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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
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2002年09月11日(水)
掲示板の修正

 今日は昨日と同じ時間に起き出して、とりあえず冷蔵庫からハンバーガーを取り出して食ってから、ちょっといろいろと準備をして学校に行くことにした。
本当は今日は授業が3時間目からしか無いのだが、Winona君が卒検のことで説明があるというので早めに行くことになっていた。しかし、俺はそのとき妙な胸騒ぎがしたので、彼の元に連絡を入れてみた。昨日起こすと言っていたのに、モーニングコールがかかってこなかったからだ。ああ、男からのモーニングコール待っている俺って何なんだろう。寂しい、っつうかせつねぇ。
そんな嘆きはどうでもいいのだが、あいつに電話しても出ないときは、どこか怪しいところにしけ込んでいるか、寝ていると相場が決まっているので、学校に行ってももぬけの殻の研究室で、ひたすら彼のサーバーをハッキングするぐらいしかやることがないので、とりあえずは今今のところは行くのはやめておいた。
 しばらくたっていつも俺が飯を食いに行く時間になると、やっとあいつから連絡が来て飯を食いに行くことになった。やつは俺の予測通り、床屋にしけ込んでいたらしい。全くしょうがないやつである。
ところで飯を食っていて、なんだか「掲示板に入れねえ」とか苦情を言われてしまった。昔からプロキシの制限でうちの掲示板にはこの学校の中からアクセスできないことは気にしていたのだが、どうもプログラムを改良するのが面倒でやっていなかった。しかし、こいつ、怒り狂っている。怖い、今にも者が飛んでくる矢もしれない雰囲気・・・口調は「何とかしてくれよ」とか穏やかだが、何ともいえない不気味なさっきを感じる。
「分かった、何とかする。」
「何とかするっていつだよいつ」
「まあ近いうちにな」
「なに〜〜、俺は今日中がいいんだけどなあ」
「分かった何とかしてみることはしてみる」
ということで、飯を食い終わってから昼休み中に何とか登録したプロキシサーバーのみをくぐり抜けられる設定を完成させた。プロキシ制限を全部解除してしまおうとも考えたのだが、どこかの誰かがまた嵐に来ると大変なのでそれはやらないことにした。くわばらくわばら。
 その後、授業中にもかかわらず、就職活動体験日記を更新していた。なんだか俺の記憶によると、先週も授業中にこの時間、こんなことをやっていたような気がする。
ところで今回、お恥ずかしい文章ながら、俺が実際に就職活動に持っていった「自己PR文」を掲載してみた。もし皆さんの中で、就職活動中の方に少しでも参考になれば嬉しいです。
 授業が終わってから、小動物君と研究室で小一時間話し込んだ後、帰ろうとするとなんだかWinona君に捕まってしまったので、朝やる予定だった卒業研究のサーバーのルータの設定をやってから飯を買って帰ってきた。
今日は久しぶりにセブンではなくてサンクスで飯を買ってきたのだが、レジに置いてあるみたらし団子に負けて買ってしまった。ああ、これだからいつになっても俺はデブなのかもしれない。
 それから今日は久しぶりに読書をした。最近はどうも変なことばっかりやっていて読書なんてしていなかった。
今日読んだ本は、日本ではどうしてこんなに医療ミスが多いのかを、アメリカの医学事情を解説しながら日本の医学界を分析する本だった。
この本野作者は、アメリカで40年あまり意志をつとめた後、日本の医科大学で数年間、医学生を教えていた人だ。
この本には本当に多くのことがかかれているので、この場ではとても書けないが、特に印象に残った話は、「日本の医学生というのはアメリカの医学生に比べて全く勉強する気がない」ということだった。
俺はまさか医学部ぐらいはまじめな学生がいる者だと思っていたが、この本を読んでみると、どうも医学生も一般の大学生もほとんど変わらない者だと感じずにはいられなかった。そんな受け身の教育ばかり受けているせいなのだろうか?日本の学生には、「自分で論理的に考える力」が全くないという。たとえば、
「括弧の中に下から適切な者を選んで入れなさい。」
とか、「次のうち正しい者をえらみなさい」
とかいう問題は大得意なのに、
「○○についてわかりやすく説明しなさい」とか、
「○○について、あなたの考えを論じなさい」
などという問題を出すと全くできないと言うのである。確かにこの手の問題は俺も嫌いであるが、論理思考の大事な医学を学んでいる学生がこんなことではしょうがないと思ってしまった。
この本は「誤診列島、日本の医師はなぜミスを犯すのか」という本である。興味のある方はナイーブネットに置いてありますので検索して読んでみて頂きたい。
今のところ俺は途中までしか読んでいないが、日本の医学界のみすぼらしさを感じるとともに、病気になったときに気分的にかなり不安にさせてくれる1冊となるだろう。



