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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年10月01日(火)
季節外れの台風

 最近、時がたつのがものすごく早く感じる。
なぜかは知らないが、小学生の時のように1年1年がものすごく長い時間に感じない。
高校生の時もこんなことを考えていたような気がするが、今はもっと時間が過ぎるのが早く感じる。
1日1日が過ぎるのが早いと言うよりも、もうすこし長い時間で見て、1ヶ月とかそんな時間が過ぎるのが早く感じるのだ。
特に今年は今まで以上にそれを感じている。ちょっと前に実家で正月を過ごしたと思ったら、もう今日から10月なのだ。
 そんなことはどうでもいいとして、今日も相変わらずのぐうたらなTomG君、ものすごい生活になっているので昨日の続きです。

 日記を買い手から、しばらくメッセンジャーにはまった後、暇なのでホームページを回っていると、今まで見に行っていたページの奥の方に、ものすごいページを発見した。
そこの名前を書くとちょっと内がたたかれそうな気がするのでやめておくが、コンピュータ業界の有名人のページだ。
ひたすら自分の主張が書き並べられているそのページは、一見するとその人の日記のようにも感じるが、日記にしてはあまりにも文章が上手すぎるし、論理的に述べられたものがほとんどなので、かなり説得力があると思う。
 さて、それからまた、メッセンジャーに戻って別の友達と話しながら飯の時間までだらだらと過ごしてしまった。
その途中で、管理を担当している出会い系サイトの方からメールアドレスをもらったので、メーラーを設定したり、アドレス変更のお知らせを出したりしてから、今度はXREAにtomg.netのドメインを移動する作業をやった。このドメインは、今までWNJのサーバーに設定して使っていたのだが、どうも最近ここは制限が厳しくなってきたので、友達専用ページの存続のために、こちらのドメインをXREAの無料サーバーに持っていったのだった。
今回の移動計画は、一昨々日頃から始めたのだが、いつもよりもネームサーバーの設定が浸透するまでに時間がかかってしまった。
 さて、このXREAのサービスについてはここでも何回も取り上げてきているが、あまりにも初心者に優しくなさすぎる。その一方で、ちょっとこの手の知識のある人が使うと、相当便利なことができる。
たとえば、ここのドメイン取得サイトでドメインをとった人には、無料ネームサーバーが提供される。そして、無料Webサーバーに、自分の持っているドメインを設定してしまうことが可能なのだ。
しかし、ここからが問題だ。ドメインを無料Webサーバーに設定するためには、提供されているネームサーバーの設定を自分で変更しなければならない。たとえば、この会社の無料Webサーバーは、20台以上動いているのだが、そのうち野何台目のサーバーに自分のドメインを設定するかとか、メールサーバーをどうするのかなどをすべて手動で設定しなければならない。
すなわち、ここのサイトを使って独自ドメインで自分のホームページを公開する場合には、DNSのMXレコードとか、Aレコードなどの意味を理解して、それらをすべて自分で設定した後に、今度は無料Webサーバーの管理画面から、ドメイン受け入れのための設定もしなければならない。
でも、この価格の安さには変えられないのだ。だって、広告が入ってもいいのであれば、年間自分のドメインを取得する費用だけ支払えば、メールもWebも利用できるし、CGIやSSI、Sendmailも使える。
そのドメイン取得費用だって1150円だったりする。
考えてみるとこんなにやすくて楽しく使えるおもちゃはないような気がする。

 さて、そんな感じでやっと設定できたので、昼飯を食いに行くことにした。
外に出るとちょっと小降りの雨が降っていたが、傘を持っていくほどではないと思ったので、そのまま行くことにしたのだが、途中近所のおじさんに声をかけられて初めて、今でかい台風が関東地方に接近していることを知ってあわてたのだった。
 飯を食い終わって外に出てみると、やっぱり台風が来ているだけあって、雨は本降りになっていた。そんなわけでびしょびしょになりながら、夜に備えて飯を買ってから、家に戻ってきて、何となくぼうっとしていると、ピヨマルがパソコン壊れたと電話してきた。
そのノートパソコンはNECの数年前の機種で、前にもこんなことがあり、そのときの原因がバイオスの設定で、バイオスを出荷時の設定に戻したら直ったという話だったので、NECのサポートに電話して、その方法を菊陽に行って電話を切った。
すると数時間後に電話がかかってきて、F2を押しながら起動して、F9を押したら初期設定に戻ると教えてもらって、無事にパソコンは直ったらしかった。
NECのノートパソコンユーザーの皆様、おかしくなったら試してみてください。

 さて、そのころからどんどん風が強まりだして、いろいろなところでものが飛ばされるような音がしてきた。俺ははっきり言ってこういうところに一人でいるのは嫌いなので、音楽を聴きながら寝てしまうことにしたのだが、こういうときに限って新井君とか親父とか、ピヨマルとか師匠とか、いろいろな人から電話がかかってきて寝られなかったので、正直結構、怖い思いをした。




