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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年11月01日(金)
道を覚えるのにはメモ書きするに限る

 今日は朝から少しメッセンジャーで友達と話していた。
実は今日からあさってまで、東京に行く予定になっていて、その友達の家に泊めてもらうことにしているのである。
その後、この前連絡が来た、日盲連という視覚障害者団体のラジオ番組の取材電話がかかってきたので、11時から30分間ぐらい録音をした後に、飯を食いに行ってから授業に行くと、なぜか教科書の続きが来ていなかった。
ちょうどそんなときに先生がいたので、探してもらってしまった。もし先生がいなかったら、技官さんが今日は休みになっているので、授業直前にがたがたすることになっていたと思う。
 それから仕事に行って終わってから、俺が研究を手伝わせて頂いている先生と、1時間ぐらい話をしてきた。内の学校の寄宿舎の中の様子を聞かれたので、俺がいた去年までの話をしたり、視覚障害者の就職についていろいろな話をしてから、家に帰ってきた。
 その後、荷物を用意して、友達の家に行くのに家からタクシーでセンターに向かった。そのときに、この前運転手が障害者用の割引チケットを持ってきていなかったので、それを持ってきてくれるように頼んだ。ところがここからセンターまでは980円しかメーターが出ないので、かなりいやそうな顔をされてしまった。
全く気持ちは分かるが、これだから田舎のタクシーは使いにくいのである。

 その後、東京駅から一人で池袋まで根性で行こうとしたのだが、改札口までは何とかたどり着いたものの、山手線のホームまでの道が分からなくてやばいことになってしまった。
そこで、改札の人に助けてもらって、とりあえず電車に乗った。このときにちょっと点字ブロックの上を歩いていたので道を大体覚えることができたかも知れない。
4番線までの生き方を忘れないように書くと、八重洲の改札口を入ってから、点字ブロック沿いに歩いていくと会談が数段あるので、それを上ってかなりまっすぐ行く。
会談から数えて6個目の点字ブロックの分かれ目を左に行くと、会談があるので上って、その左側のホームが4番ホームらしい。
 そんなわけでそのホームの真ん中編から電車に乗って、池袋で降りると、ちょうど会談があった。しかし、なんだか手すりのところの矢印が、この字型になっていて、全くどっちに行ったら南口に行けるのか分からなかった。そこで人に聞いてみると、南口まで案内して頂けた。
ここでも点字ブロックの上を歩くことができたので、大体の道を把握することができたと思う。
また忘れないようにメモ書きすると、ホームの真ん中当たりの会談を降りていく。そのときに手すりに南口と書いてあるのを確認する。
会談を降りきったら、降りた会談の後ろの方向、つまり会談の下を上ってきた方角に進んでいく。
ちょっと進んでいくと、誘導灯の音が聞こえるので、これが南口になっている。これでやっと手すりのところのこの字型の矢印の意味が分かった。これはどうやら会談を降りたら、降りてきた会談を矢印方向に回り込んで、上ってきた方角にすすめという意味らしい。
もう、全く東京というところはなんと複雑な土地柄なのだろうか?

 それから友達と合流して、「コンビニで弁当を買って、無効の家に着いてから飯を食って、12時頃まで話し込んでから寝ることにした。
ところが、世の中というのはそんなに甘いものではない。俺も人のことは全く言えないのだが、友達のいびきがうるさくて、全く眠れない。
そんな漢字で、やっと寝付いたのは2時頃だった。