2002年09月12日(木)
巨大隕石

 今日は木曜日だ。
木曜日というとすべて授業が詰まっており、変なおばさんの授業があるので、普段ならはきそうなぐらい行きたくないのだが、今日はあのおばさんの授業が無いのでなぜか早めに目を覚ましてしまった。
といっても8時半だったが・・・。
「おい、おまえなぁ、8時半で早いとか言うな」
とか怒られそうだったりするが、まあ不真面目なTomG少年にしては早かったでしょう。ね、ね、ね。僕偉い。ってふざけるのはこの辺にしよう。
 それからラジオを聞いていると、気がついたら11時近くなってしまっていた。ああ、せっかく早く起きて生活リズムが戻ったと思ったのに、全然意味がねぇ。
 それからいつものように飯を食いに行ったのだが、その前に、ちょっと事務室に行って必要な書類をもらってきた。実は親から子の書類をもらってこいと言われていて、1週間程度忘れてしまっていたのだ。本当ならば昨日送る予定だったのだが、全く覚えていなかった。そこで、昨日寝る前に、俺にしては珍しいことに、点字でメモを書いて鞄の取っ手にホッチキスで留めておいたわけだ。
 ところでなぜか知らないが、メモ用紙にメモしたことというのは、生まれてこの方俺は忘れたことがない。なぜか紙に書いておくことによって、忘れない効果があるらしい。事実
「まあ忘れないから紙に書かなくてもいいや」
とか思っていたことと言うのは、何とも不思議なことに、8割ぐらいの確率で忘れてしまう。これはなぜなのだろうか?
推察するに、「紙に書く」という動作をすることによって、その事項が重要であると言うことが体で認識できるからではないかと思う。紙を前にして、忘れてはいけないことを思い出しながら手を動かしてそれを書いたときに、それが頭の中に焼き付くのだろう。
 さて、木曜日というのは午後になってしまえば楽だ。午後の担当の先生は、ひたすら前で一方的にしゃべっているので、遊び放題やり放題だ。ということで、今日はひたすらメッセンジャーで遊んでから、5時間目に久しぶりにバッチファイル講座の更新をやった。
ところが、そのとき俺は完全に自分のせかにのめり込んでいたらしく、気がつくと静まりかえった教室には、一瞬俺のキータイプのうるさい音しか聞こえない状態になっていた。そう、先生に指されたにもかかわらず、俺はキーボードの手を止めなかったらしい。しかし、一瞬で気がついたおかげで、お咎め無しで済んだのだった。
それからも全く懲りずに作業を続けていると、隣に座っている友達から
「TomG、タイプ音うるせえぞ」
とかささやかれてしまったので、さすがに後半は静かに作業した。
 家に帰ってからうちの主任のQ2が電話してきたので、なんやかんやと小一時間話し込んだ後、テレビでも見ようとすると、どうも腹が減っていられない。
今日は昼飯にハヤシライスの大盛りを食ってしまったから、夕飯は食わないつもりだったんだけど、やっぱり欲求に勝てないTomGなのでした。
 その後テレビで、「巨大隕石が東京に降ってきたらどうなるか」というのをやっていたので、それをみた。俺は7月に、この手の本を読んだのでだいたいの内容は同じような感じだったが、今回新しく知ったことは、もし地球に巨大隕石が落下することが分かったときにどうすればいいかという話だった。
まずアメリカがミサイルで粉々に砕く方法を考えたが、これは万が一砕けずに、大きな破片に分離してしまうと、さらに事態を悪化させることになるのであまり現実的ではないそうだ。次に地球に落ちてきそうな隕石を早めに発見してその隕石の起動を変えてしまうという方法をやっていた。具体的には巨大隕石に何か起動を変える者をぶつけてしまって、それを操作するというのだが、かなりの力が必要なので、発見が早くないと難しいらしい。たとえば、10年前に発見するのと100年前に発見するのとでは、起動を変える力は100倍も違うらしい。そこで、宇宙にこの巨大隕石発見用の望遠鏡を打ち上げる計画が進行しているとテレビでは放送していた。
 それにしてももし、人類が絶滅するような巨大隕石が、地球にやって来ることが分かっても、俺たち一般市民には全く知らせないで欲しい。そうすればその日が来るまで何気ない日常を過ごすことができると思う。もし知っていたら、決して今までのように楽しい日常は遅れないだろうと俺は思う。
まあ何よりも、そんな者がぶつかってこないのが一番いいのだが。



