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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
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2002年07月11日(木)
台風来襲

 今日はなんだかすごい風邪の音で3時頃に目を覚ましてみると、もう台風が来ているらしく、ものすごい風と雨だった。
ラジオをつけてみると、銚子市付近に上陸して、今また関東地方を進行中とのことだった。しかし台風というのは一人でいると案外怖いものだ。実際もし今洪水とか風邪か何かで大変なことが起きたとしたら、はっきり言って誰も助けに来てはくれないだろうから、何とかして自力で避難所まで行くか、消防署にでも電話して助けに来てもらうほかないだろう。そんなことを考えていると、風邪が来るたびに胃が痛くなってきた。
これではどうせ眠れないだろうから、起き出してパソコンをやっていると、なんだかミッキーが呼んできて、教会のホームページが読めないと言うので、原因を調査してみると、HPRの苦手な種類のJavaScriptが使ってあって、リンクが正しく読み上げられていないことが分かった。これは読めないホームページの中でもひどい部類に入る。というのはこのページ、一部のリンクは読めるので、読めないホームページであるという認識をすることすら不可能になっているのだ。そこでそれをミッキーに言うと、掲示板にそれを俺が書き込んでくれと言う。もちろん俺は宗教は嫌いだし、何よりも全然関係のないホームページに個人的に書き込みをするのは気が引けてできないので断ると、しつこく何とかしてくれとうるさくてしょうがない。そんなことを言われてそんなことを言われても、はっきり言って無理なので、だめだといって断ってから、やっとそのころ台風が静かになったので、また眠りについたのだった。

 さて、もちろんこんな時間に寝てしまったkらに歯起きるのもお昼頃になり、食堂が終わる直前に学校に行くと、やっぱり昨日と同じで牛丼しか残っていなかった。でも、もちろん食べるものがあるだけ幸せなので、牛丼をいただいてから、卒検担当の先生のところにお借りしたいものがあったので、そこでしばしの間話し込んでいると、また違うものが必要になったので、技官質にそれを取りに行った。そこでもしばらく話し込んでいると、今年北ばかりの某先生が、俺の内定祝いだと言ってアイスを買ってきてくれた。もちろん外はかなり暑いので、こんなうれしい差し入れはなかったので、ありがたくおいしいアイスをいただいてから家に帰ってきた。

 さて、夜になって飯を食いながらテレビを見ていると、最近若者の中で農業法人に就職する人が多いという話をやっていた。農業法人というのは、一般の農家が会社組織を作って従業員を雇って農業をする携帯のことで、ほとんどの会社が従業員数名から数十名の小さな会社らしい。でも、この売り上げ成績はここのところ急激に伸びている。
こんなテレビを見ていると、うちの実家もそうやって農業を続けていけばいいのにと思ってしまって、すぐに両親に電話を入れてこのテレビを見るように言うと、さすがプロ、世の中のそんな流れはとっくに把握していた。それで分かった話は、俺の実家の近くでもこの流れは例外ではなくて、そんな風に従業員を雇ってやっているところもあるらしい。さらに驚いた話は、うちも最近アルバイトを使っているらしいのだ。このまま行くと本気でうちもそんな会社になるのかと考えてしまった。