2002年10月02日(水)
バッチファイル講座

 今日は7時頃に目を覚ましていろいろやっていると、Uから電話がかかってきた。
実は昨日、ドメイン検索でtomg.netを引いたところ、なんだか訳の分からない英語のエラーが出るので、英語苦手なTomG君、先輩に訳してくれと頼んでしまったというわけだ。
しかし、さすがのあの人でもネットワーク関連の用語があまりにも多くて分からなかったらしく、大まかな内容しか分からなかったらしい。
しかしなんだよ、全くアメリカのレジストらはこれだから困る。日本人のお客様はこんなに多いのに、英語圏の奴らは何を考えているのだろうか?「
日本の企業では、英語圏のお客様が多いところには、英語での電話サポート対応の窓口を設けたり、英語版のWebを設置したりして、日本語に困らないように配慮しているところが多いというのに、この差は何なのだ。
ついでに行っておくと、何でアメリカから日本に遊びに来た人は日本語話さないで英語で日本人に道を聞くんだ?
日本人がアメリカに行った場合、ほとんどの確率で自分のできる英語を駆使して現地の人とコミュニケーションをとろうとするのに、何でこっちに英語圏内の奴らがやって来ると、ひたすら英語で話すのだろうか?
英語圏内のやろう、おい、ここは日本、俺は日本人、日本人の客は多いんだぞ!!おまえら少しは日本語勉強しろよ!!
そんなわけで、朝から不満ぶうぶうのTomGなのである。

 さて、電話を切った後、今度はすぐに師匠から電話がかかってきて、Windowsに必要な視覚障害者補償機能について、どんなものがあるかと聞かれたのだが、改めてこういうことを考えてみると、必要なときに思いつくことはあっても、それほど大きな問題ではなかったりするので、すぐには思い出せないものだ。
それよりも俺は、アプリケーションで全然音声の出ないやつがおおいのの方が悲しい。
そんな感じであまりぱっとした答えができないまま電話を切ることになってしまった。
 その後、アイスを食って洗濯をかけた後、にゃすこさんとメッセンジャーしてから学校に行った。
 すると、この時間には珍しく、イノシシ君が食堂にいたので一緒に飯を食って、それから教室で授業が始まるまで時間をつぶすことにした。
ところが、ちょっと夢中で文章を書いていたため、先生が来たことにすら気がつかず、又教科書が次の巻に入っていることすら気づかずに、質問されて一瞬固まってしまって恥ずかしい思いをする羽目になった。
ちなみに今日のこの時間は、お友達専用ページを閉鎖したことに伴って出てきたいくつかの文章を、雑文コーナーに移動したり、就職活動体験日記を書いて終わった。
 家に帰ってくると、久しぶりに天気がよくなったせいで、部屋の中が灼熱地獄に近い状態になっていた。ところが、もうエアコンは使わないと思って、目の見える人がこの前来たときに、暖房に切り替えてしまったので、こんなに暑いのにもかかわらずエアコンをつけることができなかった。
まあ正確に言うと適当にやれば何とかなるが、へたをすると暖房に戻らなくなったり、ドライのままになってしまったりと、あまりいいことにはならないのでやる気がしないというのが本当のところだ。
いつだったかはっきりは覚えていないのだが、某Hという家電メーカーが、音声の出るエアコンのリモコンを開発していて、その実験に協力させて頂いたことがあったが、あのモニター版は非常によかった。
確認ボタンを押すと、今の設定温度をしゃべってくれたり、温度を変えるとその都度何度になっているかしゃべったり、冷房で運転しているのか暖房で運転しているのか、タイマーの音声化など、かなりの部分がほとんど実用化できるのではないかと思うぐらいに完成されていた。
あれを見たときには俺は近々H社は、音声の出るエアコンをリリースすることになるだろうと予想していたのだが、どうもあれから2年近く経過した今でも発売の話は聞かないのが残念だ。
 その後、いつもの日課で内のサイトのACCESS解析結果をのぞいてみると、これまた俺にとってはあまり嬉しくない結果になってしまっていた。アクセス数が減ったのではなく、トップページへのアクセス数があまりにも少ない。その代わりに、バッチファイル講座のアクセスがダントツトップになってしまっている。
具体的にはこの時間まででトップページへのアクセスが20件ぐらいなのに、バッチ講座へのアクセスはその3倍の60件を超えてしまっていた。
実のところを言うと、俺はバッチファイル講座よりもエッセーとか文章の方を見て欲しかったりするので、この結果はかなり悲しい結果だった。
そして、自分が何か調べものをするときにそうであるように、バッチファイル講座にアクセスしてくれている人のほとんどは、このバッチファイル講座はTomGという人のホームページで、エッセーなんかが中心のページの一部なんだと言うことを知らないと思うと、これまた悲しい。
でも、こんなことで手をこまねいているようではしょうがないので、とりあえずバッチファイル講座とMS-DOSの部屋に
tomgnet.comのサイト外からアクセスしたり、お気に入りからこれらにアクセスしようとすると、トップから回ってくれるようにお願いメッセージを出してトップページに移動してもらう仕掛けを作成させて頂いた。
これは見ている人の方ではかなり不便かもしれないが、やっぱり俺としては文章の方を読んで欲しいという気持ちが強いので、こういう風にした。