2002年09月13日(金)
いろいろ

 今日は9時頃に起き出した。
午前中授業は入っていなかったので、何をしようかと思っていると、師匠から電話が入ってきたので、ここ最近のコンピューター事情とか、視覚障害者のパソコンサポート体制についてなんだかんだと話をしていた。
 その後Uから電話がかかってきた。どうやらメールソフトから自分の好みのエディタを呼び出す方法が分からないと言うので、それを説明した後、最近の出来事とか下らない話などいろいろしていると、どうもこの前俺が口座を作れなくて泣いている日に、彼女は筑波に遊びに来ていたらしい。全く遊びに来るなら電話の1本や2本入れてくれればいいのになぁ・・・。
そんなとき、いつものように友達から「飯だ」と電話が来たので、とりあえず出かけた。
 飯を食いながら話をしていると、どうもこの前のプログラムの時間に先生がくれたソースそのものがトラブルを起こしていて、問題をやるとかそういうレベルに達していないと彼が言い出した。
そこで俺もちょっと気になったので、飯の後ソースを見せてもらったが、なんだか実際何処が悪いのかさっぱり分からない。
というか、このコンパイラ、「FOR文」が正しく処理されないと言う深刻なバグがあるような気がしないでもない。だって、いくらやっても3回しかループしてくれないんだから。
 それから久しぶりに金曜の3時間目の授業が始まった。でも、なんだかこの授業、2学期最初と言うことで、下らない雑談で終わってしまった。
授業が終わった後、友達に着信メロディーのダウンロードをやってもらおうとすると、どうも最近、著作権のことがうるさいらしく、着メロサイトもほとんどが優良で、しかも会員登録しないといけないような面倒くささだった。というか、普通の人はそんなこと知っているのだろうが、ここ最近こんな今風の携帯を買った俺は、今日初めてそんなことに挑戦しようとしていた。
ところが、会員登録の時に俺のパスワードを入れなければならなかった。しかし、友達にパスワードを教えてやってもらうというのは、かなり危険だ。誤解しないで欲しいのは、その友達を信用していないと言うことではない。人にネットワーク関連のパスワードを教えてしまうと、何かあったときにどうしてもその教えておいた相手のことを疑ってしまうから、俺はパスワードだけはどんなに親しい友達にも教えない主義なのだ。
俺の友達も同じだったので、結局何とか自分でパスを入れてやろうとしたが、時間が無くなってしまったのとパスワードを忘れたような気がしたので、今度パスワードを持っていってやってもらおうとたくらんで今回はやめることにした。
 家に帰ってからなぜかここのところ急に寒くなったので、寝ようとすると新井君から電話がかかってきた。この男、どうも今親ともめにもめているらしく、何とかしてくれと電話がかかってきたのだ。とりあえず俺としてはこればっかりはどうしようもないから「自分で何とかしてくれ」と優しく彼をなだめて電話を切った。
 その後Melodyさんから電話が来た。どうやら、この前に家に遊びに行ったときに現れた現象が抜けないらしい。
この現象というのは、雷の性だと考えられるが、いきなりパソコンの電源が入ってしまうという、何とも不思議でやっかいな現象だった。それに加えて昨日、どうやらネットワークにもつながらなくなってしまったとのことで、お得意のインストールを午後十やっていたらしいが、やはりWindowsXPのインストールを視力無しで行くなんて無謀極まりない。
俺はこの人のまねは到底できないと思っているのだが、いつもほぼ確実に成功する彼でも、今回ばかりはどうもうまくいかないと言っていた。実際電話してきたとき、5回目のリトライに入っていたという。
 その後セブンに弁当を買いに行ったら、久しぶりに「厚切りお肉のビーフカレー」が復活していた。実はこの弁当、しばらく前に姿を消してしまった俺の好物のやつだったので、早速買ってきた。
 そして、飯の後テレビを見ていると、日常生活でよくあるもめ事について、弁護士が判決を下すという番組をやっていた。
 これをみていて俺は、ちょっと以外だと思ったのと、許せないと思ったのが二つほど会った。
まず一つ目は、「財産を所有している方の親が亡くなったとき、介護していた兄弟とそうでない兄弟には財産分与で差額が生じるか」というやつだった。俺はもちろん介護にはそれなりの費用がかかり、介護する側にも精神的負担が多くかかるので、財産分与の際はその文を多くとれると思っていたのだが、日本の法律では「年老いた両親の介護をすることは兄弟の義務」として定められていることで、それを行ったことは「当然」と解釈され、相当のことがない限り、それを行った者と行わなかった者に財産分与での違いは全くないのだ。これはちょっと考えてみると不条理な感じもしたが、直後に俺の頭の中には、もし世話をした兄弟の方に財産分与が多くなれば、それを目的に世話をする輩が出てきても何ら不思議はないという考えが浮かんだ。そうなってくると、自分の子供に金目的で介護されるほどつらいことは親にとって無いと思う。
 昔の日本社会では、当然のごとく長男がその家を継ぎ、両親と同居することは当たり前のこととして根付いていた。だから現代のように、年老いた両親の介護を兄弟のどちらがするかなどという問題はほとんど出てこなかったのではないかと思う。事実農村の俺の実家では、うちの親父が長男だから、後をとっている。もちろんうちの母ちゃんは、じいちゃんばあちゃんの面倒もみている。これでうまくいっているのかどうかはよく分からないが、とりあえずこの制度の下では兄弟でのもめ事は少ないはずだ。
 今は違って、長男が跡取りという制度はほとんど無くなってしまったからこんな問題が起こってくるのだろう。俺には兄貴がいるが、今までここまで育ててくれた両親のことでどっちが介護するとか、どっちが財産をとるとかそんなもめ事はできればしたくないと思っている。
 次は夫の暴力で2年以上苦しんだ妻に対する賠償金が250万円という判決だ。これにはちょっとびっくりだ。だって、2年間常にいつ暴力をふるわれるか分からない状態で、ひたすら苦しみに耐えてきたというのに、その賠償金がこの金額とはかなり少なすぎる。最低でも1年単位で300万円は妥当なのではないかと俺は考えたりした。
 終わりにこれはおもしろかったのだが、こんなことが実ははんざいになる。
 とある短大生の女の子の家で飼っていた九官鳥が、いきなりその家の禁句である「はげ親父」とか言う言葉を口にし始めた。すると、今まで家族みんなでかわいがっていたのに、お父さんは「こんな鳥捨ててきてしまえ」と怒り狂った。
娘は何でこんなことになったかと考えた末、一つの結論を導いた。
それは、彼氏がこの前、家に来たときに、何度も何度もおもしろがってその鳥に、「はげ親父」を連発して教え込んだのだ。
さて、子の男、この時点で法律上は立派な犯罪者になる。
罪名は「器物損壊」だ。どうも弁護士の話によると、彼がその言葉を教えるまではその鳥は「かわいいペット」だったのに、それを教えたとたんに「憎らしい動物」に変わった。つまりペットを「壊した」と考えるから器物損壊らしい。
 しかしこんなことを考えると世の中には小さな犯罪が転がっているものなんだなぁ。
 ってよけいなことを書いていたらいつものごとくすごい長さだ。



