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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年08月11日(日)
新しいソフト

 今日もいつもよろしく、早々と起きてしまった。
でも、最近こんな時間に起きるのは全然珍しいことではないので、とりあえず朝からテレビを見ながら飯を食って本を読んでいた。
 そんなわけで午前中はほとんど読書したり音楽を聴いたりで終わってしまった。
それから今日、久しぶりの人からメールが来ていたんだけど、「学生最後の夏休みを楽しんでるか?」って書いてあった。でも、正直言って今年の夏休みはほとんど何もなくて終わってしまいそうだ。確かに友達が遊びに来たり今度16日から3日間イベントをやるけど、遠くに旅に出るとか、そんな大きなプロジェクトをできないまま終わってしまいそうだ。就職する前にもう少し遊んでおきたいので、もし夏休みに満足できなければ、絶対に冬休みにでも遊んでやるぞ!!

 午後になってのど自慢を見ていると、どうも納得がいかなかった。高校生の4人組みたいな感じの人がギター片手に出てきていた。しかし、俺はかなりこの人達はうまいと思ったんだけど、いきなり不合格になってしまった。しかも次の人は明らかにこの人達よりもうまくなかったのに、なぜか合格になっている。ああ、かなり納得がいかない。今ののど自慢の審査委員、演歌しか知らないんじゃないだろうな!!
 その後、昨日届いた雑誌に視覚障害者用の画像管理ソフトと、ファイル管理データベースソフトが乗っていたが、価格が乗っていなかったので、発売元のメーカーに聞いてみると、だいたい画像管理ソフトが10000円、ファイルデータベースが19000円ぐらいだと言っていた。この価格、視覚障害者用ソフトとしては結構革命的な価格だったりする。某社がちょっと前に出した画像管理ソフトなんて28000もする。しかもこのソフト、WindowsXP非対応なので、今のところちょっと先が不安だ。しかし、今度のソフトは同じような感じのものでWindowsXP完全対応なので、俺もこいつを使って何かこのページに画像でも張ろうかなあと思ったりしている。
ちなみにファイルデータベースの方は、ハードディスクにバラバラに入っているテキストとかバイナリデータをまとめておくソフトらしく、これもかなり使えそうだ。俺のディスクの中にはいろいろなところからダウンロードしたこれまたいろいろなファイルが入っているので、こいつを導入して整理しないとまずいかもしれない。

 それから俺は、今度は暇になって、お名前ドットコムで登録したドメインを、21ドメインに移管申請した。だって、お名前ドットコムって、やたらとドメイン取得と維持費が高い。確か年間4200円だったと思う。それに比べて21ドメインは、年間1785円なんだから、どう考えても移管申請をやってしまった方が得に決まっている。そんなわけで移管申請をすませて支払い報告をすませようと思ったら、支払い項目ページに移管申請の項目が見あたらなかった。しょうがないので料金は全く同じなので、新規取得の料金を選択して支払いを済ませた。
しかし、支払い完了の連絡は来ても、ドメイン移管の承認確認を求めるレジストらからのメールが届かない。なんだかおかしいなあ・・・。
その後、Melodyさんが、この前Value-Domainに振り込んでおいた料金がやっと有効になったというので、早速ドメイン取得したらしい。
そんなわけでおそらくリンク集のURLが近々変更になると思います。



2002年08月12日(月)
がんばれ小山西高校!

 今日は午前中、5時頃に目が覚めて、久しぶりに赤いきつねうどんを食いながら、テレビを見て、バッチファイル講座の更新をやっていた。
すると、しばらくしてGBK君が呼んできて、どうも日記CGIの設置ができないと言う。
彼が設置しようとしたのは、今このページで使っている日記CGIだったが、CGIそのものは問題なく利用できても、どうも日記の表示ページにいけないと言う。
表示ページのURLにアクセスすると、「403アクセス付加」とか言うエラーメッセージが出現してくる。
そこで彼にいろいろと聞いてみたんだけど、設置などでの問題は見つからなかった。そこで考え出した結論は、Niftyというのは、CGIサーバーにはCGI鹿おけないのではないかというものだった。もう少し詳しく説明してみよう。
 ここで使っている日記のCGIスクリプトは、日記を書いたりするのは確かにPerlでかかれたプログラムで行っているが、そのプログラムが普通のHTMLファイルを出力するように作られているため、表示するときはいっさいプログラムを呼び出さず、作成されたHTMLファイルを指定して呼び出す形式になっている。ところが、NiftyのCGIサーバーはCGIしかおけないので、HTMLをおいて表示しようとしても、結果的にアクセス付加のエラーになってしまうということだ。
しかし本当にこのサーバー、重いしこういう訳の分からない制限はあるし、全く持って使い物にならない。もちろん彼にもやすいサーバーを契約するように進めてみたが、どうも近くに銀行がないので、代金を振り込めないと言っていた。
基本的に俺は、CGIの動くディレクトリが特定されていて、呼び出しURLが一般のファイルと違うサーバーはどうも好きになれない。ちなみに参考までに書いてみると、Niftyの場合には、話によるとログインディレクトリの下に「cgi-bin」というディレクトリがあって、そこにCGIを設置すると、
http://hpcgiN.nifty.com/userid/xxx.cgi
で呼び出すらしい。

 さて、午後になって飯を食いながら何気なくテレビのチャンネルを回していると、なんと、俺の母校と交流校である栃木県の小山西高校(おめでたい話なので実名で行きます)が、高校野球に出ていた。俺はこちらに来てから高校野球なんてほとんど見ていなかったので、小山西高校が甲子園にでていたなんて全く知らなかった。
しかもこの学校の監督の先生は、昔(俺が幼稚園の頃から小学生の頃まで)盲学校の商学部のクラスの担任をしていらしたので、よくお会いしたし、幼稚部生の頃はよく膝の上にのせて遊んで頂いた。その先生のチームが甲子園に出ているのだから、もちろんすぐにラジオに切り替えて応援し始めた。
俺が聞き始めたのは5回の表の攻撃からだったけど、今年初出場の小山西港はこの時点で3対0でリードしていた。相手は熊本県の熊本高校だった。
高校野球を聞いていると、試合の合間になんだか高校生の頃、放送コンクールに出ていた自分の姿が浮かんできた。そして今スタンドにたっている選手と、マイクの前に座った自分の心を重ねて思いにふけったりもしていた。
もちろん試合の間ははらはらどきどきだった。途中で満塁になって1点とられた時にはどきどきしたが、さすが一つ一つのプロセスを大事にする先生のチームだけ会って、3対1で小山西硬膏は勝った。試合の後の監督インタビューで聞いた先生の声は、懐かしくてあのころそのままのはつらつとしたうれしそうな声だった。この調子で次の試合も是非がんばって勝ち進んで欲しい。「がんばれ小山西高校!」

 さて、話はがらっと変わるが、昨日移管申請をしていたblpc.netのドメイン移管手続きがまだ完了しない。どうも上位レジストらの方で何かトラブルがあって作業が進んでいないらしいが、初めてのことだけに本当に移管申請ができるのかちょっと心配だったりする。お名前ドットコム、まさかドメインロック書けていないだろうな!

