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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年11月11日(月)
おやつの時間に目を覚ます

 昨日、日記を書いた後、しばらく起きていた。
とりあえずそんなわけで今日も昨日の続きになってしまった。
 日記を書いてメールをチェックしてみると、なんだかミニFMのアンテナに関する質問が来ていた。久しぶりに全く知らない人からメールをもらったので、嬉しくてすぐに返事を書いた。
すると、その直後、新しいメンバー登録があったことを知らせるメッセンジャーのWindowが開いてきた。
もしかするとさっきメールをくれた人かと思ってすぐに登録すると、その直後にメッセージが入ってきた。
ちょっと軽く自己紹介をした後、さっきメールくれた人かと思ったので「ミニFM好きなんですか?」と送ったら、
「何のことですか」
と帰ってきた。そう、これは単なる偶然の話で、この人はさっきメールをくれて人とは全く別人だったのである。
 それからいろいろ話をしたのだが、なんだか俺が視覚障害者であることを何度いても信用してくれない。まあ、普通に考えてっこれだけ普通にパソコンを使って漢字仮名交じりのメッセージを送っているのだから、何も知らなかったら不思議に感じるのは至極当然のことだと思う。
そこで、とりあえずこのページの中にある「音声試聴コーナー」を聞いてもらって、視覚障害者でもパソコンが音声を頼りに使えることを話すと、やっと信じてもらえた。
 それからは、自炊の話とか、飲み会の話とか、どうでもいいような話をひたすら3時間ぐらいした後、相手の人が寝るというので、そこで今日は終わりにすることにした。
 その後、友達とまたメッセンジャーの音声チャットをした後、気が付いてみると朝の6時になっていたので、さすがにこれはやばいと思って寝ることにした。

 さて、起きて気が付いて時計を見ると、さすがの寝ボス家の俺もびっくりだった。時計はなんと、おやつの時間になっていたのである。
さすがにこの時間まで全く気が付くこともなく眠り続けるとは思っていなかったので、かなり驚いてしまった。
 俺の住んでいるところは田舎で、かなり静かなので、電話がかかってくるとか、お客さんが現れることがなければ、こんな風にかなり遅い時間まで目を覚ますことがないぐらいである。
 それから起き出して、いろいろやってから飯を買いに行くと、俺のねらっていた弁当が無くなってしまっていた。そこで仕方がないので、ハンバーグとピラフの入ったものを買ってきて、テレビを見ながら食った。
決まった時間にテレビを見るという習慣をあんまり持っていなかった俺だが、そんな中で月曜日に見るテレビが最近増えた。
HテレビだったかAテレビだったかで7字からやっているやつで、身の回りで起るであろうピンチを予想して、そのときにどうやって対処したら一番いいかを検証する番組だ。
これは結構おもしろい。
今日は子供が目を離した好きに階段から転落して頭から血を流しているときの対処法とか、地下鉄の中で自信に遭遇して、そのとき地下水が壁のひび割れなんかから入ってきたときにどうするかをやっていた。
特に地下鉄の中で水が充満してしまったときの対応にはびっくりした。
どうやら、地下鉄にはかなりの傾斜があり、後ろから水が迫ってきた場合には、流れに逆らって水の流れている方向に歩いたほうが、助かる確率が高いらしい。
それは、水の流れに沿って歩いてしまうと、水は高いところから低いところに流れるので、行き着く先は大洪水になっていて、逃げ場を失う可能性があるということだった。
 ところで今日は月曜日なので、いつもなら世界丸見えを見るところなのだが、日米野球とか下らないものをやっている性で、中止になっていた。全くどうして日本テレビは、項も野球有線に放送をやるのだろうか。
何度も書いて申し訳ないのだが、これにはさすがに頭に来る。
 そんなわけで、9時まで暇になったので、適当にいろいろとネットを回っていた。
俺にしては珍しく、月曜日は9時からも見るテレビがあるのである。しかもその番組で、高田馬場駅周辺の点字ブロックについて取り上げるというので、今日ばかりは見逃すわけにはいかない事情があった。
この番組は、身の回りで起っている不条理な出来事などを、それに関わる責任者に直談判して改善していこうというもので、なかなかおもしろかったりする。
結果的に今回は、「高田馬場駅周辺の壊れたりすり減ったりした点字ブロックを何とかして欲しい」と新宿区に要望すると、責任者の人が今月中にでも何とかすると言っていたので、大成功だった。
 その後ニュースステーションを見ていると、かなり前に「映画を撮るので音響関連のことを手伝って欲しい」といっていたグループの監督の人から電話がかかってきた。
その人とは初めて話をしたのだが、どうも俺が思っていたよりも皆さん本格的にやるらしいので、ちょっとびっくりしてしまった。
俺は始め、自主製作と聞いていたのでそんなに本格的にやらないのだと思ったのだが、ほとんどプロに近いカメラマンの人とか、デザイナーの人たちなどが来るらしいので、そんなところに俺が音響スタッフとして入っていって、何かできるのだろうかと正直不安になったりしている。