2002年11月02日(土)
タクシー三昧

 今日は昨日から友達の家に泊まり込んでいる。
6時半頃に目を覚ましてみると、友達がコーヒーを入れていた。
そんなわけでコンビニに朝飯を買いに行ってから、コーヒーをもらって飲んだ。
今日は内のインストラクターの女の子の家に、この前インストールしたパソコンを設置に行くことになっていた。
本当ならば電車で行くのが安くていいのだが、今回は友達の家で使わなくなったディスプレーを持っていかなければならなかったので、最後の手段として東京の練馬から町田までタクシーで行くことにした。
その女の子も全盲なので、本当ならばディスプレーは必要ないと思ったのだが、何かやばいことになって人に画面を見てもらわなければならなくなったときに、その画面がなかったらどうしようもないと思ったのである。実は友達は、Windows2000のインストールを画面が見えなくてもやってしまうようなマニアなので、画面を持っていくことにあまり乗り気ではなかったが、そこを何とかわがままを言って持って行かせてもらうことにした。
それもそうである。実際その女の子は内に入会するまでは、パソコンを全く操作したこともなかったのだから、画面が無い状態で預けるのは危険極まりなかった。
 8時過ぎ頃になって友達が、外に行って様子を見て来るというので、とりあえずぼうっとしながら待っていると、いきなりタクシーを捕まえてきた。俺は一度戻ってきてから電話か何かで呼び出すのかと思ったのだで、歯磨きもまだすませていなかった。でも、こうなってしまうと待たせている間にもメーターはどんどん上がっていくので、とりあえず持つものだけ持って急いで飛び出してきた。
 それから池袋駅で新井君を拾って、町田まで向かったのだが、今日は3連休の初日だったので、道路が予想以上に混んでいた。本当は10時半頃に到着する予定でいたのだが、予想以上に遅れてしまって、実際に付いたのは11時反語路になってしまった。
それから設置をすませて、簡単な使い方を教えた。
今回は辞書の弾き方とワードの簡単な使い方、そして、メンバーIDとパスワードの使い方の概略を説明しておいた。
 さて、この後はピヨマルの家のパソコンがネットにつながらないと言うので、またまたタクシーで向かった。すると東京のタクシー運転手というのは、どうやら田舎の運転手とは違うらしく、道が分からないとなるとすぐに本部にむせんで問い合わせてくれた。何処とは言わないが、道が分からないくせに見切り発車して、迷って迷ってメーターが上がりまくるような運転手がほとんどの地域に住んでいる俺にとっては、こんな下らないことが新鮮に感じた。
 さて、ピヨマルの家についてすぐのこと、いきなりいぬが俺たちを威嚇し始めた。しかも、かなりひどい有様で、犬になれていない俺は、正直びっくりしてしまった。
 それからいよいよ設定作業に入ったのだが、全くTAを認識してくれない。
デバイスマネージャーからドライバの再インストールを試みて見るも、全く話にならない。
表面上はちゃんと入ったように見えるのだが、
「モデムが正しく接続されているか確認してください」
とかいう、Windowsのダイヤルアップネットワークお得意のメッセージを発して止まってしまう。
 そこで結局、Windowsそのものを再インストールしたのだが、このパソコンが自作のものだったため、サウンドカードのドライバを認識してくれなくて、全く使い物にならなくなってしまった。
そこで、俺が家から持ってきたマザーボードのドライバCDに入っている、同じ種類のサウンドドライバを試してみようと思ったのだが、何を思ったのか、俺は間違えて向かし使っていたNECのRA333にくっついていたアプリケーション図CDとかいう全く役に立たないCDを持ってきてしまっていた。
 ああ、これぞ最低最悪の状態である。そこでWindowsを入れ直したことだし、今度こそと思ってTAのドライバを入れて試して見るも、全く結果は変わらず、ネットからドライバを入手する作戦も絶望的と思われた。
そこで、最後の手段に用意してきた、ダイヤルアップルーターを使って接続しようとしたのだが、ネットワークカードも認識されていなかった。
どうやらこのパソコンを売った人、マザーボードのドライバも、ネットワークカードのドライバも送ってこなかったらしい。まさにパソコンの売り手として最悪なマナーである。
パソコンを相手に売り渡す場合、最低限必要なドライバCDやディスクがあれば、それを添付して売り渡すべきなのに、本当に困った話である。
それでこうなったら、ネットワークカードを持ってきたものに差し替えようと思ったのだが、これはプラスドライバーが見つからなくてできなかった。
 こんな漢字で、結局俺はネット接続を助けるどころか、結果的にパソコンのサウンドが出ない状態にしてしまったことになる。
 それからまたタクシーで、近くの駅まで行ってから、新井君とハンバーガーを食った。
今回初めて聞く「ドムドムハンバーガー」なんて名前の店に入って、お好み焼きハンバーガーなる正体不明のものを食ったのだが、なかなか変わった味がしてうまかった。
 それから今日は、新井君の家に泊まることになっていたので、早速彼の住んでいる宿舎に行って、疲れたので早めに寝ることにした。



2002年11月03日(日)
金の計算は慎重にしてくれ

 今日は、ニケ君の学校の文化祭に行くことになっていた。
昨日の夜、床に寝袋1枚でネタので、3時頃に目が覚めてしまってちょっとばかり話し込んだりしたが、結局9時から7時頃まで寝ていた。
 その後、いろいろとあって、結局出かけたのは10時頃になっていた。
学校に着いてみると、いきなり正門前に「厳戒態勢中」とか言う変な看板みたいなのが出ていてびっくりしてしまった。
 とりあえず受付で入港賞とか言う変なプレートをもらって入っていくと、さすが日本で一番でかい盲学校だけ会って、相当中はにぎわっていた。
ところが、いきなり行ったので何が出ているか分からなくて、二人でうろうろしていると、2階でニケ君を発見した。
実は、今回この学校に来たのにはもう一つ目的がある。それは、俺の卒業した学校の後輩が、この学校に入学しているので、久しぶりにあっていこうと思ったのである。
しかし、二人の内の一人の携帯番号を知っていても、電源が入っていなくて連絡不可能だったし、もう一人は俺が高校3年の時に中学1年生だったやつで、商学部の頃に、寄宿舎で部屋が一緒だったやつではあったが、携帯番号を知らないため、こちらも連絡不可能だった。
そこでニケ君に聞いてみたのだが、全く分からない。大体どの部屋にいそうな感じがするということはつかめても、決定的な場所は分からなかった。
こうなったら最後の手段として、放送で呼び出しをかけてしまおうかと思ったのだが、呼ばれる方はこんなところで呼び出しがかかると恥ずかしくてしょうがないと思って、一応呼び出しを書けるのはやめておいた。
 それからせっかくだからということで、ニケ君と昼飯に変なタイのスープを模擬店で食ったのだが、正直言って俺の口には合わなかった。
そして、飯の後でマッサージをしてもらおうと会場に行くと、そこで新井君の残金が110円になってしまっていると言い出した。しょうがないので売り場の前間できているので、ここで帰るわけにはいかないので、又やつに金を貸す羽目になった。
この男、本当に全く懲りると言うことを知らないらしく、これで俺に「金化してくれ」と言い出すのは3回目なのである。
しかも、本当に金がないのであればちょっとはかわいそうだと思ったりするのだが、競馬をやる金とか、アダルトホスティングを借りる金はあるらしいので、はっきり言って同情には値しない。
さすがに3回目となると、俺も今回はかなり怒って、帰りかなり怒ってやった。
どうやらこの男、でかい声で怒るよりも、俺が黙っている方が効果があるらしい。
とりあえず、東京駅に着いてから、帰りの電車賃ぎりぎりの金だけを貸して分かれた。
 その後、地元に着いてから、コンビニによって帰ってきた。