 その後、眠くなって一眠りしてから、バッチファイル講座をちょっと直した後、この日記を書いている。



2002年10月03日(木)
超能力

 今日は5時間目まで授業が詰まっているので、8時頃に起きてから学校に行った。
 1時間目の授業で、なんだかプロジェクトXのワープロ開発の秘話の録音テープを流すというので、いつもには珍しく真剣に聞いてしまった。
実はこれが放送された日、俺はこっちの方が見たかったのだが、ついついナースの何とかとかいうドラマを見てしまったので、授業中にこれが見られて非常に嬉しかった。
 これを見て思ったのは、今何気なく使っている漢字変換の技術も、当時としては新鮮なものだったということにはっとした。
考えてみればタイプライターとか漢字テレックスが主流だった当時、ひらがなで打ち込んでそれを漢字に変換するなんて言うことはなかなか思いつかない技だろう。
そもそもタイプライターというのは、活字の形をしたはんこがあって、それでインクリボンの上から紙をたたくことで印字する。いわば印字するキーと印字するはんこは一体型なのだ。
漢字変換はこれらの方式とは全く方法を異にする文字の入力方法で、当時こんな異を考えついた技術者というのは、本当に頭が回る人なんだと感じた。

 それから今日は、3時間目の授業の始まる前に、この前俺がどうしても訳せなかった例のエラーを卒検担当の某氏に聞いてみると、やっぱり情報処理の専門家だけ会って、すんなり訳してくれた。それによるとこれはどうやらエラーではないらしい。

 授業が終わってから家に戻ってきて電話の着信履歴を見てみると、なんだか全く知らない番号から携帯と家の電話併せて5回程度着信が入っていた。まあ1回ぐらい変な番号が入るのは今では珍しいことではないのだが、5回も入っているとさすがに気になる。
 それからテレビを見ていると、なんだかものすごい超能力者が、行方不明者を捜すという番組をやっていた。
何でもその超能力者というのは、行方不明者の所持品から出てくるパワーのようなものを感じ取って、その人のたどった経路や消息などを探すらしいのだが、この話どうやらかなり嘘くさい。
だって、こんなもので本当に行方不明者が見つかるのであればテレビのニュースにもなるし、警察が捜索に手をこまねく必要がないはずだ。
でも、やっぱりこんなものを見るのは好きなので、「嘘だろう」とか一人でぶつぶつ言いながらテレビを見てしまう俺なのだった。
 それが終わると今度は、ピヨマルがホームページをアップしたというので、それを見に行った。するとなんだか普段のあいつからは想像できないようなかわいらしいページになっていた。
その一方で、まじめな部分はかなり大人っぽい文章で書いてあったりしたので感心してしまった。
まだ一般公開にはなっていないので、公開の連絡が来たらリンク集にでも乗せておこうと思う。
 その後で、バッチアイル講座を更新しようと思ってネタを考えたのだが、なんだかぱっとしたものが思い浮かばないので、このコーナーは今回でひとまず終わりにすることにした。
まあ、考えればもっとバッチでできそうなことはあるのだが、実は俺が今日考えついたことはすべて、他の人がページで公開しているので、改めて俺が作るよりも、そこにリンクを張った方がいいと思う。



2002年10月04日(金)
新着情報をリニューアル

 今日は8時半頃、電話の音で目が覚めた。知らない番号だったので無視しようと思ったのだが、どうもその番号が昨日から何度か入っている番号だったので、出てみることにした。
電話の相手は茨城県立点字図書館で、俺がずっと前から返すのを忘れていた本を返してくれと言う催促の電話だった。
それにしても俺はかなり無神経なことをやらかしたものだ。6月頃に借りていたカセットテープを、ポストに入らないからと言ってしばらく置き去りにしていたのだから結構罪が重いかもしれない。
ということで、早速飛び起きて近くのポストまで言ってきた。もし入らなかったら郵便局までバスに乗って行かなければならないので、なんとしてでも入って欲しいと思ったのである。
ところが、やっぱりこんなでかいものがポストにはいるはずもなく、あきらめるほかに無いかと思った。しかし、ここで俺はちょっとひらめいた。そのとき俺が持っていったのは、視覚障害者が使う無料郵便転送の専用ボックスだったから、ポストの中に入らなくても、ポストの上に置いておけばOKだと思ったのである。
そんなわけでバスに乗って結構先の方の郵便局に行かなければならない面倒くささからは解放された。
 それから今度は、フレームの使い肩書きになって、いろいろとやってみたのだが、フレームそのものをあまりよく知らないので、HTMLエディタのフレーム機能の使い方が全く分からなかった。しょうがないので内のインストラクターに電話を入れて聞いてみると、とりあえず何とか基本的なことは理解できたので、Melodyさんとメッセンジャーで話しながらひたすらフレームと格闘してみた。
ところが、いくらやっても全然うまくいかないので、「フレームなんか使おうとするのが間違っているんだ」というお得意の論理に基づいて、あきらめることにした。
でも、電話で聞かれた方の彼としては、
「会長は本気でフレームのページ作ろうとしているのかな」
とか思っていたらしく、申し訳ないことに、俺がすでにあきらめていることも知らずに、しばらくしてから電話をかけてきて
「このページ、リンクのタイトルが長すぎてフレームにはなりませんよ」
とか言ってきた。でも、俺としてはちょっと遊びでフレームが使ってみたかっただけだったので、申し訳ないと思いつつも今回はやめておいたのだった。

