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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年08月21日(水)
恋の季節はこれから

 今日は久しぶりにこっちに帰ってきたので、遅くまで寝ていた。ちなみに起きたのは11時だった。
 それから昼飯に焼きそばを買ってきて、テレビを見ながら飯を食い終わった頃、弟子のピヨマル君が電話してきて、友達がPC-Talkerを買いたいから代わりに注文しておいてくれとか言い出したので、ともかくそいつの名前と住所を書いたメールを送ってから、こっちに現金書留で代金を送るように言った。
 その後、友達のページを見に行ってみると、日記にどうも悩んでいるらしい様子が書いてあった。しかもなんだかこの文章、あまり多くは語っていないが、悩みが深刻なのが手に取るように分かる感じだった。そこで、いきなりどうしたんだと電話するのも何なので、適当な用事にかこつけて電話してみた。
するとやっぱり案の定、彼女と何かあったらしく、かなり落ち込んでいた。まあ人間という者は、何よりも大事な人に裏切られたり、大事な人がいなくなってしまったときに悲しい思いをするので、友達の悩みは分かるような気がする。
そういえば、俺も去年の10月、彼女に振られたときはかなり悲しかった。寝ても覚めてもそのことしか頭にないのだ。食べていても歩いていても離していても、彼女のかわいい声や臭い、今までの思い出が頭の中で回っていて、ちょっとすると泣きそうになるほどつらかった。しかも秋に振られたので、どんどん冬に向かって寒くなっていくと同時に、心も寒くなっていくから最悪きわまりなかった。
 さて、勘の良い読者の皆様方はもしかすると上の記述に気になった部分があると思う。それは、彼女のことを思い出すときの話だ。俺たち先天性の全盲の人間は、人のこと(彼女かどうかは別の話です)を思い出すとき、その人の顔のことは全然思い出さない。じゃあ、どういう事を思い出すかというと、その人の雰囲気や声の調子、そして以外と大事なのはその人のにおいだったりする。その人が自分の恋人だった場合には、まず間違いなく手の形や握ったときの感触、髪の感触やにおいまで思い出したりする。こんな事を書くと俺たちは犬かと思われるかもしれないが、目の見えない俺たちにとって、においというのは人を識別する上で無くてはならない目印なのだ。だから大体
特徴的な人であれば、その部屋に入った瞬間に、
「あのさあ、この部屋にさっきまで○○ちゃんいなかった」
とか分かる場合もある。それから案外人を識別するのに参考になるのはその人の足音だ。これが意外に役に立つ者で、よく町の中で声をかけられて、誰だか分からない場合には適当にごまかしておいて、その後歩き出してから相手が誰だか分かるなんて言うことがたまにあったりする。
 ところで、昨日読んだ本に、「人間の発情期は北半球では9月、南半球では3月だ」と書いてあった。これはどうやら人間が猿だった頃、寒い冬に赤ちゃんを出産しないように考えられた生きる知恵が、現代人の体にそのまま残っているという者らしい。よく、世間では春が恋の季節といっているが、これは大きな間違いだと俺は思う。だって実際に俺の周りの人間は、春には恋人を見つけていない。まあ例外として主任なんかは今の彼女と1月につきあい始めているが、ほかの人たちは7〜10月につきあい始めている。これが何よりの証拠だと思う。ということは、これからが恋の季節と言うことだ。がんばれ!俺。

 話は大きく変わるが、どうも昨日からホームページリーダーの解析速度が遅い。読み込みそのものはケーブルテレビの回線なので早くて申し分ないのだが、ページが表示されてから読み始めるまでの速度が異様に遅いのだ。これではどうも使っていて差し支える。何でこんなことになってしまったのだろうか?さっきから調べているのだが全く原因がつかめない。



2002年08月22日(木)
ついに幕府サーバーつぶれる

 今日はほとんど午前中睡眠モードだったが、午後になって起き出して、この前の日記に書いた人権に関する作文をどこに載せようかと思案していた。
 実際今の俺のページというのは、どうもページそのものの構造がしっかりしていないから、こういう細かいものを乗せるところが見つからなかった。本当であればエッセーのコーナー、パソコンコーナー、放送のコーナーの三つに分けられるんだけど、それをやってしまうとトップページの目次が寂しくなってしまうので、どうもそれはやる気になれない。そんなわけで、こういうどのコーナーにも属さないどうでもいい文章を載せるのに「雑文」とか言うコーナーを作ることにした。
しかし、作った配意ものの、結局乗せるものはこれしかなかった。ああ、寂しい。
 その後、昨日の日記に書いていた、ホームページリーダーが遅くてしょうがないのを何とかしようとしていろいろとやってみたんだけど、これまたかなりのくせ者で、どうしようもなかった。しかし、原因としては、読み込み中を知らせるミディファイル再生中に、なんだか問題が起きているような気がしたので、このファイルを削除してみると、これが見違えるように高速になってしまった。はっきり言ってPC-TalkerでIEを使っているのとほとんど変わらない。
よく昔のホームページリーダー2.5のユーザーが
「HPR3.01は速度が遅くてやんなっちゃう」
とか言っているが、この処置を行うことで、環境によってはかなり改善されるだろう。ちなみに具体的に消去するファイルは
c:\Program Files\IBM\HPR3\load.mid
である。HPR3が遅くて頭に来ている方、是非試してみてください。
 それから昨日の夜に幕府サーバーがつぶれることが、管理者の方から正式に連絡が来たので、今持っている独自ドメインの「tomg.net」をどうするかと考えた結果、またワイネットにIDをとることにした。そして、ドメイン移転の申請をすませ、サインアップのメールを見て驚いた。それは、今初期費用無料キャンペーン中にもかかわらず、しっかりと初期費用が引き落とされていたからだ。そこでサポートデスクに問い合わせを入れてみると、どうもドメイン設定寮の引き落としが無かった代わりに、初期費用の引き落としが会ったらしい。そういわれてみれば確かに独自ドメインの持ち込み費用が引かれていなかった。全く、このメールはややこしくてかなわない。
 そんなわけで結局また7000円以上の出費になってしまった。その後で、最近速攻の近くばかり歩くせいで、白杖がすり減ってきてしまっていたので、日本点字図書館に新しい白杖を注文した。しかしこんなことばっかりやっていたせいで、この前せっかく実家にかえってじいちゃんばあちゃんからもらった小遣いを、全部使い果たしてしまった。



