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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年12月11日(水)
点字紙がもったいない

 今日は昨日早く寝たのだが、夜少し目が覚めただけで、6字ぐらいまでぐっすりだった。
しかし、目が覚めたはいいが、頭が痛くて動けない。
もう少し寝ていたかったのだが、明日卒研の中間発表があるので、その資料の点訳をやらなければならなかった。
 本当は点訳したものをそれぞれ持ってきてくれるとありがたかったが、内のクラスでパソコン点訳のできる人が俺しかいなかったので、ほかの人に点訳の方法を教えてやってもらうよりも、いっきに俺が点訳して冊子にまとめた方が楽だと思ったのである。
 そんなわけで頭痛薬を飲んで、とりあえず久しぶりにMS-DOSのノートパソコンを立ち上げて、いつものようにExtraのDOS版でテキストを点字に変換した後、お得意の「ブレイルスター」という点字エディターで点訳作業を開始した。
ところが、久しぶりに表紙なんか格好つけて作ろうとしてしまったため、このソフトの点線引き機能の使い方を忘れてしまい、かなり何回も失敗して、簡単な表紙を作るだけで、なぜか1時間近くもかかってしまった。
そんなわけで本文の点訳に入ったが、友達の発表文の中に、結構面倒な表が入っていたので、それをどうやって点訳するかでちょっと迷ったりして、結局11時ぐらいまでかかってしまった。
ところが、この時点でもひとつ原稿が届いていなかったので、それを墨時担当の友達に手打ちで送ってもらい、なんとか点訳データは完成した。
 もちろんこのデータ、目次を作ったり、いろいろとバランスを整えたりしなければならないので、授業に行ってからもこの作業をやって、放課後に点字印刷に取り掛かった。
 ところが、なんだか内の教室の点字プリンター、いくらやってもパソコンの方から「ドライブの準備ができていません」とかエラーが発生して、ぜんぜん話しにならなかった。
仕方が無いので、違う教室の点字プリンターで印刷したのだが、こっちの方はこっちの方で、複数部印刷しようとすると、これまた印刷がぐちゃぐちゃになる現象に見回れてしまった。
しょうがないので、一部一部印刷するしかなかった。
ああ、ひとつ終わったらいちいち操作しているんだから、ずっとプリンターの前についていなければならなくてかなり面倒だった。
その後、終わったやつをホチキスで止めようと思ったら、厚すぎてとまらなかった。そこで技官室に行ってリングをもらって止めることに下。
ところで内の学校で使っている点字紙、やたらと横幅がでかい。俺はこの学校の説明会に初めて来たときに、このでかい点字紙にはびっくりした。
もちろんでかいのは紙だけではない。点字そのものもほとんど外国製のプリンターで印刷するので、かなりでかいのである。
最初のうちは盲学校の標準日本点字になれていたので、結構読みにくかったのだが、なれてしまうと今度は標準の日本点字が読みにくくなってしまっていたりする。
そんなわけで内の学校の紙は、でかいのが標準になっているわけだが、なぜか情報処理学科の講義室に入っている点字プリンターは、TP32という日本性のものだ。もちろん点字のサイズは日本標準のものである。
その点字プリンターに、外国(特にアメリカ)標準とも言えるでかい紙をセットして打っているものだから、紙の両端がかなり無駄になっているのだ。
それも両端5センチぐらい余白がある。点字紙は証券を作っている紙と同じぐらい良質の紙だと聞いたことがある。
だからもちろん値段はそれなりに高い。そんな紙をこんなに無駄に使ってしまって本当に言いのだろうか。
前からこれは問題だと思っていたので、技官室でリングをもらうついでに、8インチの日本標準の点字用紙を買ってもらうことにした。
まったくもう少し税金は有効に使えば良いのに・・・。
ちなみにこんなことをやっていたので、帰ってくると7時近くなってしまっていた。
 それから焼き蕎麦とお好み焼きセットを食ってから、やっぱり頭がかなり痛くなって寝てしまった。
ああ、最近俺は風邪を引くと頭が痛くなってかなり困る。
昔は頭なんてほとんど痛くならなかったんだけどなぁ。