 それから夜になって、お姉さんがメッセンジャーにログインしていたので、久しぶりにお話ししたいと思って呼んでみると、どうもちょうど俺の掲示板に書き込みをして頂いた直後だった。
そんなわけでメッセンジャーでは久しぶりなので、地元の食べ物の話で盛り上がっていると、GBK君がワイネットのサーバーを申し込むというので、メッセンジャーの窓を二つ開いて離していると、今度はミッキーが呼んできた。こうなったらちょっときついけど、この3人はお互いがお互いを知らないので、気合いで3人とチャットを続けた。もちろんこれは楽しいことこの上ないが、同時にキーボードを打ち疲れて入力間違いが多発してきた。そんなわけで2時間ほどがんばったんだけど、これに眠気が加わったので切り上げることにした。ああ、久しぶりに楽しかったなあ・・・。



2002年08月13日(火)
冷蔵庫掃除とカラオケの歌詞カードそれからワイネット初期費用5000円に値上げだって!!

 今日は午前中は特になんということもなかったが、とうとうGBK君が、WNJのサーバーを契約したらしい。なんだか早速振り込んだというので、やたらと楽しみにしていた。
でも、楽しみにしているのは実はあいつだけではない。俺はあいつに頼み込んで、ワイネットに入会するときに俺のIDとURLを入れておいてもらったので、俺も彼の分け前を味わえるということだ。具体的には紹介した人には10MBのスペースが提供される。まあ、このスペースにはCGIは使えないし、メールも無いので物置にしかならないような感じだけど、物置でも何でもやっぱり俺はほしいのでうれしい。俺は幕府サーバーにも物置を持っているけど、あそこの管理人は非常に怪しいのであの物置がいつまで使えるかといったことが全く予想がつかないので、信用のおける物置はこれだけだと思う。ケーブルテレビの会社のホームページサービスもあるが、これは間違いなく大学を卒業したら使わなくなるので問題外だ。
 それから午後になって、内のボランティア主任のQ2から、今度のイベントのボランティア向けの資料が届いた。全くこの男、いつも資料をこっちに出してくれるのがやたらと遅いので本当に困ってしまう。そんなわけで急いで会員向けに点字の最終資料を作ろうとしたら、あまりにもこの資料が長くて間に合いそうもなかったので、今回は会員分の資料はなしということにして、携帯電話の番号を書いたものだけを配ることにした。
 それから今度のカラオケ大会のために、自分の歌う予定の歌の歌詞カードを作った。最近は便利になったもので、歌詞カードが読めなくても、
歌ネットドットコムなんていうサイトがあるから、こいつを持ってきてExtraという自動点訳ソフトにかけてやれば簡単に歌詞カードを作ることができる。しかし、歌の歌詞というのは非常に特殊な読みをするものが多いので、自動点訳にかけた後は、必ずその曲を聞きながらチェックしてやる必要がある。こればっかりは面倒でもやっておかないと、でかい声で間違った歌詞を堂々と歌って、そのせいで歌の調子まで踏み外すとこれ以上の恥はないので、いつもこれは念入りにやっている。
 その後、久しぶりに今日は冷蔵庫掃除をやった。俺の家にある冷蔵庫は、勅令式といって壁の部分を冷やすことで、周りの空気を冷たくして冷やす方式のものなので、壁に霜がついてしまって、1年に1度程度は掃除してやらないと、どんどん冷蔵庫の中が狭くなっていってしまう。ちなみに前回冷蔵庫を掃除してから1年以上たっているので、相当今回も壁がかちかちに凍っていた。
そんなわけで霜をはがすへらを使って必死にはがしていた。もちろん放っておけば氷だから説けて水になってしまうので楽でいいんだけど、そうするといつになっても掃除が終わらないので、ある程度のところまで柔らかくなってきたところで、やっぱり一生懸命はがしてやる必要があるのだ。しかしこんな方式の冷蔵庫考えたのは誰なんだろう。こういう方式のものが世の中にあるから掃除が大変なんだ。それに、値段もこっちの方が安いのが悪い。本当は3ヶ月に1回程度掃除してやればこんなに苦労はしないんだろうけど、どうも面倒くさがり屋の俺には無理な相談だ。そんなわけでさんざんこの冷蔵庫には手こずったが、今年の冷蔵庫掃除は2時間程度で幕を閉じたのだった。ところが、氷をはがす途中で細かい氷が飛び散ったり、はがれないものをポットのお湯で溶かしながらはがしたので、俺の服はもちろんのこと、その辺の床までびしょびしょになってしまった。ということでついでに台所掃除までやる羽目になってしまったのだった。
 その後いろいろと準備押してから、どう背だからと部屋も掃除して、久しぶりに家に帰ってきた。それにしてもやっぱり家のご飯はうまい。いつも弁当ばっかり食っているので家に帰ってくるとまず最初に手料理のおいしさを実感する。
 それから茶の間でしばらくくつろいでいると、どうも筑波のアパートに、今度のイベントに使うBLPCのスクリーンリーダーとかその他大事なディスクの入った袋を忘れてきてしまった。ああ、最近物忘れが激しくて困るなあ。
 そんなわけで久しぶりに今日の日記は家からだ。それにしてもこのパソコン、久しぶりに長い文章を書いたらキータッチが重いなあ・・・。