2002年11月12日(火)
コンビニのお好み焼きにははずれがある

 今日は昨日あんな生活をした性で、4時頃に目を覚ましてしまった。
それでいくらがんばっても目がさえてしまってこれ以上眠れなかったので、起き出してそれからお昼近くまで何をする出もなくパソコンに向かっていた。
最近、BLPCのシステム入れ替えをやっているので、やることがないわけではないのだが、いざやろうとすると面倒くさくなってしまって進まなかったので、今日ほとんど新しいシステムを完成させた。
それと、就職先の会社の方から、通信教育の教材が届いていたので、それをひたすらやっていた。
 11時半を過ぎた頃食堂に行くと、今日は珍しく「トンカツ定食」が出ていた。
周りを見渡しても誰もいなかったので、一人で飯を食っていると、なんだか一般教育の某先生がやってきて語り出したので、ともかくその自慢話のような話を聞かされていると、小動物君がやってきた。
それから1年と2年の後輩もやってきたので、久しぶりに珍しいメンバーで話をしていた。
 そして教室に行く途中、これまた久しぶりの2年の後輩に会ったので、授業時間ぎりぎりまで教室の前で立ち話をしてしまった。
 さて、教室に入っていくと、今まで誰もいなかったので、これまた外とは違ってかなり寒かった。さすがに先生もこんなところで授業をやるのはいやだったらしく、2学期再議の授業だと言うこともあって、また先生の研究室でやることになった。
ところで最近、どうも俺は風邪が治らなくて困っている。
今年の風邪は本当にたちが悪い。熱が出るのであれば一気に上がってくれた方が直るのが早い野田亜が、だるいだけで全く熱が出ない。しかものどがちょっと痛いぐらいだから、「このぐらいならOKだろうな」とか思って、ついつい夜中遅くまで遊んでしまうのである。
この性で、ここしばらくの間、俺は時々微妙なだるさと頭痛に悩まされているわけである。
いい加減居直ってくれないと、これは次のイベントに響きそうで怖かったりする。
 その後、これまた今学期最後の英語の授業に行くと、思ったよりも難しい英語のレポートが出てきたのでびっくりしてしまった。それもほとんどが専門用語で、計算式が書いてあって、その式を英語に直せとか、そういう感じの面倒なやつだった。
これにはさすがにまいってしまう。全快のレポートは、本当に簡単で助かったのだが、今回は先生も気合いが入っているらしい。
 5時間目になって卒検室に行くと、今日も先生は約束していたのにやってこなかった。そこで10分ぐらいしてから先生の部屋に電話を入れると、「あれれ、そういえば忘れていました」とか言われてしまった。
それでも今日は何とか、先々週にインストールしたLinuxのマシーン音Webサーバー上で、CGIが動く設定なんかをやることができた。
 家に帰る途中、夕飯に食おうと思ってお好み焼きを買ってきたのだが、これは焼きそばをお好み焼き風味の皮でくるんだだけの気がして、あんまりおいしいものではなかった。
 その後、テレビを見た後、一昨日の夜に知り合った人とメッセンジャーをしながらこの日記を書いている。
ああ、そろそろ眠くなってきたなぁ・・・。



2002年11月13日(水)
試験とWin版のApachWebServerの設定

 今日は試験だというのに、なかなか遅くまで寝ていた。
10時頃に目を覚ましてうとうとしていると、結局時計が鳴る40分ぐらいまで睡眠モードだった。
 それからやっと起き出して、着替えて学校に行った。
飯を食ってから教室に行って、試験が始まる前に出そうなところのチェックと、教科書のデータフィルの準備をした。
実はこの試験、教科書を持ち込んでもOKということになっているので、以下に早く教科書の中からヒントとなる部分を見つけ出すかと言うことが、好成績を取る鍵になると言っても過言ではない。
それにはやはり、教科書の点訳データとピンディスプレーの用意が欠かせないのである。
もちろん事前に教科書を読んでおけば大体どの辺のところにどんな内容が書かれていたのか覚えているだろうが、非常に不真面目なTomGのこと、そんなことは全然やっていなかった。
それどころか、昨日は最近知り合った友達と、メッセンジャーでひたすら12時過ぎまで語っていたぐらいである。
 そんなわけで試験はいよいよ始まったのだが、こんな不真面目な俺のこと、さっぱり分かる問題が1問も見つからないぐらい分からない。
そもそも物流の試験なのだが、いつも授業中に遊んでばかりいるのが原因で、ピッキングとは何かさえ分からない。
とりあえずここは時間もあることなので、ゆっくり教科書を(といっても音声速度最高)で読んで、何とか2問ほど片づけた。
しかしこれからが問題だった。これからの2問は、自分が事柄を分析して、その長所と短所を述べなければならないタイプのもので、授業をさっぱり聞いていなくて教科書を頼りにする俺にとっては、これこそやばい状態だった。
4問の中から3問選択する形式なので、1問はパスできるが、やっぱり1問はやらないといけなかった。
そこで、無い知恵を絞って考えて、へたくそな文章を並べてこれは何とか片づけた。
 次の時間も同じ先生の試験だったので、ちょっと早めに終わったことを利用して、庭か勉強をして臨んだ。
しかしやっぱり世の中そんなに甘くはない。またまたちんぷんかんぷんで、こればっかりはどうしようもない問題が2問もあった。
これも無い知恵と文章力絞って考えたが、こればっかりは分からないので、
「こうなったら適当に書いてやる」
の論理に基づいて、適当に片づけて早めに教室を逃げ出してきた。
 家に帰ってから、この前からパソコンを入れて研修をやっている例の女の子に、これからどんな実習をさせたらタイピングが早くなるかと言うことについて考えた。
俺はやっぱり文章を毎日書くことが大切だと思ったので、日記を書かせようと思っていた。もっとも早くなる方法は、メッセンジャーにデビューさせることなのだが、これはあまりにもパソコンを始めたばかりの彼女には負担だと思ったのである。
ちょうどそのとき、ピヨマルとMelodyさんもメッセンジャーにいたので、二人と相談した結果、BLPCのサイトに日記を設置して、そこで日記を書かせることになった。
そこでとりあえず、ここで使っている日記のスクリプトを、設定だけ弄くってそのままアップした。
 その後、飯を買いに行くと、かなり珍しく、耳の聞こえない人らしい人がレジ打ちをやっていた。その人のしゃべり方で大体予想が付いたのだが、これでもっとも困るのは、その人に買い物を手伝ってもらおうとすると、手話を知らない俺はコミュニケーションがとれないと言うことだ。
でも、ちょっと困って立ち止まっていると、近くにいた大学生らしいお兄ちゃんが手伝ってくれたので、何とか飯を買ってくることができた。
 飯を食った後テレビを見ていると、なんだか眠くなってきてしまって9時頃まで寝てしまった。
10時頃にピヨマルから電話が来てしばらく話した後、最近知り合った人とメッセンジャーをやっていると、俺はかなりぼけてしまって、板橋区と世田谷区を間違えてしまってかなり恥ずかしい思いをした。
 その後、昨日から失敗ばかりしている、Windows版のApacheWebサーバーのインストールをもう一度やってみた。
しかし、起動するとStartのメッセージが出た後、Windowが隠れてしまう。
これは実は正常だということが分かったが、Win98で使っていた頃は、Apacheの窓が隠れることがなかったので、昨日は失敗だと思っていたのだ。
それから、httpd.confを書き換えて、CGIが動くように設定を変更した。