 それから飯を食いに学校に行く途中、Winonaを電話で呼ぶと、どうも寝ていたらしく「起こすなよ」とか怒られた。
でもなぁ、この前どうせ寝ていると思って起こさなかったら@起こせよ」とか言われたような気がするのだが、気のせいかな・・・。
 その後3時間目の授業中に、CGIとSSIを使って、トップに新着情報を表示するシステムを設置してみた。

 授業が終わって家に帰ってくると、なんだか玄関のところにある植木の剪定作業をやっていた。それは別にかまわないのだが、子の人が止めている車の位置が非常に気に入らない。これって嫌がらせなのだろうかと思うような位置に車を止めている。
具体的には玄関の真ん前、しかも玄関のところの段差を降りてから30センチぐらい先のところにぴったりと横付けされていた。
しかもその車の前と後ろにはちょっとした植木が植わっているような状態になっているので、家にはいるためには、植木と車の前の部分とのかなり小さい隙間をすり抜けて行くしかない。
何でこんなところに車を止めると困る人がいると言うことぐらい、大の大人が分からないのだろうか?本当に日本のドライバーってマナーが悪い。
 さて、それから今度は、せっかく新着情報をトップページに表示するシステムを作ったのに、表示する今日の情報が「新着情報をリニューアル」だけでは格好悪いので、この前から俺がこのサイトで使っている、望まないリンク元からのアクセスをコントロールする方法を開設したテキストを作ってみた。
 夜になって、ピヨマルがPHSカードでインターネットに接続できないと電話してきたので、いろいろと調べてみたのだが、全く原因がつかめなかった。カードのドライバを再インストールしようと思って削除しても、起動直後にカードをスロットに差し込むと、
「新しいハードウェアの追加ウィザード」が出てこないで、すんなりと認識されてしまう。
そんなわけでドライバの再インストールすら行えない有様で、残念ながら俺の手には負えない状態だった。



2002年10月05日(土)
缶コーヒー

 今日は本当に特に何をするというわけでもなく、友達とメッセンジャーをしただけで過ぎてしまった1日だった。
それにしても、秋の朝というのはかなり寒い。
5時頃に目を覚ましてしまったので、その辺のテキストサイトをのぞいた後、腹が減って飯を買いに行ったのだが、予想していたよりも外が寒かった。
皆様もご存じの通り、今週の火曜日に台風が直撃した次の日から、なんだか昼間は真夏ではないかと思うぐらいくそ暑い。
そんな感じで昨日の昼間は半袖で、なんだかそのままの格好でベッドにひっくり返って寝てしまったので、この時間にこの格好で外に出たらかなり寒かった。
 そんなこともあって、久しぶりに俺は缶コーヒーなるものを買ってきてしまった。
いつもであれば部屋に帰ってから自分でコーヒーを入れて飲むのだが、今日おにぎりの置いてある棚の横にほっとドリンクの棚があったのがいけない。このせいで俺は、ここから発せられる何とも言えない暖かさに心を奪われて、ついつい一番でかい缶コーヒーに手が伸びてしまったというわけだ。
 それにしても最近全体的に缶が見直されているような気がする。
今日買ってきた缶コーヒーには、飲みかけでもふたをして保存しておけるように、ちゃんとプラスティックのふたが着いている。これならちょっと大きすぎて残してしまったときでも、ふたをしてとっておける。
それに、今年の5月後半に俺が初めて見たものとしては、ペットボトルではなくて缶ボトル。ボトル本体からふたに至るまで、すべてアルミでできている。唯一ふたの内側に入っているパッキンだけはゴム製であるが、それをのぞいてはリサイクル可能な代物だ。
こんな面倒なものを作るぐらいなら、すべてペットボトルにしてしまえばいいような気がするのだが、何でメーカーはあえてこんなものを作っているのだろうか。
 それと、最近のコンビニのものの売り方ってすごい。
この前までこんな棚、見あたらなかった。暑さ真っ盛りの時には、ここには冷たい麺類が上の方にあって、一番下にはペットボトルのジュースまで置いてあった。
俺はこの筑波に来てからほとんど毎日といってもいいくらいこのコンビニを利用しているが、去年は季節によってレジに一番近い棚の商品を変えるなんて言うことはやっていなかったと思う。
でも、これってかなりの効果があるのだろう。事実俺は、もしここに暖かいコーヒーが置いていなかったら、買ってくることはなかったはずだから。
しかもほっとドリンクの棚というのは、小心地よい暖かさを発しているからよけいに効果抜群だ。

 それから少しテレビを見てからは、ひたすら昼過ぎまで友達とチャットに励んでいた。
その後、ちょっと又ホームページを更新してから、お昼寝タイムに入ってしまった。
気がついてみると今はもう次の日の午前2時半。
ああ、これだからしょうがないのである。