 追記
 今日の日記はこれで終わるつもりだったんだけど、ちょっとやばいメールが来たので追記である。ワイネットさんがどうやら初期費用を今までの100円から5000円に引き上げると言い出した。
この前の日記でここを紹介した俺としては、どうも気に入らない。だって初期費用が5000円になんて上がったら、新規入会者が極端に減ってしまう確率100パーセントだ。ちょっと計算しただけでも、初期費用が2年分の料金というのはふざけている以外の何者でもない。全くワイネット、何を考えているんだろうか?
それにしても現在の利用者は課金は無いというので、俺たちはラッキーだ。特に昨日申し込んで今日金を振り込んでしまったGBK君なんて、ぎりぎり政府のラッキーだと思う。
まあ救えるところといえば、お試しプランといって、制限の付いたプランを今までの価格で提供している。メール5個、メーリングリスト使用不可、自動インストールスクリプト10個。まあ実際ヘビーユーザーじゃなければこれで十分だろう。もしかして俺たちって、このプランに自動的になっていたりして?
ともかく現在の利用者にこれ以上の課金がないことを祈ります。




2002年08月14日(水)
ラジカセの思い出

 今日は午前中は早めに起き出して久しぶりに朝「ご飯」を食った。いつも無効では朝はパンか何かなので、やっぱり茶碗によそったご飯はうまい。
 その後、しばらく音楽やら過去のカセットテープを引っ張り出して聴いていた。実は2月にパソコンを入れて以来、俺のアパートの部屋にはラジカセというものが存在しない。昔ラジカセがおいてあったところには、前に使っていた「パソコンが、ファイルサーバーとしておいてあるので、ラジカセがおけなくなってしまったのだ。
そんなわけで久しぶりに内においてあったラジカセを持ち出していろいろやっていたのだった。
 このラジカセは俺が中学にはいるときに、両親が記念にと買ってくれたもので、当時はやりの「コブラトップ」という、ラジカセの上のところがふたになっている、かなり大きなものだ。当時の値段で39000円程度したとおもう。
実は、中学の入学の時にCDダブルラジカセを買ってもらうというのは、盲学校の習慣だったりした。もしかするとまだこの習慣は残っているかもしれない。どういうことかというと、俺の通っていた盲学校の寄宿舎では、中学生になるまではCDラジカセを持ち込んではいけないことになっていた。俺が小学校6年生の時までは、テープレコーダーそのものの持ち込みすら許されていなかったほど、寄宿舎というところは訳がわからない厳しさがある。つまりそのときまでは、電気製品で小学生が持つことができたのはラジオだけ、それも5年生以上でなければ持ち込みを許されなかった。
そんなわけで、中学に入学して小学部棟をでるときというのは、ラジカセをもてるようになるときなのだ。だから当時は、中学生になるとほとんどの人は、両親にラジカセをおねだりした。
 栃木盲学校の寄宿舎というのは山の中にある上に、規則も厳しく楽しみも限定されてくる。特に電気製品が好きだった俺の楽しみは、この後どんどんミニFMに入り込んでいった。そのミニFM をやるためにも、このラジカセはかなり役に立ってくれた。というよりも、こいつが俺の寄宿舎での大切なお楽しみアイテムだったといっても過言ではないほど、こいつを俺は大事にしていたし、それからずっとそばに置いて使っていた。
そんなものだから、もちろんパソコンを買ってこいつを部屋から持っていってしまうことに寂しさを感じていた。だから昨日の夜から急に懐かしくなって、昔のものを引っ張り出しながらこいつでばかり遊んでいる。ちなみにこれはパナソニックの製品だが、今流行している小さなミニコンポなどよりも低音が出て音質がいい。
 部屋に積み重ねられているカセットテープの量は、俺が寄宿舎にいた時代、いかに音響関係のことばかりやっていたかということを語ってくれる。そしてこれらは、俺の寄宿舎生活の思い出が詰まった玉手箱だ。だから今も帰ってくると、暇に任せてこれらを引っ張り出して聞いている。特に高校生時代に作ったラジオドラマなんかを聞いていると、妙にマイクの前に座っていた時期が懐かしくなる。もちろんこのラジオドラマだって、このラジカセが無くては制作できなかった。こんなことばかりやっていると、やっぱり何とかしてこいつをアパートに連れ戻したくなる。
 それにこのラジカセにはおもしろい話がある。なんと、俺の元カノのUが、同じラジカセを使っていたのだ。だからお互いの部屋に行ったときでも、平気でお互いに部屋に置いてあるラジカセをいじくりながら、「ペアーのラジカセ」なんていっていた思い出がある。彼女のラジカセも俺のそれと同じように、彼女が中学に入ったばかりの頃に買って、つらいときや悲しいとき、学校でいじめられたときに音楽で慰めてくれた思い出深いものだったらしいが、俺たちが別れたちょうどそのころ、彼女のラジカセ君はカセットが全く回らなくなってしまい、家の物置にしまわれる運命になってしまったという話がある。

 さて、午後になって親父がデジカメを近くのリサイクルショップに売りに行くというのでついて行くと、その次に回ったお店に、ものすごく感度の良さそうなマイクがおいてあった。昨日久しぶりに帰ってきた俺に、じいちゃんが小遣いをくれたので、これで買おうと思ったのでちょっとみてみると、卓上型のなかなか使いやすそうなものだった。俺は最近よく友達とネットミーティングで話すので、たまには新しいマイクでも買おうかと思った。今使っているマイクは中学3年の頃だったろうか?秋幅rなお電気街で買ってきたものだが、もしこいつが壊れると、ほかにはネットミーティングに使えそうなマイクが無くなってしまうので、こいつが元気な内に新しいものを買っておかないとやばい。しかし、値段が値段だけに、ちょっととまどってしまったのと、今度イベントで秋葉原に行くので、そのときにもう少し探し回ってみようと思って今回は買うのはやめておいた。ちなみに参考までに書いてみると、親父の持っていった3年前の低下59800円のデジカメは、7000円にしかならなかった。

 さて、夜になってその辺に寝っ転がっていると、なんだか脇腹のあたりがかゆくてしょうがなかった。それでちょっとみてもらうと、変なものができていた。どうも最近気になっていたので医者にでも行ってこようと思ったんだけど、アパートの近くに皮膚科がどこにあるかわからなかったので、ちょっとほおっておいた。でも、このかゆさは結構前から感じていたので、悪いものでは無いと思う。そんなわけでともかくかゆいので、軟膏を塗っておいた。イベントが終わったら皮膚科にでも行って来ないとな亜・・・。