2002年07月12日(金)
某雑誌の読み上げソフトのエラー解析で夜を明かす

 今日は朝起きて食堂が終わりそうな時間になってしまっていることに気づいたので、急いで食堂に行って飯を食ってきた。しかし、なんだか今日のカレーはご飯が軟らかいし、カレールーの味もどうもいつもとは違ってまずかった。
 その後部屋に帰ってきて友達としばしの間チャットしていると、どうも学校に大事なものを忘れてきたことに気がついた。それも現金。これがないと生活できないので、急いで取りに行ってきたのだった。
 さて、また部屋に戻ってから、今度は昨日MMめーるの新バージョンを買ってインストールしたのはいいけど、OSを切り替えるとユーザー登録のフラグが消えて、いちいちユーザーIDと名前を入力しなければならないと言う現象が発生していたので、サポートメーリングリストにこれを何とかしてくれとメールを送信した。その後ちょっと思いついて、100万人のメールフレンドというサイトのユーザーズ部門の趣味別のところに、「CGIスクリプト作成」と「ミニFMとアマチュア無線」という掲示板を作成してしまった。実は俺は前々からこのサイトを利用していたので作ろうとは思っていたんだけど、どうも勇気がでなくてやっていなかったのだ。
 その後この間言っていた俺のもう一つのハンドルネームがアラビア語で馬鹿という意味になってしまう話をしたくて、Uに電話をしてしばらくはなしてから、今度はもぐもぐさんから電話が来てしばらくいろいろと話した。
それから飯を食った後テレビを見ながらCDのラベリングをやっていると、なんだかぴよまるが明日筑波に来るとか言い出した。どうも家にいても何もやることがないから筑波に来るらしい。しかももぐもぐ三を誘って来るというので、一応部屋があまりにも汚いのは困ると言うことで、少しばかり片づけをしておいた。
 それから久しぶりに俺の好きなフロッピー雑誌を発行している某A社のホームページをのぞいてみると、なんだかこのフロッピー雑誌を閲覧するためのソフトのWindowsXP対応版がリリースされていた。そこでこれをダウンロードしてインストールして使ってみると、なんだか正しく動作してくれない。フロッピー雑誌そのものをDドライブにすべてコピーしておいたので、そのドライブを指定して雑誌リストを読み込もうとすると「リスト検索エラー」とか言われて怒られてしまうのだ。これではしょうがないので、これを使うのはあきらめることにして、チャットをしてから風呂に入って来たんだけど、どうして今までのソフトではエラーにならなかったのに、今回のものではエラーになるのか気になり始めた。
そこでどこでエラーを起こしているのか、別のドライブにその雑誌を1号ずつコピーして試してみると、いくつかのエラーになる号を発見した。具体的に申しますと、1999年9月、1998年10月、1998年7月の三つである。これらのエラーの原因は、このフロッピーの中にある、何とか.dbmというファイルの記述ミスだったりしたので、結構これには参ってしまった。ちなみにここまで書くとこの雑誌が視覚障害者関係の雑誌であることから、呼んでいる人は分かると思うので、原因をしっかり言うと、サブメニューのあることを示すための (*) が抜けていたり、閉じ括弧がなかったりしている。これではエラーが発生しても何らおかしい話ではない。
ともかくそんなわけでやっとこれをなおし終わった頃には、原因究明などに時間を費やしてしまったため、朝の5時を過ぎてしまっていた。





2002年07月13日(土)
コウモリになりそうだ

 今日は昨日のプロ倉宇土の戦いのせいで、どうも起きるのが遅くなりそうだったので、あらかじめパジャマに着替えないでそのままベッドにひっくり返って寝てしまっていた。
というのも、今日は午後から友達が二人ほど遊びに来ることになっていたからだ。もしやつらが遊びに来てチャイムが鳴ったときまで目を覚ますことができなかったら、ちょっとまずい事態になりそうだったので、きわめてよるらしくない時間帯にきわめて面倒くさがりやな寝方になってしまったわけだ。
 しかし、やっぱり人間というのは体内に時計を持っている。俺は10時には起きなければならないと思って横になったんだけど、こんなに眠かったにもかかわらず(普段の日ならばお昼を過ぎるような時間に起きる)、9時40分頃にはばっちり目を覚ましていた。そして、このまま行くと飯がないので、久しぶりにカレーでも作る?じゃなくてそいつらに作らせるかもしれないことにして、材料を買ってきた。
 それからやってきたやつら二人と飯を作ったりゲームをやったりしてから、やっぱり眠くなってきたので、二人が帰った後に睡眠モードに入った。
ちなみにこの後しばらくして目を覚ましたのは夜の10時を過ぎた頃だった。でも、夕飯も食わずに寝てしまったので、腹が減ってきた。そこで久しぶりにこの時間にセブンに行くと、搬入のトラックがちょうど駐車場に止まっているところで、売り場に並んでいるものは少なかった。俺はたこ焼きが食いたかったんだけど、時間がどうも悪かったらしい。そんなわけでともかくチキンソテーの弁当を買って帰ってきたのだった。
ああ、これからは10時40分過ぎにセブンに行くことにしよう。

 もちろんこんな漢字の生活だから寝るのもものすごい時間。暇つぶしの本を読み終わって気がつくと、朝の7時に近くなっていたことを付け加えておく。これではまるで穴蔵の中のコウモリじゃないか。



