしきり弟子と話した後、なんだか新井君からメッセンジャーが来ていた。
それによると、新井君はイベントに参加したインストラクターの女の子を好きになってしまったらしい。しかもこれかなりの恋の病らしく、朝から食事がのどを通らないとか騒いでいる。これは完璧に惚れ込んでいると思ったので、できれば二人を幸せにしたいなあとか思って、ちょっとそのおんなのこに連絡してみた。
もちろん探っていることに気が疲れるとろくなことはないので、その辺を考慮に入れて慎重に探ることにした。
でも、相手も視覚障害者なので、探りを入れるときには健常者の人を探る以上に気を遣わなければならない。視覚障害者というのは日常人の顔を見ないで物事を判断したり、相手の声だけで相手の気持ちを判断するので、いくら電話であっても電話の向こうで相手がどんな顔をしているかということはだいたい予想できてしまうから怖いのだ。
そんなわけで慎重に探ってみたけど、相手はどうやら今のところ特別な感情は持っていないのだろうという結論に達した。その後彼にはそれをメールで伝えておいた。
 それから午後になってセブンに弁当を買いに行ってきた。ちなみに今日のお昼ご飯は久しぶりに冷やしうどん。夕ご飯はさっぱりしたものが食べたかったのでおにぎりとサンドイッチだった。
 それから夜になってまた彼からメッセンジャーが来た。どうもなんだかあの後かなり時間をかけてメールを書いたらしいけど、返信がないと悲しがっていた。
でも、ともかく明日まで待ってみようと元気づけることぐらいしか俺にはできなかった。
さすがに俺は神様じゃないから、相手の気持ちまでは完璧に見抜くことなんて絶対に不可能だし、ましてやコントロールはできない。




2002年05月07日(火)
ついにキーボード交換

 今日は午前中、UからYBBに加入できたと連絡が来た。
しかも電話のバックにはあるサイトのBGMが聞こえてきたので、問題ないように見えた。しかし、電話中速度を測ってみようとして、スピードテストのサイトにアクセスしようとすると
「サーバーが見つかりません」とか、「ページを表示できません」とか出てきた。
どうもおかしいと思って、電話越しにいろいろと接続を確認してみると、どうも電話をかけているとインターネットがつながらないと言う現象が発生していることが分かった。
そこでいろいろと話を聞いてみると、どうやらYBBの回線がつながっているのが2階の電話線で、1階にも電話線があり、そこには今使っている電話がつながっていると言うことだった。
つまり、スプリッタの向こう側(モデム側ではない方)に電話機が存在していることになる。その電話機が原因で、ノイズを発生してしまっているのではないかと俺は考えた。
しかし、どうも電話機はともかく、パソコンを2階でやりたいと言うことで、位置を変えるのは難しいらしいから、しばらくの間は電話をかけながらのインターネットはお預けになってしまうだろう。まあ、そのうち無線ルーターでもつっこんでできるように暇なときに仙台まで高次に言っても言いと思って入るんだけど。
 電話が終わってから俺は気がついた。実は今日の午後の授業までにやっておかなければいけない宿題があったのだ。でも、今からやっても到底終わりそうもない気がしたので、どうせ連休明けの勢いで、2時間しかないから今日はサボってしまおうかと考えた。
しかし、まじめなTomG君、どうしても授業をサボることは許せない性分なのだ。そこで、やらないよりはやった方が良いだろうと言うことで、課題を適当に20分程度で片づけて、その後にちょっと送れて提出してきた。
 4時間目の始まる前になって、いつも俺がお世話になっている教育方法開発センターの某氏がやってきた。どうやらこの某氏、日記を読んでいるらしく、この間俺が視覚障害保証教育史津田かなんだかという長ったらしい名前の部屋のパソコンを直したら、「直すのは良いけど管理者に許可取ってからなおしてくれ」と怒られてしまった。ごめんなさい。もうなおしません。でも、お願いですから日記に書いたことはクラスの人の前ではしゃべらないでください。

 その後家に戻ってくると、イベント期間中にたまりにたまっていた日記を書いた。
しかし、どうも前から感じていたんだけど、Dellのマシーンに付属してくるキーボード、どうもタッチが重くて打っていると疲れるような気がする。しかもこのキーボード、幅が狭いので、指の長い俺がキー入力すると、ミスタイプが増えてしまって非常に効率が悪い。そこでこの前の自作マシーンに取り付けておいた、路地テックのキーボードと交換してみた。このキーボード、久しぶりに使ってみたんだけど、1ヶ月近くもDellのキーボードを使っていたので、その幅のつもりでキー入力すると、どうも間違えてしまって話にならなかった。でも、使っていると徐々になれてきて、以前のスピードに戻すことができた。