2002年08月15日(木)
明日からいよいよイベント

 今日は明日からのイベントに向けて、朝からいろいろと調整に忙しかった。
電話での調整はもちろん、荷物の準備などだ。特に俺は筑波に大事なソフトをたくさん忘れてきてしまったので、その代理の者を持っている会員に呼びかけてできるだけ支障がないように取りそろえておく作業がなかなか大変だった。
しかし最近物忘れが激しいので、何とかこれを直す方法は無い者かと考える。こうなったら面倒くさくても思い出したことは思い出したときに書いておく詩か無いのだろうか?昔はといっても2年ぐらい前までは忘れ物なんていう者とはほとんど無縁だった。しかし、特に二十歳の誕生日を過ぎてからだろうか?忘れ物がひどくなっている。

 それから今日も昨日と同じように、午午後になってから近くのリサイクルショップに出かけてみた。昨日いったところは電気製品専門のリサイクルショップだったんだけど、今日行ったところは何でも打っていた。しかし、昨日いった電気製品のお店と系列は一緒なのに、どうもこっちの方はお店の面積が狭かった。そんなわけであまりおもしろい者はなさそうなので、すぐに帰ってきてしまった。

 さて、明日からはイベントだ。今までの者はお客様及んで講習会をやることを中心としたイベントだったので、存分に遊べなかったが、今回はどちらかというとかなり遊びに近いので、ものすごく楽しみだ。でも、弟子のピヨマル君が、なんだか体調が悪いといっているのでそれがちょっと気になる。
ちなみに明日は5時40分頃に起き出して、7時26分発の電車で上野駅に向かう予定だ。
ちょっと考えてみると、この時間は俺が高校に通っていたときの時間とほとんど変わらない。しかも久しぶりに通学路の駅を使う。実は中の様子をあまりにも久しぶりで忘れてしまっていたりする。そういえば去年初めてBLPCでイベントをやったときも、こんな時間に上野駅で今の主任と待ち合わせしたような気がする。ちなみに今回も待ち合わせは主任とだったりするので、去年が懐かしい。



2002年08月16日(金)
イベント初日

 今日はBLPCのイベントで東京に行った。
朝、5時頃に目が覚めてしまったので、そのままどうせなので早く起きて、音楽を聴いていると飯の時間になったので、飯を食って6時半頃にくるまで近くの駅まで行った。久しぶりに栃木から行ったので、駅の中を忘れてしまったので電車に乗るのに一苦労した。珍しいことに、今夏祈った電車は女の人が車掌だった。しかもかなり若いお姉さんだったのでちょっとびっくりした。しかし、どうもマイクとの声の相性があまりよくないらしく、アナウンスの内容を聞き取るのが大変だった。
 駅についてホームで主任を待っていると、どうも8番線に着いたのに、間違って5番に回ってしまったとのことで、ホームで少しばかり待つはめになった。俺が予定より一つ早い電車に乗ったので、少し早めに着いたというのも原因かもしれない。
そんなわけで実際に待ち合わせ場所である東京駅の身障者待合室に着いたのは9時10分頃だった。すると、今回はボランティアの方々の集合時間が早かったらsく、どうも皆さん早く集まり始めていた。そうなってくると、どうも事務局の俺としては正直言ってやりにくかった。だって、集合時間の15分前にはボランティアさんが全部集まっていたのだから。

 BLPCのメンバーというのはどうも時間にルーズなやつが多くて困る。今回だって最大の遅れをとった人は、30分以上も遅れてきた。それから東京駅を出発して、電車で王子駅まで行った後、センターの送迎バスで会場に着いた。
 それからいろいろと手続きをやった後、会場にする部屋に入って過亜、レストランに飯をオーダーして食った。前かrあここの飯はまずいという話を聞いていたが、思っていたよりも全然おいしい者だった。あまりにも悪い噂が多いので、相当な強者だと思ったんだけど、この噂ははっきり言ってかわいそうだと思った。そんな感じの飯だった。

 午後の日程は、飯の関係で予定よりも少し遅れてスタートした。
 今日の午後の目的は、新人インストラクター向けのアシスト養成講座と、前々からこの日記に書いている「一つのパソコンをインターネットに接続して、それをサーバーにして複数のパソコンをインターネットにつなげる実験」だった。一応この環境のテストは事前にCATVベースの環境では行っていたので、設定はスムーズにできるかと思ったら、とんでもないことだった。まず、インターネット接続の共有設定をやろうとすると、設定のためのウイザードが出てこない。そればかりか、再起動するとインターネット接続ウイザードが立ち上がってしまうようになってしまった。そこでこれでは全然使い物にならなかったので、いったんインターネット接続の共有を削除して、今度はダイヤルアップでネットにつなげた状態で再インストールしてみた。すると、するとちゃんとウイザードが出てきて、サーバー側の準備は整った。
今度は、会員それぞれが持ち込んだパソコンを、すべてLAN接続できる環境にするのが大変だった。まず、これらのパソコンは、それぞれがそれぞれの異なる環境で使っているので、者によってはLANカードの装着が必要だったり、一番ひどい者では、LANカードを備えていても、どうがんばっても有効にならない代物など、かなり手こずらせてくれた。その後、それでも何とか1代のパソコンをサーバーにして、5代のパソコンを同時にネットに接続することに成功したのだった。ちなみにこの中で一番面倒だったのは、CoregaのLANカードのドライバを何度インストールしても全然インターネットに接続できたことのないパソコンだった。これは不思議な原因で、HUBの別のポートに接続尾w変更したらすんなりとつながってしまった。ああ、このHUB、何かおかしいのかなあ・・・。
 そんなわけでやっとすべてのパソコンがインターネットに接続できたので、今度は新人インストラクターにインターネットの基礎だの、ホームページ閲覧の基礎などを教えていると、大変なことに気がついた。それは、明日会員の名刺作成をやる予定だったのに、印刷用紙を買ってくるのをすっかり忘れてしまったことだった。これでは明日大変なことになるので、その時間まで残ってくれていたボランティアの方に無理を言って何とか買ってきていただいてしまった。ボランティアのMさん、暑い中申し訳ありませんでした。

