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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2002年12月21日(土)
盲学校に関する俺なりの分析

 今日はニケ君が来ている。
そんなわけでいつものように早起きすると、彼ももろとも起こしてしまう可能性があったので、一応8時頃までは寝ていた。
しかし、やっぱりなぜか眠れないので、ワイヤレスキーボードを持ってきて、それで朝から適すとサイトを回っていた。
9時半頃になって、ニケ君が起き出して、二人でしゃべりながらいろいろとネット上をおもしろいデータが落ちていないかどうか探して回っていた。
 それから今日は、内のインストラクターの猿君が来ることになっていたので、何時に来るかと思って二人で待っていると、大体予定の時間を少し過ぎたぐらいに
「今筑波センターに着いた」
という連絡がきた。とりあえず彼はバスで来ると言うことを言っていたので、彼を迎えに今日初めて外に出てみると、思っていたよりも外は寒い。しかもバス停に着いた頃から、ちょっとずつ冷たいものが顔に当たるようになっていた。
停留所について猿君を捜そうと耳を澄ましてみると、なんだか白杖の音が俺の目の前で聞こえたので、その人に声をかけてみると、どうも全く違う人だった。
内の大学でも、白杖を持って歩く人は少ないので、まさか彼と同じバスに白杖を持った人が乗っているとは思わなかったから、これはかなりの大失敗だった。
その人は幸いにも内の大学の某学科の人だったのでそんなにやばいことにはならなかったが、これが全く知らない関係のない人だったらもう少し恥ずかしかったと思う。
 それから家について紅茶を飲んでから、ニケ君にセブンイレブンまでシャンパンを買いに行ってもらった。しかし、どうもこの近くのセブンではシャンパンはまだ置いていなかったので、その代わりにオレンジジュースを買ってきてもらった。
 ちなみに今日の昼飯は、一応形だけでもクリスマス会と言うことで、ピザを取って豪華にすませることにした。普段こんな高いものは食べないので、久しぶりにかなりうまかった。
 それから3人で、何をするでもなくいろいろとしゃべっていたのだが、その中で「最近の盲学校教育は全体的にレベルが下がってきているのではないか」という話になった。
これはどうしてこのような話しになったかというと、日本でももっとも頭のいい盲学校といわれる、東京都内の某盲学校の入試問題が、年々簡単になっているという話から始まった。
問題が簡単になっていることが、どうして「盲学校全体のレベルが下がっている」ことに結びつくかと言えば、もしレベルが下がっていなければ、問題は難しくなることはあっても、簡単にはならないのではないかと思う。
さて、そうなってくると、どうしてこんなことになっているかという話にもなった。
 それで分かったことなのだが、今盲学校では、極端に実力の差がありすぎる生徒を一緒の授業で教育しているため、できる生徒が自分の能力にあった学習ができていないのではないかということである。
これは3人でいろいろなところから出てくる盲学校に関するうわさ話を持ち寄った結果なのだが、一部の盲学校ではできない人のレベルにあわせて授業をするため、できる人は教科書を読まなくても、ノートを取らなくてもテストで90点近くの高得点を取ることが可能だというのである。
これはちょっとある意味かわいそうだと思う。
 たしかにできにくい生徒のことを考えて、ゆっくり復習をやりながら授業を進めるのも悪いこととは言えないが、それではそこそこできる人が自分の実力を発揮することができないし、進学を考えるときでも十分な学習ができていないと、受験に大きな支障が出るのではないだろうか。
それではどうしたらいいかというと、いい意味でしっかりとその生徒の能力にあわせたクラス分けをすることが必要なのではないかと思う。
できない人にできる人のペースで授業について行けと言うのはかなり酷な話である。俺だって数学のできる人について行けと言われたりすると、先が真っ暗になる。
 そんなわけでできれば、できる人もできない人も、その人なりに一生懸命やることのできる授業体制を、盲学校の先生方には作って欲しいと思う。
なお、これは何処の盲学校ができていて、何処の盲学校がそうでは無いという話ではない。
 そんな話をしている内に4時になったので、ニケ君は新幹線の時間があるといって帰っていった。
6時45分の新幹線で帰るというので、不通の日ならもう少し遅くこちらをでても間に合うのだが、今日は雨が降っている上に、土曜日なのでバスが上野駅にも停車するから、念のため時間を多めに計算した。
その後猿君とMS-DOSで動く双六ゲームで遊んだ後、こいつがHなテキストアドベンチャーゲームにはまってしまった。
 6時半頃になって、テキストアドベンチャーに夢中になってる彼をちょっと止めて、近くの食堂に飯を食いに行ってきてから、しばらくOCRソフトの比較をやって、風呂に入ってからこの日記を書いている。