2002年12月12日(木)
小さな親切大きなお世話のエディタの印刷機能

 今日も例によってかなり早起きだ。
しかし、3時頃に目が覚めてそのまま起き出すと、今日も昨日と同じような時間に眠くなって、早起き連鎖が起きるので、何とか眠気を誘うために、風呂にでも入って体を温めて寝直すことにした。
ところが、いくらベッドの中で目を閉じても眠れない。本をパソコンで聞きながら寝ようと試みるが、ほとんど眠れなくて、結局7時頃までごろごろ転がっていた。
7時頃から9時頃までとりあえず寝た後、朝ご飯におにぎりを食って、友達とチャットしてから学校に行った。
今日は木曜日だが、先生の都合で休みになっていたので、午前中授業がなかったのが救いだ。もしあったら7時には寝る気にはならなかっただろう。
 そんなわけで飯の後授業中に昨日の日記を書いてから、4時間目が卒検の中間発表の準備で休みになっていたので、俺は別にする準備も無かったから、研究室で友達と遊んでいた。
 そのうち発表会の時間が近づいてきたので、教室に行ってマイクをセッティングしたりした。こんな小さな教室でマイクなんか使う必要は無いように感じるが、やっぱり発表会なんだからマイクがないと雰囲気がでない。
 今回ちょっと驚いたのは、見に来ていた人の中に1年生がいたことだ。
例年1年生というのは、中間発表会は見に来ないので、ちょっとびっくりして点字の資料の部数が足りないかとはらはらした。
でも、世の中そこそこうまく動くらしく、1年生が来た文、2年生がほとんど来なかったので、資料は不足するどころか余ってしまった。
 ちなみに今日、俺は準備をサボって発表にでた性で、発表中に自分が現行の何処を読んでいるのか見失ってしまい、一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
でも、自分の発表したいことは発表できたと思う。
それと俺の発表の後の質疑応答の時間に、1年生から質問が出たのはちょっとびっくりだった。
 発表会の後、まだ帰るには早かったので、教室で友達3人で
「今日はうまくいかなかった」とか、「資料の間違い気が付かなかった」とか、「あの先生つっこみ激しいんだよなぁ」とかだべってから帰ってきた。
 その後が大変である。
今日のプレゼンテーションはたしかにどちらかというと失敗だった。
俺の中ではかなり恥ずかしい部類に入る。
でも、今日失敗しても「ああ、TomGがかんでいる」とか、「あいつ真っ白だ」とか友達に言われるぐらいでことは済む。ところが、明日は内定をもらっている会社でプレゼンテーションをしなければならない。
聞いている人数は今日とほとんど変わらない、というよりも少ないかも知れないが、来年から仕事をする会社でこんな恥ずかしいプレゼンテーションはできるはずがない。
そこで部屋に戻ってきてから、早速現行を急いで点訳し、明日の練習を始めた。
 明日の持ち時間は3〜5分程度なのだが、これがまた持ち時間をしっかり使って話すのは思っていたよりも大変で、2時間ぐらい現行とにらめっこして、明日どの辺りに重点を置いて時間を使うかを決めることができた。
 もちろんまだこれでは不安が残るので、明日の朝少し早めに起きて練習してから会社に行こうと思っている。
ああ、うまくいきますように。

 ところで最近のテキストエディタって変な気がする。
というのは、今日墨字の現行を印刷して持っていこうと、2ページほどある文章を印刷したのだが、不通今までのソフトでは、最初のページが印刷された後、次に最後のページが出てくる。
つまりプリンタの下にたまっている用紙を重ね直さないと正しい順番に紙が並んでくれないのである。
そこで今日も、その要領で紙を正確な順番に並べてホチキスで留めたつもりだったのだが、ちゃんと印刷されているかどうかOCRで確認したところ、2枚目に1ページ目の内容が出てきているではないか。
これは或意味親切かも知れないが、ちょっと今までの方式とは違うので、危うく明日、順番が反対のままホチキス留めした現行を持っていってしまうところだった。



2002年12月13日(金)
オリエンテーション

 今日は本当ならば7時半頃に起きれば良かったが、会社のオリエンテーションの中でプレゼンテーションをやらなければならないので、結構緊張して6時頃に起き出してしまった。
だからといってプレゼンテーションの練習をするわけでもなく、本を読んだりチャットしたり、そんなことばっかりやっていた。
さすがに9時頃になるとやばくなってきたので、荷物を作ったり着替えたりと出かける準備を始めた。
こういうとき或意味スーツは便利なものだ。服を選ぶ手間も省けるし、相当変なことをしなければ見栄えも悪くない。
ただ、唯一悩んだのは外が寒いのでコートをどれにしようかと言うことぐらいだ。
 
 その後9時半頃からプレゼンテーションの練習をやって、やっと5分以内で言いたいことをしゃべれるようになった。
 そして10時頃にタクシーでセンターに行って、10時半のバスで出かけたのだが、どうも13日の金曜日だからなのだろうか、運悪く道路はかなりの大渋滞で、いくら待っても先に進まない。この前会社に打ち合わせに行ったときには相当遅れてしまったので、今回ばかりは遅れるわけにはいかなかったから、かなり焦って足踏みしたり、バスの壁に八つ当たりしたりしながら気をもんでしまった。
ちなみに今回東京駅に着いたのは、予定時刻の1時間後ぐらいの13時だった。
集合予定時刻は30分後の13時半だったからもう大変。
そこから会社までは相当急がないと30分ではいけなかったから、久しぶりに管理体力を使ってしまった。
幸いなことに今回のガイドヘルパーさんが、会社周辺の地理に明るい人だったから最寄りの駅から会社まですんなりいくことができたが、これがもし全く知らない人だったらまた前回に引き続いて2度目の遅刻をするところだった。
 会社について受付を入ろうとすると、ほかの同期のメンバー達が人事の人に連れられて会場に向かっているところだった。俺はそれを見て、また遅刻したかと冷や冷やしたが、どうもほかのみんなが早く来ていたらしく、一応遅刻にはならなかった。
そのときまだもう一人来ていなかった人がいたので、俺はその人が来たら一緒に行くことになって、応接室で少し待っていると、その人がやってきた。
その人もどうも俺と同じでぎりぎり政府みたいだった。
 それから下に降りて、会場にはいると、最初に他の人が入社試験の時にやったらしい筆記試験の説明があった。俺はその試験はやっていなかったが、とりあえず聞いていた。
その後の休み時間、会社の人がとんでもないことを言い出した。
「今回のプレゼンテーションは、休みの人もいますし、時間多めに取ってありますので、変更して一人15分ということでお願いします」
あれれ、これは大変だ。俺は5分文のネタしか持っていなかったので、いよいよやばくなってきた。
 その後いよいよプレゼンテーションが始まった。俺は最後から2番目に発表したが、みんな前回に引き続きものすごくしっかりした意見発表をしていて、俺はこんなのでいいのかと不安になったが、個々まで来たからには気合いでやるしかないと言うことで、とりあえずがむしゃらに用意してきた現行を説明しながら何とか時間を終わらせた。
 その後、今回の公表があったのだが、不通公表というと、全体的にどうだったとか、特にこれが良かったですなどのような感じなのだが、今回人事部長の方が、一人一人の感想をおっしゃってくださったので、とてもそれが暖かく感じて嬉しかった。