2002年10月06日(日)
馬鹿教師

 今日は3時頃に起き出して活動を開始した。
しかし、こんなに早く起きてしまっても何をやると言うこともなく、ひたすらチャットに励んでから飯を買いに行った。
それからテレビを見ていると、なんだかピーマンが嫌いな子供に何とかしてピーマンを食べさせようという企画をやっていた。
それによると、どうやら基本的にほ乳類はピーマンを食べないらしい。インド象とかキリンで実験していたが、実際それらはピーマンを食べなかった。鳥類は食べるらしいのだが、どうがんばったってピーマンは苦いから子供は嫌いだと思う。
俺も小さい頃はピーマンは大嫌いだった。やっぱりあの何とも言えない苦い味がいやだったことと、においもあまりいいものではなかった。
ところが、ピーマンの中でもへたの部分が6角形になっているものは、どうやらほかのピーマンに比べて甘いらしく、これを油で炒めて子供に食べさせたら、12人のピーマン嫌いの中で、8人が食べたと言うから驚きだ。
でも、基本的にほ乳類が食べないものを、どうしてわざわざ子供に食べさせる必要があるのだろうか?最近そうでもなくなってきたかもしれないが、嫌いなものが出た日の学校給食は或意味小学生にとって拷問そのものになりかねないのだ。
それは、嫌いなものを食べられない生徒の口の中に、無理矢理それらを押し込んだり、全部食べるまで授業に参加させないと行った無神経極まりない教師がいるからだ。
子供を教育するプロである彼らが、食事という人間にとってもっとも基本的で喜びを味わえるはずの時間を「拷問さながらの時間」に変えてしまう。
特に小学生の内は、学校給食は学校に来る楽しみの一つだったりするのではないだろうか。そう考えるとこんな馬鹿な行動が教員に許されるはずはないのだ。
 俺の学校の先生の中でおもしろいことをやっていた先生がいる。それは、絶対に食べたくないものを3つだけ、生徒から聞いておく。そしてそれらは食べさせない。しかし、3つ以上は許さず、絶対食べられないものリストに載っていないけど嫌いなものが出たときは、必ず一口食べなくてはいけないことになっていた。
好き嫌いの激しかった俺は、それでもどうしても食べられないものがいくつかあったのだが、そんなとき先生は、俺のさらにそれらを盛りつけることはせず、俺の好きなおかずの中にほんの少しだけ混ぜておいてくれたり、みそ汁の中にほんの少しだけ細かくしたものを入れて、ちゃんと一口食べられるようにしてくれた。
そのおかげで俺は、給食の時間を楽しく過ごすことができたし、後で
「TomG、おまえ実は○○食べたぞ」
とか言われたので、「俺も食べれば食べられるんだ」という自信がついて、その年にかなり好き嫌いを克服できた経験がある。
今学校の中では学級崩壊やいじめなどが問題になっているが、そんな中でもこんな先生はどのぐらいいるのだろうか?

 さて、それからテレビを見ていると、北朝鮮に拉致された日本人に関する特集をやっていた。政府の認定している被害者は12人、そのうち8人が死亡というのはあまりにも悲惨な結果だったのではないかと思う。
というより、この8人、本当に死亡しているのか妙に疑わしい。俺はこの8人に関しては、数人は生きて日本語教育の主任などの重要任務に就いており、数人は強制収容所にでも放り込まれたか、もしくは殺されてしまっている疑いが濃厚だと思っている。
その理由は、俺がこれまで読んできた数々の亡命者の著書によるところが大きい。
詳しく書くと非常に長くなるのでここでは割愛させて頂くことにするが、興味のある方は、Yahooの検索で「北朝鮮」と入れて検索を押した後、下の方にある本野検索をクリックして、又検索を押してみるとたっぷり出てくるので1冊買って読んで頂きたい。
特に、アンミョンチョル著、「北朝鮮、拉致、工作員」という本が、かなり真実性があって衝撃的だ。
視覚障害者の方はナイーブにありますのでダウンして読んでみて欲しい。

 それから今度は、Winona君と話していると、なんだか初級システムアドミニストレーターの視覚が欲しくなってきた。
情報処理系の大学を出ているのに、この業界の視覚を何も持っていないのはちょっと恥ずかしいと言うことと、将来この業界で働いていくためには、何らかの国の認定する資格が必要なのではないかと考えていたから、今年の初め頃から取得したいと思ってはいた。
ところが、点薬されたテキストがないので、半分あきらめてしまっていたのである。しかし、やっぱりこの視覚が欲しいので、本を何冊か点薬してもらって、来年中には取得したいと思っている。でも、全盲がこれを取得した事例を聞かないから、難しいかもしれない。
それより何よりも、俺があまり頭がよろしくないことの方が問題なのだが・・・。
そんなわけで何冊か候補を絞ったのだが、どれもこれも同じような漢字の目次だから、どれを選んだらいいのか全く分からなかった。

 それから午後に、ホームページを見てリンクしてくれた人がいたので、こちらからもリンクを張って相互リンクさせてもらった。
それと就職活動体験日記を更新した。
 夕方になって、俺はちょっと考えた。それはこのサイトにこれから何を追加していこうという悩みだ。就職日記も無線のコーナーもバッチも終わってしまったので、今度はミニFMだろうか?
そんな漢字で久しぶりにミニFM実践マニュアルを更新して気がついた。それはアナウンスの部分を作る予定で、開設から1年以上、全くやっていなかったのだ。
どちらかというと本業はこれなので、これからはこっちの方をやるかもしれない。