2002年12月22日(日)
ああ、金がもったいない

 今日は8時頃に目を覚まして、日本放送のディジタルチャリティーミュージックソンを聞いていた。
これは24日から始まるラジオの番組の先駆けとして放送されているもので、インターネットで聞くことができる。
最初俺は上の方のリンクの予告編をクリックしてしまってとまどったが、ちょっと探すとちゃんと生放送のリンクを見つけたので、久しぶりにネットラジオをじっくり聞いてしまった。
 この番組、今年で28回目になるらしいが、この時間にしゃべっていたアナウンサーは、これに全快参加している人で、この番組の思い出話をしていた。
番組が始まった頃は、今のように視覚障害者が自由に漢字仮名交じり文を書くことはおろか、点字タイプライターもかなり高価なもので、ちょっとしたことでは手に入らない時代だったという。
たしかに俺の覚えている15年ぐらい前は、点字タイプライターはかなりの高級品で、学校のやつを壊してしまったとき、かなり怒られたような覚えがある。
それにしても本当に日本放送は、こんなに長い間俺たち視覚障害者のために、こんな番組を続けてくれるものだなぁと感動してしまった。
 さて、昨日から来ている猿君はどうも相当疲れているらしく、俺がかなりうるさい音でラジオを書けていても、平気で横でぐっすり寝ていた。
そんなわけで結局起き出して本格的に活動を開始したのは10時を過ぎた辺りだった。
11時頃になって、飯でも買いに行くかと言うことでセブンに言ってきた後、すぐにこの前購入したピッポッパロットという音声の電子手帳が届いた。
これは不通に買うと5万円近くするのだが、なぜかメーリングリストで2000円で売ってくれるというので、物好きな俺はすぐに飛びついてしまったというわけである。
 その後猿君を近くのバス停まで送って言ってから、部屋に帰ってこの電子手帳を弄くり始めた。
しかし、いくらボタンを押しても音声が出てこない。もしかして故障しているのではないかと一瞬びっくりしたが、買ってからほとんど使っていなかったとメールに書いてあったので、電池を抜いてはかってみると、見事に残量ゼロだった。
そんなわけええもちろん新しい電池を入れてやると、平気で動き出したのだが、初期設定をしても今日が火曜日と表示される。
しかも西暦を打ち込んでYesキーを押しても、エラーの音が聞こえてきて全くどう扱っていいか迷ってしまった。
そんなわけでこれはマニュアルを全部聞くしかないと言うことで、よく調べてみると、こいつ、入力の順番が不通のコンピューターとちょっと違っていた。
たとえば、不通、日付を入力してくださいと出てきたら、今日の場合
「20021222」とか、「021222」とか入力するはずだ。
ところがどっこいこいつ、「12222002」と入れる必要があったらしいのである。これではエラーになって当然だ。
 そんなわけで午後はほとんどこいつを弄くり回していた。

 ところで、今日の夜、新井君が有馬記念で負けたと泣きの電話をしてきた。
実はこの男、大の競馬好きで、飯よりも競馬の方が好きではないかと思うぐらいのやつだ。BLPCのイベントがあるときでも、競馬の結果の如何によっては不参加にしてくる。
こんな具合だから、一度に書ける金も1万とか3万とか・・・学生にとっては大金である。
しかも俺が見たところでは、こいつがこれらの賭け事に勝って喜んでいた顔を見たことがない。いつもそういうことがあった日は
「会長さん、今度のイベント欠席にしておいてください」
とか、
「今月出費が多くて食い物変えないんですよ」
という電話がかかってくるのが落ちなのである。

 俺にはこういうやつの心理が分からない。
だって、それだけの金があれば、いろいろとほかにできることがあるのではないかと思うからだ。
でも、この男に言わせると、
「競馬で夢と感動を買っているんだから、そんなの全然惜しくない」
という。
 俺は別に競馬とかパチンコその他の賭け事を否定する気はないのだが、それにしても学生がそんな大金を使って、そういうことにいそしむのはどうかと思う。
やるのならせいぜい1000円程度だろう。
俺の感覚で言うと、もし1000円ぐらいだったら、上の「夢をなにがし」という理屈も片づくかも知れない。いあ、俺は賭け事に1000円費やすのも惜しいが・・・。



2002年12月23日(月)
リカバーは定期的にやった方がいい

 今日は午前中から兄貴が部屋に来ていた。
もちろんついでに飯を買ってきてもらうことと、昨日届いたピッポッパロットの振代金の振り込みをお願いするのも忘れなかったりする。
なんだかふとしたことで転職がしたくなったらしく、少し前から仕事を探しているのだが、実家はインターネットにつながっていないので、わざわざ1時間近く書けてここ筑波の俺の部屋まできたというわけだ。
しばらく探していたのだが、いくらインターネットには結構求人がでているとはいえ、何せ俺の地元の栃木県は、非常に田舎な場所なので、かなり仕事の絶対量が少ない。
そんなわけでいくら探してもリクナビとかそういった大手の求人情報サイトは当てにならなかった。
 それで1時頃からはひたすらネットショップを回っていたらしいのだが、いきなり俺のノートパソコン、何もしていないのでマウスのカーソルがどんどん下に下がっていくという現象が起きてしまった。そこで後ろで俺が検索で直す方法を調べていたのだが、普段からマウスなんかには縁がないので、全く分からなくて困り果ててしまった。
こういうときには頼りになるのは、やっぱり目の見えている新井君だ。彼なら多分子の原因を知っていると思う。
なんやかんや行っても視力の関連は彼に頼るのが一番いい。
そんなわけで電話して聞いてみると、これはトラックポイントの後遺症らしく、この方式の機種ではたびたび起る現象らしかった。
 その後、兄貴が帰るついでに、近くのコンビニまで飯をかいに乗せていってもらったあと、本を読んでからテレビを見ながら飯を食った。