 夜になってテレビを見ていると、なんだかいつもに増して寒くなってきた。どうやら今、この冬一番の寒気が南下してきているらしい。
とりあえず明日の朝は寒いというので、暖房全快にして、余熱を残してから寝ようと思う。



2002年11月04日(月)
「優しい心が大切だよ」という本

 今日は7時頃に目を覚ましたが、又寝てしまって、10時頃電話の音でやっと起き出した。
それからしばらく話をした後、またメッセンジャーで友達と話しながらアイスを食って朝飯代わりにした。
実はこのときにすでにお昼に近くなっていたので、今日は夕飯まで何も食べない覚悟だったのだが、さすがに昨日の夜からアイスしか食っていないので、腹が減ってきて2時頃に弁当を買ってきた。
 その後、最近寒くなってきたので、いい加減にタンスの中身を長袖に入れ替えないといけないと思い、かごに山積みになっていた乾燥機から出してそのままの洗濯物をたたむと同時に入れ替えることにした。
 洗濯物をたたみ終わり、俺の周りがすっかりこれらの服で囲まれてしまったとき、運悪く電話がかかってきた。しかも、電話機は出ないとまずそうな名前をしゃべっていたので、洗濯物を崩さないように、何とかコードレス電話のところまで言って電話に出た。その電話を切った後も、2件続けて電話が来たので、結局3時頃に始めた洋服の整理が終わったのが5時頃になってしまった。

 その後、しばらくネットしたり、データのバックアップを取ったりした後、テレビを見ていると、万引きに関する特集をやっていた。
俺は万引きというのはよく若者、しかも不良が最も多くやらかすものだと思っていたのだが、これによると、年齢層はほとんど関係なくやる人がいるらしい。
 それからずっと、10時頃までいろいろなチャンネルを回しながら見ていたのだが、Tテレビで9時からやっている「直談判」という番組で、来週点字ブロックの上の放置自転車に関することを取り上げるらしい。
今週は名古屋市の病気回復期の子供の保育補助制度の問題と、広島県の島でのイノシシによる農作物被害対策の問題についての放送だった。
 それから11時頃に、ニケ君に電話すると、昨日探していた俺が昔いた盲学校の卒業生の電話番号が変わってしまったらしいと教えてくれた。道理で昨日から電話しても通じなかったはずである。

 ところで話は全く違うのだが、昨日の日記に書けなかったので乗せて起きた。
俺は昨日の日記を書いた後、久しぶりにナイーブネットの新着情報を見に行ったのだが、その中に、
「優しい心が大切だよ」という名前の本があった。俺はなんだかこの本に引かれるような形でダウンロードして読んでしまったが、正直言ってかなりびっくりした。
 この本は1998年にいじめによって高校1年生の娘さんを亡くされたお母さんの手記だった。
この中でもっとも衝撃的だったのは、学校の先生が、いじめがある事実を知りながら、加害者の生徒に1度もその件での指導をしていなかったと言うことである。
しかも校長や教頭は、その生徒のことは全く考えていなくて、学校や組織を守るための言い訳ばかり言っており、人権擁護団体から警告書をもらっても「警告書なんか出されて誠に迷惑だ」などと、その亡くなった子の両親に向かって平気で発言しているというのである。
もちろんこの事件は発生からしばらくは、両親の学校を信じたいという気持ちと、娘の存在を金額的に判断して欲しくないと言う判断から裁判にはしなかったらしいが、ついに3年後に訴訟という形になったと書かれていた。
この方達の求めているのはお金とかそういった部類のものではなく、「心からの謝罪」だ。
組織の中で何かが起きてしまったとき、組織側はそれを認め、正直に謝罪すべきだと考える。
特にこの問題では、一人の尊い命が失われてしまったわけで、それを塗りつぶそうなんて、子供を教育している立場の人間のやることなのだろうか?
別の言い方をすれば、学校側はいじめがあるという事実を知りながら、それを放置したことで、被害者を見殺しにしていると考えることだってできるほどの重大な事件なのに・・・。
今までテレビのニュースなどで、いじめによる自殺の話を耳にしていたが、この本を読んで、改めて「学校は決して子供にとって安全なところではない」ことを実感させられた。