 それからは会社の忘年会に出席させて頂いた。
ここでは、今年入社した先輩に会うことができて、いろいろと研修の話とか仕事の話なんかを聞くことができた。
 俺はこのパーティーで感動したことがある。
それは、会社の中で必要な資格を取得した人や、長年会社に勤めた人の表彰式があったのだが、60人近くの社員の方一人一人に、社長自らが「ご苦労様でした」とか、「今までありがとう、これからもよろしくお願いします」とか、「がんばったね」などと言葉をかけながら、握手をして縦を渡していた。
これを見ていて俺は、心からこの会社に入ることができて良かったと感じた。

 パーティーが終わった後は2次会ということで、そのホテルの下のバーでしばらく飲み会があった。
俺はこのとき、結構疲れていたのででようかどうか迷ったのだが、みんなが行くと言うことで、でることにした。
 そんなわけでホテルの部屋に戻って寝付いたのは、なんやかんやで結局2時頃になってしまった。



2002年12月14日(土)
でかすぎるバスも問題だと思うんだけど

 今日は昨日から会社の集まりで東京に止まっている。
といっても、止まっているのは夜が遅いと家に帰るのが大変な人たちだけなので、特に今日は日程は入っていなかった。
ホテルに泊まっていたのは、俺を含めて3人だったが、一人は用事があって早く帰ると言うことだったので、俺はもう一人の人に9時半に部屋に迎えに来てもらって、飯を食ってから帰ってきた。
今日の朝飯はバイキングと聞いていたのだが、どうも俺たちが行くのが遅かったらしく、なんだか決まったものを食べるみたいだった。
しかしそんなことを言ってもこのホテル、かなり豪華なホテルなので、飯もそれなりにうまい。
このホテル、どうやら日本屈指の豪華ホテルらしい。
たしかにそういわれてみればそうだ。
俺は小さいときから家族旅行でいホテルには何回も泊まってきている。それらはもちろん「観光ホテル」といった部類のものであるが、ビジネスホテルのシングルにも、NHKの放送コンテストの時や、鳥取に放送の全国大会に行ったとき、それに山形に行ったときなど、何度か止まっている。
10月に会社のオリエンテーションがあったときにも近くのホテルに泊まったのだが、今回止まったところはかなりものすごかった。
 風呂も余裕で足をのばして入れたし、ベッドもダブルベッドでかなり広い。しかもブランデーとかウイスキー、それにチョコレートなども部屋に置いてあった。もちろん風呂と便所は別になっている。
俺が一人で止まるには広すぎるぐらいのものすごい部屋だった。
 そんなわけでその人といろいろと話しながら、1時間以上もレストランでくつろいでしまった。今回このホテルが異様に華やかなのは、クリスマスが近い性もあるだろう。
 その後タクシーで東京駅まで行って、いつものようにバスに乗って帰ってきたのだが、今回乗ったバス、なんだか日本一でかいバスらしい。社内放送によるとこのバスは、J社が誇るMライナーとか言う2階建てバスで、東京筑波感しか走っていないと言うことだった。
でも、あまりにも長さが長いため、運転手がかなり大変そうだった。俺はなんだか運転席の後ろに座ってしまったのだが、ハンドルを回すたびに運転手が「よっこいしょ」とか「あー」とか言っているので、かなりきつそうだった。
しかも東京駅をでて少し行った辺りで、通行止めの場所があるらしく、バスがでかすぎて迂回できずに、会社の本部に連絡してどうしたらいいのか相談していた。
俺はこんな様子を見て終わったのだが、なんだかこのバス、たしかに乗客をたくさん乗せられるし、人件費も半分近くで済むし、燃料費もバスを2台出すよりは格安かも知れないが、非常に危ないような気がしてならない。
だって、東京から筑波に着くまでに、何度クラクションならされたか分からないのだから。
全く乗っていて結構冷や冷やするのは俺だけだろうか。