2002年10月07日(月)
ゴミになるのか道具になるのか

 今日は朝から久しぶりの大雨だった。
そんなわけで朝飯が食いたかったが、風もものすごくてびしょぬれになりそうだったのでやめておいた。
 その後、ひたすら午前中は読書をしていたのだが、暇になって久しぶりに友達のところに電話を入れたら「おまえも暇だなぁ」と言われてしまった。
まあ忙しいやつに「おまえも暇だなぁ」と言われるならばまだ話は分かる。しかし、そいつは絶対に仮にも忙しいやつだとは思わない。
どう控えめに見ても時々変な時間にかかってくる電話から予想するに、俺と同等もしくはそれよりもちょっとましなぐらいの暇人だと思っている。

 それから飯を食いに学校に行って、帰りついでに夕飯をコンビニで仕入れてきたのだが、俺の愛する唐揚げ棒が無くなってしまっていた。
そんなわけでふてくされて缶コーヒーを買ってきて、それを飲みながら就職活動体験日記を書き上げた。
8月後半から始めたこの文章、今までの俺にしてはかなりすごいスピードで更新していたと思う。
この文章は全部で20話し程あるのだが、これを俺は1ヶ月で書いた。これは俺にとっては結構すごいことかもしれない。だって現実に去年の前半に始めた無線のコーナーは、現在29話し書いて止まった状態だ。
そろそろこのエッセーも終わりになるので、これからの新コーナーをどうするかが今後の当面の課題になりそうだ。
しばらくネタが思い浮かぶまでは日記の抜粋コンテンツをどんどんアップしていこうと思うのだが、それでは寂しい気がしないでもない。
 その後、友達がパソコンを買うというので、ひたすらその選定を音声チャットをしながらやった。
それにしても最近のパソコンはかなり安い。俺が今持っているクラスのマシーンでも、なんと組み立てれば9万円後半で買うことができてしまう。
俺がこれを買ったときは、2.0GHzのCPUはとても高価なもので、上から2番目のものだったのに、今では2.8GHzのものが出てきたから、HDDの要領を節約して、メモリを256MBに落として、2.5GHzのCPUを積んだマシーンがこの程度の価格になってしまったのだ。
もちろんこれは性能的な話で、騒音設計やマザーボードのチップセットにこだわるのであれば、もっと値段は跳ね上がってくる。
もう少し昔の話をすると、俺が最初にパソコンを手に入れた高校2年の冬の頃は、こんな性能のマシーンが世の中に出てくることすら信じられなかった。
何せ、俺の最初に買ったマシーンのスペックは、CPU333MHz、メモリ96MB、HDD6GBのものだった。このマシーンも当時はかなりうらやましがられるスペックのものだったと思う。
 もっとさかのぼってみると、ここにはMS-DOSを搭載したノートパソコンが置いてある、これはWindows95が搭載できるモデルで、CPU75MHz、HDD800MB、メモリ16MBの代物だと思う。ところがだ、このマシーン、未だに現役で活躍している。
そして俺はこのマシーンをエディタやワープロとして使うのには全く不満を感じない。
それはMS-DOSマシーンだからだ。
仮に俺がこのマシーンにWindowsなんぞインストールしようものなら、全くゴミ同然の仕事しかしてくれないだろう。それでも一応は動くのだが、遅くて使い物にならないし、音声ソフトをインストールした時点で、ハングアップマシーンに共編し、1日何度もAlt+Ctrl+Deleteの嵐をお見舞いしなければならない結果になり、そのたびに起こるデータ消失などを考慮すると、ゴミ以外の何者でもないのである。
事実、こいつの仲間達は、秋葉原のジャンクコーナーの雑多な製品の下の方に埋もれ、部品取りの材料になる運命の日を待ち続けているのである。
 しかし去年の2月、俺はこいつを拾い出してきた。
そしてMS-DOS6.2をインストールして、音声ソフトのVDM100をインストールして復活させたのである。
Windowsは確かにいいOSなのかも知れないが、テキスト処理や簡単なエディット作業などではMS-DOSの軽快さにはかなわない。同じスペックのマシーンを利用したら、断然MS-DOSの方がいい仕事をしてくれるのである。
まあこのマシーンだけで仕事しろと言われても、絶対不可能なのだが、場合によって使い分けると非常に便利だと言いたいわけだ。
このように古いものでも使い方によっては便利に活用できるものがある。
だから俺は秋葉原のジャンク品をあさるのが大好きなのである。