2002年09月14日(土)
ぐうたらな1日

 今日は久しぶりにすさまじい生活になってしまった。
 昨日の日記を書いたのは今日の朝方で、なんだか知らないがひたすら今日は朝の8時ぐらいまで起きていた。
そして目を覚ましたのは午後の2時近くなっていた。どうも俺が目を覚ますまでに何人かの人から電話がかかってきたらしいが、それも全く覚えていない。
 俺は大学に入ってから相当神経が太くなったらしい。
昔は寝ているときでも電話がかかってくれば必ず起きていた。そして、俺は寝坊という者にはほとんど縁がなかった。
だいたい時間を決めるとちゃんとその時間に起きていた。
しかし、大学生になってからは、あのころの俊敏さは何処へ消えたやら、電話がかかってこようが、インターフォンがなろうが全く起きないような神経の太さになっている。
これで本当に来年就職してやっていけるんだろうか・・・。
 しかも、今日はなぜかひたすら寝てばかり。
もしかすると昨日なんだかのどが痛かったような気がするので、体が寝ろと言っているのかもしれないが、夜の9時から1時近くなるまで眠ってしまったから、今日は起きていた時間の方がずっと短い。
 ちなみに明日は又先週に引き続き新井君の部屋に進入に行く。
というか、BLPCの仕事関係で行かなければいけないと言うのが本当のところなんだけど。
 しかし新井君、今月はハードディスクを買っただかなんだかで、相当金欠病らしい。
とりあえず明日は彼にたかられないように注意せねば・・・。