2002年07月14日(日)
懐かしい話を思い出しながら

 今日はこれでもかと言うほど昼と夜が逆になった。
もちろんここのところ外はくそ暑いので、エアコン前回。エアコンがなかったら夏場こんな生活はできないだろうと思う。
 だって実際のところ目を覚ましたのは午後6時頃、新井君がしてきたことで本格的に目が覚めたのだった。
 確かに昼の2時頃に1時間程度起き出したんだけど、どうも外が暑くて眠くて何もやる気がしなかったので、俺が管理を担当しているサイトを一通り見回ってから、又寝てしまったのだ。
 もちろんこれだけ寝ればお目目ぱっちり、腹も減ってきたので買い物に外に出てみると、6時を過ぎているというのにものすごい暑さだった。しかも太陽の暖かさで、見えない俺にでも太陽の高さがだいたい予測できるんだからこの暑さは並大抵ではない。
 それから日曜日ではおなじみの「ちび丸子ちゃん」をみていると、魚の骨が刺さった丸子が、それが心臓にまで届いてしまうとか騒いでいた。しかし子供というのはかなり純粋だ。そんなことはないと言うことは本でも調べてみればすぐに分かるようなことだとこの年になってみれば思う話だし、もしそんなに心配ならば医者にでも診てもらえばいいものを、馬鹿な友達がそんなことを言っただけで信じ込んでしまう。そして悩み苦しむ。俺もそんなことがあったと思う。でも、あったと思うだけで具体的なことというのは思い出せない。寄宿舎の先生にでも聞いてみれば、俺の小さかった頃のおもしろい話をしてくれるような気がする。用地部年少組の時の担任だったT先生、それに年長組の時にお世話になったS先生(豚先生の相性で親しまれていた)とか、小学1年の時の担任だったI先生とか、少額2〜4年生の間担任してくれていたO先生なんかに聞くとおもしろい話が聞けるような気がする。
もちろん親に聞いてみるともっとおもしろいことを言い出すと思うが、馬鹿にされるだけなのでそれは就職するまではやりたくない。
 その後得意技の匿名リサーチをみていると、なんだか新種の海草が世界中に広がっていて、地中海ではその海草のせいで魚がほとんどいなくなってしまったという話をやっていた。この海草は水族館で観賞用に展示されていたもので、海水交換の難しかった内陸の水族館で海水中の雑菌を殺すために照射された紫外線によって熱帯にしか生息できなかったものが突然変異してしまったものらしく、葉の部分から微量の毒素を発生させるため、海中に生息する微生物を殺してしまい、それをえさにしていた小魚をほかの海域に移動させてしまい、食物連鎖の根底を揺るがして、魚の生息を不可能にしてしまうキラー海草らしい。しかも、その海草が近い将来日本の海にも入ってくる可能性があるというのだから恐ろしい話である。でも、そのときにいなくなりそうな魚の中で、俺の好きそうなものというと鯖とイカぐらいだったような気がするからそんなに気にすることはないか?
じゃなくて、この問題は環境を揺るがす大きな問題である。
なんだか最近人類は自分の勝手てで地球環境に大打撃を与え続けている。大気中の二酸化炭素の増加による温暖化現象などは実感として分かるほどの異常気象を引き起こしている。
俺が小さかった頃は、毎年冬になると3回ぐらい雪が降って、雪遊びができるほどの積雪になたのに、去年の冬はそんなことはなかった。夏は5月頃から雷が鳴り出すようになった。これを最初に聞いたときは自分の耳を疑ったが、紛れもなくそれは5月の夕立だった。幼稚園の頃は家の近くの川に受けを沈めれば、大量に鰌や鮒などの小魚がたくさん入っていた。しかし、それも年を追うごとに少なくなって、少額5年生の頃にはほんの少しはいるだけになってしまった。夜木の上に止まっていたたくさんのカブトムシもクワガタも、めっきり少なくなっている。
田舎でもこんな風なのだから町の方ではカブトムシやクワガタは買ってくるものだと思っている子供達だって少なくないだろう。これだけ考えてもこの15年で地球環境は激変しているのは間違いない。特に自然豊かな農家の町で育ち、虫やかえるをとって遊んでいた俺にはそれが分かる気がする。
いい加減に人間達は生活を改めないと、この先の未来、しかも近い未来は明るくないと思う。それでなくとも地球上の人工は爆発的に増えているのだ。地球が支えられる人間の数には限界がある。地球には大きさがあり、自然には限りがある。それを忘れてはいけないと最近つくずく感じるのである。しかし、この文章とは裏腹に、俺の部屋はエアコン前回であり、パソコンをつけっぱなしにしているのだ。ああ、これはやばい。