 これからは例によって俺のメモである。
ApacheWebサーバーをインストールしたばかりの状態では、CGIが動かないことになっているので、以下のように変更する。
 1.httpd.confを編集する。
スタート→プログラム→Apache HTTP Server→Configure Apache Server→Edit the Apache httpd.conf Configuration File
と進んでいくと、メモ帳で設定ファイルがオープンされる。
 2.設定ファイルの835行目辺りに、
#AddHandler cgi-script .cgi
と書かれた行があるので、この行の#マークをはずす。
 2.次に、設定ファイルの623行目辺りに
>Directory "C:/Program Files/Apache Group/Apache/cgi-bin">
というのがあるので、
C:/Program Files/Apache Group/Apache/cgi-bin
を、自分がCGIを動かしたいディレクトリの名前に書き換える。
ディレクトリの区切りが「\」ではなく、「/」であることに注意する。
 4.次に、ここから1行下がったところに、
Options None
というのがあるので、こいつを
options ExecCGI
と書き換える。終わったらファイルを保存してエディターを閉じる。
 5.次にApacheを再起動する
スタート→プログラム→Apache HTTP Server→Control Apache Server→Restart
のようなのがあるので、これを実行するとサーバーが再起動する。
 6.2.で指定したディレクトリにCGIをコピーする。
このときに、スクリプトの1行目に
#!c:/perl/bin/perl
のように、Perlのパスを正しく設定しないと、お得意の「@500エラー」になるので注意する。
==メモ終わり==

 それからこの日記を書いていると、実家に帰った新井君が、音声チャットで呼んできて、ファイル交換ソフトが、ポートのエラーで雨後か動かないとか言っている。
一応OCNのフレッツADSL接続と言うことだったが、一応IPアドレスを調べてみると、ちゃんとグローバルIPが割り振られている。
ということは、そのソフトで使う7千なにがしのポートが、OCNによって閉じられていると考えるしかなかった。
さすがここまでファイル交換ソフトが問題になると、OCNも動いたのかと思うが、それにしてもこいつは本当に執念深い。
なんとしてでもこのソフトが使える環境が欲しいらしく、いろいろと研究しようとしていたが、プロバイダ側でポートがしまっているのだから、どうしようもないと思うんだけどなぁ・・・。



2002年11月14日(木)
ついに日記データリメーク機能完成

 今日は本当は午前中から授業がある予定だったが、昨日遅くまで起きていた性で、眠くてしょうがなかったので、今学期最後の授業だというのにサボってしまった。
それで11時頃に起き出して、飯を食いに行くと、Winona君が食っている途中だったので、向かい側の席に行くと、こいつもどうやら今目を覚ましたばかりらしかった。
 その後、4時間目の授業で、HTMLの文法診断サイトで俺のページをチェックしたら、いきなりマイナス25点だったので、いらついてパソコンを壊したい衝動に駆られた。
 それと、今日も昨日に引き続いて5時間目に試験があった。これも教科書持ち込みがOKの試験なので、とりあえず昨日と同じように、教科書の点訳データを使って何とかそこそこできたような気がする。
 帰りに飯を回にコンビニに行くと、どうやら新製品で、レンジで温めるカップタイプのうどんが出ていた。これは、カップの底にしるがゼラチン状に固めてあり、レンジで温めるとそれが熱で溶けて、液体になる仕掛けらしい。
おもしろそうだったので一つ夕飯に買ってきてみた。
 その後、会社の方から出ている通信教育の宿題をやった。
それが終わった後、今度はニュースを見ながらさっき買ってきたうどんを食った。これは思っていたよりもなかなかうまかった。
久しぶりに新製品で当たったような気がする。この前の広島風お好み焼きは非常にまずかったから、余計今回のがおいしく感じたのかも知れない。
 8時過ぎ頃になって俺はふと思いついて、この日記のスクリプトをまた改良し始めた。
それは、日記データのHTMLファイルの作り直し機能の作成だった。
以前にも3回ぐらい、いろいろと挑戦していたのだが、ひ何度やっても500エラーになってしまって、全く話にならなかった。
昨日ちょうどApacheもインストールして、CGIスクリプトのテストができるようになったので、これをやってみようと思ったのである。
 最初はやっぱり何度やっても500エラーだったのだが、エラーログを見てみると、なんだか全く訳の分からないエラーになっていた。結局、今までやっていた方法では、この機能が追加できないと言うことで、全く違う方法を試してみると、500エラーにはなるものの、HTMLファイルのリメーク作業そのものは行われていた。
ここまで来れば後は簡単な話で、やっと3時間程度かかって、日記データの作り直しの機能をこのスクリプトに組み込むことに成功したのである。
これで日記の上の方のメッセージを変更したくなったら、デザイン設定をした後に、管理画面から「データリメーク」を実行すると、今までのログも含めてすべてのデータが書き直されるようになった。
ああ、やっとできたなぁ。それにしてもこの改良をやろうと思ってから何日かかっているんだろうか。
 スクリプトを弄くっている途中、冬休みに手伝う予定になっている映画の監督の人から電話がかかってきて、12月のはじめの方に、広島で打ち合わせをやるという。しかし広島なんて行く金があるだろうか。
行ってみたいとは思うのだが、金がないのである。