2002年10月08日(火)
サイト分離計画発動

 今日も昨日と同じ感じでかなりの早起きだ。
だって、昨日、ちょっと横になったら寝てしまったのが8時頃だったから、自然と2時頃に目を覚ましてしまった。
そんな感じでこの暇な時間をどうやってつぶすかを考えた結果、やっぱりこのサイトの更新にかけることにした。
 以前にもこの日記の中でふれたような気がするが、俺は前々から視覚障害者が運営しているサイトで大手サイトと言われるものが存在しないことに憤りを感じている。
現在アクセス数が多いサイトというのは、決して画像ばかりのサイトとは限らず、むしろテキストサイトの方が多いぐらいである。もちろん検索エンジンとかアイドル系のサイトは全く別問題であるが、個人サイトの中で見た場合、やはりアクセス数の多いサイトはテキストサイトが多いと思う。
そこでそういったサイトがどのようにアクセス数を確保しているのかと言ったことを、今まで研究していた。その結果、どうやらランキングサイトと言われるところに登録すると、場合によってはアクセス数が格段と上がる場合があるらしいことが分かった。
そこで、このサイトを国内最大手の読み物ランキングサイトReadMe Japanに登録すべく、手続きに入ってみた。
しかし、ここは読み物中心のサイトを登録するところで、技術技術系サイトは登録できないと書いてある。
 俺は前々からぼやいているように、このサイトを技術的な情報だけのサイトにはしたくないと思っている。
むしろ日記やエッセーを中心に更新していきたいと考えている。
しかし、ここの現実は決してそんなものではない。
コンテンツの半分近くを技術的な情報で占めてしまっている。
アクセス数にしてもしかりで、このサイトの中で、一番多く読まれているページはバッチファイル講座なのだ。
実のところを言うと、バッチファイル講座へのヒット数の方がトップページへのヒット数より格段上なのである。
 それともう一つ問題になるのはここのサイトのタイトルである。これは最近まで全く気になることはなかったのだが、ちょっと大手を意識しすぎた先月初め頃から、あまりにもセンスのない
「TomG's Home Page」というタイトルに嫌気がさしてきている。
このままランキングサイトに参戦すると、このタイトルだけで引かれてしまうような気がする。
経験者の友達からしても、このタイトルはあまりにも初心者的で、見ただけでブラウザシャットダウンになる可能性が高いと言うことだ。
 問題はこれだけではない。トップのBGMもだ。
オルゴールでさわやかな感じで開設当初は好きだったのだが、これも大手テキストサイトから見ると、あまりにもダサイらしい。

 これらのことを考えると、どうがんばっても参戦登録まで進む勇気がわかなかった。そこで今日は参戦はあきらめて、サイト分離の計画を考えた。いつになるかは分からないが、このサイトを二つに分離してしまおうと考えた。
 それは、エッセーや日記などの文章的コンテンツを別のサイトに移動させ、MS-DOS、ミニFM、パソコン関連の3つの技術的情報をここに残すというものだ。
こうすれば、技術情報を求めて集まってきている今のアクセス数もURLが変わらないのでそのまま残るし、テキスト部分はテキストサイトとして独立させ、ランキングに参戦できると思った。ちょうどいい具合に、俺は「tomg.net」というほとんど未使用のドメインを持っているから、これをテキストサイトに当てればばっちりだと思う。WebスペースもXREAに持っていて、実際今でも「tomg.net」はアクセス可能なサイトとしてこのページのミラーコンテンツをダミーアップしている。

 とそこまで考えたところで、友達に呼ばれたのでしばらくメッセンジャーをやった。その中で昨日の続きで新しいPC導入についての話になったのだが、どうやらその人は、組み立てるのはやめて俺と同じモデルのDellComputerのPCを買うことにしたらしかった。
後、テレビを見てから学校に行った。
今まで火曜日は3時間目と4時間目しかなかったのだが、卒検の時間が今日から5時間目になり、今まで一緒にやっていた友達との基礎学習が終わったので、今日から分離することになった。
まず最初に、俺の卒検用PCのHDDをリムーバブルに交換し、WinXPと98の二つを入れ替えて使えるようにした。これはスクリーンリーダーのOutSpokenが動く環境を作るためで、これによってTeraTermを音声化して、SSHでサーバーをリモート管理できるように設定するのである。
そんなわけで今週はこの作業で、来週からはいよいよLinuxの音声での自力インストールの実験に入ろうと思っている。まずはLinuxのインストールがどんな感じに進行していくのかを、画面を見てもらいながら研究する。そして感じが分かったらMS-DOS端末を利用しての自力インストールに挑戦してみようと言う計画だ。

 さて、その後家に帰ってから、俺が購読料を払い忘れていたためしばらく届かなかったフロッピー雑誌が、忘れていた期間分も併せて一気に3枚届いたので、しばらくそれを読みふけってから、今度のイベントの出欠確認の作業をやった。
その中で、電話した一人のインストラクターとひたすらホームステイの話とか、韓国人と日本人の違いについての話で盛り上がってしまって、気がついたら携帯に1時間も長電話をかけてしまっていた。ああ、電話代がやばいなぁ。
 それからなんだか知らない内に寝てしまったらしく、又気がついたら朝の3時だったりするしょうがないTomGなのでした。



2002年10月09日(水)
俺のふるさとはこんなに田舎だったの?