2002年08月23日(金)
メールトラブル

 今日は昨日の続きで、ドメイン移転作業とページのファイルの移し替え作業をやっていた。
まず、サーバーでドメインを受け入れる設定をやって、ともかくWebの方はすぐに設定できたので一安心だったんだけど、どうもメールがうまく受信できなかった。
しかも妙な現象が起こる。ポータブルSMTPサーバーの「Radish」というのがある。これを使ってワイネットにメールを出すと、全然届いてくれないのだ。
 そんなとき、Melodyさんから連絡が来て、今度は向こうの方では全然メールアドレスが使い物にならないというので、お互いともかくおかしいと言うことで、テストアカウントを作成して、サポートデスクにそれを送信して見てもらったが、全く無効では現象が再現しないとか言っていた。これではしょうがないので、いろいろとやってみると、どうもこの「Radish」だけではなく、一部のプロバイダからのメールも不安定であることが判明した。
全くどうしてこういう現象が起きるのだろうか?ワイネットはWebのサービスは最近昔と比べてずいぶんよくなったが、メールは相変わらず使い物にならない。
昔はもう少し使えたと思うんだけど、どうもこれはサーバーの設定の問題ではないかと密かに思っている。

 それから、今度は今までtomgnet.comの方に置いていた音声ファイルとかソフトなどのバイナリファイルを、新しいサーバーの方に移動した。

 夜はひたすらピヨマルだの新井君だのとメッセンジャーで話をした後、今度は雑文のコーナーに「MSNメッセンジャーで視覚障害者の方とお話しするときは」とか言うページを作ってみた。

 そんなわけで夏休みも終わりだというのに、またまた特にやることが無くて暇のまま過ごしてしまった1日でした。



2002年08月24日(土)
お友達専用ページ

 今日は朝、いきなりドアチャイムの音で起きてみると、なんだかおととい注文した白杖が届いていた。
 それから昼過ぎになった頃、なんだか布団のクリーニングとか言うセールスマンがやってきた。しかも俺はドアフォンで断ったのに、入り口まで出てこいとしつこく言うので、頭に来て無視して受話器を置いてしまった。

 さて、その後やっぱりいつもよろしく暇だったので、時間のあるうちにと思って、TomGのお友達専用ページなるものを作ってみた。
 このページは、ちょっと日記に書きたいんだけど、都合により書くことのできないことや、俺の発見したパソコンの裏技など、友達にしか見せたくないようなことを書いていくページとして作成した。
 俺は来年社会人になるわけだが、学校に通っている間は或程度適当なことを言っても許されるかもしれないが、社会に出るとあんまり変なことはいえないし、公に公開している日記では書きにくいことも出てきそうだ。
それに、このページを見てくれている皆さんにも、本音で語ってもらえる場所を作りたかった輪けだ。
 皆さんも多分感じたことがあるだろうが、何かむしゃくしゃしたことや人に聞いて欲しいことがあったときに、書き込む場所があるとそれだけですっきりしたりすることはないだろうか?今のところはほとんどの場所が準備中になっているが、順次コンテンツを増やしていきたいと思っている。




2002年08月25日(日)
落書き帳と.htaccess

 今日は昨日の夜からずっとメッセンジャーで話していて、ニケ君がホームページをやっと正式公開したというので、リンクを張ったり、メンバーページの中に落書き帳を設置してみた。
 この落書き帳は掲示板とは違う。
掲示板というのは或意味話し合ったり討論したりする性格も持ち合わせているが、この落書き帳はとりあえず書きたいときに落書きするものだ。暇に任せてエッセーを書いたり、詩を書いたり、文句を書いたり自由に使ってもらえるように作成してみた。
そんなことをしていると、朝の6時になってしまったので、さすがに眠くなって風呂に入って寝たのだった。

 さて、なんだか10時頃、親からの電話が入っているような気がして薄目をあけたが、どうも昨日からパソコンをやりすぎたせいだろうか?体が自由に動いてくれなかった。そこでどうせ又電話してくるだろうと思ってひたすら居留守電話にして寝ていた。すると今度は又ドアチャイムが鳴った。どうせ日曜日の昼間なので、変なセールスマンではないかと思ってひたすら無視を決め込んでいると、どうも新聞受けに何かを入れていく音がしたので、気になってやっと起き出したのだった。ちなみにこれはどうも俺宛に書留が届いているらしく、その不在通知だった。しかし最近郵便局の配達委員もご苦労様なものだ。日曜日だというのに仕事をしているなんて。