2002年09月15日(日)
パソコントラブル2連続

 さて、昨日からの続きみたいな感じですが、今日はなぜかやっぱり昨日早く寝過ぎたのが原因で、2時頃に目を覚ましてしまった。
そんなわけでいくら寝ようとしても眠れないので、こうなったら起きてしまうことに決定。
そんなわけで久しぶりに朝風呂に入ったり、メッセンジャーでこの時間に起きている暇な友達と話したりといろいろやって時間をつぶした。
今日は久しぶりにメールマガジンも発行したが、せっかく最後まで書いて保存しようとしたとたん、エディタがフリーズして30分の作業が無駄になって泣き叫ぶトラブルに見舞われた。それに、さすがに2時に起きると9時のバスに乗るまでの7時間も時間があるので、就職活動体験日記の続きを書いたりしていた。
 それからやっと8時になった頃、タイミング悪くものすごい睡魔に襲われたが、コーヒーを飲んで「眠くない」と自分に言い聞かせて予定通り東京に向かったのだった。
ところが、なんだか今回は東京駅近くの道路が大渋滞していたので、予定よりも30分も遅れて新井君に怒られる羽目になってしまった。「僕のせいじゃない!!」
 その後、今回はBLPC会員の名刺印刷が目的だったので、材料を買ってから彼の部屋に行った。途中でマックによったらなんだか久しぶりにかわいいお姉さんを見てしまった。どうやらその人は新人らしく、ジュースのサイズを大きな者と間違えていたが、上の人にばれると怒られるのだろう、サービスしてくれてしまった。
 さて、部屋に着いてから飯を食って早速仕事に入ろうとすると、彼のこの前ベビースターラーメンまみれになっていたパソコン、ついにお亡くなりになってしまったらしく、メーカーのロゴみたいな者が出てくる画面で泊まってしまう。
ひどい話でHDDを読みにすら行っていないことまで判明した。そこでいろいろなところに電話をかけながら調べてみたが、HDDの故障だろうということで話がまとまりかけた。
ところが、ちょうどそのとき、殺気から泊まったまま放置しておいたパソコンがいきなりバイオス設定画面を表示したので、とりあえず標準の設定に戻して再起動してみた。するとまたメーカーのロゴみたいな画面で泊まってしまったのだが、3分程度放置してみると、またバイオスの設定画面が出てきた。
そこで、この画面でCDブートを可能にしてから、リカバリーをやってみたが、起動はするようになった者の、電源を入れてからHDDを読み込みに行くまでに3分ほどかかるという非常に珍しい現象は解決しなかった。
結局原因は彼の使っていた外付けのUSB HDDだと判明して、これをはずすとすぐに起動したが、今まで正常に利用できたはずなのに、どうしていきなりこんなことになってしまったのかは未だに謎だったりする。
 それから飯を食いに行った。しかしこの男、昨日も日記に書いたように例のUSB外付けHDDを買ってしまった性で、残金の総額が1000円程度。それに今日の朝飯とおやつまで買い食いしているからこの時点で400円程度になっていた。しかも悪びれもなく「会長金貸して」とか言う始末。それじゃなくても以前の借金1700円を返してもらっていないので、「今回だけだぞ」と念を押してとりあえずこの場は貸すことにしたが、本当にしょうがないやつである。
 飯の後、さすがに二人とも疲れて一眠りした後、夜中の11時頃になってやっと名詞の印刷を始めようとしたが、今度はプリンタがどうも正常に動作してくれないので、いろいろと彼が試みてみるが全く駄目だった。しょうがないので今度は俺がプリンタドライバをすっきりさっぱり消し去ってから、説明書とは違う方法でインストールしたら、何とか正常に動作してくれるようになった。
この時点で夜中の1時を過ぎているので、残りは明日に続きます。



2002年09月16日(月)
雨の日はろくなことがない

 ということで昨日の続きです。
それからの作業は非常にさくさくと終わった。
とりあえずパソコンで名詞を作るフリーソフトがあったので、そのソフトで基本テンプレートを作成した後、そのテンプレートの名前の部分と所属の部分を書き換えて、それをひたすら印刷した。
 やっと終わってからまた一眠りして、朝飯を食ってから、うちのサイトの掲示板をチェックしようとしたのだが、ここのサイトが掲示板入室禁止になっているのでできなかった。
 お昼近くなって帰ろうと外に出ると、運悪く外はすごい雨になっていた。とりあえず彼に傘を持ってくるように行ったのだが、なぜか持ってこなかったため、気持ち悪いなあと思いつつ、傘1本で近くの駅まで行く羽目になってしまった。
 それから筑波に戻ってきて、センターから地元のバス停に降りると、雨は殺気よりもすごい勢いになってしまっていた。
しかし、ここまですごい雨になると、傘を差すと逆に危険だ。
というのは、俺たち視覚障害者は歩くときに重要な者として「音を頼りに」歩く。ところが、雨の強い日に傘を差してしまうと、雨が傘に当たる音で周りの音が全く聞こえなくなり、ぬれるどころか下手をすると車に轢かれてあの世行きになる可能性も否定できない。俺は今のところ彼女もいないので、あの世に言ったところで誰も悲しむやつはいないと思うのだが、とりあえずまだやりたいことはあるので、ぬれて風邪を引く方を選ぶことにして、ひたすら雨の中を急ぎ足で歩いていると、久しぶりに滑ってはでにこけてしまった。いてぇ、かなりいてぇ、しかもズボン真っ黒(ぎゃふん)。
でも、幸いそこが水たまりではなかったので、右のけつの辺りを持っていたタオルで拭いてごまかした。
こういう時って特に雨が降っている日は切なくなるTomGなのでした。
しかもこの汚れたズボンのままでセブンに行ってしまった。だって、こんな強い雨の中又出てくる方がかなり面倒くさかったのだ。帰り際、入り口まで送ってもらったお姉さんが「傘貸しましょうか?」って声をかけてくれたが、事情を説明してそのまま帰ってきた。
勘のいい読者の皆様、
「ああ、このお姉さん、そろそろ仕事終わりの時間なんだよなぁ。傘だけじゃなくてお姉さんも着いてきて欲しいなぁ。」
とかどうせ考えていたんだろう、なんて言うつっこみはしないようにお願い致します。