2002年11月15日(金)
パワーポイントなんて大嫌いだ

 今日も10時頃に起き出した後、ちょっと英語のレポートで分からないことが出てきたので、英語の得意な先輩に電話を入れて聞いていた。「
実は俺の学校は、来週1週間が試験期間なのである。
情報処理学科はどちらかというと試験よりもレポート中心なので、俺は来週には試験は入っていないのだが、その代わり、来週はレポート週間になる。
といっても、レポートは英語と検索とマーケティングの3つだけなので、気楽と言えば気楽である。
そういうことで、今回は今までになく有意義な休みを、試験期間中も含めて過ごせると思ったのだが、このとき俺の元にはとんでもないやばいことが迫ってきていることなど全く知るよしもなかった。
とりあえず電話で聞いて、英語の方は何とかなったので、友達とチャットしてから飯を食いに行く前にメールをチェックしてみると、なんだか久しぶりに添付ファイルの付いたでかいメールが届いている。
リストのところにカーソルを持っていったとき、聞こえてきた差出人で、ちょっとやばい気分になった。
 そして開いてみると、やっぱりその予感は的中。内定をいただいている会社の方から、今度のオリエンテーションの時に、プレゼンテーションをやるようにというメールが入っていたのである。
とりあえず食堂の前であった友達にそれを話すと、やっぱりプレゼンテーションなんだからパワーポイントを使わなければならないだろうという話だった。
そこで、スクリーンリーダーのパワーポイント読み上げスクリプトを、昔某氏からもらったような気がしたので、それを探したのだが、全く見つからなかった。
そこでそいつにメールを出して、あったら送ってくれるようにお願いして、授業が終わってから仕事に行った。
 家に帰ってきてごろごろしていると、師匠から電話が入ったので、しばらく話をした後、飯を食っていつものようにテレビを見た後、昼間の続きでスクリーンリーダー用のパワーポイント読み上げスクリプトを探したのだが、全く見つからなかった。
ああ、確かあいつにもらったのに、何処へ消えたんだろうか。もしこれがなかったら、資料作ってプレゼンするしかねえなぁ。
とりあえず、テーマというか発表するネタはもう決まっているので、そっちの方はそんなに問題ではないのだが、パワーポイントの方がかなり問題である。
 ちょうどそのとき、ニケ君から電話がかかってきたので、先週からあいつは韓国に行っていたらしいので、その話を聞いてみると、どうやらソウル周辺では日本語が通じるらしい。
服なんかを見ていると「これ1500円、1500円」とか言われるらしい。
しかも海苔を買おうとして二つの内安い方を選ぼうとすると、
「これ、おいしくない。こっちがいいよ」
とか日本語で言われるらしい。
どうやら韓国と言うところは、俺が思っているより日本人には冷たくないらしい。
もっとも若い人たちは、日本に親近感がある人がほとんどだという話を、どこかのテレビ番組で聞いたことがある。
確かに俺たちだって、アメリカを憎んではいない。ただし、個人的にはアメリカのやり方は気に入らなかったりするが、そんなに憎むほどのことではない。
 それからまた、スクリプトを探したのだが、全く持って見つからない。
それと今週から、週ごとにアクセス解析をやることにしたのだが、どうも最近「自己PR」というキーワードでこのページに来る人が多いらしい。
履歴書とか、面接とか、就職関連のキーワードがものすごく増えているので正直言ってびっくりしている。
もしかすると、バッチファイルの次は就職活動体験日記の方に、直接リンクされるのを防ぐ方法を作らなければならないとも考えていたりする。



2002年11月16日(土)
連絡は早めに欲しいんだけどなぁ

 さて、実は昨日の続きみたいな感じです。
 昨日の夜から今日の朝に書けて、なんだかまたおもしろそうな本を見つけてしまったので、それを読んでいると気が付いたときには8時になっていた。
それでショウガないので、その時間から寝付いたので、起きたのはやっぱり夕方の5時ぐらいだった。
もしかすると、この時間に電話がかかってこなかったら、ほとんどの確率で寝ていたと思う。
 起き出してメールを確認してみると、昨日お願いしておいた某スクリーンリーダー用のパワーポイントをしゃべるスクリプトがメールで来ていたので、お礼メールを送信してその後ちょっとセカンドマシーンに入れて試験をやってみた。
とにかくしゃべることはしゃべるらしいが、なんと、俺はパワーポイントなんて今までに全然使ったことがないので、これにはかなり困ってしまった。
とりあえず今度のオリエンテーションまでには、誰かにこれを教えてもらわないとまずい。
 その後、今日はBLPCの今度のイベントに向けてのオンライン会議があったので、8時頃からぼちぼち始めると、とんでもないことが発覚した。それというのは、なんと俺、申し込みフォームに午前と午後の希望欄を作るのをすっかり忘れていたのである。
これではしょうがないので、とりあえずピヨマルに頼んで、分からない人の希望時間を調べてもらった。
それと、一人来るんだか来ないんだか分からないインストラクターがいたので、その人に出欠をはっきりしてもらえるように連絡した後、今度は来る時間がはっきり分からない人もいたので、その人にも電話を入れて時間を聞き出した。
それにしても全く何でもう少し早く連絡をくれないんだろうか。
 さて、この後は明日に続きます。