 それからいつものようにネットを徘徊していると、.htaccessについてかなり詳しく書いてあるサイトを見つけた。
 .htaccessというのは、HTTPサーバーの設定を記述するファイルで、それを設置したディレクトリの中のみで有効になるファイルだ。これを使うとどんなことができるかというと、前に書いたようにユーザーIDとパスワードでアクセス制限をかけたり、CGIを許可するファイルの拡張子を指定したり、エラーメッセージをカスタマイズすることができる。このほかに特定のドメインからのWebリソースへのアクセスを禁止したりなど、これの使い方を知っているといろいろと便利なことが多いので、皆さんもよかったらのぞいてみてください。このサイトです。
俺は今まで、いろいろなサイトのサンプルを見て、適当にそのままエディタに貼り付けて使用していたが、このサイトを見てやっとそれらの記述の意味や、.htaccessの文法などが分かったような気がした。

 さて、その後、ニケ君が日記にアクセス解析タグを仕込たいというので、その方法を説明してから、MLに「BlackJumboDog」という簡易サーバーを使って、複数のPCを一つの回線でインターネットに接続する場合のセキュリティについての質問が来ていたので、暇に任せていろいろ調べていると、配布元のホームページに、Radish3のベータバージョンがあった。Radishというのは、パソコンにインストールして使うSMTPサーバーで、この前からワイネットにメールが送れないと俺が騒いでいるソフトだ。しかし、今度のものからは、今まで必要だったDNSの設定が無くなったと書いてあったので、早速試してみると、嬉しいことに、ちゃんとワイネットにもメールを送ることができた。
 それから今度は、掲示板に出てきているお姉さんをメッセンジャーに発見したので、久しぶりにお話ししていると、今度9月の連休当たりに東京に来ると言っていた。お姉さんはかなり遠くの人なので、飛行機で来るらしい。
そんな感じで日程が決まったら教えてくれるというので、俺も東京まで遊びに行こうと思っている。



2002年08月26日(月)
ペンギン救出作戦の話とHPリニューアル計画

 今日は、午前中にたまっていたメールの処理と、出会い系サイトの管理をやっていた。それからMelodyさんから電話が来たので、いろいろと話をしていると、ふと今日が26日の月曜日だと言うことに気がついた。
そして、今日からは昼飯が食えると思った。そう、今日から夏休み中だった学食が再開するらしいと掲示板に出ていたのだ。
 そんなわけで久しぶりに学校に行ってみると、やっぱり実家から続々と帰ってきている人がいるらしく、寮はにぎやかだった。
 久しぶりにハヤシライスを食って、掲示板を見て帰ろうとすると、今年は例年には珍しく、1学期の成績表配布のお知らせが出ていた。
うちの学校は、毎年9月一日に成績表が出るので、こんなに早いのは珍しいのだ。それと、事務室に行くついでに、家の新聞受けに入っていた昨日の書留の通知らしいものを持っていって、連絡先の電話番号を読んでもらった。ちなみに成績はというと、まあまあ満足だろうか?一応それなりの成績だ多。でも、一つだけ授業中パソコンばかりやっていた某強化がAだったのが不思議だった。もしかすると、メモでもとっていると思われていたのだろうか?
 それから家に帰ってきて、ニケ君のホームページを見に行ってみると、又新井君が変な名前で彼の掲示板に出現しているらしいと分かったので、ニケ君にIPを確認してもらったところ、ばっちり新井君の仕業だと判明した。しかし、これは単に男のくせに女の名前で投稿しているぐらいで、嵐にはなっていないので、別に何もしないと彼は行っていた。念のために名前をさらしておくと、「さかえちか」とか書いてある。
 その後、卒業制作を手伝って欲しいとメールをくれたお姉さんが、今月末に筑波に来ると行っていたので日程を確認するのに携帯に電話すると、留守電になっていた。でも、ちょっとして折り返し連絡が来て、今週の土曜日ぐらいに来ると行っていた。それから、月曜日に大学を見学したいというので、俺の卒検担当のM氏に連絡して、一緒に学内を回ってもらえるようにお願いすると、さすがやっぱり優しい先生だけ会って、すんなりOKがもらえた。