 その後家に着いてからは、昨日からの疲れで何をするでもなくぼうっとしていた。3時頃になってピヨマルが電話してきて、携帯とPHSが止まったので、メールの受信が不可能だと言っていた。
 それからは夕飯を買ってきて食ってから、眠くなって寝てしまった。



2002年12月15日(日)
著作権の保存期間は長すぎる

 今日は6時頃に目が覚めてしまった。
当たり前の話だが、昨日の夜から何も食っていないので、異様に腹が減る。
寝ているだけなのだが、本当に不思議な話だ。
 人間は寝ているときが一番栄養を消費しないはずなのに、何でこんなに腹が減るのだろうか。
それにしても外はかなりの寒さだ。布団の中に入っていても寒いような気がするんだから、外になんか出る気になれない。
でも、やっぱり人間は本能的に腹が減っていると寒くても食い物を求めて旅をするらしい。
気が付いてみるとちゃんと着替えて、7時頃にはセブンイレブンの前にいるんだからしょうがないやつである。
 今日はこんなに早く起きたからと言って、別に特別のやることがあるわけではない。そんなわけでいつものように家でだらだらと過ごしていた。
こんな風に日曜日に一日中パソコンをつけっぱなしにしているものだから、俺のメッセンジャーのメンバーリストに登録されている人からすると、こいつはなんと暇なやつなんだろうと思われる世なぁ。
 それと久しぶりに今日、午前中に今時にしては結構充実しているミディのサイトを見つけた。これがそれなのだが、著作権関連がうるさくなってから、この手のサイトは本当に減ったものだ。
昔はこんなのはすぐに探せば見つかったが、去年4月の法律改正で、かなり激減してしまった。
 もちろん俺はCDをコピーするとかそういうのは問題だと思うのだが、こういうオリジナルアレンジのミディファイルの公開まで制限するような法律はどうかと思う。
著作権法に関しては、俺は山ほど言いたいことがあるのだが、書いていると明後日になりそうなのでやめておく。
ただ一つ強く思うのは、現在の著作権の継続時間は長すぎるのではないかと言うことである。
世界最初の著作権法がアメリカだかどこかでできたとき、著作権の有効期間は14年だった。
俺はこの程度の数字で十分なのではないかと思う。
 音楽にしても文章にしても、今あるものは、過去の偉人達が残してくれたものを参考にしながら、作者自身のオリジナリティーに基づいて、自分自身のものとして世の中に発表されているのではないかと思う。
これら先人の作品があったからこそ、いまの作品が存在するのだし、今の作品が俺たちの後の世代に語り継がれるからこそ、それらをベースとして、いろいろな要素を作者なりに混ぜ合わせ、自分なりのものとして発表できるのだと思う。
 それが今の利益重視の著作権法と来たら、何かを発表するたびに、それがちょっとでも有名になって金が入るとなれば「これは私の作品の盗作だ」とか、「これは法律違反だ」などと言い出す始末だ。
世の中には星の数ほどの音楽や文章、そしてアイディアが存在するのだから、その中で少しぐらい似通ったものがあってもおかしいことではない。
似ているかも知れないが、それは作者のオリジナリティーが含まれるからこそ有名になることができたのだろう。
こんな状態では、せっかくのいい作品が死んでしまうのではないかと思うし、過去の作品を参考にしつつ、自分のオリジナリティーを乗せた作品を発表できない。
もちろん俺の言っている「参考にする」というのは、一つの作品だけを参考に刷るという意味ではない。
多くの作品を少しずつ参考にするという意味である。
 今は少し下火になっているかも知れないが、ちょっと前に相当はやった「テキストサイト」ブームの中、とあるサイトの管理人がこれと同じようなことを言っていたと思う。
俺はこの意見に大賛成なのである。

 さて、午後になってにゃすこさんがWindowsをXPに変えたと言うので、この前失敗した音声チャットにチャレンジしてみた。
もちろんちゃんとつながったのだが、俺の方からなんだか変な音がすると言っている。
俺がしゃべっていないとき(いわば無音状態の時)に、変な雑音が入るらしいのだ。
何でこんなことになるのだろう。ひたすらいろいろと調べていたのだが、全く原因は分からなかった。
そのうちに夜になって、本を読みながら一眠りしていると、主任が電話をかけてきて、いい話を思いついたとか言っている。
そんなわけでその話を聞いてから、日記を交信している。