 ところで今日、チャットの中で話題になったことだが、俺たちはパソコンがおかしくなったり、Windowsの動作が不安定になると、すぐにリカバーをしようとするが、世の中のパソコンユーザーの中で、Windowsのリカバーをやったことのある人というのは何人ぐらいいるのだろうか。
俺の予測では、おそらく8割ぐらいの人が、パソコンを買ってから一度もリカバーをしたことがないのではないかと思う。
MS-DOSの部屋の中でも書いているが、WindowsはたしかにGUIを使っているので、ほとんどのことを知らなくてもパソコンを動かすことはできる。
ファイルやフォルダの概念なんて分かっていなくても、ワードやExcelは使えるし、インターネットだってできるしメールもできる。
でも、リカバーをやるとなると、ファイルやフォルダに関する知識は必須になってくるわけだ。
だって、
「リカバー=パソコンのHDD内部を出荷時の設定に戻すこと」
なのだから、今までため込んできたメールデータもお気に入りも全部消えるのはもちろん、パソコンを購入してからインストールした(友達に入れてもらったものとか含む)ソフトが全部消えてしまうと言うことである。
ソフトが消えるのは、正規ユーザーであればインストールし直すことでいくらでも直るが、今までにもらったメールやアドレス帳、お気に入りなどは世界で一つしかない自分のデータなので、いくら鳴こうがわめこうが、リカバーすると消えてしまうことになる。
だから初心者の人は面倒くさくてリカバーをやらないのだと思う。
でも、それで済むのであれば俺はわざわざ日記の欄にこんなコラムを載せない。
パソコン内部の知識習得を面倒くさがってリカバーを怠っていると、日に日にパソコンのトラブルが積み重なって、そのうち取り返しの付かないことになってしまうことだって或。
つまり、パソコンが起動すらしなくなってしまうという、恐るべき事態である。
こうなる前にパソコンに関する最低限度の知識をつけ、必要なデータをどこかに対比しておいて、おそれずにパソコンを定期的にリカバーできるようになっておくことは、とても大事なことだと思う。



2002年12月24日(火)
クリスマスなんて嫌いだ

 今日の日記、あまりにも文章ひどいので一部自主規制。
見たい人はお友達専用ページからお読みください。


しかし何でまたクリスマスなんて言う外来ものが持ち込んだ習慣がこんなにも日本ではびこっているのだろうか。
全くこの習慣、寂しい男にとっては迷惑極まりない。
 去年の今頃も、俺はひたすら一人寂しくケーキを食って、その後、こうしてパソコンに向かっていたような気がする。
ああ、いつになったらこんな寒い生活終わるんだろうか。
ってかなりむなしくなってきたので、訳もなく交信履歴に乗せてみました。
世の中の僕と同じくこの日このときパソコン打っている君、夕飯に弁当買ってきて一人寂しくケーキ食った君、寂しいのは君だけじゃない。



2002年12月25日(水)
おまえら!客をなんだと思っているんだ!