 夜になって、月曜日の恒例で、世界丸見えを見ていると、今日はタンカーの沈没事故で重油にまみれてしまったペンギンの救出作戦の話をやっていた。
このタンカーは、南アフリカ共和国の近海で沈没してしまったもので、その沈没地点が運悪く、絶滅寸前のケープペンギンの住む二つの島の真ん中だったというのだ。そして、流れ出した重油が、そのうちの一つの島を直撃し、ペンギンたちが油まみれになってしまった。そこで大勢のボランティアの人たちが、その島のペンギンをすべて捕まえて、重油を洗い落とした後、島を掃除してきれいにしてからペンギンを元の島に返そうとしていた。ところが又運が悪いことに、風向きが変わってしまい、今度はもう一つの島の方が重油の直撃を受けそうになった。
しかし、ケープタウンのペンギン保護施設は満員で、とてももう一つの島のペンギンまで収容できなかった。
そこで、重油が島に到達する直前に、その島のペンギンを又すべて捕まえて、遠くの海岸まで連れて行った後、ペンギンをそこで放す。ペンギンには帰巣本能といって生まれ故郷に帰る本能があるから、その遠い場所から島に戻ってくるまでの1週間の間に、重油の直撃した島をきれいにして、ペンギンが重油にまみれるのを防ぐというとんでもないプロジェクトだった。しかし、これはものすごい。自然を守るために行われたプロジェクトの中では世界最大級になるのではないかと思う。
 その後、久しぶりにナイーブネットの新着と諸情報を見てみると、なんだか俺の好きな雑学の本があったので、それを読んでからふと思いついて、メンバーページの秘密エッセーのコーナーに、とんでもない文章を載せてしまった。
ちなみに子のお友達専用ページには、TomGとお電話で何度か話をしたことのある方なら入れますので、見たい人は専用ページ入り口下部のフォームからIDとパスを申請してください。
 それからいろいろなページを回っているうちに、なんだか無性にホームページのリニューアルをやりたくなってきた。というのは、俺のホームページのトップというのがあまりにも多種多様なコンテンツがひたすら並んでいて、自分でも気に入らなくなってきた上に、目次のタイトルの下に説明文をつけたかったのだ。
実際自分がこのページに始めてきたとしたら、トップページを見ただけでは、どこに何が書いてあるか分からないし、あまりにもめちゃくちゃで醜いと感じたからだ。
 そこで風呂に入ってから、いろいろと考えて、とりあえずサンプルを作ってみたが、見栄えが全然分からないので、明日目の見える人にサンプルを見てもらおうと思っている。



2002年08月27日(火)
ホームページリニューアル

 今日は朝、なんだか8時頃に電話が鳴って、休みにしては珍しく目が覚めてしまった。電話は新井君で、どうも昨日の日記に文句があるらしく、しきりに日記を消せと騒いでいた。もちろん消さないことにして、この前のイベントでボランティア活動証明書を学校に持っていかなければならない人がいるというので、印刷作業をやろうとした。しかし、どうも以前に俺が作っておいた証明書、ちゃんと証明書になっているかどうか分からなかったので、いろいろとネットで「ボランティア活動証明書 書き方」とかやって検索してみたが、PDFファイルのものはあっても、ワードとか編集可能なやつは全然置いていなかった。
そこでいつもの俺名物で、ビジネス文書流に適当に作って、封筒に入れて送ろうとしたんだけど、封筒の宛名書きをどうしようかと迷った。パソコンで宛名書きしてもいいんだけど、どうも移っているかどうか心配なので、今回は飯を食いに行くついでにうちの学科の技官質に持っていくことにした。
そんなわけで荷物を鞄に詰めていると、なんと、はんこがどこを探しても見あたらなかった。しかし、これがないと死んでしまうので、必死になって探した結果、全然予想もしないところに置いてあった。見えれば一瞬にして見つかりそうなものの上に置いてあったんだけど、そっちの方を全然探さなかったので、はんこ探しに30分程度費やしてしまった。
 それでやっと食堂に行くことができたが、飯のメニューは昨日と同じだったので、ともかくハヤシライスを食った後、5回の技官質に行って封筒に宛名を書いてもらってから、作った証明書を見てもらうと、やっぱり大学生の作った証明書だけ会って、全然証明書になっていなかった。そこで作ってきたファイルのFDを取り出して技官さんに渡すと、「どこにもないよ」と言われてしまった。そう、あまりにあわてていて、フロッピーは持ってきたものの、肝心なデータをそこにコピーするのを忘れていたのだった。
仕方なく、久しぶりに点字版を持ち出して、1行目に何を書いて、2行目に右寄せで何を書いてというように、教えてもらってメモをとって、明日又見て頂く約束をしてから家に帰ってきた。
 ところで最近の学校では、「ボランティアをやる」とか言うとんでもない宿題があるらしいのだが、子の宿題、ボランティアは強制されるものでは無いという本来の趣旨にかなっていないと思う。全く今の文部省の奴らは何を考えているんだか俺には分からないが、こんなばかげた宿題は許せないと思う。
基本的にボランティアというのは、人に言われたからとか学校の宿題でやらなければならないからと言う理由で行うものではないと思う。あくまで自分が何か人の役に立ちたいとか、自分でもできることをやってみようと言う自主的な動機で行うべきもののはずだ。
そんな性格のボランティアというものを、数学や国語と同じようなレベルで宿題にして、サボらないようにとボランティア活動証明書を提出させる学校もあるのだという。これではボランティア活動ではなく、宿題の内容は「ただ働きしてこい」になってしまうと思う。何度も書くように、ボランティアというのはあくまで自主的に行うべきだ。
今回のケースは、証明書提出が特に強制という訳ではないが、できれば提出してください程度のものらしいが、こういう教育方針は是非改めて頂きたいものである。