 その後6時頃になったので、今日の日程は切り上げて、宿泊施設に移動することにした。
今回は前回の反省を生かし、同じ会場内にある宿泊施設を利用したので、移動が無くて非常に楽だった。
 部屋に入ってみると、かなりびっくりすることに、この畳の部屋、なんだかやたらと入り口に高い段差がある。そう、これはたぶん60センチぐらいあるだろうか?しかも片方の
ドア側には会談が着いているのに、もう片方のドア側には会談は着いていない。そう、つまりあける方向を間違ってしまうと、足を踏み外して落っこちるというあまりよろしくないおまけが付いているのだ。俺はこれを初めてみたとき、障害者施設なのに何でこんな高い段差があるんだろうと考えてしまった。
 それから飯を食って、コンビニにおやつを買いにいってから風呂に入った。
すると、ここの風呂もまた、脱衣所の前がものすごく高い段差になっていた。そこで主任に、何でこの施設は障害者のための施設なおにこんなにそこらここらに段差があるのかと聞いてみると、これは車いすの人が手だけを使って部屋に移るのを助けるための段差だと聞いてようやくこの理由が納得できた。
確かに車いすに座った状態から、手だけを使って部屋に入ることを考えると、この方がやりやすいし、解除の人もこの高さだと非常に楽だといっていたのもわからないでもない。しかしなあ、ちょっとなれないと視覚障害者には怖いんだなこの風呂。

 風呂をでた後は、いつものイベントの夜と同じように、みんなで男子部屋に集まって、パソコンのメンテナンスやら、くだらない話やらで盛り上がった。そんなときに、ミッキーから主任に電話が来て、その電話を変わってくれというのでなぜか変わるはめになった。しかもミッキーが会員の人と話したいといっていたので、どうせだからということでみんなで電話を代わる代わる回してしゃべってしまった。
そんなわけで結局寝たのは2時頃になってしまった。
ちなみに俺は今日朝が早かったので、畳の上で一人だけぐうぐう爆睡していて、布団を引く頃になってやっと気がついて起きてまたすぐに寝たのだった。



2002年08月17日(土)
イベント二日目

 イベント二日目。
 今日の日程は2グループに分かれて、一つのグループはホームページに視覚障害者のパソコン利用について紹介する音声を掲載するための録音作業、もう一つのグループが、会員の名刺作成作業だった。
 7時に起きて、準備をして飯を食いに行っていろいろと話しているときに、今日の録音予定を新人インストラクターも参加するように変更する話が出た。本当は副会長がホームページの閲覧のデモとメールのデモの二つをやる予定だったが、新人も入れて3人の女の子が、メモ帳の利用のデモとメールとホームページの三つを分担することで話がまとまった。
 飯を食い終わった頃、ちょうど今日参加してくれるボランティアの方が到着したので、簡単なミーティングをすませた後、それぞれの部屋に分かれて早速作業を開始した。俺はもちろん録音半に入っていたので、これからは録音の話になる。
今回の録音は、DATを使い、マイクもソニーの3万ぐらい死そうなお高いやつを持っている人がいたのでそれを使って行った。実はDATのテープが120分1本しか無かったのでちょっと冷や冷やしたが、編集しながら録音したのでそっちの方は大丈夫だった。
  会場の設定をして、技術を担当するインストラクターがひたすらいろいろと調整したが、どうもパソコンとマイクとの距離があまりうまくいかなくて、ちょっとオフ気味になってしまった。しかしいくら調整をとってもこれは解決しなかったので、このあたりは妥協することにした。この原因は、録音にノートパソコンを使用したため、出演者の真ん前にマイクを配置することができなかったことにある。ノートパソコンには液晶画面が着いているので、マイクを真ん前においてしまうと液晶画面の陰になって音がこもってしまい、全然使い物にならない。そういうわけで必然的にマイクをパソコンの横に置くことになる。そうすると今度は出演者の口がマイクの前にならないのでオフになってしまうというわけだ。これを解決するには、外付けのキーボード尾w使用するようにすればいいのだが、そこまで頭が回らなくて準備不足となってしまった。
そんなこんなしている内に準備作業だけで1時間以上かかってしまった。
 録音にはいると今度は出演者が話すトーンが変わってしまう問題が起きてしまった。最初高めのトーンで話していたのに、最後の方になって疲れてくると、やはりやっている方もアナウンスの訓練を受けたわけではないので、自然にトーンが下がってきてしまう。しかし、聞く方はそういうことは知るよしもないので、こういう録音ではものすごく耳に残ってしまっておかしい。ということで、必死に技術の人と二人で
「あ あ あ あ あ あ あ あ あ」
なんてやりながら、前のトーンを教えて出演者にトーンを合わせてもらうのに結構苦労した。
 そんな風に何とか1個目のホームページ閲覧の録音が終わろうとする頃、とんでもない事件が発生した。隣の隣の部屋を使っている人たちが、いきなりマイクででかい声を出して話し始めてしまったのだ。隣の部屋は内の団体の名詞作成半が使っていて、部屋を一つ隔てているとはいえ、これではどうしてもやはりマイクの低温部分だけがこちらの部屋まで伝わってきて、録音のじゃまになってしまう。そんなわけで隣の部屋の比較的静かな時間をねらって録音したので、ホームページ閲覧のデモ録音は午前中では終わらず、飯の後も続けて2時頃まで行った。
 続いてはメールの録音だった。今度の出演は、去年の11月に入会した女の子だったが、トーンはある程度一定している者の、緊張しているらしく声が震えてしまってこれまた直すのが大変だった。そんなわけでまた技術の人と二人で
「あ え い う え お あ お「か け き く け こ か こ」
とかやりながら何とか緊張は取り除いた。しかし今度は語尾のばしが気になるというこれまた法曹界ではありふれた現象が起きたので、また技術の人と二人で
「あ え い う え お あ お「か け き く け こ か こ」
とやって何とかこれもかなりよくなった。
そんなわけで2個目が終わったのが5時頃になったので、すべての日程をこなすのは無理だと思い、後は夜にできたらやることにした。
 名詞作成班の方は、どうもなぜか印刷にトラブルが生じてしまったらしく、これまた同じく終わっていなかったので、これも夜にできたらやることにして、昼間の日程はこれで終了にして宿泊場所の戸山サンライズに移動した。荷物があまりにも多かったので、大きい荷物と一部の人たちはタクシーを使って移動し、他の人たちは交通機関を利用して移動したのた。
 部屋について荷物をほどいてから、後発隊の到着を待って飯にすることにした。ちなみに今回、初めてここの大盛りカツカレーを食ったんだけど、やっぱり僕には大盛りでちょうどいい量だったらしい。
 その後近くの公園に移動してスイカ割りと花火大会を催した。しかし久しぶりに花火なんてやったなあ。たぶん小学生のころにやってから、ほとんどやっていなかった。スイカ割りももちろん久しぶりだったのでかなりおもしろかった。
中でも笑えたのはというかはらはらしたのは、スイカの横にたらいに入れた水がおいてあるというやつ。つまり棒を振り下ろす位置を間違えると、思いっきり水をたたいて・・・・・・・ということになる。ちなみに俺は今回ははずれに終わった、くそ〜〜、今度またスイカ割りやるからな!!