2002年09月17日(火)
小泉総理の北朝鮮訪問、そしてアクセスカウンタ1万突破

 今日は朝起きると、テレビが大変なことになっていた。そう、1ヶ月前から話題になっている、小泉総理の北朝鮮訪問の日なのだ。
 そんなわけで午前中は政府専用機でピョンヤン国際空港に着く総理大臣の様子とか、今回の会見に願いを託す拉致被害者の家族の記者会見などを見ながら洗濯物をたたんで学校に行った。
 今日は本来であれば3時間目からなのだが、卒検のゼミが2時間目に入ってしまった。
でも、今回はWinona君が風邪を引いて休みだというので、この機会に先生にいろいろと聞こうと思ったら、いくら待っても先生は来なかった。そこで携帯で友達とメールしていると、おもしろい裏技を発見した。この裏技を使うと、メニュー項目で読み上げない部分がどんな構成になっているか目が見えなくても確認できる。
この技の詳しくは、エッセー→雑文→ドコモデジタルムーバ〜〜をご覧ください。
そのうちに飯の時間になった。結局先生は来なかったので、無駄足を食ったなぁと思いながら飯を食いに行くと、食堂のテレビが、小泉総理の首脳会談の様子を伝えていた。
それによると、北朝鮮側は拉致された人の身元を、何人か明らかにし、一時帰国もあるのではないかという情報だった。
正直言って俺はびっくりした。てっきり俺はこの国は拉致の事実そのものを認めないのではないかと考えていたからだ。それにしてもできれば11人全員が戻ってきて欲しいとそのとき考えた。
 それから授業が終わって家に帰ってから、ずっとテレビでこのニュースを見ていた。
5時半を過ぎた頃、政府からの正式発表で、拉致された方々のうち4人しか生存が確認されなかったと知った。そして、家族の方々の記者会見が行われたのだが、それを見ていて俺は久しぶりに胸の中にこみ上げてくるものを我慢することができなかった。
だって、あまりにもひどいじゃないか。この人達はほとんどが俺と同じような年で拉致され、知らない国でおそらく一生懸命がんばっていた。日本に帰りたかっただろう。特に13歳で行方不明になった横田恵さんなどは、まだあどけない少女ではなかったのか!少なくとも10年前までは遠い国で生きていたことが確認されている。
「日本に帰りたい」その願いが叶わずに、あの人達は異国で死んでいったのだ。
そんなことを考えると、俺はやり場のない怒りがこみ上げてきた。
この人達の何処が悪いのだろうかと。そして、家族の方の一言一言が、俺の胸に響いたのだった。

 さて、7時頃に小泉総理の会見が終わったので、飯を食ってから友達とメッセンジャーの音声チャットをした。すると途中で、にゃすこさんからメッセージが来て、「警察の番組やってるぞ」と教えてくれたので、すぐに又テレビにかじりつくこと3時間程度。ああ、しかし今日はテレビばっかり見ているなぁ。
 その後、掲示板に出てきてくれているお姉さんが「プロキシ経由の利用はできません」というエラーで書き込めないと言うので、この前作った許可リストにお姉さんのホストを追加してから、しばらくチャットをしていると、いきなりお姉さんがとんでもないことを言い出した。
どうやら知り合いのお兄ちゃんに告白されてしまったらしい。
ちょっと気になったので、少し電話で話してからこの日記を書いている。
 ところで、このサイトのアクセスカウンターが本日10000を超えました。皆様今までアクセスしてくださって、本当にありがとうございました。
解説して約1年半でここまで上がってくれるとは思いませんでした。
いつも掲示板に書き込んで頂いている皆様、MS-DOSの講座を楽しみにしてご訪問頂いた皆様、下らない日記を毎日お読み頂いた皆様、へたくそなエッセーを楽しみにしてくださってメールで励ましてくださった皆様、ミニFMの情報を求めてご訪問頂いた皆様、本当にありがとうございました。
これからもできる限りがんばって更新していきますので、お暇なときには又遊びに来てください。そして感想などありましたら聞かせてください。