 さて、家に帰ってからさっきとってきたメモを参考に、証明書を作ってから、昨日の雑学の本の続きを読んだ後、出会い系サイトの管理アドレスのメールを受信してみると、受信して振り分け処理に入ったところで、メーラーがフリーズしてしまった。そこで仕方ないので強制再起動を試みると、今度は起動直後にメーラーが固まってしまった。そこでもう一度再起動すると、今度は受信箱のメールがすべてきれいさっぱり消えてしまっていた。しかもゴミ箱を探しても、どこを探しても全く残っていない。これは恐るべき事態だと思ってあわてふためいては見たものの、どこにもファイルは残っていない。おそらくメーラーの誤動作が原因だろうが、ともかくバックアップファイルを戻して何とか復旧させたものの、ここのところバックアップをサボっていたので、一度に俺の受信箱は、1ヶ月前の状態にシェイプアップされてしまった。ああ、バックアップはとっているときに限ってトラブル起きないんだなあ。ともかくこれからはまじめにバックアップとらないといけないと思った。それにしても、これがBLPCのアカウントじゃなくて本当によかったと思う。
 それから今度はこういうことにならないように、データのバックアップをすませてから昨日からふと思いついて始めたホームページのリニューアル作業に取りかかったが、作業は遅々として進まないばかりか、どんどんページがわかりにくく変な色になってしまっているような気がした。
すると、ちょうどいいタイミングで、前に俺が所属していたMLで知り合ったデザイナーのミルクさんがMSNメッセンジャーにサインインしていた。そこで早速聞いてみると、嬉しいことに本当に丁寧にソースを見てくれて、背景の色とか文章の配置などを丁寧に説明しながら直す場所を教えてくれた。しかも、タイトルの画像までデザインしてくれるというので、めちゃくちゃ嬉しくなって楽しみに待っていると、30分ぐらいしてからメールで送ってくれた。そんなわけで早速それをはめ込んで、レイアウトを調整しながらやっと新しいトップページができあがった。
それにしても今日は1枚も画像の無かったこのサイトに、初めてロゴ画像が入ったので、久しぶりに感激してしまった。ミルクさん本当にありがとうございました。
 その後、このトップページに会わせてページのディレクトリ構成を変更したり、分類の変更によって必要になったリンクなどを追加していると、いつの間にか8時近くになってしまっていた。

 それからみんなにこの新しいホームページを見てもらってみると、やっぱりさすがプロ、かなり好評だった。ロゴ画像はかっこいいらしいし、色もなかなかいいらしい。しかしちょっと残念なのは、友達で弱視のWinona君に、「これはちょっと弱視だと見にくいねえ」と言われてしまったことだ。まあ、それはそれでしょうがないなあとは思っているんだけど、できれば弱視の人にも見やすい色図解をしたいとも思ったりするので、バリアフリーの難しさを感じてしまった。

 その後、今回の更新でディレクトリ構成が大きく変わったことで、検索エンジンから来てくれる人がこのまま行くと「404ファイル未検出」になってしまう可能性があったので、404エラーを又カスタマイズして、リクエストされたファイルが見つからなかったときには、エラーメッセージを出してトップページに飛ぶように改良した。
こうしておけば、検索エンジンでエラーになっても、トップページに飛んできてくれて、少しでも見てもらえる確率が高くなるような気がしたのだった。