 今日は水曜日だが、珍しく2時間目に卒検が入っていたため、9時頃に起き出して昨日買ってきておいたケーキの残りを食った後、学校に行こうとした。
するとそのとき、友達から音声チャットで呼ばれた。ところが、なんだか昨日からの続きで、無効のネットワークがおかしくなっているらしく、いくらやってもエラーになってしまう。
Windows2000のマシーンからも試みたのだが、全く状況には変化がなかった。
そこで、とりあえずこれはマイクロソフトのサーバーがおかしくなっているのではないかと言うことで、学校から帰ってきてからもう一度試してみることにした。
 さて、学校に着いて掲示板を見てみると、今頃になってやっと2学期の成績表ができたというので取りに行ってきた。ところが、このときに俺はかなり変なものを見てしまった。
それは、点字印刷用の連続用紙を破らずにホッチキスで墨字の成績表の後ろに留めてあるという、何とも扱いにくいでかい成績表だった。
1学期まではちゃんと点字印刷した後、連続氏を破ってちゃんと閉じられていたのに、何でこんなことになったか最初疑問だったのだが、すぐにこれは理由が分かった。
どうやら内の西事務室、今年の10月ぐらいにかなりの人数の職員が入れ替わったため、その人は点字の連続氏の扱い方を全く知らなかったというわけだ。それではこうなってしまうのも仕方がないと思って、そのおじさんにこっちが真剣に教えていると、横から訳の分からないおばさん職員が
「あなたそんなの自分でできるでしょう」
と言うではないか。もちろん俺はこんなこと当たり前に自分でできるのだが、事務の人がこんな初歩的な点字の扱い方も知らないと後で困るし、これから成績表をもらう人が面倒だろうと思って、ついでに教えているだけなのに、そんな言い方をされたのでは黙っているわけがない。
それでなくても寮の部屋にエアコンを取り付け、ルール違反だと怒られたときも、
「ほかの人は怒られないのに、何で俺だけ怒られるんだ」
と逆ギレして、事務の人を困らせた男である。
今回もエンジン全開、昨日からの冷め切っていた心は何処へやら。大変な怒りようで勢いよくそのおばさんを怒ったことを書き添えておく。もちろんいやがるおばさんを前に、無理矢理強引に点字のプリントの扱い方は教えてきた。
 それから卒検の時間になって、LinuxにX WindowSystemをインストール使用としたのだが、何をやってもエラーになってしまってまったくうまくいかなかった。
でも、これを信念に持ち越すと、研究が大幅に遅れる可能性があったので、明日の午後に続きをやることになった。
 それから今日は、午後の授業が終わった後に、内の学科の先生主催音クリスマス会があった。俺は最初、3年が中心に集まるかと思ったのだが、言ってみると1年生がかなり来ていてびっくりした。
でも、忘年会に行けなかった文、今日1年と話せたから良かったか。
 夜の10時頃、チャット品柄ふとメールを受信してみると、このページが置いてあるレンタルサーバーの会社からメールが来ていた。
なんだかこの会社、また来月からサービス内容が変わるらしい。それによると、どうもこれからは最低月額3000円払わないと、今まで使えていた管理パネルが使えなくなってしまうらしい。
ここのところ快適に動いていて、ほとんどトラブルは無かったので、これからもずっとここで使っていこうと思っていたのに、なんだか代理店だか特約店だかしらないが、そんな制度に変更になる性で、要するに今までの快適な環境が使えなくなる。
どう考えたって月額3000円も払って管理パネル使うほど経済的に余裕はないし、それだからといって管理パネル無し(ということはメールアドレスも自由に作れない)では、とても納得できるはずはない。
つまりだ、これは俺に「ほかのサーバーに移動しろ」と言われているに等しいのである。
全くこの会社、客をなんだと思っているんだ。この前は1ヶ月ぐらいしかつかってないIDの1年分音料金返してくれなくて苦労したし、今度は今までの金のないユーザーを追い出すようなサービス内容に変更する。こんなこと許されるのだろうか。
本当に契約違反もいいところである。ああ、気が収まらない。むかつくむかつくむかつく。消費生活センターにでも訴えようかなぁ。



2002年12月26日(木)
Webmin

 朝起きてみると久しぶりに9時半になっていた。
とりあえず昨日、サーバー関連の騒ぎで結構いろいろとやっていてたことと、洗濯物がたまっていてそれをかたづけたりして夜中遅くまで起きていたので、気が付いたらこの時間だった。
さて、そんなわけで起きてしばらくしてから、BLPCの中でワイネットを使っている奴らに、今回のことについての詳しい解説メールみたいなものと、俺の怒りを結構ぶつけたメールを作成して送信した。
だって、俺はこの会社にはたしかにかなりお世話になっているのだが、それにも勝るほどこいつらひどいことをしてくれていたりする。
具体的にざっとまとめてみると
(この後かなり自主規制。全文読みたい人はお友達専用ページからどうぞ)