2002年11月17日(日)
パソコンが壊れる

 昨日の続きです。
 BLPC関連のことが一通り片づいた頃、内の学科の1年生の後輩から、C言語について質問のメールが入っていた。
この時期はレポート週間だから、プログラムの苦手な人はまず今はぼうっとしてなんかいられない状態なのである。
もちろん俺はまじめ?なので、答えを教えるとかそういうことはしないが、やっぱり困っている人がいるんだから、ヒントぐらいはあげるのが先輩だろう。
 そんなことを言っているが、今回の質問は俺にとってもかなりちんぷんかんぷんだった。2次方程式を解くプログラムを作り、そのプログラムの説明もしなさいと言う問題なのである。
このレベルのCのプログラムであれば、文法的なことは問題なく理解できているが、問題は二次方程式なる外国語である。
俺にとって数学というのは、それを見ただけで「すうっと力が抜けて、がくっと倒れる」という、とんでもない悪魔の言語なのである。
でもだ、ここで分からないと言っては先輩の面目丸つぶれになることほとんど間違いないので、とりあえずかなりがんばって調べてみた。
すると、ちゃんとそのものの答えの乗っているサイトを発見したのだが、これまた説明がわかりにくくて、プログラムのやっていることは分かっても、何でこういうプログラムを書くと二次方程式の解が求められるかという説明は全くできなかった。
そこで、同じ学校の後輩に聞くよりもましかと思い、新井君にメッセで聞いてみると、やっぱり彼も文系で、二次方程式なんかさっぱり知らなかった。彼の第1声が
「二次方程式?それは何処の言葉ですか?」
だったのだから・・・。
ああ、やっぱり数学なんて日本の学習指導要領から姿を消せばいいのである。
でも、ここで新井君は俺よりも少しは上手だった。ネットで二次方程式の解き方を調べて返信をくれたので、それを元にまたプログラムと格闘したが、やっぱりこんなの分かる方が不思議なのである。
そんなわけで2時頃になって、俺はついにギブアップしてしまった。
それで、後輩に「僕にも分かりません」とメールを送ってしばらくしぼんだ後、今度は新しい検索ソフトが出たというので、それを使ってみた。
どうやらこのソフトは、スクリーンリーダーを意識して作られているらしい。そこでどんな検索ソフトでもいつも俺がテストするように、データドライブのすべてのテキストファイルの中から「試験」という文字列を探してみた。
 ところが、いつになってもこの作業が終わらない。10分ぐらいならまだ許せるのだが、それにしても遅いのである。だが、止まってしまっているかというとそんなことはなく、しっかりとHDDに盛んにアクセスしている。
しかし、さすがに30分を過ぎた辺りで、いやな予感がしたので、Alt+F4キーで泊めようとしたのだが、全く止まってくれない。それどころか「プログラムの終了」という窓が、Alt+F4をヤルタ日に増える有様である。
そこで、最後の手段としてタスクマネージャーで、このプログラムのプロセスを殺したのだが、全く止まってくれない。
これはやばいことになっていると思った。しかも先ほどからHDDはものすごい音を立てて回っているので、暴走していることは間違いない。
そこで、Windowsの終了操作をやったのだが、全く電源が切れるどころか、さらに暴走する有様だった。それで仕方なく、電源ボタンを長押しして強制的に電源を切ったのだが、これが俺の本日の不幸の始まりだった。
 電源を長押ししてシャットダウンしてしまったので、ちゃんと立ち上がるかどうか不安に思いながら再起動をやってみると、なんとやっぱりいやな予感はばっちり的中。OSの読み込み途中で何かエラーが発生して、何度やってもWindowsXPが起動しないのである。
これは大変なことになったと思い、とりあえずWindows98を起動してみると、こちらは問題なく起動できたように見えたのだが、これも音声リーダーがおかしくなっているではないか。
ともかく起動はできたので、音声リーダーの復旧作業に取りかかったのだが、SAPIというエンジン部品が壊れているらしく、修復には少し時間がかかりそうだった。
それで、こんな事をやっているよりも、どちらかというと最悪の場合、このパソコンをすべて再インストールしなければならないことも考え、バックアップソフトを起動して、すべてのファイルをバックアップすることにした。
バックアップをやっている間に風呂に入った後、今度はMelodyさんのページにアクセスして、WindowsXPの自力インストールメモを読みながら、ともかく自分で復旧しようとして応答ファイルまでは作成できた。
ところがそれからが全くどうしようもない。このパソコンCDブートに設定されていないため、俺には全くこの先に手が出ない状態だった。
そこで、こうなったら自力で復旧するよりも、今日時間のとれる人を捜す方が先決と考え、手伝ってくれそうな友達に、メールを入れまくってから、さすがに疲れてきたので8時頃に一眠りすることにした。
すると9時頃になって、クラスメイトのNから連絡が来た。メールを読んで連絡してくれたらしく、10時過ぎ頃に来てくれるらしい。
ああ、本当に優しいやつがいてよかった。それと運良く、今日が日曜日だったのも助かった。
 そんなわけで10時ちょっと過ぎた辺りから、1時ぐらいまでひたすら再インストールの作業をやった。
まず、このパソコンのCDブートのやり方が不明だったので、DellComputerのテクニカルサポートに電話して、設定方法を聞いてみると、
Dellのロゴマークが出てきたら、すぐにF2キーを押した後、ブートシーケンスを上下キーで選んでエンターを押し、CDROMを上下キーで選んだ後、マイナスキーを何度か押して、CDROMの表示が一番上に来るようにする。
次に、ESCキーを2回押して、設定を保存する。エンターキーを押すと再起動するので、
「Press any key to boot from CD」
と出てきたらエンターすると、CDからの起動ができた。
それから、どんなエラーが潜んでいるか全く検討がつかなかったので、いまWindowsXPが入っている領域を一度削除して、再度作成した後、フォーマットしてからインストール作業をやった。
 ここからは見える人さえいればなんて事はないので、サウンドドライバのインストールまでは問題なく行うことができたのだが、この後、ネットワークカードのドライバとか、ビデオカードのドライバのインストール方法がよく分からなくて手間取ってしまった。
それもこれも音声対応の非常に悪いDellのリソースCDの性なのである。
とりあえずいくらやってもどうしようもないので、スクリーンリーダーを先にインストールして、音声の出る状態にした後、友達は帰っていった。ああ、マジで助かりました、ありがとう。
 その後はもちろん、またDellのテクニカルサポートに電話していろいろ聞いてみると、俺の機種の場合には、ビデオとサウンドカード以外は、WindowsXP標準搭載のドライバですべてまかなえるらしいので、ともかく一件落着である。
これからはひたすら5時頃までソフトのインストールとか、環境設定などを中心にやっていた。
でも幸いなことに、CドライブのWindows98側にインストールしてあるソフトについては、スタートメニューに登録し直したり、XP側でもインストールプログラムを一度動作させておくことで、ほとんどのソフトがばっちり動作するようになった。
もちろんバックアップのおかげで、データの損失は全くなかった。