2002年11月05日(火)
12年間もよく一つのことに熱中できたものだ

 今日は午前中にバイトが入っている日なので、9時頃に起き出したのだが、昨日の夜から予想していたとおり、この時間でもかなりの寒さだった。
そんなわけで起き出してすぐに暖房を入れて、メールをチェックしたり顔を洗ったりしてから学校に行った。
 もちろん外に出ると思っていたよりも遙かに寒い。しかも途中で忘れ物に気が付いて2回も部屋に戻る羽目になってしまった。
 この性で仕事の時間に遅れそうになったのだが、研究のお手伝いをしている先生の部屋に行ってみると、先生はなんだかメールチェックの真っ最中で、10分ぐらいそこで待っていることになった。
そしてとりあえず、寒くては仕事ができない野論理(ってなんだか分からない)に基づいて、お茶を飲んでから仕事をして、その後飯を食って3時間目の授業の始まるのを待っていた。
すると、さすが今日は先生も寒くてしょうがないらしく、教室は暖房が効かないので、先生の部屋で授業をやることになった。
それにしても先生はずるいと思う。生徒の部屋は暖房聞かないと言うのに、先生の研究室ばかり暖房が効くというのはおかしい話だと思うのだが・・・。
 これは昔俺が通っていた盲学校も似たような話で、職員室には夏場、クーラーが入っていた。どうして学校というのは、こう先生中心に動くのだろうか?
別に夏場学校に冷房が入らないことを俺は不満に思っているわけではない。俺がもの申したいのは、何で「先生の部屋だけ」環境がいいのかと言うことである。
もちろんこの話は暖房でも同じで、なぜか先生の部屋は暖房が入り出すのが早いのである。
これはかなり不満だ。生徒の学費で運営されているはずの学校なのに、どうして先生ばかりいい環境の部屋にいるのだろうか?
 授業が終わって卒検室で先生を待っていると、なんだか忙しいんだか忘れているんだか知らないが、卒検の時間だというのに先生が現れない。とりあえず研究室の電話で先生の部屋に連絡を入れてみるが、全く出る様子がなかった。
そこでこの学校では、授業開始から30分たったら休校の扱いになるので、5時間目が始まってから30分に当たる16時20分に学校を出てきた。
 帰り道も相変わらず寒かったので、コンビニで暖かいものでも買っていこうかと思ったのだが、ぱっとしたものが見つからないので普通に弁当を買って帰ってきた。
 部屋に戻ってみると、とんでもないことが始まっていた。それは、いきなりこの前作ったBLPCを支える回のメーリングリストに、主任が大量のアドレスを代理登録していたのである。その数なんと30件以上。もちろんこんなの一つ一つ承認処理できないので、エディターでMajordomoへのコマンドを書き並べて、それをメールに貼り付けて一括承認を行った。
すると、なんだかいくつかのアドレスがエラーになって戻ってきたので、それを彼にメールで伝えた後、BLPCのサイトのお客様会員登録の申し込みフォームのプログラムを見直した。

 どうも俺はプログラムとかパソコンの設定をやっていると時間を忘れるらしく、気が付いてみると9時になっていた。
そこで何気なくNテレビをつけてみると、アメリカのコピー機に対抗して、全く新しい方法のコピー機を開発するという話をやっていた。
しかも相手のアメリカゼロックス社は、特許に関してものすごくうるさいかいしゃで、同社の持っている特許上だけで相当の量があり、それを一つでも利用しようものなら、たちまち訴えられて高額な賠償金を支払う羽目になるというのである。
そのこともあってか、日本最初の複写機が計画されてから製品になるまで、12年もの歳月がかかっていたというのだから、さすがに驚いてしまった。
 12年前というと、俺はいったい何をやっていたのだろうか?今21歳だから、12年前には9歳のはずだ。小学3年生である。
あのころは背の高い美術の男の先生が担任だった。
その先生はギターが大好きで、昼休みに音楽室に行くと、いつも高校生達とバンドの練習に夢中になっていた。
その影響で内のクラスも、送別会とかクリスマス会などの学校行事になると、いつもたまというバンドの曲を音楽室に置いてある楽器を使って演奏していた。
それと、その年の12月に、クラスの女の子が一人、横浜に転校していったことが印象的だった。そんな年だった。
 小学生だった俺が大学に進学し、来年は就職するというそんな長い年月、よくもまぁ、一つのことに熱中できたものだと感心させられてしまった。