といった感じである。
そんなわけであらかた言いたいことは書いたので、まぁ一応すっきりしたかな。
 その後、ちょうどピヨマルから電話がかかってきたので、この件を詳しく説明して、12時半頃に学校に行った。
本当は昨日で学校は終わりなのだが、俺は卒検の残りがあったので、担当の先生の研究室にこもって、ひたすら作業することにしていた。
そこでサンクスによって弁当を買ってから、研究室で食うと、ちょうどいい時間になった。
 今日残っていた作業というのは、XWindowのインストールだ。
俺たちはあまり使わないのだが、あった方が先生が見やすいと言うことで、この前から入れようとがんばっていたのだが、どうもいくらやってもエラーが出るので、内の学校のネットワーク管理者の先生に来てもらっていろいろやっていたのだ。
ちなみに何とかこれは片づいて、その後に、WindowsXPの端末から、Linuxのサーバーにログインして、管理作業を行う奉納についての話になった。
そのとき、先生がいきなり
「TomG君、最近ねぇ、Webminというソフトがあってね、Unixの管理作業のほとんどがWebインターフェースでできるようなソフトがあるんだよ。僕がこの前本屋に行ったら、これに関する本かなりあるんだよねぇ。最近はやっているらしいよ。これならTomG君でもWebのインターフェースだから、ホームページリーダーとかでサーバ管理できるんじゃないの。」
とか言うではないか。これを聞いて面倒くさがり屋な俺が黙っているはずはない。
TelnetとかSSHでサーバーにログインしてコンソールモードで管理作業はたしかに今の環境ではできる。でも、何せやっぱり「面倒くさい」のである。
これがWeb上からできるなんて。しかもフリーソフトだとは感激してしまった。
そこで早速検索エンジンから探してみると、Webminの日本語サイトが見つかった。
ここからRPMパッケージをダウンロードできたので、インストールも問題なく終わった。
具体的には、ダウンロードしたファイルをカレントに置いて、ルートになってから
# rpm -i webmin-1.050-1.noarch.rpm
とかやればすぐにインストールできたりする。
それで、標準では10000番ポートを使うようになっているので、Webブラウザでそのサーバーの10000番ポートにアクセスするとログイン画面が出るので、IDとパスワードを入力して入ればいい。ちなみに不通、子のIDには「root」と入れるらしい。もちろんパスワードはスーパーユーザーのパスワードを入れる。
 そして、実際にユーザー追加やソフトの再起動などをやってみたのだが、やっぱりこれはかなり便利だ。でも、気になるのはこのシステム、デフォルトではSSL通信が友好になっていない場合が多いので(OpenSSLとそれをサポートするPerlのモジュールが入っていないと無効になる)、これを友好にする作業に取りかかった。
ところが、OpenSSLそのものはデフォルトで入っているのだが、これをサポートするためのPerlのモジュールがインストールされていなかった。
そこで、子のパールのモジュール(Net::SSLeay)をインストールしようとしたのだが、この時点で入っているOpenSSLのバージョンに適合したものが見つからなかった。
仕方がないので、最新のNet::SSLeayに対応したバージョンのOpenSSLを探したのだが、あったはいいが、RPMパッケージが見つからない。
そんなわけで仕方が無くソースで提供されているやつをもってきてMakeする羽目になった。
詳しい話はこちらのサイトに書いてあるので、もしやってみたい人はご参考にどうぞ。
ということで思わぬ時間がかかってしまったので、終わったのは5時頃になってしまっていた。
 それから何となく技官室に上がってお茶を飲んでから、内の学科に新しいPCが入ったというので、交渉して何とか俺の席に入れてもらうことになった。
その設定などをしていて帰ってくると6時半頃になっていた。
 ああ、今日は決行疲れたなぁ。



2002年12月27日(金)
雑文

 今日は10時頃、親からの電話で目を覚ました。っていっても、目を覚ました瞬間に電話は切れていて、それからしばらく寝てから、今度はピヨマルからの電話で起きた。
しかし起きてすぐに気が付いたのだが、今日は昨日に続いてかなり外は風が強いらしい。それじゃなくてもとりあえず今日は午後に学校に例のバイトに行かなければならないので、これはかなり寒いし大変だ。
そんなわけでこれは早めに行った方がいいと思って、ピヨマルと11時頃まで電話で話した後、しばらく友達とチャットしてから12時半頃に出かけた。
途中でサンクスに寄って弁当を買っていったのだが、そのとき俺はこのコンビニにしかないといわれている弁当の半分だけを暖める道具を見せてもらった。
これは長方形の箱の片側が空いたやつで、ここに弁当の半分(特にサラダが入っている場所とか)を入れて、レンジで回すと箱がかぶせてある部分だけ冷たいままで食えるというやつだ。
俺は今日、ペッパーステーキ弁当というやつを買ってきたのだが、これは半分が野菜サラダになっていた。今まではこれも暖まってしまったのだが、研究室について食ってみるとこれはかなりの優れものだった。
ちなみにやっぱり外はこの冬一番の寒さではないかと思うぐらいものすごく寒かった。もしかすると雪の日の方が寒かったのかも知れないが、風が強かったので体感温度は絶対に今日の方が寒かった。
 それから昨日インストールしたWebminで遊んだ後、バイトにいって帰ってきた。ちなみに今日の学校は、いつもとは雰囲気が全く違って、先生方が学生がいなくなっているのをいいことに、いろいろなところで忘年会らしいものをやっていた。
それから年末によくやっているテレビで指名手配の犯人を捜しながら、今年起きたいろいろな事件を放送している番組を見た後、明日内のボランティア主任とインストラクターが一人来ることになっていたので、時間を確認すると、なんだかいきなり来られなくなったとかいっていた。
その後、また主任から連絡が来て、新年会のボランティアさんの人数が足りなくて、予定通りに計画を実行するのは無理ではないかといわれてしまった。
たしかにこのままだと確実に無理そうだ。これはやばい。
でも、この階を楽しみにしている会員は多いし、ボランティアさんの中にも前々から楽しみにしてくれている人もいるので、できれば計画通り実行したかった。でも、残念ながら俺にはボランティアさんを集める力がない。
ああ、俺はなんと無力なんだろうか。でも、何もしないよりは何かする方が良いと思って、このページに載せてみたりしている。
ああ、誰か助けて。
 それにしてもボランティアって正直金がかかる。
別に俺は好きでやっているからいいのだが、内の団体はボランティアの力を借りてボランティア活動をやっている団体なので、その人の交通費もかかるし、飯大もかかる。
俺たちもボランティアでやっているのだから、無効の人たちにもボランティアで来て欲しいと思うのだが、交通費支給無し、食事も支給無しの条件で募集かけると、これまたほとんど来てくれないのである。
いい加減に何とかして財源作ってボランティアの人を集める金を確保しないと、これからも今回のようにボランティア探しで大変なことになりそうだ。
 そんなことをやっている内に1時過ぎになったので、風呂に入ろうとすると、なんだかお湯が出なくてかなり苦労した。
俺の住んでいる家のガスのスイッチは、なんと視覚障害者にとってはかなり不親切な設計で、押しボタンははっきりしているのだが、付いているか消えているかは上のランプで確認するしかないので、俺はいつもこれで困っている。
まぁ、お湯の蛇口をひねって手で出てくる水をさわって冷たければボタンを押しているのだが、時々、変なことがあって、冷たいからといってボタンを押すとなぜか電源OFFになる場合があるらしい。
今回はどうもこれが原因だったのだが、何とかボタンの上のランプがついているか消えているか確認する方法は無いものだろうか。