2002年12月16日(月)
この日記のスクリプトが配布中止になってしまった

 今日は昨日の夜、本を読みながら寝てしまったので、どうせパソコンがつけっぱなしになっていて、点訳本を読むソフトのカーソルが本野一番後ろのところに来ているのかと思った。
ところがなぜかパソコンはちゃんと動いているものの、ソフトが止まってしまっていた。
どうやら何かの都合で強制終了させられてしまったようである。
たまにこんなことがあるので、今日も気まぐれかと思ったのだが、また同じ本を読み込んで読み上げていると、突然ソフトが止まってしまった。
どうもおかしい。これは俺のところだけで出る話なのだろうか。
 そんなわけでこのソフトと戦いながら本を読んでいたので、それだけで午前中は終わってしまった感じだ。
でも、友達に聞いてみると、俺と同じ現象がでている。しかも同じところで固まるので、ソフトメーカーにバグ報告をしておいた。
 それと今日、抹茶さんのページを見ていると、プリンタサーバーのレポートが載っていた。
これは複数のパソコンで1台のプリンターを共有するための機械らしい。
この部屋も3台のパソコンがネットワークでつながっている状態なので、プリンタサーバーが欲しくなってしまった。
今のところはメインマシーンにしかプリンタがつながっていないのだが、ちょっとばかりメインマシーンで作業をやっている途中、サブマシーンの方で作った文章を印刷しようと思うと、メインマシーンの作業終了を待たなければならない場合がある。
これはたまらなく面倒くさいし、だからといってプリンタを切り替えて使う気分には慣れないのだ。
そんなわけで今度は正月にでもこれを導入してみようと思う。
 それから学校に飯を食いに行くと、帰りに卒検担当の先生に呼び止められた。どうも明日の卒検の予定が、都合で難しくなったらしい。
そこで、いつに変更するかという話だった。俺はどうせ今日学校にきたのだから、今からがいいと言うと、先生もちょうどその時間ならOKということで、急遽卒検の時間が始まった。
 その中で必要になったソフトがあったのだが、なぜか誰が使っているのか分からなくて、探すのにかなり苦労したというか時間がかかってしまった。
そのソフトは1時間以上たった頃に発見されたのだが全く大学の先生というのはどうして人から借りたものの在処がすぐに分からない人がいるのだろうか。
 その後家に帰っていつものようにホームページを回っていると、ちょっとショックなことを発見した。
今使っている日記スクリプトが、今日付けで配布中止になっていたのである。
その理由はこのスクリプトより高機能なものがリリースされたからなのだが、光景バージョンはフレーム使用のものだ。
たしかに見栄えはいいかも知れないが、ちょっとフレームがあると音声だと使いにくい。というか正確に言うならば、俺の趣味にも合わない。
そんなわけで、近いうちにこの日記の改良版という形で、こいつを俺のホームページのダウンロードコーナーで公開しようかと本気で考える今日この頃だ。
でも、データリメーク機能を取り付けただけではつまらないので、何かもう少し画期的な改良をしてみたいとも思っている。
そこで今考えついたのは、「日記の公開・非公開選択機能宇」だ。
今、世の中に出回っている日記スクリプトには、日記全体の公開・非公開」を設定することはできても、その日ごとに「公開・非公開の設定を行うことはできない。
でも、俺は日記を書いていて、今日の日記は人に見せるのはいやだと思うことがないわけではない。
そういうときには、人に見せたくない部分を別ファイルに保存するなどして対応するしかないのだが、この機能があればそんな面倒なことをしなくてもいいのである。
 俺は、ホームページに日記を公開すると言うことには、以下のような意味があると考えている。

 1.自分の記録をつける。
そのとき何を考えていたのかや、その日に何をしたといった内容を書いておいて後から読み直して懐かしがったり恥ずかしがったりする。
 2.生活の様子を通じて自分の考えを人に理解して欲しい。
今やっているようなことである。
この日記にはどちらかというとこの要素が強い。
 3.むかついたときのはけ口にする。
 4.嬉しいときにさらに嬉しい気持ちを書くことによってかみしめる。

 非公開の設定が必要なのは主に「1.」のパターンである。
一般的に「日記」というのは1.の性格が強いから当然である。
昔「晴れ時々豚」という本の中に
「人の日記を見るのは良くないことです」
という先生の言葉が乗っていたように、日記というのは本来人に見せるものではない。
だからこそ、非公開の設定が必要だと感じているのである。
 でも、わがままを言うのであれば、一部の人には見て欲しいこともある。つまり「不特定多数の人に見られるのは困るが、自分の許した人には見せたいことがあるのである。
上記の3. 4.の二つがその例と言えるだろう。
そこで考えたのは、非公開となっている日記の日図毛の下に、パスワードの入力ボックスをこしらえておいて、閲覧パスワードを入れると見られるようにする仕組みである。
「公開」、「非公開」、「お友達には公開」の3つの設定をできるようにし、パスワード欄に閲覧パスワードを入れると、お友達には公開の設定にされている記事は見える。また、非公開になっているものは、「非公開」と表示され、管理パスワードを入力すると見えるようにするという使使用である。