2002年11月06日(水)
初歩的なことに気が付かなかった

 今日はとりあえず、7時頃に起き出して、ネットをしたり紅茶を飲みながら音楽を聴いたりして、少し早めに学校に行った。
食堂に行って飯を食おうとすると、開店時間ちょうどに行ったので、まだ揚げ物ができていなかったので少し待つことにした。
 それから4時間目の授業の時間に、どうしても教室が寒くてしょうがないと言うことで、また先生の研究室で授業をやることになった。
 授業が終わってさっさと帰ろうとしていたのだが、今日はなんだか毎年1回大学で行われている「クリーンデー」とか言うものらしく、下に降りて構内から脱出しようとすると、すでにそれは始まっていて、視覚部長がひたすらマイクでしゃべり始めていた。
そこでやっぱりこの寒い中を、外で掃除をやるのは非常に面倒くさかったので、研究室に上がって暖房をがんがんに効かせて遊んでいた。
すると、いきなりWinona君と先生が掃除の後に入ってきて、「あれれれれ、そこでサボっているやつがいる」とか言われてしまった。
さすがに目の前でそんなことを言われると、ひたすらやばい気分になってきたので、そのときちょうど入ってきたもう一人の先生に話しかけることで、うまい具合にこの状態を回避した。
 家に帰ってから友達とネットミーティングしていると、土曜日にパソコンを入れに行った女の子から、やっと電話線の工事が終わったので、YBBのモデムとパソコンをつなげたという連絡が入った。
YBBというのは、基本的には普通の欄接続なので、うちで使っているCATVと接続方法は変わらなかったりする。そこで、この前セットアップしてこちらから発送する前に、YBBの回線が開通したらつなげて電源を入れればネットに接続できるように、すでに設定をすませてあった。
しかもメッセンジャーまでインストールして、俺がそのIDをメンバー登録して、ネットにつながったときにはすぐにサインインできるように設定しておいたので、接続そのものは簡単簡単、電話の向こうからWindowsの起動の音楽が聞こえると同時に、こちらのメッセンジャーが、彼女が正常にサインインしたことを知らせてきた。
 それからとりあえず、簡単にメールの使い方などを教えたのだが、そのとき俺ははっとした。
それというのも彼女、漢字変換が終わった後、確定するまでにやたらと時間がかかっているのである。
これは前々から感じていたことなのだが、今日もそんな風だった。そして何気なく彼女が「これってこの字でいいんですか」とか聞いてきて、俺はその理由を確実に実感した。
そう、生まれたときから全盲で、今までほとんどパソコンにふれてこなかった彼女、当然のことながら漢字の使い方をほとんど知らなかったのだ。
それにしてもパソコンを教えている立場の俺が、こんな単純で当然のことに気が付かなかったなんて、本当に自分は馬鹿である。
 今まで俺は、パソコンを教えると行ってもその操作の仕方や活用法などといった、表面的なことばかりを考えていたのである。
漢字変換が大事だと、自分のページにこれだけでかでかと書いておきながら、視覚障害者の(特に先天盲の)パソコン初心者がすぐにぶつかる壁を、どう乗り越えさせてやることができるのか、ほとんど考えていなかったのである。
これはかなり反省しなくてはならない。
そして本当に、こんな事に気づかせてくれた彼女には、心から感謝している。
そんなわけで早速、どうやって漢字の使い方を教えるかと言うことを研究しなければならない。

 それが一通り終わった後、Winona君が電話してきて、この間渡したCDがおかしいというので、近くの店まで届けに行った。
その後飯を食ってテレビを見ていると、内のボランティア主任から電話がかかってきて、今度は掲示板を作って欲しいと言うので、早速向かしお友達専用ページで使っていた落書き帳をちょっとカスタマイズして設定した。
それからこの掲示板と出欠確認システムを同じパスワードでアクセス制限したいというので、これも何とかしておいた。
 さて、やっと仕事が終わったところで、今度はミッキーが電話してきた。
どうやらまた彼氏とうまくいっていないらしく、いろいろと憂さ晴らしに近いような話をしていたが、その中で男と女の家庭内での役割についての話になった。
こういうところは彼女と気が合うらしいのだが、俺は基本的に子供が小学生になるまでは、自分の奥さんには家にいて欲しいと思っている。
いや、もっと正直に言うのであれば、小学校3年生の3月までは家にいて欲しい。
もちろん子供が小学生になったら、子供が学校に行っている間はパートをして、世間の空気に触れていて欲しいと思う。
そして、生活が許すのであれば、パートで得た収入は、奥さんが自分の欲しいものを買うのに使えるのがいいと思っている。
 やっぱりなんやかんや行っても、人間の子供は母親を求める。人間に限らず、ほ乳類の子供というのは、或程度の時期までは母親が必要だと思うのである。
この理由については過去の日記でたびたび書いているので今日は省略する。