2002年09月18日(水)
雑文

 今日は昨日の夜中4時頃まで起きていた性で、11時に目が覚めても眠くて眠くて仕方がなかった。
でも、ここで寝てしまうと絶対に寝過ごして午後の授業に間に合わないは目になるので、起きて飯を食いに行くと、なんと珍しくカツカレーが出ているではないか。
この学校に入学してから多分カツカレーなんて言うのは初めて出たような気がする。そんなわけで並んでいたほかの人たちもみんなしてカツカレーを頼んでいたので、おそらく11時50分の授業終了時刻にはほとんど無くなってしまったと思う。
 その後、授業中に先週の木曜日にやれと出されていた課題を片づけてから、またバッチファイル講座を更新した。どうも俺はこの時間は、毎回バッチファイル講座を更新するようになってしまった。
 家に帰ると、なんだかピヨマル君から電話が入っていたので、かけ直してから、お昼寝タイム。
 それから今度はQ2から電話がかかってきたので、寝ぼけ眼で電話に出てから、ひたすら10時頃まで寝ていた。
全く今日は昼間のほとんどを寝て過ごしてしまったのだった。
そんなわけで10時反語路に飯を買いに行って、メッセをやりながら食っている。
今日は早く寝ないとさすがに明日はフルタイムなのでやばいです。



2002年09月19日(木)
人間らしく育つこと

 今日もむちゃくちゃ眠かった。
とりあえず昨日はそこそこな時間寝ているので、起き出してしまえばなんてことはないのだが、秋というのは体の方も冬に備えるのだろうか?どうも起きるまでが眠くてしょうがない。でも、起きてしまえばそんなに眠くてしょうがないと言うこともなかった。
 今日は木曜日なので、授業がフルに入っている。先週は一番いやな1〜2時間目が休みだったのだが、当然のことながら今週はある。
それにしても、いやな授業がある日の気持ちというのは、不思議なことに小学生の頃から全く変わっていない。何というか気が滅入るというかそのことを考えるとすっきりしない。おそらく社会に出ても嫌いな仕事のある日というのはこんな気分になるのだろう。
とりあえず適当にこの時間は先生から指されない限り何もしゃべらずにネットで遊ぶことでクリアしたが、やっぱりこのおばさんむかつくのであった。
 次の時間は例によってホームページの更新をやったのだが、久しぶりに複雑なバッチファイルを作ったら、ものすごい勢いで
「コマンドまたはファイル名が違います」とか、
「文法が違います」
とかエラーを食らってしまった。
しかもHTMLでは特殊な意味を持った「大なりマーク」とか「ダブルコーテーションマーク」なんかをそのまま書いてしまって、表示がめちゃくちゃになったりもしたが、やっとキーボードから検索文字列とファイル名を入力して検索を行う面倒なバッチファイルが完成した。
 それと今日は、5時間目に思いっきりふざけた文章を書いていると、いきなり友達に横から蹴られた。とりあえずいてぇ。かなりいてぇ。
俺がお返しに蹴ろうとすると、目の前で「ぱちん」という音がしてから、もう一度蹴られた。さらにいてぇ。
原因はというと、ディスプレーがつけっぱなし出、殺気から後ろを徘徊していた先生に、下らない文章を読まれそうになっていたところを彼が助けてくれたと言うことだ。ああ、お返しに蹴らなくてよかった。
 その後6時頃まで携帯がどうしたこうしたとか、○○というやつは困ったやつだなどと、ひたすら下らない話をしてから、友達とコンビニによって帰ってきた。
 飯を食いながらテレビを見ていると、なんだか最近逆援助交際なんて言う者がはやっているという特集をやっていた。子の逆援助交際というのは、女性が男性に金を払ってデートを楽しむ者で、そのときだけの割り切った関係で自分の心をいやすことができると言うことで、女性の間で人気らしい。
しかし、こんな現象は数年前にはほとんど無かったのに、どうしたのだろうか?
一部の専門家の話によると、この現象は女性が男性の中で働き、無意識のうちに男性と同じような行動をしようとすることで、女性がどんどん男性に近づいていると言っている。確かに最近の女性というのは、男みたいな性格をしたやつは多いが、こんな話を聞いてしまうとちょっと悲しくなってくる。
 俺は基本的には男性と女性は全く違う人間だと思っている。どちらが優れているとか、どちらが劣っていると言った考えは全くない。ともかく男性と女性は心も体もかなり違うのだ。
だから自ずとそれぞれに向いている仕事もあるし、向いていない仕事だってあると思う。
そして、古くさい考えかもしれないが、男性は仕事をして家族を養い、女性は課程を守って欲しいと考えている。もちろん課程のことをすべて女性に任せっきりにするのではなく、お互いにできるだけ協力しながらやっていかなければならないと感じている。
これは、社会全体がそうでなければならないと言っているのではなく、俺の奥さんになってくれる人は、そんな人がいいなぁと言う願望だ。
(「おまえの奥さんになってくれる人なんかいるわけねぇだろう」というつっこみはやめること。一番今俺が気にしていることを言うな!)
特に子供はお母さんの胸の中で育ち、休みの人か夜なんかにお父さんが遊んであげるのがいいと思う。
 最近いろいろな人とふれあったりお話ししたりしている中で感じることがある。それは、甘え方を知らない子供がものすごく多いと言うことだ。知り合いの女の子が言っていたが、男の子は女の子にどうやって甘えたらいいのか全く知らない人が多いばかりか、「俺は寂しくなんか無い」と強がる方法はよく知っているという。もちろん逆のこともしかりで、もてる友達によると、甘え方を知らない強がりな女の子が増えているような気がする。こんな現象も、進行している共働き社会が生み出しているのではないだろうか?
 人間はこの地球上に誕生してから数百万年間、ずっと家族とともに暮らしてきた。子供が家に帰るとお母さんがいて、「お帰り」と優しく出迎えてくれる。悪いことをすれば「ばかたれ」と両親に怒られる。お母さんが忙しい夜は、お父さんが子供と遊んだり面倒を見たりもしていただろう。
家族がどっちにしようかと道に迷ったときは、たくましいお父さんが行き先を示してくれ、男の子はお父さんみたいにたくましくなろうと思ってきたし、お母さんの優しさと暖かさに包まれて、女の子は「大きくなったらお嫁さんになる」などと思っていたはずだ。
それが日本では、ここ数十年の間に急に変化してしまった。
子供は好きでもない勉強に追い立てられ、思いっきり走り回って遊ぶ場所を奪われた。子供はそういう風にしているときが一番輝いているというのに、親たちは好きでもない勉強を無理矢理やらせてきた。その結果子供は運動が苦手になり、テレビゲームにはまりだした。
昼間好きでもない勉強をさせられて帰ってきても家の中は空っぽ。寂しいと言えば「後でどこか連れて行ってあげるから」といわれたり、「ごめんね」と言われてしまう。そうすると自然に子供は
「僕・私、強くなるんだ。寂しくなんか無いんだ。」
と自分の感情を外に出すことを忘れてしまっているのではないだろうか。
これは本当の人間らしい生活ではないと思う。このまま行くと人間はだんだんと感情が希薄になって、終いにはロボットのようになってしまうのではないだろうか。
これはちょっと大げさにしても、現代社会は決して子供が健康に、そして健やかに、人間らしく成長できる環境ではないと思う。
 話がかなり横道にそれてしまったが、要するに男と女というのは、それぞれに得意なことも不得意なこともあるんだから、そういう違いを社会がちゃんと受け入れて、お互いが協力してやって行かないと、これから大変なことになってしまうのではないだろうかと、俺は言いたかった訳なのだ。