 それから部屋に戻って風呂に入った後、いつものように男子部屋に集まって話をしていると、眠くなってしまったので昨日と同じように思いっきり畳の上で寝っ転がって爆睡してしまった。ちなみに後になって聞いた話によると、俺は寝ぼけて女の子の膝の膝の上に乗っかりそうになったらしい。ごめんなさい。
 ちなみに夜やることにしていた日程は、どうもみんな疲れていてそんな雰囲気ではなかったので、また改めて合宿でも組んでやろうと思う。



2002年08月18日(日)
イベント三日目

 イベント三日目の今日は、7時半に朝食の予定になっていたので、起きて準備をしていると、いつもやってくるはずの主任がやってこない。起きて準備をして会員ともう一人宿泊してくれていたボランティアさんが集まっても主任が姿を現さないのでおかしいなあと思って部屋に迎えに行くと、なんと彼はまだベッドの中だった。おそらくこれは機能夜遅かったから寝坊でもしたと思って俺が必死に起こしたが、どうも起きてくれない。それどころかふざけてシーツをかぶって寝ようとしている。あまりにも起きないのでベッドの上の者をすべてはぎ取った時点で、もう一人のボランティアさんが「もしかして具合でも悪いんじゃないの」とかいったので聞いてみると、今頃になって頭が痛いとか言い出した。ちょっとなあ、もし具合が悪いのなら、こっちが起こそうとして気がついた時点で言ってくれればそんな子としなかったのに。
 そんなわけで主任は8時過ぎまで寝ていたので、これまた食事が大変だった。戸山サンライズは朝食がバイキングなので、俺たち全盲にが自力で食べ物を持ってくることができないか亜、ボランティアの方は相当大変だった。しかし、そんなときに三日間通してきてくれている高校生のボランティアの人が早めに来てくれたので、本当に助かった。どうもありがとう。もし早めに来てくれている人がいなかったら朝はもっと大変なことになっていた。
 まあ朝からすったもんだしたが、何とか9時頃には秋葉原に向けて出発数rことができた。今日の日程は、午前中は秋葉原ツアー、午後はカラオケ大会になっていた。今回の秋葉原ツアーには、BLPCの専用ノートパソコンを探すという大きな目的があった。
 行きの電車の中で、無効の包に座っていたボランティアの女の子が、しかめっ面をしてこっちに駆け寄ってきた。どうやらその子の隣に、どぎつい香水を付けたおばさんが座ったらしく、とても耐えられなかったらしい。確かにこれに似たようなことはよくある。特に最悪なのは、新幹線の指定席で、とんでもないにおいのする人の隣になったときは、かなりなきそうな心境にある。そして、隣の人が早く降りてくれることを願ったりするが、マーフィーの法則なのだろうか?こういう人に限って終点まで乗っていったりするのである。
 さて、そんな話をしながら秋葉原について、それぞれ分かれて講堂に入ってみると、どうもまだちょっと時間が早すぎたらしく、閉まっている店がほとんどで、いいものがなかなか見つからなかった。ということで、とりあえず俺はノートパソコン用のメモリーりがほしかったので、どこだっけなあ、ともかく最寄りの大型店に入った。
このパソコン、標準では64MBしか入っていない。これでは最近のソフトはとても動かなくなってきている。特にホームページリーダーなんかを動かすと、音切れが発生するので、今回思い切って大容量のメモリーがほしかったのだ。店に入ってノートパソコンを店員にみてもらうと、なんと驚くことに、このパソコンは今から約3年前の機種にもかかわらず、最大512MBまで積めるらしかった。でも、Windows98でそんなにでかいメモリを積んでもしょうがないので、とりあえず256MBにすることにした。ここでおもしろかったのは、256MBのメモリーは12000円以上しているのに、128MBの者は4500円だったことだ。つまり俺の目的を達成するためには、もちろん128MBを2枚買ってきてくっつけるのがいいわけだ。そんなわけで128MBのやつを2枚買うことに決めた。
問題はこれをどうやって取り付けるかと言うことだった。俺はデスクトップはほとんど自作したことがあるのでメモリーの取り付け程度は自分で問題なく行えるが、ノートパソコンのメモリーがどこに入っているのか全く知らない。でも、この店で取り付けてもらうと、簡単な作業のくせに1500円程度は覚悟しないといけないので、何とかマックにでも入って取り付けることにして店を出た。
 それから今度はやっと裏道のやすいパソコンを売っている露天らしきところが開いたので、そこに行っていろいろ見せてもらうと、なんとかWindows98が動くか動かないか程度のやつが20000円で売っていた。ああ、会費があればこいつを買ってくるんだけどなあ・・・。でも、今回は会費に余裕がないので参考程度にしておいて、次はラジオセンターにマイクを探しに出かけた。しかし、運が悪いことに、いつもマイクを探しているお店が臨時休業になっていた。そこでちょっとジュースを飲んで一休みした後、今度は近くのパーツショップに入って、新人の女の子にパソコンの中身の説明をしてみた。
 その後、何とかこのメモリーを取り付けたかったので、パソコンに詳しいボランティアさんと、どこかめぼしい場所を探したが、どこもお昼時でいっぱいでだめだったので、こうなったら駅の横の会談に買い物袋を引いて、そのうえにすわって取り付けることにした。
 ノートパソコンのメモリー取り付け蓋はパソコンの下の部分に1本だけねじ止めされていた。それをはずして横にある金具を左右に開きながら元々から入っているメモリーを取り外すと、簡単にはずれてくれた。取り付けも案外簡単だった。これは本当はよくないが、視覚障害者の場合にはこれが一番わかるのでやってしまったが、メモリーの取り付けコネクタ部分をさわってみて、切り込みを見つけたら、それを中心にして、右側が短くなるように置くと、上側が表になるので、それをそのまま斜めに差し込んで、上から軽く押してやるだけですんなりくっついてくれた。ちなみに今実家からそのパソコンで日記を書いているが、メモリーを足すとものすごく体感速度が上がる。具体的にはソフトの起動やキーを打ったときに音声が帰ってくる前の反応がやたらと早くなる。やっぱり今時64MBでは限界があったらしい。
 そんなことをしていると、ちょうど集合時間になったので、次のカラオケの場所に向かった。すると、一人のボランティアの女の子が、なんだかプーさんのぬいぐるみをうれしそうに見せながら
「これ主任にとってもらったんだ」とか言っていた。全くこの親父、具合が悪いから私は本部で待っていますと言いながら、手の空いていた女の子とゲーセンにしけ込んでいたとは!!かなりいらいらする!!
まあそれはともかくとして、今回のカラオケはかなり盛り上がった。俺は今回、歌いたい曲の歌詞カードを作っていったんだけど、俺の目の前にいたボランティアの人がむちゃくちゃうまかった。彼女は何を歌わせてもうまい。男性ボーカルを歌わせると雰囲気を男性に変えてちゃんと歌いこなすし、演歌もしっかりと歌いこなしてしまう。ここまで何でも歌える人は珍しいと思った。
俺の方は今回はなんだか疲れていたのかかなり調子が悪くて声が出なかった。久しぶりに演歌もチャレンジしたんだけど、あまりにも自分が下手なので、練習しないとやばい。俺は基本的に演歌は嫌いではないので今度いくときまでには、演歌も練習するぞ。
 カラオケの途中、一人なんだか具合が悪いと言って倒れてしまったので、主任が病院まで連れて行った。しかし、どうも水分不足か何かだったらしく、全く大事には至らなかったのでほっとした。
 さて、いよいよイベントも終わりということで、上野駅に集まってボランティアの方から感想を聞いてみると、やっぱり今日の朝の一見はまずかったらしく、怒られてしまった。こうなるのはもういやなので、これからは30分前に主任の部屋をのぞきに行くことにしようと思う。
それから何となく暇な人同士で集まって話をしていると、どうもボランティアさんの中にメッセンジャーを持っている人がいたので、みんなでメッセンジャーやりましょうとか盛り上がってしまった。
 さて、解散した後、ずっと俺のガイドをしてくれていたボランティアの人と、例の歌のうまい女の子とで飯を食いに行った。
途中なんだか彼女の方とは二人してとしがいもなく演歌の話で盛り上がってしまったので、もう一人の人がどうも浮いてしまったりした。
それとこれまたおもしろかったのは、彼女、実は茨城生まれの茨城育ちらしく、俺の実家の鉛がほとんど通じてしまう。そんなわけでどうもそれがわかってから、自然となまってしまいそうになって、ちょっととまどったりした。いやあ、久しぶりにこのあたりの方言の通用する人に会ったような気がする。
 それから8時20分の快速ラビット号で家に帰ってきた。