2002年12月28日(土)
疲れた

 今日は本当は人が来るはずだったのだが、昨日の夜いきなりキャンセルになったので、いつもとほとんど変わらない生活だ。
でも、機能からトップに載せているように、今度やる新年会のボランティアさんが見つからず、かなり焦っていた。
そんなわけで朝市でピヨマルに電話を入れて、今日の状況説明と連絡をすませ、その後少しネットしたりしてから飯を食っていると、主任から連絡が来て、今日の9時までに結論を出すというと
「それでは遅すぎる」とか言われた。そんなことを言われても、昨日いきなりボランティアが足りないと言われたのに、これでもこっちとしては日程調整の結論を出すのは早すぎるぐらいだ。
もちろんそんな無理は断固として拒否し、電話を切ろうとすると、なんだかMSNメッセンジャーがインストールできないと言うので、その手伝いをした。
原因はIEのバージョンがむちゃくちゃ古かったことだが、それにしてもマイクロソフト製品、ソフト同士の部品を共有しているものが多すぎて困る。
 それからしばらく昼寝してから、夕飯代わりに昼間買ってきたポテトチップスショウガ焼き味を食って、8時になった頃に、また状況確認をしてみると、何とか5日は問題なく実施できそうだった。でも、5日の夜の宿泊をしてくれる人がいないので、これがまだ問題として残っている。
それを主任に報告すると、またいろいろすったもんだあったが、それでも何とか落ち着いた。
ああ、全く今日はなんだかあんまり何もしていないのに精神的に疲れたなぁ。



2002年12月29日(日)
盲学校を卒業してから困ること

 今日は朝から何度か電話がかかってきたにもかかわらず、ひたすら11時頃まで寝続けていた。
しかしこの電話、かなり重要な連絡だったので、起きてすぐに電話に出ると、相手から久しぶりに怒られてしまった。
その後は、いつものようにちゃっととネットに明け暮れ、昼飯を食って本を読むという、何ともつまらない1日を過ごしてしまった。
それにsても信念の特別番組とはなんとおもしろくないものだろうか。
不通は日曜日といえば、俺の大好きな匿名リサーチをやるのだが、この時期だけあってやっぱり信念の特別番組に変更になっていた。
 それにしてもこの時期の番組は本当に普段とはがらりと違うので、これを知っておくのが結構面倒くさい。盲学校にいた頃は、信念の番組表をボランティアさんが点訳したものをもらうことができたが、ここではそんな贅沢なものはない。
代わりにインターネットのテレビ番組表というものがあるが、明日から実家に帰ってしまう俺にとっては、これは何とも使いにくい代物なのだ。
 盲学校を卒業してしまってから困るもののもう一つに、点字のカレンダーがある。盲学校にはいろいろな業者から、福祉事業の一環として製作されたカレンダーが配達されるため、必ずと言っていいほど毎年3つ程度の点字カレンダーをもらうことができた。
ところが、この学校に入学してから、状況はかなり悪化してきた。ここは一応盲学校の延長のような学校なのだが、「盲学校」という名前が付いていない性だろうか、そのような企業の作った福祉カレンダーが回ってこない。
そんなわけで俺は、普通の人なら何処に出もありそうな「カレンダー」というもので困ることになる。
 幸いにも今年は、茨城の有名なJ銀行が作ったカレンダーが福祉事務所から送られてきたのだが、もちろんこれ一つしかないので足りるわけがない。
こっちに置いておくのにはいいのだが、これでは実家に張っておくものがないし、こいつでかすぎてテーブルの上に気軽に置いておくことができないのである。
 盲学校では点字のカレンダーがたくさん来すぎて、年末になるとその年のカレンダーが誰にも使われずに大量にゴミ箱に捨てられていたりするのだが、その一方でこっちはカレンダー不足に悩んでいるわけである。
 そんなことを言いつつ、そういえば今年は、俺がバイトに行っている先生のところから1枚もらってきたので、合計2枚或。でもなぁ、2枚あっても足りないんだよなぁカレンダーって。