 夜になってそろそろ俺が寝ようと思っていたとき、新井君から電話が来た。どうやら例の好きになってしまったインストラクターからメールが来て、あまりよろしくない結果になってしまったらしい。まあ、人生こんなこともあるんだよとか言って慰めてはみたんだけど、自分がそうだったように、そういうことがあった直後って、何もやる気がしないんだよなあ・・・。




2002年05月08日(水)
家から研究室の自分のサーバーを弄くる

 今日はなんだか午後の授業がほとんど休校になっていて、5時間目しか授業が入っていなかった。
そこで、午前中はひたすら寝て、飯を食いに学校に行った。
 するとやっぱり一緒のゼミのWinona君がいた。
そのときになんだか俺もICQがやりたい都会ったら、教えてくれるというので、彼の空いている4時間目まで研究室で暇をつぶすことにした。
そのついでにこの間シリアルがなくてインストール不可能だったいくつかのアプリを、俺の卒検専用マシーンにインストールした。でも、なんと肝心なディスクを家に忘れてきてしまったので、暇に任せて家に取りに行った。すると、急に去年使った教科書を学校に返していないことを思い出して、無性にこいつがじゃまになってきた。だって、使いもしない大量の点字教科書が、机の上の棚を占領してしまっているのだ。そのために学校から宿題をやるためなんかに持ってきた教科書を一時的に置いておく場所がないのだ。
そう、勘の良い読者の皆様はお気づきだと思うが、TomG君、まじめな大学生の典型的パターンとして、教科書はすべて自分のゼミの研究室か、教室の後ろにあるキャビネットの中に置き去りにしている。
そんなわけで、結婚式のお式者の入っていたでかい袋に、点字教科書をできるだけ詰めて、その上いつも学校に持って言っているバッグにも押し込んでそれを持って学校に向かった。
点字教科書というのは非常にやっかいな代物で、ふつうの本に比べてかなり大きいし、厚さもあるし、重いし非常に持ち運びに苦労する。そんなわけでこれだけ大量の教科書を学校に運ぶと、かなりくたくたになってしまった。それで、教科書を管理している技官さんに
「水ください」とか言ったら、暖かい紅茶をくれた。
そういうわけで、技官さんとしばらくお茶を飲みながらいろいろ話した後、Winona君に呼ばれたので研究室に戻った。
 授業が終わった後、また焼きプリンの包みケーキが食いたくなって、セブンに買いに行ったんだけど、昨日も買いに行ったにもかかわらず、またまた売っていなかった。
そこでしょうがないので、代わりにロールケーキを買ってきて、朝のサンドイッチを買った後、いつもの弁当屋に行って唐揚げ弁当を買ってきて夕飯にした。

 それから今度は、5時間目に教わったことを参考にして、自宅から今俺が遊んでいる研究室のサーバーにログインしてみた。
いつものごとく俺の目も代わりに手順を書いておく。
 1.どこかTelnetでログインできるサーバーにログインする。
ふつう直接SSHで通信すれば良いんだけど、音声環境で使えるSSHクライアントが今のところほとんどないに等しいので、秀タームという通信ソフトで手近のサーバーに接続してしまうのだ。このせいで実はこの後SSHでサーバーにつないでいる意味が全くなくなってしまう。だって、自宅からその適当なサーバーまでは、生のTelnetでつながっているんだから、わざわざSSHの暗号化Telnetをする意味がない。
 2.手近なサーバーにログインしたら、内の大学のプロキシサーバーの20022ポートをSSHでたたく。ちなみにこの20022というのは、内のプロキシサーバーの20022ポートがSSHポートとして空いているから20022番ポートなだけで、ほかのサーバーの場合は全然違う。正確に言うと、このプロキシサーバーの20022ポートが、学生専用サーバーの23番ポートと接続されているというのが本当のところになる。
入力は
slogin -p 20022 username@proxyname.domain.ac.jp エンターキー
とやる。すると、認証キーが正しくないけどそのまま接続するかどうかという英語のメッセージが出てくるので、ともかく意味は分からなくても、初めてそのホストとSSHで通信する場合はこれが出るから「yes」と入れてエンターする。するとおなじみのパスワード入力が出るので、自分のPWを入れてエンターキーを押す。これdこれでおなじみの内の大学の学生サーバーにログインできる。
 それから今度はここを踏み台にして、俺の解説しているサーバーに入る。どこの大学でもそうだけど、最近はいろいろとネット上の攻撃が激しいこともあって、ファイアウォールを設置している。だからこのような形で何とか学内に入り込んでしまわないと、ファイアウォールの中にある自分のサーバーと接続するのは不可能だ。
逆を言えば、ここまで来てしまえば簡単に自分のサーバーにつながってしまう。だって、Telnetでここからなら直接アクセスできるんだから。
 具体的には
rlogin username@hostaddr エンター
で良いんだけど、これだと学生サーバーの管理者に通信内容がばれるので、またここでもrloginじゃなくてsloginで入る。SSHのポートは標準の22番が空いているので、ふつうに上のrloginをsloginに変えて入ればいい。すると初めての場合は例によって面倒なメッセージが出るから、「yes」エンターを入れてパスワードを入れて完了になる。