 ああ、ここまで書いて思った。
この機能俺が作ろうとすると、完成はいつになることやら。



2002年12月17日(火)
偶然って恐ろしい

 なんだか最近いつものように早起きしてしまう。
性格に言うなれば、生活のリズムが早いほうにずれているのである。
「早寝早起きは健康にいい」とか、「早起きは3問の特」とか言うが、本当なのだろうか。
 そんなことはどうでもいいとして、今日はこの前から読みたかった本がナイーブネットに見つかったので、朝からそれを読もうと思った。でも、同じ著者が出していた本がもう1冊あり、そっちの方が先に読みたかったので、それを読んでいた。
これは全盲の17歳の女の子が書いた本で、前著の「生きてます15歳」に続いて今年の10月に発行された新しい本だ。
実は子の「生きてます15歳」の方は、40万部を超えるベストセラーだったらしいが、同じ視覚障害者がこんなに有名な本を出しているというのに、俺はこの本をこの前の日曜日に新井君から聞くまで全く知らなかった。
それでその話を聞いてすぐにでも読みたいと思ったのだが、そのとき検索してみたら、ナイーブネットにデータは見つかったものの、なんだか1缶が欠落しているという致命的な現象になっていた。
俺はそれで一時はあきらめたのだが、ほかの図書館で点薬したデータが見つかって、読めるようになったというわけである。
 これを読んでいて思うのは、なんだかこの人のお母さん、俺の母ちゃんとかなり似ているような気がすると言うことだ。
特に娘と喧嘩ばかりする辺りとか、子供が迷っていても全く手を貸してくれずに、覚えるまで気長に待っていてくれる辺り、本当にそっくりである。
それに、この作者の考え「私は目が見えないことを誇りに思っている」は、俺と全く同じでかなり好きだ。
そんなわけで一気に2時間ぐらいで全部読んでしまったので、今度は最初の15歳の方を読んでみようと思っている。
 それから朝ご飯の代わりにこの前いただいたプリンを食ってから、しばらくメールを読んで学校にバイトに行った。
授業が終わって家に帰ってきてすぐに、昨日ここで書いた日記スクリプトの改良作業に取りかかった。
ところが、昨日書いたような機能を取り付けようとすると、どうしてもログファイルのフォーマットを変えなくてはならず、それをやるのが管理大変で、3時間ぐらい格闘してあきらめてしまった。
まぁ、今日はどの辺を改良すればいいか、大体プログラムの構想まではできあがったので、ちょっとずつちまちまと作っていくことにしようと思う。
もちろん俺のプログラムなんてこんな具合だから、いつになったら公開できるかは全く分からない。
 その後、弁当屋に飯を買いに行くと、なんだか休みらしく、入り口が閉まっていた。ところが、俺が帰ろうとした直後、なんだか車が店の前に止まって、いつも店番をしているおばちゃんが出てきた。
そんな感じで運良く焼き肉弁当を買って帰ってきた。
 7時頃になって、内の新人のインストラクターで、今年の夏から研修をやっている子に、ナイーブネットへの入会登録をさせるのを忘れていたことに気が付いて電話した。
そこで俺の悪い癖で、また長話になってしまったのだが、その中で今日の朝読んだ本野話をすると、どうも彼女は15歳の方を読んだらしく、しかも修学旅行の時偶然子の作者の人と会ったというのである。
ちなみにその子、なんと作者と同じ未熟児網膜症で、650グラムで生まれてきたと言い出したのでかなりびっくりしてしまった。それにだ、偶然というのは重なるもので、名前まで一緒なのである。
それで「おまえ、本でも書けば」とか言って笑ってしまった。
 それからは、東京の帰宅でやっているミニFM放送のインターネット版を聞いて、風呂に入ってこの日記を書いている。
って誰かにメッセンジャーで呼ばれた。



2002年12月18日(水)
日本政府の役人は小さい頃のことを忘れてしまったのだろうか

 今日はやっとなんだか生活が元に戻った感じがする。
一応目が覚めたのは8時だったので、ちょっと早めかもしれない亜が、今までの6時半とか5時よりもましである。
そんなわけで起き出してすぐに、昨日からちょっと懐かしくなって、MS-DOSユーザー時代に集めておいたツールのマニュアルを読んでいたので、その続きを読みながらコーヒーを飲んでいた。
ところで、今日メーリングリストにおもしろいページが載っていた。
近年コンピュータウイルスの被害はかなり一般にも広がってきており、おそらくインターネットを1年以上やっている人なら、必ず1通ぐらいはウイルスの入ったメールを受け取ったことがあると思うのだが、このページはそんな迷惑きわまりないウイルス作者の心理を分析しているページで、読んでみるとウイルス作者というのは、今まで考えていたようなただの根暗で社会に適応できない人では無いと言うことが初めて分かった。
それとこのページの一つ前の連載に、日本語の件名を持つウイルスで、今年春頃にかなりの勢いではやったやつを作った人から来たというメールの内容が乗っている。

 その後しばらくして、この前のミディの部屋を回っていると、いきなりドアチャイムが鳴った。平日のこの時間に人が来るのはかなり珍しかったので、誰かと思って外に出てみると、この前注文しておいた友達の白杖の先に付けるローラー型のチップが届いていた。
俺はこれを友達に10月頃から頼まれていたのだが、すっかり忘れていて今になってしまったのである。
 その後、最近欲しいと思っているプリンタサーバーのカタログを、いろいろなネットショップで見回ってから、飯を食いに学校に行った。
ところが、今日も昨日と同じ者しかうまそうな者が出ていなかったので、かなりがっかりしてしまった。
 その後授業中は、ひたすら昨日の続きでCGIの改良作業をやった。その前に3時間目には、教室のパソコンのWindowsのDOSプロンプトを音声化する作業もやっていた。
ちなみに授業中に必死にプログラムを書いたおかげで、今日は少し発展したかもしれない。