 今日はかなり大変なことが起きてしまった。
 それから飯を食った後、今度の講習会の受講者の方に、当選の連絡をした。今回は10人ぐらいお客さんが来る予定になっているので、すべて電話をしたら疲れてしまった。
それでも2人ぐらい連絡が付かないのだからしょうがない。
 その後は、さすがに朝からの疲れで眠くなって寝てしまった。



2002年11月18日(月)
入力フォームの文字ボックスフィールドの色の指定

 今日は、昨日の夜何となく寝てしまったので、4時頃にいったん目が覚めた。
とりあえず眠れそうもないので、昨日の昼間友達が差し入れに持ってきてくれたおにぎりを食って、お茶を飲んでから昨日の日記を書いていた。
しかし、6時頃になってまた眠くなってきたので、牛になりそうな気がしながらも、またネタ。
気が付いてみると11時になっていて、ひたすら電話が鳴っている。電話機からは友達の名前が流れてきているので、こればっかりは出ないとやばそうである。
それで電話に出ると、どうやらこいつは、朝に携帯にメールをくれたらしいが、俺は携帯メールはほとんど見ない人なので、思いっきり気が付かなかった。
それでいきなりどうしたのかと思って聞いてみると、どうやらCGIが走らないらしい。
しかも俺が今まで聞いたことの無いようなエラーが発生している。
そこで、とりあえず飯を食いに行くついでにそいつのところによって確かめてみると、思いっきりPerlのパスが間違っていた。
これでは逆に動く方がおかしいのである。
すると今度は、この掲示板の色が気に入らないと言い出した。
背景の色はもちろん、どうも名前とか題名を入力するテキストボックスの背景色を黒にしたいらしかった。
しかし、俺は普段から色の指定なんてどうでもいいと思っている人なので、いきなりこんな質問が来て、CGIをどう書き換えれば、テキストボックスの色が変わるのかと迷ってしまう有様だった。
そこで、この見本となるサイトがあるらしいので、そのサイトのURLを教えてもらって部屋で解析することにして、続きは明日やることにした。
 帰りに床屋によって行こうとしたのだが、どうも床屋らしき建物の前に来ても、シャッターが閉まっていた。
筑波の床屋に来るのは初めてだったので、もしかしてここは床屋じゃないのかと思って辺りを観察してみたが、やっぱりここが床屋の前であることには間違いないらしい。
損後期、目の前で自転車から降りた人の足音が聞こえたので、
「すみません、床屋はここですか?」
と聞いてみると、どうやらここは確かに床屋らしかったが、今日は午後休みだと書いてあるらしい。
ああ、せっかく来たのに・・・。休みでは仕方がないので、明日来ることにして部屋に戻ってきた。
その後、さっきの話し(テキストボックスの背景色を変える話)をどうやるか研究していると、どうやらこれをすぐにやってしまうためには、スタイルシートを使うのが手っ取り早いらしいことが分かった。
この先はメモになるので、面倒だと思う人は飛ばしてください。
しかし、ちょっとでも弱視に見やすい掲示板作りたいとか思っている人は、参考にしてください。

 HTMLソースのヘッダ部分に、以下のスタイルシートを埋め込むように設定すると、どうやら弱視の人に見やすい入力ボックスが完成するらしい。

<STYLE TYPE="text/css">
<!--

input,select{
background:#000000;font-size:13pt;color:#8DCFF4;font-family:MS UI Gothic;
border-top:1px double #007cfb;
border-left:1px double #007cfb;
border-bottom:1px double #007cfb;
border-right:1px double #007cfb; }

textarea{
background:#000000;font-size:16pt;color:#8DCFF4;font-family:MS UI Gothic;
border-top:1px double #007cfb;
border-left:1px double #007cfb;
border-bottom:1px double #007cfb;
border-right:1px double #007cfb; }
-->

そんなわけで、これを電話で伝えると、
「それやるとまたエラー出るかも知れないよね」
と言われた。確かにCGI知らない人がやるとエラーになる可能性が大きいのでそう答えると、どうも今回はあきらめるらしい。
 その後、Mycom PC Webを見ていると、Windows上でUNIX環境を再現できるCygwinというソフトの特集が載っていたのでそれを読んでいると、なんだか部屋が暖かくてまた眠くなって、気が付いたら3時を過ぎていた。
その後、内のボランティア主任から電話が来たので、イベントの打ち合わせをした後、友達とメッセンジャーをやってから、飯を買いに行ってきた。
 それからは講習会を受講していただくお客様への連絡の残りをやったり、テレビを見たりしてから、英語のレポートを片づけた。
 しかし久しぶりに本気で英語の和訳をやったので、ほとんど忘れてしまっている。ああ、やばいなぁ・・・。