 さて、今度はどこを改良しようかなあ。



2002年08月28日(水)
点訳のスタッフの方とのコミュニケーション

 今日はいきなり気がついたらお昼の12時近くなってしまっていた。
普通一人暮らしの俺なので、問題ないんだけど、今日は昔うちの学校の点訳後援会に点訳を依頼していた「ADSLによるLinuxインターネットサーバー構築ガイド」という本の点訳があがったと連絡が来ていて、11時に取りに行く約束になっていたのだ。
でも、ここまで送れてしまったからには、どうせ今の時間に行ってもお昼休み中で誰もいないと思い、ともかく食堂でカレーを食って、昨日のボランティア活動証明書を見てもらおうと技官質に向かった。すると途中で卒検担当のM先生に呼び止められて、来襲の月曜日の学校見学について聞かれたので、
「今のところはその人は予定通り来ることになっていますので、よろしくお願いします」
と報告してから一緒に技官質まで行った。すると、技官さんはまだお昼休み中で戻っていなかったらしく、先生がお茶を入れてくださったので、しばらくの間ああでもないこうでもないと話をしていた。
その中で出た話だが、どうも最近うちの学科の人はWebページを作る人が少ないと思う。先生によると、一番盛んだった頃は2・3年生の人たちの3分の1程度は学科のサーバーにWebを開いていたらしい。ところがそれも年々減ってきて、去年は二人で今年に至っては俺一人しか開いていない。それに俺もそろそろあのページを閉じてしまおうと思っているから、数日のうちには学生のページの名前の部分からリンクが消えるだろう。それにしても寂しくなったものである。
 そんな話をしているうちに、技官さんがやってきたので、早速昨日作ったファイルを見てもらうと、今度はちゃんとできているらしく、すぐにOKだった。
ところでうちの学科というのは昔から日記で書いているように、音声環境を知らない教員が多かったり、学者みたいに理論ばかり語っているようなどうしようもない教員がいるが、その一方で学生が授業とは関係の無いところで困っていても、できる範囲で助けてくださる先生方もいらっしゃるので非常に助かる。特にWindowsのインストールと封筒の宛名書き、そして履歴書の作成などでは非常に救われた。
こう考えてみると、今までぼろくそに書いてきたうちの大学も捨てたものではないと思った。しかし、音声環境を知らない先生が多すぎるのは困った話ではあるが・・・。
 その後遅ればせながら点訳後援会の部屋に行って本をもらってから、食酢の作り方について、どういうものが見やすくてどういうものが見にくいなどいろいろとスタッフの方とお話しした。どうもうちの学生は教科書などに読みにくいところがあっても点訳の人たちに言わない人が多いので、スタッフの方達は、「私たちのやっていることは果たして皆さんのお役に立っているのかと心配なんですよ」と言っていた。確かに俺も今まではそういうことをお願いする機械がなかったので、点訳のスタッフの方とお話しすることはほとんど無かったが、今日こんな話を聞いてみると、これからはもう少し点訳のスタッフの方々とお話しできればな後思った。
 それから下に降りて帰ろうとすると、Winona君に偶然捕まってしまった。彼は卒検担当のK先生に、来学期からのゼミの日程について話した後、サーバーメンテナンスに行くというので俺はここで別れて帰ろうとすると、なんだかこいというので、暇に任せて久しぶりにいろいろしゃべりながらついて行った。するとK先生は留守だったので、久しぶりに研究室に行って、サーバーのメンテナンスをやりながら、この前俺の就職の内定した会社から送られてきて、音声では見られなかったデモ版のCDをWinona君に見てもらってみると、なんだか音声まで入っていて、見えるとものすごくわかりやすそうな代物だった。
それから今度は、昨日リニューアルしたこのページの話になった。彼によると、このページの背景色は色の中では弱い方の色にはいるので、文字を強い方の色にしてやれば弱視の人でももう少し見やすくなるとのことだった。そしてちょっと調整してもらおうとして彼が俺のページにアクセスを書けようとすると、どうもいきなりそのPCがネットにいっさい接続できなくなってしまった。そこでIPアドレスを確認したり、ネットワークカードの接続を確認したりといろいろやってみたんだけど、全くどうしようもなかった。
その後あいつが「腹減った」とやかましいので、俺も甘いものが食いたくなってサンクスに食料を仕入れに言ってから、そこで分かれて家に戻ってきた。
 家に戻ってドアを開けてみると、どうも何かドアのところに挟んであったらしく、勢いよく紙の飛んでいく音がした。そこで手が真っ黒になるのを我慢して、コンクリートの床にその紙が落ちていないかと探したんだけど、どうもそれらしきものは見つからなかった。そこでいろいろ考えた末、こういう風にドアのところに紙を置いていくのは宅急便の不在通知しか考えられないと思って、黒猫の営業所に電話してみると、やっぱり代金引換の宅急便が入っていることが分かったので、すぐに持ってきてもらった。ところがこれは、俺が知り合いに頼まれて代理で買っておいたものだったので、中身を確認した後すぐにその人のところに送り返さなくてはならなかった。そこで悪いなあと思いつつ、又黒猫に電話して取りに来てもらったのだった。
 ところで、取りに来てもらう間にパソコンを弄くっていると、なんだかMMメール君が何をやっても固まってしまうようになっていた。そこでいろいろと調べてみると、ゴミ箱フォルダの中になにやら怪しい名前のフォルダがあり、その中に無数のメールファイルが入っていた。そこでそれ尾w確認してみると、昨日すべて消えてしまったと思っていたメール達がまとめてその中に入っていたのだった。もちろんゴミ箱フォルダの中にフォルダができるというのはこのソフトではあり得ない現象なので、これは紛れもなくバグだと思うが、どうしてこういうことになってしまったのだろうか?まあともかくそれらのファイルを受信箱のフォルダに書き戻して、すべてのデータは元通りになったからいいけど、こういう変な動作だけは何とかして欲しい。
 夜になって今度は、掲示板に出てきているお姉さんが東京に来る具体的な日程が決まったとメールが来たので、詳しい話をするのに電話すると、いつもの癖で今日もなんだかかなりの長電話になってしまっていた。
ああ、これだから電話がつながらないと時々友達から苦情来るんだよなあ・・・。
それにしても今日の日記も長かった。