 ところで今日の昼のニュースで、北朝鮮が今度はイランに武器を輸出したことが発覚して、アメリカが怒っているというのがあった。
そのニュースの中でもふれられているのだが、実は世界の武器輸出のかなりの部分、アメリカが閉めていたりするのを皆さんご存じだろうか。
確かに北朝鮮は危ないかもしれないのだが、アメリカだって今の状態ではかなり危険だと思う。
 イラクが大量破壊兵器を持っているかもしれないから、悪を倒すだかなんだかの目的でまた戦争を始めようとしているのはどこの国だろうか?
俺は基本的に、どんな理由があろうとも戦争はいけないことだと思っている。
日本は昔、戦争をやって、あれほど悲惨な目に遭っているのに、もうそれを政府の役人さん達は忘れてしまったのだろうか。
俺たち若い世代よりは、政府のおじさん・おばさん(じゃなくておじいさん・おばあさん)の方が、戦争の悲惨さをよく知っているのではないか。
それなのにどうしてアメリカのイラク攻撃に賛同して、イージス艦を派遣したりするのだろうか。
何度も書くが、俺はどんな理由があろうとも、戦争だけは絶対に反対である。
 去年アメリカがアフガニスタンを攻撃したとき、一番その被害を大きく受けたのは誰だったのかを考えて欲しい。
そう、それは紛れもなく、アフガニスタンに住む一般市民ではなかったのか。
昭和初期に日本が行った戦争でも、一番悲惨な思いをしたり被害を受けたのは一般市民のはずなのに。
それを知っている政府の役人達は、どうして自分のあのころの苦しみを思い出せないのだろう。
アフガニスタンの人だって、イラクの人だって、同じ人間なのだ。苦しいのは一緒なのである。
 「戦争をしてはいけない」という法律を日本は持っている。そして、世界最初の核爆弾が落ちた国、それが日本なのに。
戦争を食い止めなければならない立場のこの国が、どうして戦争を進めているアメリカのために、膨大な予算を削ってイージス艦を派遣しなければならないのだろうか。
そんな金があるんだったら、日本国内の問題解決に使って欲しいと思う。
そして、日本こそが、戦争反対の声を世界に向けて発信していかなければならないと俺は思う。



2002年12月19日(木)
リンク先がほかのWindowで表示されるのがいやな人へ

 今日は朝から久しぶりに授業が全部入っている。
それで一応昨日から8時頃に起き出す予定にしていた。
 ちなみに今日学校に行って授業が始まってみると、先生が怪我をしたとかで、1時間目の途中で授業が終わってしまったので、その後飯の時間まで暇になってしまった。
そこで、昨日電話で知り合いに
「おまえの日記は戻ると進むのボタンがないので見にくい」
と言われたので、簡単なものから作ってしまおうと言うことで、このボタンを追加する機能をつけようとした。
一見簡単そうに思って始めたのだが、この日記帳は表示部分が完全にHTMLになっている。しかもそのページが交信されるタイミングというのは、日記を書いた瞬間なので、次のページ(過去日記に戻るページ)のリンクはすぐに作成できても、前のページ(日記を新しい方向に進めるページ)のリンクを作成することは、その瞬間行うことができないのである。
俺が追加したデータリメークの機能を使ったときに、これらのボタンが表示されるように設計することは可能だと思うのだが、どうもそれではリアルタイムじゃなくて好きになれなかったので、途中まで作ってやめてしまった。
 その後3時間目と4時間目が終わって、次の授業に移行とすると、小動物君がちょうどやってきて、「今日休校だよ」とか言い出した。
たしかにそういえばこの前の授業の時、そんなことを聞いたような聞いていないような気がしていたので、とりあえず研究室で少ししゃべってから帰ってきた。
 その後は、いつものごとく部屋でパソコンばかりやっている。
 それでちょっと、Proxomitronの便利なフィルタを発見した。
これは、別のWindowで開くリンクをすべて不通のリンクに変換するフィルタだ。
皆さんも感じたことがあると思うのだが、IEって以外と重くありませんか?
IEならまだしも、音声ブラウザの中ではかなり有名な「ホームページリーダー」というやつ、3.01にバージョンアップしてから、かなり思いソフトになってしまっている。
だから、ちょっとスペックの低いマシーンでは、これが二つも立ち上がるというkとだけでもかなりの負担になり、それに伴ってWindows事態も不安定になるのだ。
そんなわけでホームページを見ていて、リンク先が新しいWindowで表示されるのがいやな人は、このページからそのフィルタを入手して試してみてはいかがでしょうか。