2002年08月19日(月)
たばこなんか嫌いだ

 今日は午前中に床屋に行って来た。
どうもいつも行っている床屋は月曜日と火曜日が休みだったので、今夏は久しぶりにかなり小さいときに行っていた床屋に行ってみた。
するといつの間にか、そこの息子さんが理髪師になっていた。しかも俺と似たような年ではないかと思う。
まあもしかすると兄貴と似たようなとしかもしれない。
 そんなわけで俺がいすにかけて頭を洗ってもらっていると、いきなりそのお兄ちゃん、たばこを吸い始めた。しかしこいつはいったい何を考えているのだろうか?俺はたばこを吸うなとは言わないけど、仕事中に客の前でたばこを吸うのはよくないと思う。俺のようにたばこの嫌いな客もいるのに、これでは次からもうここに雇用なんて思わない。
それにしてもかなりむかついたので、しっかりと
「床屋さん、いつも仕事中にたばこ吸っているんですか?たばこは嫌いなので俺の頭をやっているときはやめてください」
と行っておいた。だってこんなの耐えられないではないか。
 俺はたばこの好きな人にたばこを吸うなとは言わない。むしろたばこを吸う人にはたばこを吸う権利があると思う。
しかし、たばこの嫌いな人には、たばこの煙をさける権利があると思うわけだ。
だから、俺は公共の場は禁煙として、近くに喫煙コーナーなどを設けてたばこの吸いたい費とはそこで吸って欲しいと思う。これをよく感じるのは床屋のほかに、田舎の食堂などがある。居酒屋などにしてもそうだ。どんなところにも喫煙席がある以上、ちゃんと煙をさけることのできる禁煙席があるべきだと思う。もちろんそういう考え方だから、飛行機の中の全面禁煙は賛成できない。ちゃんとドアで仕切って喫煙席をもうけるべきだと思う。もしくは喫煙室を飛行機の中にも作るべきだと考える。
 俺が見ている限りでは、喫煙する人の中には人のことを考えてたばこを吸える人が非常に少ないと思う。たばこが体に悪いというのは、今はもう完璧に世間から認知されている現実なのだから、その被害を人に与えないようにしようと言う基本的な考え方のない人が多いと思う。禁煙と書いてあっても平気でたばこを吸っている人いませんか?タクシーやバスの運転手さん、車の中でたばこを吸うのはやめてください。次に乗る人が嫌煙家だったらどうしますか?衰退なら車を止めて車の外で吸って欲しい。というか、基本的にどうして禁煙タクシーというものが無いのだろうか?たばこの嫌いな人はたばこの煙が残っているタクシーに乗ることさえむっとするわけだ。
 基本的にはたばこは体に悪いんだから、喫煙室をのぞいて公共の場は禁煙にして欲しいと思う。もちろんこれに伴っての喫煙室の設置も必要だと思う。
俺が宣言したいのは、禁煙ではなく「分煙」だ。
よくJTが、「お互いの価値観を尊重しましょう」という名目で禁煙をやめるよう宣伝しているが、お互いの価値観を尊重するのなら、たばこの嫌いな人がたばこの煙を吸わない権利も尊重して分煙促進運動をやって欲しいものだ。
 それからこのことについては山ほど言いたいことがある。あの、おいしい店を名乗っている店主の皆様、あなたのお店には禁煙席ありますか?たばこの嫌いな人は、隣でたばこを吸われると、それだけでせっかくのおいしいものも台無しになってしまうのである。本当においしい店を目指すのであれば、たばこの嫌いな人も好きな人も、おいしいものを食べられるようにして欲しいと思う。
さて、そんなわけでたばこの話はこのぐらいにしたいと思います。