2002年08月29日(木)
ナンバーディスプレーに関するおもしろい話

 今日は午前中は訳の分からない電話で目を覚ましてしまった。どうもナンバーディスプレーをのぞいてみると、うちの学校からのACCESSであることは確実なんだけど、うちの学校の電話のシステムは、発信してくる番号がうちの学校の番号の中からシャッフルされたものになるので、非常に困る。
しかし、物事というのはどういう方向に進むか分からない。というのはこの日記でたまに登場する俺の悪友のイノシシ君は、これが原因で知り合った友達だったのだ。
 それは俺が今の学校に入学して3週間ほど過ぎた頃のある日のことだった。当時つきあっていた彼女と電話で話した後、俺はすぐに寝ようとしてベッドに横になった。しかし、彼女の方は俺に言うことを忘れたらしく、番号も見ないで着信履歴からかけ直す操作をしてしまった。そのとき偶然に俺が発信していた番号がイノシシ君のもので、彼女の電話は俺ではなくイノシシ君のところにつながってしまっていた。しかしそこが彼女、間違いましたとすぐに着ればいいものの、いろいろとよけいな話をした後に、情報処理学科に私の彼氏のTomGというのがいて、彼はパソコンが詳しいから何かあったら聞いてみるといいとか言ってから電話を切って。今度はちゃんと俺に連絡してきて、
「さっきさあ、履歴でかけ直したら、某学科のイノシシさんっていうひと似つながって、いっぱい話しちゃった」
とか言うではないか。しかも時刻は11時をとっくに過ぎた時間だった。そこでこれは申し訳ないので、彼女の電話はすぐに切って、イノシシというのを部屋名簿で調べて
「先ほどは私の知り合いが大変ご迷惑をおかけしました」
と謝りの電話を入れたのだが、そこからなんだか話がふくらんでいって、すっかりお友達になってしまったというわけだ。
 さて、そんな懐かしい話はこの辺にしておいて日記の続きである。
それからぼうっとしていると、Melody三から電話がかかってきたので、しばらく話をしていると、Winona君から携帯の方に召し食いに行くぞと連絡が来たので学校に行って飯を食って帰ってきた。
 それから、午前中の電話でMelody山河プロバイダをどうするかまだ悩んでいるというので、どうせ暇なので、こっちは常時接続なのをいいことに、自分が東京に引っ越したときの参考にもなるので、各プロバイダのADSL接続サービスについて調べてみた。
すると、俺の使おうと思っていたBiglobeのADSL接続サービスが、どうもいちいちパソコンを起動するたびに接続ツールを起動して「接続ボタン」を押さなければいけない形式らしいことが判明した。それにどうやら今Yahooでは、BBの無料体験キャンペーンをやっているらしいので、bBフォンだけでも申し込んでみようと思ったが、面倒くさくなってやめてしまった。
 2時を過ぎた頃、後輩の某氏から電話がかかってきて、いきなり彼が
「俺警察に捕まりそうなんですよ」
とか言い出した。どうやら彼は昨日ネットカフェで遊んでいる途中、パソコンを壊してしまったらしい。詳細は項だ。
彼は本を読みながらプログラミングの勉強に励んでいた。しかし、なぜか分からないがいきなりエディターがフリーズしてしまったので、再起動を試みようとしたが、Alt+Ctrl+Deleteを押してもいっこうに再起動がかからなかった。そこで彼は、最終手段として電源ボタンを押し続けた。しかしそれでも消えない、いくら押してもである。そこでやめておけばいいものの、彼は有り余った力で指先をぐりぐりとねじりながら、電源ボタンにすべての神経を投入した。すると彼の手に鈍い感触が伝わってきた。そう、電源ボタンがずるずるとパソコン内部に沈没していってしまったのだ。はっと彼が気づいたときは時すでに遅し、そのパソコンの電源ボタンの位置には、むなしく丸い形状の穴だけが痛々しく口を開けているだけだったという。
 まあともかくやってしまったものはしょうがないので、彼には素直にネットカフェに謝るように伝えて電話を切った。
 その後ホスティング会社のワイネットから、ご紹介キャンペーンの無料スペースが使えるようになったというメールが届いた。このキャンペーンは、自分の紹介した人がワイネットのレンタルサーバーサービスに契約すると、10MBの無料スペースがもらえるというものなんだけど、俺は二人を紹介したので、10MBのスペース「tomg.txx.jp tomg2.txx.jp」を二つもらうことができた。最初使おうとしたらエラーが出るのでしばらく待ってから試してみると、ちゃんと正常にアクセスできた。しかもこのスペース、それぞれに一応管理パネルがあり、サブサブドメインの設定だけはできるらしい。CGIは使用できないが、これはちゃんとしたサーバー会社が持っているスペースだから物置には最適である。俺の今のメインスペースは、tomgnet.com tomg.netともに20MBだから、もう少し音声ファイルなんかを増やしてしまうとたちまちいっぱいになってしまうが、この二つにでかいバイナリを持っていけば、相当スペースにも余裕が出そうで嬉しい。

 それから夕方近くなってあまりにもゴミがたまっていたのでいらないものを少し処分すると、ちょうどゴミ袋が無くなってしまっていた。そこで飯を買いに行くついでにセブンにいったんだけど、腹が減っていたため肝心のゴミ袋を買うのをすっかり忘れてしまっていた。ああ、どじだなあ・・・。
夏休みも終わりに近いというのにこんなんでいいんだろうか?