 ところで今日のニュースの中で、北朝鮮の拉致被害者の記者会見を特集していた。
それによると、今日になってやっと、この人達は北朝鮮のバッチをはずしたらしい。
記者会見の中では
「別に5人でみんなでそうしようと打ち合わせたわけではない」
とか言っていたが、まぁ、日本に帰ってきてそれなりに時間がたっているんだから、そろそろバッチをはずしてもいいかという雰囲気にはなっていたのだろう。
そんなときにちょうど、仲間が集まったので、その中の誰かがバッチのことを言い出して、みんながそれに同調する形で今日の会見になったのではないかと思う。
 しかしこの人達の家族、本当に無事なのだろうか。
俺が本で読んだ話によると、あの国では誰か家族や親戚で不始末をしでかしたものがいると、次の日にはその人はおろか、家族までどこかに消え去ってしまうと言うことを聞いたことがある。
拉致被害者の人々は、日本人ではあるが、無効を出発してくるときに、
「2週間程度で戻ります」
という約束をしてきたはずなので、これを破ったと言うことは、無効の国で言うところの「国家反逆罪」になる可能性もあるのではないかと思う。
そう考えると、家族もその血が流れているということで、消える可能性があるのではないかと心配なのだ。
 まぁ、そんなことをすると日本からの食料援助が期待できないからそんなことはしないだろうが、本当に家族の人たちには無事でいて欲しいと思う。
 さて、これに関連してこの前、ちょっとそれらしい話を耳にした。
それは、金正日が、日本の小泉総理の訪朝の前に、ロシアのプーチンだったかな?(ロシアの大統領誰だっけか?)にあって、
「日本に謝った方が援助が期待できますよ」
とかアドバイスされていたというのである。
 これを聞いてみると、この国のやっていることと言っていることが矛盾する理由も自ずと分かって来るというものである。
ともかく俺は、何の罪のないこの人達の子供達は、1日も早く日本に帰ってきて欲しいと思う。



2002年12月20日(金)
野菜や果物は自然のままが一番うまい

 今日は昨日の夜からパソコンをつけっぱなしにして、エディタのマニュアルを読みながら寝てしまった。
そんなわけで気が付いたら風呂に入るのを忘れていたので、8時頃に起き出して風呂に入ろうとした。すると、ちょうどそのとき師匠の先生から電話がかかってきて、なんだか有名なFM局のアナウンサーの声はどうしてあんなにめっりは利がちゃんとしているかという話になった。
それによると、ほとんどのFM局が、同じようなマイクとコンプレッサーを使っているからあんなにしっかりした音になるらしい。
たしかに考えてみると、どのFM局も、アナウンサーの声は似たようなものである。
何というかこもっているというか、低音域と高音域が強調され、それでいて中音域きも生きている。
それに、声の大きさも一定しているのである。無線をやっていた時代、俺もセンター曲という立場から、誰よりも大きくて聞きやすく、メリハリのある声を出そうとしてコンプレッサーを使ったことがあったが、たしかに考えてみるとあの音は、しっかりとコンプレッサーが聞いている。
 それから風呂をでて、今日ニケ君が来るというので、一応ゴミだらけの部屋を片づけて、その後本を読んでから、今日のバイトの準備をして学校に行った。
 今日はバイトの方は或程度早く終わったので、家に戻ってきてから何をするでもなくチャットしたりパソコンを弄くっていると、ニケ君が現れたので、軽くお茶を飲んでから、近くの食堂に飯を食いに行った。
 俺は今日、昼間バイトの後に、先生からちょっと食い物をもらって食ったので、ご飯を版盛りにしていたが、こいつどうも今日は寮の方で飯がでない日だったらしく、唐揚げ親子丼のおかずだけ大盛りにして食っていた。でも、なんだか帰る間際になって苦しそうな顔をしていたので、やっぱり食い過ぎたのだろうか。
 ところで今日、ニケ君とも言っていたのだが、俺は昔から干しぶどうとか、そういったフルーツの干したものが好きになれない。
フルーツはそれだけで十分おいしいのに、なぜあえてわざわざ干して食う必要があるのだろうか。
たしかに昔は保存の関係で、そういう習慣が付いたのだろうが、クッキーの中に干したフルーツを入れたり、ケーキの中に干したフルーツを入れるのはどうも頂けない。
それと、もう一つフルーツ関連で頂けないと思うのは、ドライカレーの中に干しぶどうを入れたり、ハンバーグの上に焼いたパイナップルを乗せるなどと言った何ともミスマッチな食い物だ。
そして、このようなミスマッチなもののほかに、俺が嫌いなものは、食材そのものの味を同じような味のもので混ぜることで失わせるタイプの調理法だ。
たとえば、サツマイモとリンゴの甘煮などがそれに該当する。
サツマイモもリンゴも甘いのに、それだけで十分おいしいのに、それをあえて同じような甘い砂糖で煮付ける。それにリンゴを入れるなんて言語道断である。
これに関連して俺は、納豆をおいしいと言って食う人の気が知れない。
ひじきの煮物なんかの中に大豆が入っているのはたしかにうまい。そして大豆は畑の肉と言われるほどタンパク質が豊富な食物だ。
それならそれでいいと思う。わざわざ大豆をゆでて、腐らせてあんなねばっこくして、くさいにおいを漂わせることの何処がいいのだろう。
話によると納豆にはいろいろと健康にいい効果を発揮する物質が含まれていると言うが、どうもそういういいことを聞いても、納豆が半径5メートル内にあるだけで不快感を感じる。
これほどまでに好き嫌いのはっきり分かれる食品も珍しいのではないだろうか。
俺は納豆よりも、大豆の塩ゆでの方がおいしいと思う。

 今はいろいろとおいしいものがあふれているが、やっぱり自然の野菜や果物は自然のままがおいしいのではないだろうか。




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