2002年07月15日(月)
冷や冷やする話

 今日も夕べの朝方に寝たので、2時頃に起き出した。
もちろん午前中はこれといってやることは思いつかないので、ゴミの片づけとかそんな雑用を片づけていた。
 夕飯の時間になって弁当を買ってきて部屋でテレビを見ながら食っていると、どうもまた台風が日本列島に接近しているらしいとニュースが流れていた。全くこの前台風が来たばっかりなのに、又来るかと思うと憂鬱になる。この辺には大きな川とか土砂崩れが起きそうな山などはないのでこの家が水没する危険は少ないかもしれないが、どうもあの強い風の音と窓をたたく雨の音は好きになれない。

 さて、夜中に友達とメッセンジャーで話していると、突然新井君が血相を変えてメッセージを送ってきた。
どうやら怖いサイトを見て、臆病者の彼はがたがたとふるえていたらしい。しかも本当に怖そうに
「このままだと眠れませんよ」とか送ってきた。そこで俺も興味本位でのぞいてみると、これまたかなり確かに怖いかもしれない。
こういう話をみるのは好きな俺でも、最後の一つの話だけはちょっとびっくりした。
 夏です、暑い毎日が続いております。皆様もこのサイトを見てちょっと涼しくなりませんか?
冷や汗がでます。



2002年07月16日(火)
また台風来襲

 今日はまた先週に引き続き台風がやってきた。
予想では朝方に関東地方に接近すると言っていたけど、どうも装うが大きくはずれたらしく、朝方どころか昼頃にやってきたらしい。
このらしいというのは、夜と昼が逆になっているTomG君は、この時間ちょうど睡眠のまっただ中だったりしたので、今回の台風の威力が前回のものに比べてすごいものだったのか、たいしたことはなかったのかは全く分からない。
ちなみにこの日は実は台風が来るまでは起きていようと思ったんだけど、やっぱり眠気には勝てなくて、友達とネットミーティングで少し話してから、10時頃には寝てしまっていた。

 それから夜中に、久しぶりにちょっと前にMLでお世話になっていて、最近よくMSNでお話ししているお姉さんから電話が来ていろいろ話していた。どうもこのお姉さんと話していると、俺は将来の夢を語ってしまう。
他の人に言うと「何馬鹿なこと言ってるんだ」と言われるような話でも、こっちは真剣なのだ。このお姉さんはそういう話をちゃんと聞いてくれる。
もちろん学生の仲間達はみんなまじめに話に乗ってくる。しかし困るのは夢のない大人達だ。
そんな中でこのお姉さんだけはちゃんと話を聞いてくれるから、どうも電話で話したりするとばかげた話も含めて長くなってしまう。気がつくと夜中の2時を過ぎてしまっていた。




2002年07月17日(水)
ゴミ処理

 今日も相変わらず朝の8時頃に寝て昼過ぎの2時頃に起きるというとんでもない生活だ。しかし一人暮らしというのはどうもいけない。家にいるとこうはいかないのだ。実際家でこんな生活をしようとしても、俺の実家は農家なので朝が早い。だから自ずと周りの雰囲気で目が覚めるからここまでバランスが狂ってしまうことはほとんどないのだ。
 それから6月の後半に内定をいただいた会社に誓約書を送ってから今まで、全く向こうから連絡がないので、不安になって今後の予定など何かありましたら教えてほしいとメールしておいた。でも、先生曰く、ほとんどの会社は入社誓約書を受領したとかいう通知を出すことはないと言うので、心配のしすぎかもしれないけど、やっぱり実際のところ何も連絡がないと心配になってしまう。
 それから明日から友達が遊びに来ることになったので、夜中遅く(というかほとんど次の日の朝方になる)に部屋の片づけをやった。
特に今回はいつもの片づけとは違って、今まで暖めておいた不要なゴミをかなり捨てた。
今回のゴミの量は生半端なものではない。
ポストに投げ込まれているチラシの部類、それに学校から配布される展示の資料、それから就職フォーラムでもらってきたパンフレットのうち、全く不要となったものを40lのゴミ袋に詰め込んで捨ててきたんだけど、紙というのは案外まとまると重いもので、持っていくのが大変だった。
ぁぁ、こんなことになるならもう少しこまめに片づけをしておけばよかったといつも後悔するのだった。