 午後になって、どうも最近脇腹の当たりに湿疹ができてかゆいので、近くの皮膚科に行って来た。待合室で順番を待っていると、小さい子供が母親に捕まえられて、泣き叫びながら入ってきた。どうも医者が怖いらしい。俺も小さい頃は医者が怖かったよなあ。
 昔とあるテレビ番組で、医者が
「世の中のお母さん方、悪いことをした子供に、お医者さんに注射してもらうよって脅かすのやめてください。医者を見ただけで子供が泣き叫ぶのは、『お医者さん=痛い注射』というイメージがあって鳴くんだと思うんですよ」
って行っていたことを思い出した。確かに俺も悪いことをすると、小さい頃母ちゃんに
「おめえ、○○医者つれでって注射ぶってもらうがんな」
って言われて脅かされた。
確かにこれは医者の側から考えてみると迷惑な話かもしれないけど、親の方から考えればこれほど子供を黙らせる共通の手段はないと思う。
 ところでこんな風に子供を脅かすのは日本だけの習慣なのだろうか?ちょっと気になる。他の国ではどうやって悪い子供を諭すのだろうか?どなたかご存じの方、掲示板で教えてくださるとうれしいです。



2002年08月20日(火)
初めてもらった大きな症状

 今日は午前中は本を読みながら座布団の上に寝っ転がっていた。
昨日までにほとんどやることは終わってしまったので、かなり暇だったわけだ。
 そんなわけで午後になってもこれといってやることはないので、俺が高校時代に書いた人権に関する作文をテキストファイルに直していた。もちろん当時は手書きなので、こいつをいちいち入力していたら、かなり時間がかかってしまった。というかかなりの暇つぶしになった。
 俺が何でいきなり高校時代の作文を取り出して打ち込み始めたかというと、これをホームページに載せたかったからだ。この作文は俺が高校1年生の時、夏休みの宿題でしょうがなく書いたものが、いきなり栃木県の最優秀賞に選ばれてしまったという何とも思い出深い作文だ。実はこの作文の元ネタは、文章がかなり違っていたが、国語の先生が必死に直してくださって、それを出したらこんな結果になったというわけだ。
 俺はこの作文が入選するまでは、ほとんど作文やら美術作品、スポーツ大会などで賞状をもらったことが無かった。そんなわけだからクラスの友達が症状をもらうたびに、いつも母ちゃんに
「何でおめえは症状もらえねえんだっぺな」
と怒られていた。だからこれをもらったときはかなりうれしかったことを覚えている。しかも今まで症状をもらえなかった分が一気に戻ってきたのかと思うような大きい症状だったのだ。この症状をもらったおかげで、俺は初めて本物のラジオ局のスタジオで番組に出演することができたし、毎日新聞の栃木版にもかなりでかい記事がどどんと出たぐらいのものだった。
 しかもこの作文は、栃木の文化会館の大ホールで表彰式と朗読が行われ、また栃木放送でも流れた。しかし、この表彰式が期末試験のまっただ中に行われたため、朗読の練習をやる暇がなく、本番当日なんと3回もミスってしまうという、何とも恥ずかしい思い出もある。しかもこのミスまで平気で栃木放送でそのまま流れてくれてしまったのだ。唯一の救いは、栃木放送というのはほとんど聞いている人がいないと言うことだろうか?それにしてもこれは恥ずかしくてしょうがなかった。
それだけではない。どうも俺の運はこの年から上に向いてきたらしく、秋に行われた放送コンテスト新人大会の朗読部門で最優秀賞を受賞した。このときの放送部(当時は演劇部)の顧問の先生が、これまた偶然例の作文を修正してくださった国語の先生だった。つまりこの先生は、俺の高校時代の幸運の女神みたいな先生だったのだ。といっても女神というほどすてきな先生ではなかったが、俺は今でもこの先生が大好きだ。
(誤解のないように書いておきますが、大好きだというのは「Love」ではなくて「Like」です)
 そんなわけで打ち込みが終わってセーブして気がついた。この作文どこに乗せようかな?本当はすぐにでも掲載したい気分なんですが、どうも乗せる場所が思いつかなくて困っている。
それと、うちのメンバーにこんなものを読まれると、後で恥ずかしくてしょうがないのでちょっと渋っている。
この前のイベントで、インストラクターの一人Nさんが書いた作文が、どこやらのホームページに乗っているという話になったときに、みんなして見に行ったりしたので、次のイベントで同じようなことになると恥ずかしい。

 それから夕方に筑波に戻ってくると、メールが大量にたまっていて、受信だけで10分以上もかかってしまった。
それに、俺の管理を担当している出会い系サイトへの質問メールがこれまた大量に届いている上に、そこのアドレスにはものすごい勢いでウイルスメールが届くのでこれを全部受信しようとして失敗してしまったりで、メールの取り込み作業に2時間近くかかってしまった。
 メールを取り込んでいる間暇だったので、前々から試してみたかった、XREAという無料Webサービスの登録受付が始まっていたことを発見し、早速登録してみた。
しかし、やっぱりこのサービス、広告が出過ぎてちょっと使いにくいと感じた。しかし、こんなに充実した無料Webサービスは世界にも類を見ないのではないかと思う。
具体的には、CGI/SSI/Sendmail/PHPはもちろんのこと、ルビーとかパイソンなども使える。もっとすごいのは、このWebサービス、独自ドメインを持っている人なら、それを無料で持ち込むことができてしまう。さらにびっくりしたのは、SSL暗号か通信にも対応していると言うことだ。その上、独自ドメインでもメールにも対応している。
確かにこんなにたくさん広告がでるのは気に入らないけど、それでもここまで使えるのだから、晴眼者にはこれをおすすめしたい。
視覚障害者向けのWebを制作される方にはちょっと広告が多すぎて音声で読みにくいので向かない。
 ところで、どうも最近、幕府サーバーが閉鎖という噂が聞こえてきている。あのサーバーに独自ドメインを設定している俺としては、このニュースは気になる。もし閉鎖になったら「tomg.net」どこに設定しようかなあ・・・。




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