2002年08月30日(金)
継続すること

 今日はまたいつものように電話で目を覚ましてから、今度のBLPCのイベントについていろいろとピヨマルと話した後、今度は明日来る予定になっているお姉さんに電話を入れて、何時の電車で来るのかを確認すると、まだ決まっていなくて決まったら連絡するとのことだった。
 そこでちょうど飯の時間になったので、Winona君と待ち合わせて食堂で飯を食ってきた。
 家に帰ってきてから、BLPCの新人インストラクターのHさんから電話が来て、今度のイベントについていろいろと聞かれたので、その話ついでに1時間程度長話をすると、
「会長ってめっちゃトークうまいですね。気がつかないうちにこんな時間ですよ」
とか言われた。俺もそこで1時間過ぎていることに気がついたので、相手の電話代が跳ね上がる危険を避けて、この辺にしておいた。
 その後、俺の使っているフォームメールのCGIを改良して、差出人にも同じ内容のコピーを送信するかどうかの指定をできるようにした。それから、最近ホームページのデザインばかりにこだわっていて、内容の方をさっぱり更新していなかったので、バッチファイル講座をとりあえず更新してから、何を血迷ったのか、衝動的に就職活動体験日記のコーナーまで作ってしまった。このコーナー、今のところ考えている目次では20項目程度あるので、これを完成させるのに何日かかるかなあと思っている。実際アマチュア無線のコーナーは、書き始めてから1年ちょっとたって、ようやく完成しようとしている。こんなペースだから、このコーナーも俺が社会人になるまでに書き上げることを目標に、ゆっくりゆっくり進めていこうと思う。
 このホームページを始めるまで、俺は一つのことをやり続けることができない人だった。しかし、これを初めてから日記も1年近く毎日続いているし、ホームページも1ヶ月に1度は更新するようにしている。1年間、毎日欠かさず日記をつけるなんて、大学1年の頃の俺には考えられなかった。ホームページを持ってこうやって毎日日記を書いたり、1ヶ月に1度程度は必ず更新したりできるのも、見に来てくださっている皆さんがいるからなんだと思う。本当にいつものぞいてくれてありがとう。
 そんなことをしているうちに、飯の時間になったので、セブンに出かけて食料と昨日買い忘れていたゴミ袋を今日こそはちゃんと買ってきた。
ちょうど家のドアを開けたとき、中で電話が鳴っていたので誰かと思って確認すると、例のお姉さんだったので、飯を食ってからかけ直すことにして、テレビを見ながらくつろいでいると、某局で、今はやりのワン切り業者の悪質手口の特集をやっていた。それによると、今のワン切り業者は、子供ばかりをねらって巧みな話術で住所を聞き出して、親に請求書を送りつけ、受け取った親の方も自分の子供がやってしまったんだからと言うことで、お金を払ってしまう心理につけ込むケースが多いのだという。しかし今の若者は、何でワン切りがかかってくると知らない番号なのにかけ直してしまうのだろうか?こんなものはかけ直す必要がないのに・・・。おそらく好奇心か何かでかけ直すのだろうが、どうもこれでは悪質なワン切り業者は減らないのではないかと思う。
ちなみにもし子供がワン切りにかけ直してしまって、請求書が届いた場合には、「未成年者契約不履行」という文が法律の中にある。これは18歳未満の契約で、両親の承諾なしに行われたものを破棄できるという法律で、これをしっかり相手に伝えて警察に届ければ、ほとんどの場合は支払わなくてもいいとのことだった。
それからお姉さんに電話を入れると、明日の1時頃に筑波センターに到着するという話だった。
 さて、その後ニケ君がメッセンジャーで呼んできて、日記をブックマークに登録している人がいて、トップからたどってくれないので非常にいやだということを聞いた。俺も実はそういうのはいやなので、何とかこれを解決すべく、SSIを使っていろいろとプログラムを作成してみたが、いくらやっても500エラーになってしまって、全くうまくいかなかったので、あっさりとあきらめてしまった。
 10時を過ぎた頃、ピヨマルから電話がかかってきたので2時間程度話してから、風呂に入ろうかなあと思っていると、久しぶりに学校の友達のNから電話がかかってきて、新しいパソコンを買ったんだけど、ネットにつながらないと言っている。そこで、プロキシサーバーの設定をやってみるが、全く動かなかった。これは電話ではだめだと判断した俺は、12時半を過ぎているにもかかわらず、ひょっこりと寮まで出かけていって直すことにした。
 部屋に行ってパソコンを早速調べてみると、なんだかネットワークケーブルにしてはやたらと細いケーブルが接続されていた。そこでそれをよく見てみると、なんとそれは内蔵モデムと電話回線をつなぐための線だった。これではしょうがないので、今まで学校からのレンタルパソコンの時に使っていたネットワークケーブルを接続して、プロキシの設定を書けてやると、問題なくネットには接続できた。
そこでついでなので、Hotmailのアカウントを取得し、Windowsメッセンジャーをインストールしてきた。そのときホームページリーダーがいきなりエラーを起こして大変だったが、何とかごまかしながら進めて設定は無事に完了したかに見えた。
ところが、今度は大学のメールをアウトルックに設定したところ、パスワードが違うと怒られてさんざん探したあげく、1カ所大文字と小文字が違っていたのだった。
 ということで、結局すべて設定が終わったのは2時半だったので、腹が減ってきた。するとなんだか友達がお礼におごってくれるというので、コンビニに行ってサンドイッチとアイスを買って帰ってきた。ああ、久しぶりにこんな時間にふらついたなあ・・・。



2002年08月31日(土)
広島から友達が来る

 今日は朝少し早めに起きて、選択をたたんだり、部屋掃除をするなどちょっといつもならしないようなことをやっていた。今日は前に書いたことのあるお姉さんが遊びに来るので、あまりにも部屋が汚いのはまずいと思って一応相似らしい掃除を久しぶりにやって置いたのだ。
 午後11時過ぎ頃に東京駅からバスに乗ると連絡が来て、1時頃に近くのバス停まで迎えに行った。しかしどうも、来るときの新幹線の中で喫煙席しか空いていなくてとんでもない目にあったというので、ともかくお昼を食べてからゆっくり休んでもらうことにして、その間俺はホームページの更新をやっていた。
 それから夜になって、帰り、お姉さんがヒコーキで帰るというので、経路やら何夜らとインターネットで調べてから、横になっていろいろと話をしていると、どうも眠くなってしまったので、友達が来ているときには珍しく11時過ぎ頃に早々と寝てしまった。



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