2002年07月18日(木)
Windows2000のインストール

 今日はお昼頃から友達が家に遊びに来て、1日中Windows2000の自力インストールをやっていた。
友達はかなりのマニアで、俺と同じ全盲なのに、気合いと根性と経験?でWindows2000を俺のセカンドマシーンにインストールしてくれた。
詳しい方法は友達が近々Webで公開するというので、ここには乗せられないが、ともかくパソコンのブートの仕組みとか、サウンドドライバを無音状態で入れるノウハウなど、今まで形だけは知っていたことでも、今日1日で実践して、かなり勉強になった。
 ちなみにこれは俺が発見した話なので堂々とここに載せられる話だけど、パソコンの音が出なくなってしまったときには、聴診器でHDDの音を聞き分けながら、経験と勘でサウンドドライバーのインストールができる。しかし、これをやるにはもう一大ほかに正常に音声のでるマシーン(MS-DOSでも可能)が必要だったりする。
 それからまた俺は、この前新井君がカツ丼を食った店にその友達といって、今度は俺が親子丼とポテトを食い過ぎて大変なことになってしまった。




2002年07月19日(金)
ネットワークの設計

 今日は昨日に引き続きで、今度はWindows2000とXP、そして98を相互に接続するためのネットワーク設定をやった。
しかし、俺は今までWindows2000がこれほどまでにNTに近いOSだとは知らなかった。実際ユーザー名とパスワードがあっていなければ、Windows98から接続できない。ところが、Windows98系統では、ユーザー名の入力ボックスは存在しない。つまりこれについてはログオン名がそのままユーザー名にはいるわけだ。しかし、起動時に毎回ユーザー名とパスワードを入力するにはかなり面倒なので、Windows98系のデフォルトのログオン名を、2000のアドミニ巣とレーターのログオン名にあわせてしまう。こうすることによって、いちいち起動時にこれらを入力しなければならない面倒くささから解放されることになる。
つまり、こういうネットワーク環境を考えるときには、最初から設計を考えて作らないと、後から変更しようとするとかなり面倒なことになってしまうと言うことをやってみて初めて分かったような気がする。
もしかしてこういうのがSEのやる仕事なのかもしれない。
 それからまた今日も新井君、俺の掲示板を荒らしてくれた。
これで何回目になるかはっきり言って分からない。しかも実は昨日も荒らされているので、今日ばかりは堪忍袋の緒が切れて彼の電話番号をブラックリストに放り込んで、MSNメッセンジャーを禁止にして無視を決め込むことにした。しかし、反省の色がないので、久しぶりに俺はオーバーヒートしてしまったことをここに書き加えておく。



2002年07月20日(土)
あれこれと

 今日は最近の習慣で、10時頃に寝て午後の5時ぐらいに起き出すということをやらかしてから、飯を食っていろいろやっていると、なんだか友達のパソコンからこの前インストールしたWindows2000のサーバーが見えなくなっていた。
そこでいろいろ調べてみると、Windowsを2000パーセント弄くるツールというソフトで、レジストリを弄くり回したのが原因で、Windows2000のマシーンがWindows9X系統のマシーンから見えなくなっていることが判明したのだった。
しかし、この二つのOS、同じWindowsとはいっても全然違う。一番大きな違いはその安定性だと思う。Windows98ではよくパソコンが固まってしまってAlt+Ctrl+Deleteのリセットも聞かなって再起動を余儀なくされることは1日に必ず1回ぐらいはあった。しかし、NT系のOSでは、アプリケーションが暴走して固まってしまうことはあっても、OSそのものが固まってしまうことはほとんど無い。
WindowsXPについては、Alt+Ctrl+Deleteを雄と出てくるWindowsタスクマネージャーを音声でしゃべるので、何かプログラムが暴走していても、プロセスさえ止めてしまえば全く問題なかったりする。
そんなわけで俺はほとんど最近98系を使わなくなってしまっていたりする。

 それから夜中に、又将来の夢とか今の状況について語っていたら、あっという間に平気で4時間ぐらいたっていた。
しかし全盲の人というのは話し好きが覆いもので、こんなことは日常茶飯事だ。電話で話していると平気で2時間ぐらいは当たり前なのだから、直接話しているとエスカレートしてくる。しかも全盲の人というのは記憶が鮮明な人が多いらしいから、何かおもしろい話をするときでも、その人のしゃべり方までそっくりにまねをするのでおもしろい。俺もご多分に漏れずそんなことばっかりやっている。でも、人のしゃべり方のまねをするというのはなかなかおもしろい。自分もおもしろいけど、聞いている方もたぶんおもしろいと思う。友達が人のまねをしているときでも、へたくそなのはおもしろくないが、上手なやつになると笑いが止まらなくなってしまう。



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