 ああ、しかしここまでにかなりのサーバーを経由していることになる。こんなことをやっていると、よく「踏み台にされる」とか言う意味が分かるようになってきた今日この頃だったりする。




2002年05月09日(木)
木曜日はつまらない

 今日は木曜日、つまり1〜5時間目まで授業が入っている日だ。
しかもこの日に入っている授業というのが、午前中が遊べない授業、午後は遊べる授業なんだけど、午前中の2時間が非常に詰まらない。
この日記のコーナーでもたびたび書いてきているんだけど、この授業を担当しているのが先生と言うよりもどちらかというと経営学者的なおばさんなので、理論的なところばっかりをやっていて、実践的な話に移らないのでただひたすら退屈なだけなのだ。
まあ、一応この授業は実践的なところをやるんだろうと思って履修登録したんだけど、こんなことばっkりやっているんだったら2時間も時間がもったいないので止めようかなあと思っていたりする。もっとも、実践的なことをやろうとしても、ここの先生の実力では無理なのだ。その辺を分かっていながらもやっぱりふつうの大学生と同じレベルまでは教えて欲しいと思うのはごく自然な感情ではないかと思う。

 それから今日は5時間目の先生が出張だったので、休校になって、その時間にまたサーバーの設定を直そうとした。しかし、なんだか直し方が分からなかったのでWebサイトを引いてみたけど、全然参考になりそうな文献が見あたらなかった。




2002年05月10日(金)
何とかならないかなあ

 今日は授業は3時間目だけだったんだけど、5時間目に卒検担当の先生に手伝ってもらって、履歴書の送付作業をやった。いろいろとエントリーしていると、履歴書を送ってくださいという話だけは一応来るので、送らないより送った方がましだぐらいの感覚で、一応履歴書を送ってくださいと行ってきている企業さんには全て送っている。
 それはそうとして5時間目に履歴書発送の作業をやると、自然と4時間目が空き時間になってくる。この秋時間を使って実は、またサーバーの設定を見直そうと思っていたんだけど、思いっきり自宅に研究室の鍵を忘れてきてしまっていた。
しかも外は雨が降っているので、1時間ちょっとの時間をつぶすためにわざわざ帰るのもかなりばかばかしくなってきた。
そんなわけで友達のNを捕まえて教室で話し込んでしまった。
その中でいきなりNが、来週のこの時間にトランプでもやろうかとか言い出した。久しぶりなのでいろいろとルールの話をしていると、やっぱり地域が違えばトランプのルールも変わってくるらしく、お互い知っているルールが違っていたりした。しかも、おもしろいことには、ゲームの名前そのものも微妙に違っていたりする。俺が盲学校にいたときも、同じ県内の北の方と南の方では違っていたんだから、栃木出身の俺と、徳島出身の彼女とでは違って当然なんだろう。でも、なんだかこんな話を聞いてみると、日本って小さい国だとか言っても、それは地球規模でみたときの話であって、人間の目から見れば日本だって立派な大きい国なんだとか久しぶりにまじめに感動してしまった。

 それから今日は夜中にMickyが電話してきた。全く12時過ぎには電話するなって言っていたのに、全然言うことを聞かない。本当に困ったやつだ。
しかも電話してきて楽しい話でもするなら良いんだけど、MR.Q2とののろけ話ばっかり聞かされるので、かなりむかつくのだ。
まあ、夜中に電話がかかってくるのなんて全然そのことは迷惑じゃないんだけど、あいつから電話がかかってくることがかなり迷惑なのだ。多分読んでいると思うのではっきり書いておく。「Mickey、今度12時過ぎに電話してきたら着信拒否するぞ。」




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shiromuku(d)DIARY version 2.04