 そんなわけで気が付いたら12時を過ぎてしまっているので、そろそろ寝ることにしよう。ああ、明日は、いやな木曜日だ。
サボろうかなぁ・・・。



2002年11月07日(木)
これはすごい!アクセス制限ようCGI登場

 今日はいつもの木曜日よりも少し早めに起き出した。
実は昨日の夜、夕食にと思ってミニカレーライスを買っておいたのだが、食っていなかったので、朝少し早めに起きて食ってから学校に行こうと言うことである。
全く俺というやつは、食うためだけに早起きしているんだからしょうがないやつかも知れない。
 久しぶりに7時台に本格的に起き出したので、とりあえず飯を食ってからテレビを見て学校に行こうとすると、いきなり8時半のNテレビのワイドショウの予告で、北朝鮮難民を救う回代表で、10月30日に中国政府に拘束され、昨日高おととい解放されたジャーナリストの加藤さんが生出演するという。
これはどんな話が飛び出すのかと興味があったので、授業には遅れていくことにして、これを見てから10分遅れで授業に行った。
しかしこの教室、寒くてしょうがない。
ひたすら3時間近くもこの教室で授業を受けていたら、なんだか風邪を引きそうになってしまった。
 飯を食ってから授業に行って、いつもの要領で授業中CGI配布サイトを見ていると、俺がいつも会員制ページを作るときに使っているCGIが、配布元のWeb Powerからバージョンアップされていた。
しかも、このバージョンアップ、1.0〜2.0のメジャーアップで、ほとんど昔のバージョンとは互換性が無いという。
作者によれば「完全に最初から作り直した」ものらしい。
詳しくは上記リンクから見て頂きたいのだが、このバージョンアップでは、SSIにも対応された。しかもSSIを使えないサーバーであっても、このCGIを経由することでSSIが使えるのと同じような状態になる。
もっと感動的だったのは、アクセス制限する側のCGIやHTMLには、全く手を加える必要がないということである。
それに加えて、ユーザー管理専用のCGIもリメークされた。
 もちろん俺はこれに早速飛びつこうと考えたが、そのときちょうど授業が終わったので、また寒い1時間目の教室に戻った。
すると、次の授業の先生もさすがにこの部屋は寒くていやだったらしく、前の授業の教室でやることになった。
授業が終わった頃、なんだかからだがだるくなってきた。もしかするとここのところ寒いので、風邪でも引いたかと思って、熱が出たときのためにコンビニでポカリスエットを買って帰ってきた。
 家に帰ると、早速先ほどのCGIに飛びついた。まずこの前レンタルサーバーの都合で閉鎖になってしまった「お友達専用ページ」を復活させるべく、作業を開始した。
設置してみると、このCGI事態はすんなりと動いてくれたが、ユーザー管理システムの方が言うことを聞いてくれない。
具体的にはメールアドレス認証の画面が真っ白なページになってしまって、音声ブラウザでは全く参照不可能になっているのである。
こうなったら頭に来たので、そのページのソースをEditHTMLというタグエディタの画面に貼り付けて、原因と思われる部分を一つ一つ修正して、ブラウザで確認し、やっと原因が判明した。
原因はズバリ、余計なスタイルシート宣言だった。
これを読んでこのプログラムを使ってみようと思う人は、スタイルシートの記述のある部分に注意してください。ここに書くとブラウザが止まる可能性があるので書けませんです。
そんなわけでやっと作業が終了したころ、昨日の子が、ホームページの見方を覚えたいというので、少しだけ教えた。

 ところで、昨日から知り合いの全盲の人に、漢字を何処で習ったのか聞いているのだが、やっぱり漢字の使い方は盲学校で練習する人がほとんどらしい。
盲学校はパソコンの使い方は教えてくれないが、漢字の使い方はMS-DOSとか昔々のベーシックで書かれた音声ワープロでちゃんと教えてくれる。
実際俺もそうやって漢字の使い方を覚えた。
 ああ、こうなったらやっぱり何とかして漢字の問題集探してこないといけないかなぁ。もしくは栃木の盲学校にでも探しに行こうかなぁ。



2002年11月08日(金)
お友達専用ページ復活とルータの中から音声チャット

 今日は10時頃までひたすら寝ていた。
例によって9時頃に師匠から電話が来たような気がするが、眠くて電話に出ずにこの時間まで寝ていた。
それからMelodyさんとネットミーティングで離していると、気づかない内に12時になってしまっていた。
今日は3時間目から授業が入っているので、このまま行くと飯を食ってから教室に行くので間違いなく遅れる。でも、食堂で飯を食わないと、野菜不足になるのでとりあえず食堂に行ってメニューを見ることにした。
すると、豚肉のすき焼き風煮物だったので、これは食べるしかないと思い、小動物君に電話して
「先生にTomGは事情により遅れてくるって伝えて」
と頼んで、ゆっくりと飯を食ってから教室に行った。
 ちなみにこの授業も、いつも遊んでいるので、今日は久しぶりにお友達専用ページを復活させた。
 それからバイトに行ってそれが終わった後、あまりにもバイト大が安いので何とかしてくれるように頼んだのだが、やっぱり学校の規則でこればっかりはどうしようもないようである。
しかし、こんな事を言ったら先生の方が気を遣ってくれてしまって
「あんまり大変なんだったら無理に頼めないなぁ」
しかし、別に俺は大変なんじゃなくて、バイト大が安いのが不満なだけだったので、それを離すとすぐに分かって頂けたので、まあいいか。
それにここだけの離し、バイトに行くとなんだかいろんな人がジュースをくれるからいいことにしよう。
 家に帰ってから、今日復活させたお友達専用ページに、今まで登録してくれていた人のIDを登録し直した後、Tテレビで警察の番組をやっていたので、しばらくそれを見た。
その途中、この前パソコンを入れに行ってきた子から電話が来て、「パソコンが起動しないんですけど」とあわてていた。
それで、リセットとかAlt+Ctrl+Deleteとか、いろいろと試してみたのだが、最初のブート画面で英語のエラーメッセージが出現してしまって、全く話にならなかった。
そこで、パソコン背面の電源スイッチを切って、もう一度入れ直してみるように言うと、電話の向こうからお母さんらしき人の声で、
「これ、なんだか抜けかかってる」
というのが聞こえてきた。
原因はこれだよ、これこれ。どうやらキーボードが抜けかかっていたらしく、バイオスがキーボードの認識のところでエラーを発していたらしい。
それにしても故障じゃなくて本当によかった。
その子にはとりあえず、「起動しないときには今度から後ろもチェックしてみてね」といって電話を切った。