2002年12月30日(月)
お気に入り忘れてきた

 今日は久しぶりに実家に帰ることになっていた。
それにしても8月に実家に帰ってから、3ヶ月ぐらいもう実家には戻っていない。
俺としてはこれは結構長い方である。
実家が今すんでいるアパートから車で1時間足らずなので、両親が訪ねてくることはあるが、実家に戻ってもインターネットの環境めちゃくちゃ悪いので、どうも帰る気にならないのである。
そんなわけで10時半頃に起き出して、帰る準備を始めた。
このインターネット依存症の俺が実家に帰省すると言うことは、これまたかなり大変なことになる。
もちろんPCは俺の愛機を持っていくが、そいつの方にメールのデータやもしもの時のためのソフトのデータなどを大量にコピーする必要があった。
そこでまず、ノートパソコンを部屋のLANに接続し、メインのPCからネットワーク経由でファイルを送り込んだ。
ところがその途中、いきなり
「ディスクの領域が不足しています」
とか言うエラーになってしまって先に進めない。それにしてもそんなにでかいデータ送り込んだ覚えはないような気がしていたのだが、実はダウンロードファイルの中に、いつぞやに手に入れた
「World Voice」という、世界15カ国語の音声の詰め合わせセットが入っていたのである。
これではもう、かなりやばい状態になってもおかしくない。それだけで800MB以上もある大物なのだから。
 それにしてもこんなでかいものをよくもまぁ、ダウンロードで販売しようと考えるものだ。数年前なら個人規模でインターネットからこんなにでかいファイルを落としてくることなど考えられなかっただろう。
今はブロードバンドが普及しているからそんなに怖い話でもないが、1年半ぐらい前、筑波のケーブルテレビが512KBPSだったころは、これを落とすと考えただけで、かなりぞっとしたような覚えがある。
 さて、そんなわけで何度も何度も必要なファイルを見極めながら、よけいなファイルを間違ってコピーしてしまったりして、かなりHDDには負担をかけてしまったものの、何とかコピー作業は3時頃には終了した。
しかし、このせいか何かは定かではないのだが、やたらとPCの動きが悪くなっている。そこでDefragをかけて、パソコン以外の準備をしていると、3時間ぐらい下頃に迎えがきた。
ところが、Defragの方はいつになっても終わってくれない。そこで仕方がないので、途中で中断して帰ってきた。
 さて、久しぶりに家に戻って、餅を食って風呂に入ってテレビを見てからこの日記を書いているのだが、全くやっぱり俺は何か抜けているようで、お気に入りを持ってくるのをすっかり忘れてしまっている。
ああ、これはかなりの重傷だ。この前兄貴にパソコンを使わせるので、都合の悪いデータはすべて消去してしまったため、お気に入りが全くない。
全くこれだからしょうがないなぁ。
 ところで今日、何回も無駄なファイルを間違ってコピーしている内に、いきなりNortonAnchiVirusから警告がきて、なんだかダウンロードしたファイルの中に、ウイルスが感染しているというメッセージが出てきた。
俺はメールで来るウイルスは出会い系サイトの管理をやっているので、これでもかと言うほど毎日届くのだが、絶対に添付ファイルは開かないし、すぐに見つけ次第消しているので絶対に安心だと思った。
それで今までウイルス対策ソフトなんて馬鹿にして入れていなかったのだが、よく考えてみるとダウンロードしたファイルの中にウイルスが潜んでいる可能性だってあるのだ。
幸いにも今回、ウイルスに汚染されていたファイルはこれだけで、Nortonが消してくれたので助かったが、これからはウイルスを馬鹿にしないで気をつけないといけないと思った。
ちなみに昨日、内のインストラクターからメールソフトがおかしいという話がきたのだが、実はここに書いてあった件名がどうもウイルスらしくて心配だ。大丈夫だろうか。
さてと、昼間のDefragの続きやって寝るかなぁ。



2002年12月31日(火)
1年間を振り返って

 今日は内にいるときにしては珍しく、12時頃までぐっすり寝ていた。
やっぱり人間無意識のうちに、動物的本能なのだろうか、親のいるところをしっかりと「自分のすみか」だと認識しているとしか考えられない。
そのぐらいかなりぐっすりと寝てしまっていた。
そんなわけでほとんど起きてすぐに飯という状態になっていた。
ちなみに今日は、久しぶりに大好物の塩鮭の焼いたやつを食った。やっぱり実家の飯はうまい。
その後、かなりの時間昔のCDを引っ張り出して聞いていると、あっという間に5時ぐらいになってしまっていた。
今日は大晦日なので、いつもよりも飯の時間がかなり早いので、
「飯だぞ」と呼ばれてちょっとびっくりしてしまった。
 もちろん夜は蕎麦だ。内の方は田舎なので、ちゃんと年越しそばを食べる習慣が残っている。
ところでちょっと不思議に思ったのだが、どうして大晦日には蕎麦を食うということになったのだろうか。
 それから今年はいい加減に21歳にもなったので、ドラえもんは見ない予定でいたのだが、どうも内の親父が正月はこれを見るのが恒例だと思っているらしく、レコード大賞からチャンネルは自然にドラえもんに変わっていて、また今年も年甲斐もなくドラえもんを見て、風呂に入ってこの時間である。