2002年09月20日(金)
迷惑な電話

 今日は授業は午後からだったので、ひたすら午前中寝ていた。
本当は今日は、午前中ホームページの更新をやる予定だったのだが、昨日の朝方というか夜中、久しぶりにミッキーが電話してきた性で、せっかく寝ていたのに起きる羽目になってしまった。
全くこいつは本当にしょうがない。前々から次の日が休みじゃないときには、12時過ぎの電話はやめるように行っているのだが、約束を全く守ってはくれない。
自分がピンチで話を聞いて欲しいというのも分からないではないが、俺だって寝ている。はっきり言うが、話を聞いて欲しいなら自分の彼氏にでも電話して欲しいと思う。これが次の日午後からしか授業が入っていなかったからいい物の、木曜日みたいにフルに授業の入っている日の前の日だったら、完全にやばいことになっていた。
しかし、ここまで何度言っても分からないとさすがに頭に来る。最初電話のベルが鳴ってナンバー通知の音声が彼女の番号をしゃべり出したときは無視していたのだが、そしたら今度は携帯に電話してきたので、さすがの俺も頭に来た。
おい、おまえなぁ、今度やったらブラックリストに登録するからな。
 ちなみに電話の内容というのは、今日の夜に落書き帳に本人が書いているが、彼氏と別れようかどうしようか迷っているという話だった。そんなわけで結局4時頃までつきあわされる羽目になり、寝不足になったため、午前中ずっと寝てしまったというわけである。
 さて、授業が終わった後、Winona君と、研究室のネットワーク構築作業をやった。
来襲からメールサーバーを稼働させるので、とりあえず外のネットワークに迷惑をかけないように、ルーターでサーバーからの25番ポートへのアクセスを制限する作業をやったのだが、研究室にあるルーターがかなりマニアックな者だったため、いくらやっても設定がさっぱり分からなかった。悪戦苦闘に疲れ果ててWebを検索してみると、なんとメーカーのホームページにかなり詳細な解説が載っているではないか。しかもこれが相当丁寧に書いてある。ああ、俺たちの今までの苦労は何だったんだろうか?
 それから弁当を買って家に帰ってから、しばらくメッセンジャーで友達と音声チャットした後、テレビを見ながら飯を食ってホームページの更新作業をやった。
 今日は久しぶりに俺とアマチュア無線のエッセーを更新したが、このページ、実は当初考えていた目次では今日で最後だった。でも、なんだかこのままでは尻切れトンボなので、次回の更新の時に、最終回を書いて終わりにしようと思っている。



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