 11時頃になって、午前中にMelodyさんから聞いていた、ルーターのファームウェアのアップデートをやった。
ファームウェアというのは、ルータの中に組み込まれているソフトのことで、どうやら俺の持っているルータのこれをバージョンアップすると、ルータの中からでもWindowsMessengerの音声チャットができるようになるというので、お話大好きなTomG君、早速飛びついたと言うことである。
 そして、いよいよバージョンアップが終わって、Melodyさんを呼んだのだが、どうも忙しいらしく、応答がなかった。するとそのとき、Mickyが呼んできて、話したいことがあるとかメッセージが来てから、電話がかかってきた。
 それにしてもだ、こいつはいい加減に俺に彼氏の悪口ばかりを聞かせるのは勘弁して欲しい。おもしろい話を2時間ほどしているのなら俺も別にかまわない、というか電話好きなので嬉しいぐらいだ。しかし、電話がかかってくるたびに彼氏の愚痴では、聞いている方が疲れてしまう。
挙げ句の果ては、この前の日記で、内のインストラクターの女の子に対して「感謝している」とか書いたら、
「私だって漢字知らなくて、TomGに聞いていたのに、何で彼女ばっかりかわいがるのよ」
と怒り出す始末。
ああ、これだからこいつはしょうがないのである。



2002年11月09日(土)
牛乳の悲劇

 今日は朝方宅急便が来たらしく、少しだけ目が覚めたのだが、どうもやっぱり風邪を引いているらしく、だるくて起きられなかったので午後まで寝ていた。
起き出してすぐに宅急便の営業所に再配達のお願いの電話をしてから、何をする出もなくぼうっとしていると、30分ぐらいたってから、荷物は届いた。
 それから飯を買ってきて食った後、牛乳にコーヒーを溶かして飲もうとしたら、なんだか牛乳をこぼしてしまった。
しかもパソコンラックのすぐそばでこぼしたので、これまたかなり掃除が大変だった。
ああ、一人で床をはい回りながら、ひたすら牛乳くさいカーペットを掃除するのもかなりむなしいものである。
ちなみにこの後その牛乳を温めて、コーヒーを入れようとしたら、またこぼしてしまって、せっかく掃除したのが全く意味のない状態になってしまった。しかも今度はコーヒーまで混ざっているので、本当に掃除が大変だった。
俺は悪いことはしていないのに、牛乳に嫌われたらしい。
 やっと掃除が終わってから、この前からやると宣言していたインストラクター専用ページのシステム入れ替えの作業にかかった。
ところが、いくらやっても何処を確かめても、顧客情報を管理するデータベースのプログラムが、500エラーを出してしまってどうにもこうにも動かなかった。
それに、俺はサーバー側で一つ一つセットしてテストしながらやるのではなく、一気に作ってしまってバグをつぶして行ったので、何処が原因なのかが全く分からない状態だった。
しかし、このままほおって置くわけにも行かないので、昔のシステムに戻そうとしたのだが、変更したものを昔の状態に書き直すのでは非常に面倒くさかったので、昨日の夜に取っておいたバックアップを戻して事なきを得た。
 それから今度は、今あるシステムを変更するのではなく、新しいシステムとして作り直そうと思って、ほとんどすべてを最初からやり直してみたのだが、やっぱりデータベースのところがエラーになる。
これはおかしいので、後でサーバー管理者にエラーログを見せてもらえないかどうか交渉してみることにして、今日はくじけてしまった。
 4時頃になって、後輩からメールが来ていて、C言語のことについて質問された。俺も最近、Cなんてさわっていないから自信がなかったので、久しぶりにソースを書いてから、念のためエラーが出ないかどうかDOSのPCを立ち上げて、コンパイルして確認してみた。
すると、幸いなことにエラーは出なかったが、なんだか出力結果が思うようにいかない。
原因はprintf関数の出力文字列の後に、該当の変数名を書き忘れていたからなのだが、全く久しぶりにやると忘れてしまうものである。
 そのうち夜になって、また何もすることがないのでテレビを見ていると、日中友好芸能フェスティバルとかいうのをやっていた。
これを見ていて思ったのだが、最近日本でヒットしている歌って、音楽としていいものが少ないような気がした。
中国のアーティストが無効でヒットしている歌を歌っていたが、音楽としては向こうの方がよかったような印象を受けた。
 それからまた懲りずに、今度は違う方法でインストラクター専用ページの構築をやっていると、ミッキーが電話してきて、なんだかHotmailの受信ができないと言うので、Hotmailなんて使うのをやめるように説得した。
あのメールアドレスは、視覚障害者には使いにくい。あんなものを使うぐらいだったら、違うのを使った方がいいに決まっている。
実際あのアカウントは、POP3に対応していないので、使うのが面倒なのである。
 電話が終わった後、牛乳を飲みながら日記を書いて寝ようと思って、コップについでレンジに書けようとしたら、またレンジのドアのところにコップがぶつかってしまって、床に牛乳をこぼしてしまった。
ああ、全く俺は牛乳に遊ばれているのだろうか。