2002年11月19日(火)
何度言ったら分かってくれるのだろうか

 今日は10時頃にまた起き出して、その後飯を食いに行った後、廊下で1年の後輩と話し込んでいた。
それによると、相変わらず1年のプログラム言語の授業では、C言語をやらされているらしく、しかも俺たちが1年の頃より遙かに、数学的なプログラムばっかりを取り上げて、学生をいじめているらしい。
それじゃなくても内の学科の人は数学できないんだから、少しでもプログラムを好きになって欲しいと思うのであれば、なるべく数式を扱うプログラムを授業でやるのはさけて、できるだけ文字処理中心のプログラムをベースにやればいいのにと思った。
俺が1年の時は、そんなに数学的なむちゃくちゃなプログラムは入ってこなかったが、今年は2学期のレポートから二次方程式なんだからしょうがない。
日本の大学生の何パーセントぐらいだろうか?二次方程式を覚えている人は。
そんなことも頭が回らないほど、大学の教授陣というのはお利口ではないらしい。
本当にいい身分である。自分の趣味で授業やっていて、生徒の何パーセントが理解できたか考えないでいても、国の方から給料もらえるのである。
ともかくその時間に抗議やって、レポート採点してればいいのだ。
これは極端すぎる表現かも知れないが、本当に内の学科の先生は、数学が苦手な学生の気持ちを分かっていない。いや、自分が得意であるから「分かろうともしない」のである。
数学が苦手な学生が9割を占めるというのに、この状態は恐ろしい話である。
 俺は最近考えたのだが、生徒の授業評価で「先生の授業が70パーセント以上理解できない」学生が全体の学生の8割を超えた時点で、その先生の給料を減らすと言う制度を設ければもう少しましな大学教授が生まれると思う。
事実、企業なんかの営業マンは、自分がどれだけ成績を上げたかで給料の額面も決まってくるのである。
俺が今日話をしていた後輩は、幸いなことに数学が得意だったが、プログラムに至っては全然理解していないようだった。
ともかくこの状況では、ろくな事にならないのは確実である。
内の学科もいい加減にもう少しましな授業をやらないと、学生が来なくなってしまうのではないかと思う。
それじゃなくても、いつだったか某新聞社のホームページに、思いっきり内の学校の真実がさらされて以来、内の学科の受験生は減っているという話があるらしい。
ああ、俺は今まであれだけ言ってきたのに、何でこの人達は分かってくれないのだろうか?
俺たち視覚障害者にとって必要なのは、理論的で難しく、実際は特殊な仕事にでも付かない限り、何の役にも立たない、学生いじめの数学的プログラムなどではない。
もう少し実用的なWindowsの知識であり、実用的なプログラムである。
俺は今、内定先の会社の方から出された宿題で、パワーポイントを使った方がいい場面に直面しているが、こんな時この学校で習ったことが全く役に立たなくて困っている。

 さて、その後床屋に行こうとすると、なんだか今日も休みだった。
それで友達に聞いてみると、この床屋はどうも毎週月曜日と第3火曜日が休みになっているらしかった。
 家に戻ってきてから英語のレポートを提出した後、友達とちゃっとぉやっていると、卒検担当の先生からメールが入っていて、明日の5時間目の予定だった卒検を、今日の5時間目にして欲しいという話が来ていた。
とりあえず俺は暇だったので、3時過ぎに出かけていった。
 それから、先週注文しておいたLinuxの音声合成ライブラリが届いていたので、それをインストールしようとしたのだが、回答してみるとソースの集まりで、どうやって使っていいのか全く分からない。
そこで、バイリンガルEmacspeakのページを見てみたのだが、全くちんぷんかんぷんな話で、これはこいつをしゃべらせるようになるだけでも3学期いっぱいかかりそうな予感がした。
そこでこうなったら、これも含めて卒業研究にしてしまうことにして、いろいろとやっていると、Winona君がやってきたので、彼にこの文書が理解できるか聞いてみたのだが、やっぱりこれは難しいらしく、全く暗号みたいだと言っていた。
 その後、弁当屋に行って飯を買ってきてから、部屋に戻ってテレビを見ていると、最近エアガンがはやっていて、小学生まで公園で使い出したりして、かなり危ないという特集をやっていた。
しかしあれは絶対におもちゃの域を超えている。
もし顔にでも命中すれば、痛いどころか、下手をすれば失明する危険性だってあるのだ。
それにしても最近は、どうしてこういう危ないおもちゃがはやっているのだろうか?
俺が小学生の頃も、確かにエアガンはあったが、今のように種類は豊富ではなかった。
しかも連射タイプのものは、小学生には買えなかったように思う。
俺たちが気軽に買うことができたのは、バネで玉を発射するタイプの本当におもちゃチックのもので、これは相当当たり所が悪くなければ、何も事件にはならなそうな代物だった。
別に俺は、エアガン遊びそのものを否定するつもりはないのだが、18歳未満の人間がこんなものを持ち出すと、弱いものいじめの道具として使われたり、無差別に打ちまくることで、人に怪我をさせたりするので、非常に危険だと思う。
これは早いところ法律ででも取り締まらないと、何か事件が起きそうな気がした。