 さて、今年最後の日記なので、やっぱり今年1年が俺にとってどんな年だったか簡単に振り返ることにしよう。
これを書こうとして風呂の中で考えてみると、今年もいろいろなことがあったものである。
 それでは、前半から振り返ってみたい。
 まず、BLPCのボランティアのことですったもんだしてしまった。
彼女に夢中になって約束を守らない主任に嫌気がさして、新しい人にボランティアコーディネートを頼んだのだが、内のボランティア派遣業務はかなり大変だったらしく、結局イベント1ヶ月前になったころ、主任が復帰して助けてくれた。
それはそれでいいのだが、そのイベントで主任の怒りが爆発してボランティアに怒られまくり、内の会員がかなり鬱状態になってしまって立て直すのが大変だった。
 それから、新年早々いきなりパソコンが壊れ、電源を入れてもHDDが回らなくなってしまった。
そのときは運悪く、もらったお年玉をほとんど使い果たしてしまったときで、修理する金も残っていなかった。そこで両親に電話で助けを求めると、成人式のお祝いにと、新しいパソコンを買ってもらえることになった。これについて詳しくは、1月と2月の日記のそこらここらに書いてあるので興味のある方は読んでみてほしい。
パソコンは俺にとって眼の代わりであり、家にいるときはほとんどの時間遊んでいる大切な友達のようなものなので、これも今年の重大ニュースだ。
 いつも日記でねたにしている新井君がBLPCに入会してきたのもこのころだ。
俺は今までWindowsというものを使ってきてはいたが、その見た目がどんな感じで、マウスで操作すると言うことがどんな感じかを教えてくれたのは彼だった。
テキストサイトのおもしろさを教えてくれたのも彼だった。
 今では大親友になったMelodyさんがBLPCに入ったのもこの時期だ。
イベントのパンフレットの大量印刷をしているときに、いきなり入ったメールから彼との友達づきあいは始まった。最初電話を入れたときには、かなりくらい人だと思ったので、5月のイベントが終わるまではあまり話をしなかったのだが、今では相当なんでも話せる仲だ。
 それと今年前半にはかなり悲しいことがあった。
俺が大学に入学して最初に友達になったやつが、突然自ら命を絶ってしまったのだ。
これはかなりショックだったし悲しかった。それにどうして死ぬ前に気づいてやれなかったんだろうと後悔した。
しかし、このことが原因で、そいつと仲のよかった友達とよく話すようになり、4月から今まで休学していた友達も学校に戻ってきたので、今までのように学校に行っても誰も話し相手がいなくて寂しい思いをすることも少なくなった。
 就職活動を始めたのもこのころで、3月から6月にかけて、いろいろな企業の試験を受けたりエントリーをしていた。そして目が見えないと言うことだけで、面接もしてくれない企業に憤りを感じ、なかなかうまくいかない就職活動と、ほとんど何も支援をしてくれない学校側にいらだったりした。

 後半はなんと言っても、就職活動が成功し、自分にはもったいなさすぎるようなすばらしい会社から内定をいただいた。
 それから夏休みには、友達とお互いの家に4泊ぐらい泊まって、楽しい時間を過ごすことができた。
 そのころ、BLPCでは、一人の女の子の採用を巡ってかなりの議論がなされていた。全くパソコンを使ったことのないその子、でも、その子のおかげで俺はもちろん、内のメンバーは「初心に戻って教えること」を思い出すことができた。
 広島から一人の女の子が俺の部屋にやってきて、俺の心にかなりの衝撃を与えるあの言葉を聞いたのも夏休みのことだった。
 これはあまり大きなニュースでもないのかな?9月には3年間使い続けた形態を買い換え、音声のでる新しいものにした。
 10月は就職が決まった会社の内定者オリエンテーションがあり、優しく心強い仲間に出会うことができた。みんな本当に見えない俺を自然と仲間として迎えてくれて、とても嬉しく心強く感じた。
 11月のパソコン講習会は、今までのパソコン講習会の中でもっとも充実したものにすることができた。今まで起きていたネット接続のトラブルも出なかったし、何よりもお客さんがかなり喜んでくれたのが嬉しかった。

 そんな感じで今年は総合的に見れば、とてもいい1年だったと思う。
来年はいよいよ社会人になる。新しい生活の始まりだ。



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