 今日も早起きのTomGなのであります。
なぜかここのところ早寝早起きがちょっと極端になってきている。
そのせいでテレホタイム寝ているので、今までその時間にメッセしていた人たちとかなりご無沙汰になっているのは気のせいだろうか。
 そんな感じで今日も朝早くからひたすら何をする出もなくネットを徘徊したりしていた。
 すると、10時を過ぎた頃になって、いきなり友達が授業中の教室から呼んできた。そこにもう一人、これまた授業中のやつが加わって、不真面目極まりない集団が誕生してしまっていたりした。
 その後、授業が終わって友達が研究室で暇をもてあましているというので、ちょっと早めに学校に出かけた。
 それから授業が終わって家に帰っている途中、なんだか電話がかかってきて、兄貴がインターネットで仕事を探したいから、パソコンの使い方を教えろと言うことで、今晩やって来るというので、とりあえずノートパソコンを準備した。普通なら準備なんてそこそこにしておけるのだが、兄貴となると俺が今までノートパソコンの中に蓄積したよけいなお気に入りなどの一部、IEの履歴などいろいろと消滅させてしまう必要があった。
こういうことを書くと、TomGのお気に入りの中に「エロサイト」とか言うカテゴリなんかがあるかも知れないとか思う方もいると思うのだが、これは気合いを入れて否定させて頂きます。僕はそんなにエロくはありません。
 それからしばらくして兄貴がやってきたので、とりあえず大手の就職総合サイトを回ってみたのだが、関東の中でも激しく田舎な俺のふるさと、検索すると10件とか5件とかしかヒットしてくれないのにはさすがに驚いてしまった。



2002年10月10日(木)
サラリーマンのノーベル賞と拉致被害者の一時帰国

 今日は珍しくそんなに早くは目を覚まさなかった。といっても6時過ぎだからちょっと早めなことには変わりないのであるが。
 起きてしばらくして、朝7時のニュースを見ていると、普通のサラリーマンがノーベル賞をとったという話をやっていた。どうもこの人も、実際こんな賞を取るとは自分でも信じられなかったらしい。記者会見を聞いていても、本当に突然電話がかかってきて知らされてびっくりしている様子が伝わってきたりして、なんだかおもしろかった。
俺は今までノーベル賞というと、大学の教授とかかなり年の言った研究者がとるものだと思っていたのだが、今回のように普通のサラリーマンで、研究・開発を職業にしている人でもとれるものなのだとちょっと驚いている。
 それから今日、北朝鮮に拉致された人が15日に一時帰国するというニュースも入っていた。しかし、その人達の家族が同行することは許されないらしく、これでは本当の意味での一時帰国ではないと被害者の家族も言っていた。
俺もその通りだと思う。もしこの人達が日本にかえって生活したいと思っても、向こうに家族を残していたら、やっぱり帰国せざるを得ないであろうことは分かり切っている。
やはりこれも北朝鮮側の陰謀ではないかと思ってしまう。
 それにしても拉致されてから25年間、この人達は向こうの国でどんな生活をしていたのだろうか?どうやら小隊所と呼ばれるところで生活していたと言われているのだが、その中でどんな教育をされ、具体的にはどんな仕事をしていたかと言うことまでは未だに謎のままである。俺としてはこの人達が日本に帰国して永住するのであれば、本でも1冊書いて欲しいと思っている。テレビなどでの報道でもそれは分かるだろうが、やはり本でも書いた方がその人の文章なのでテレビよりも何となくいい気がする。

 それから今日は授業中、いきなり内定をいただいている会社の方から電話がかかってきて、18日の金曜日の午後3時からオリエンテーションとボーリング大会、それに懇親会をやるから集まるようにという話が来た。授業中にいきなり回ってきた話なのでびっくりしたが、ともかく何とかしてガイドの人でも頼んで行ってこようと思っている。
ちなみにその日は終わるのが夜の10時を過ぎるというので、向こうに宿泊になる。

 飯の時間になって食堂に向かっていると、内の学科の某先生が、なにやら丸い棒の中に、ICレコーダーを組み込んだような機械を振り回しながらやってきて、それをいろいろな人に見せびらかしていた。
どうやらそれは駅の案内をするためのシステムとして開発したものらしいのだが、内の食堂の入り口にある黒板のところに置いておいて、今日のメニューをアナウンスしようとしていたらしい。しかし、どうもそのスイッチが黒板に反応してしまうのか、置いておくとずっと鳴りっぱなしになってしまうので、今回はどうやらあきらめることにしたらしかった。
それにしてももしこれが鳴りっぱなしにならなかったらかなり便利なものだと思う。実際今までは、その日のメニューは墨字で出ているだけだったので、食堂のおばちゃんにいちいち聞いて確認しなければならなかった。
これは結構面倒くさいもので、カウンターまで聞きに行っている間に、運が悪いと自動販売機の前に5人ぐらい並んでしまうことだってある。こうなるとちょっと悲しいし、場合によってはこれが命取りになって、残り少なかったおいしいものを奪われる可能性がある。
一人暮らしのTomGにとっては、これはかなり重要な案件なのだ。
 それから教室に戻ると、Winona君が「明日センターまで本を買いに行くぞ」とか言い出したので、俺もついて行くことにした。しかし今、日記を書きながら気がついたのだが、明日の集合時間何時なんだ?




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