2002年11月20日(水)
牛乳地獄と電動鼻毛カッターの空中分解

 今日は比較的早めに起きたのだが、暇なわけではなかった。
土日のイベントに備えて、資料を必至になって作っていたり、受講者向けのHTMLのテキストを作成したりしていた。
とりあえずHTMLテキストの方は、5月に作ったものがあったので、それを使うことで手抜きをすることにしたのだが、会員向けの資料の方は、さすがに前回のやつを使い回すわけにはいかないので、とりあえず午前中は、EXCELで作っておいた受講者表を、テキストに変換したり、今回はなるべく暇な人が出ないように日程を調整していた。
 それから飯を食いに行った後、今日こそはとおもって床屋に行った。するとやっぱり昨日友達が言っていたとおり、しっかりと空いていた。
まず中に入って感じたのだが、筑波の床屋というのは、俺の実家の近くの床屋とはかなり店の雰囲気から店員の感じまで違う。
たとえば、店内に流れているのは、アメリカのなんだかいきな音楽だった。
実家の方では、何も流れていないのが不通で、流れていたとしてもラジオの高校野球だったり、ひどいときには演歌だったりすることもある。
これだから若い人はあんまり田舎の床屋には行かないのかも知れない。
それから店員の方は、ものすごく丁寧で優しい感じだ。
誤解しないで欲しいのは、俺のいつも行っている実家近くの床屋の店員が親切ではないという意味ではないし、雑だと言うことでもない。
何というか、筑波の床屋の店員さんが「サービス業従事者」みたいな感じなのに対して、実家の方の床屋のおじさんは「@職人」なのだ。
だから髪の毛の切り方もかなり豪快である。
これをうまく説明するのはかなり大変なのだが、一言で言ってしまえば、どちらにもそれなりの良さがあっていいと思う。
しかしだ、筑波の床屋には俺を引きつけるもう一つの魅力がある。それは、店内でたばこを吸う人が少ないことだ。
確かにちょっとたばこのにおいらしきものがすることはあったが、さすがに煙くて域をするのが苦痛なほどの強烈なたばこ臭さではなかった。
俺はこれがいやで、実は床屋は嫌いだったのだが、こっちで床屋に行っておけば、あんまり苦痛ではないかも知れない。
それと、こちらの待合室に置いてあるのは、お茶ではなくて「俺の好きなコーヒー」であることも俺を驚かせた。まさか床屋に来てコーヒー飲めるとは思っていなかったのだ。
そんなわけで、たかが床屋に行っただけでも、かなり俺には刺激的だったりする。
ちなみに俺の髪を切ってくれたのが、なんだかかわいい感じのお姉さんだったことも書き加えておくが、これは俺を引きつける魅力の内の10パーセント程度である。
 その後、いよいよ本格的に墨字の資料を作成し、ボラ主任のQ2と連絡を取り合った後、点字の資料を作成してから、情報検索入門とか言う授業のレポートに取りかかった。
ところがこの授業、それこそ全く聞いていなかったので、思いっきりちんぷんかんぷんを極めていたため、教科書を最初から読み直さなければならず、7時近くまでかかってしまった。
それから、飯を食ってコーヒーでも飲もうとしたのだが、また牛乳を入れすぎて大変なことになった。
電気ポットの乗っている台の上で牛乳をコーヒーに入れたのだが、ちょっと考え事をしながらやったせいで、思いっきり台の上にこぼれてしまった。
それだけならまだいいのだが、台の下にはカセットテープとかCD、MDとか成績表など雑多なものが入っている箱があり、テーブルの上からしたたり落ちた牛乳は、事もあろうにその箱の真ん中当たりに
「たらたらたらたらたらたらたら」
と音を立ててこぼれ始めたのである。
これは2年に一度あるかないかというようなレベルの最悪の事態だった。
水ならちょっとの量が入ったぐらいではふきんで拭き取ってしまえばほとんど問題ないのだが、CDやらカセット、挙げ句の果ては成績表の上にまで牛乳がたれたとなると、これはただごとではない。
とりあえず液体として存在している牛乳については、急いで付近でふき取り、箱の中身を全部引っ張り出して、50本以上或カセットテープ、20枚以上あるCD、100枚近いMDディスクを吹き始めた。
そして、成績表の端の方も被害に遭っていたので、これは部屋の暖房を全快にして、牛乳くさくなることを覚悟で乾かした。
そして、牛乳をふき取った付近が乾いてしまう前に洗濯し、箱の中にあったものをきれいに元に戻したら、この牛乳騒動だけで40分近く時間を費やしてしまった。
それにだ、洗濯物を乾燥機に入れて乾かすことを考えたとき、問題になるのは前回洗濯したものをちゃんと片づけていないと言うことだ。
そこで仕方なく、乾燥機の中に山のように入っている洗濯物をたたんでタンスにしまったりして、結局この事件の性で1時間以上無駄な時間になってしまった。

 それと、今日はどうも運が悪いらしい。
洗濯が終わって一息つきながらテレビを見ていた。ところが俺は何を思い立ったのか、鼻毛が出ていることが気になりだして、机の引き出しから電動鼻毛カッターを取り出してお手入れを始めた。
そこまでは不通である。全く問題ないのだが、暇をもてあました俺は、なんとそれを分解して、カッターの上の部分のカバーをはずし、刃の部分を持って、本体のスイッチを入れ、本体の方をモーターの威力で回してみたい衝動に駆られたのである。
そして久しぶりに子供みたいなことをやって遊んでいた。はじめは気持ちよく駒がうなるような音を立てて総会に本体は開店していたのだが、突然、遠心力でカッターの刃の部分との接点が外れてしまい、本体が空中でバラバラになって、部屋の中に飛び散ってしまったのである。
目が見えない俺にとって、一斉にものが飛び散ってどこかに行ってしまうほど探すのが大変なことはない。
結局これも1時間近く部屋中をはいずり回ったり転がったりして探していたのだが、どうしても部品の半分以上が見つからない。
ああ、5年間も壊れることなく動いてくれた700円で買ってきた鼻毛切り君、ついにこんな形で生涯を終えてしまうとは。
馬鹿な僕を許してくれ。
んなことじゃなくて、本当に何処行ったんだろうなぁ電池ふたと後面の部品と電池バネ。



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