2002年11月10日(日)
激しい頭痛に襲われる

 さて、昨日の続きになってしまいました。
そんなわけで日記を書いた後、今度は暇に任せて、このサイトのアクセス解析を覗いていたのだが、とんでもないことになっていることに気が付いた。
なんと、このページ、ついに有名な検索エンジンの1ページ目に表示されるようになったのである。
確かに俺は書いたよ、こんな言葉あのページで。
デモなぁ、¥あんたにこんなキーワードで拾われるとは。
全く検索エンジンというのは余計なことをしてくれる。
でも、怒るよりも笑い事にしてしまった方が良さそうなので、トップに載っけてネタにすることにした。
その後、またCGI関連のサイトを見ていると、
このサイトで、おもしろいCGIを発見した。
 このプログラムは、項目名の設定からデザインの設定まで、すべて簡単にWeb上から実行できるデータベースCGIで、誰でも気軽にデータ登録をできるよいウニ考えられている優れものだ。
この説明ページを見ていて俺はひらめいた。それは、「「スクリーンリーダーで利用できる「ソフトデータベース」を作って公開するというアイディアだ。
 現在のところこの関連のコンテンツを取り扱っているホームページは多数ある。
しかし、これらのホームページに共通して言えることは、すべてHTMLで作っているため、データの検索ができないと言うことである。
これに加えて、これらのページでは、使用できるスクリーンリーダーについての記述が少ない。
たとえば、PC-Talkerでは使えるが、XPReaderでは使えないとか、その逆と行ったことが、コメントの中には一部記述されているものの、データベース的項目の観点から見て、これらがしっかりと分からないのである。
 もちろん情報の室そのものは、どのページも最高によいのだが、それらが複数ページに分散しているために、利用する側としてはとある目的を持ってソフトを探そうとしたときに、それらのページをすべて覗かなければならない。
そして、もしそこで目的にあったソフトが見つからなかったら、Vectorなどで探すことになる。
Vectorは国内再王手のソフトライブラリだが、もちろんこの会社のデータベースにも「スクリーンリーダーで使えるか」なんて言う項目は存在しないわけだ。
そこで、不満なら自分で作ろうと思ったのである。
 それで早速そのCGIをダウンロードして、作業を始めたのだが、環境設定が終わった辺りで、ものすごい頭痛に襲われ、全く身動きがとれなくなってしまった。
仕方なく、頭痛薬を飲んで布団に入ったのだが、頭痛は治まるどころか、吐き気までおそってきたのである。
もちろん一人暮らしの俺、もしここではいてしまったら、誰が掃除してくれるわけでもないので、頭が痛い中布団の掃除をしなければならないことになる。
そんなことになっては話にならないので、とりあえず枕元に非常用の洗面器を風呂場から持ってきて、今日はさっさと寝ることにした。
それkらしばらくは眠れなかったが、20分ぐらいすると薬が効いてきて、やっと眠りについた。

 気が付くと午後の3字ぐらいになってしまっていた。
幸いにも昨日の頭痛はすっかり治っていたので、コンビニに飯を買いに行くと、この時間というのはほとんどおいしいものがなくなってしまっていると言うことで、弁当も少ししか残っていなかった。
 部屋に戻って飯を食った後、昨日(正確に言えば今日の朝方)の続きをやった。
項目名を設定し、考えられるソフトカテゴリを設定し、早速データ登録。
試しに「スクリーンリーダー」の項目に「PC-Talker」を登録した辺りで俺は重大な機能不足に気が付いた。
それは、入力エリア内にURLを書いても、自動リンクされないと言うことである。
これではこのデータベースは役に立たない。
しかし、ここまでやったので何とか改良しようとしたのだが、このCGI作者のプログラムというのは、改良する前に3時間ぐらい読み込んでおかないと、処理があっちに行ったりこっちに飛んだりしているので、半分ぐらいまで読んだ辺りでグロッキーになってしまった。
 それからテレビを見てから、昨日ミッキーに
「HTMLを知らない視覚障害者が、ホームページを作る方法はないの」
と聞かれたので、またそれに使えそうなCGIを探してみた。
すると、以前BLPCのFAQで使っていた「TipsList」というのがぴったりだと言うことが分かった。
そこで、人に使わせる前に自分で使ってみなければと言うことで、「雑文」とか言うホームページをCGIの設置以外に、全くHTMLの知識が無くても作れるかどうか実験をやってみた。
結果はというと大成功。これでCGIの動くサーバーにアカウントを持っていれば、実質ホームページが作れると言うことになる。
 それにしても、目の見える人ならホームページ作成ソフトを使って簡単にHTMLを全く知らなくてもWebが立ち上げられるのに、どうして俺たちにはそんなソフトが無いのだろう。全く頭に来る。
確かにあることはある。無いと言ったら嘘になる。
しかし、そのソフトは53000円ぐらいするのに、全く昨日が充実していないという話だ。
ああ、誰かお手ごろ価格のホームページ作成ソフト作らないかなぁ。



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