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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
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2003年01月01日(水)
今年の目標

 今日はいつもの元旦とは違って、かなり遅くまで寝ていた。
実は我が家の習慣として、元旦の日は必ず朝みんな早起きして、子供は大人に新年の挨拶をすることになっていた。
しかし、さすがに兄貴も俺もはたchはたc二十歳を超え、次男の俺が去年の1月に成人式を迎えてしまったので、内には子供はいないと言うことで、俺は早く起こされなかった。
でも、じいちゃんとばあちゃんの方は俺は子供だと思ったらしく、お年玉を用意してくれていた。
そんな感じで親がそれをもらってこいと、10時頃にお越しにきた。
それにしても今年はさすがにお年玉はもらえないと思っていたので、結構嬉しかったりする。
 それから俺にも少ないながら年賀状が来ていたので、その返事を書いた。今年は年賀状はメールで全部すませようと思ったのだが、さすがにはがきできたからにははがきで出さなければならないだろう。
 5時頃になって親が初詣に行くというのでついて行って、今川焼きを買ってきた。どうも俺は、初詣に行ってこれを買って食わないと新年を迎えた気がしない。
 それからテレビを見てから風呂に入って日記の時間だ。

 さて、今年は俺にとって今までの学生生活から社会人生活へと大きく変わる時期だ。
今日点訳ボランティアの方からいただいた年賀状には「大きく羽ばたく時期」と書いてあったが、正直言って俺はそんな実感はわかない。
ちょっと考えてみると、後3ヶ月もすると俺は学生ではなくなってしまうのだ。
できれば社会人になる前に、精一杯遊んでおきたいのだが、学校が始まればすぐに卒業論文を書かなければならず忙しくなるし、それが終われば今度は引っ越しや東京のアパート周辺の道を覚えなければならない。
できれば学生生活の最後にどこか卒業旅行にでも行きたいのだが、それもなかなか難しそうである。
 それはそうとして、やっぱり新年を迎えたからには、今年の目標なんて言うものを考えなければならない。やっぱり人間は夢や目的を持って生きることが大事だし、俺はそういう目的を持って生きている人の方がそうでない人に比べて数段生き生きして見えるから、自分も何か常に目標を持って生きていたいと思っている。
そこで俺の今年の目標は

 1.「職場になじむ」こと
これは社会人にとって当たり前のことかもしれないが、俺にとってはとても大変なことだと思う。
俺はこれまで、ずっと盲学校とかそれに関係する視覚障害者のために作られた学校で育ってきた。だから、ほとんどの場合身の回りに目の見えない人はいたし、先生方もそういう学校だからそれなりに理解がある。
内の大学は別としても、盲学校にいた頃は視覚障害者というものに対しての理解のなさに苦しんだことは全くと言っていいほど無かった。
 しかし、当たり前のことだが俺が入社する予定になっている会社は、全盲は俺一人であり、周りはすべて晴眼者である。
こんな環境だから、俺が職場にとけ込んで自分の位置を確保するまでには、それなりの時間がかかると思うし苦労もするかもしれない。いや、逆にそうでもないかもしれない。
それに加えて新社会人みんなが経験するような困難もあるだろう。だからそれらを一つ一つゆっくり解決していきたい。この目標にはそういう意味が込められているのである。
 2.日記を続けること。
どんなに分量が少なくてもいいから、毎日日記を書いていきたい。自分が後から読み返して、この時期に何を考えていたかを知りたいし、遠い未来、何かくじけそうになったとき、自分の文章に励まされることもあるだろう。
実際俺は、時々自分の日記を読んで、悩みを解決することもある。
 3.BLPCの活動を続けること。
今年は忙しくなるので、去年ほどは盛大にはできないかもしれないが、俺が忙しくなったせいでBLPCの活動がストップしてしまうことだけは絶対にあってはならないと思う。

 そんなわけでこんな目標を作ってみた。
さ〜て、がんばるぞ。
来年の今頃俺、何してるかな?



2003年01月02日(木)
新年草々

 今日は昨日のあの長い日記を書いた後、夜中の1時頃までにゃすこさんと無線で長話をした。
いつも実家に帰ってくると、必ずむせんで懐かしく長話をするのだが、やっぱりいくらインターネット上で無線のようなことができるソフトがあったとしても、本物の無線のあの音質とレスポンスにはかなわない。
インターネットを使って会話する場合、IP電話などの業者が提供するサービスを除いて、必ずと言っていいほど自分がマイクからしゃべった声が、相手のスピーカーから聞こえるまでに時間がかかる。回線がすいていれば通常そんなに気にするほどのものではないのだが、込んでいるとこれがかなりひどくて、一番ひどいときにはこちらがしゃべった声が相手のスピーカーから聞こえるまでに6秒ほどかかったこともあった。
しかし、無線はある程度の距離であれば、必ずつながってくれるし、上記のような問題は全くない。
まぁ、無線には無線で他の人に会話の内容を聞かれたり、混信が入ったりすることがあるが、やっぱりそれでも無線っていいものだ。
 それからしばらく部屋の中にあるFM関連の機材を引っ張り出して遊んだ後、2時頃に寝た。
目を覚ますと8時頃で、母ちゃんが部屋に来てコーヒーを飲まないかと言っている。眠くてしょうがなかったが、内にいるときぐらいしか人に入れてもらったコーヒーを起きたばかりで飲めることなんて無いので、起き出して茶の間に行った。
 お昼頃になって、これまた正月恒例の買い物に行くことになった。俺の今回の目的は、携帯リンクという携帯電話とパソコンをつないでデータのやりとりをするソフトと、ビデオ会議に使用するためのカメラだ。
目の見えない俺が何でカメラなんだと不思議に思う方もいらっしゃるかもしれない。
でも、昨日俺はにゃすこさんと話をしていて、偶然WindowsXP付属のリモートアシスタンスの話題になった。どうやら彼は、何かパソコンのことでわからないことがあると、これを利用して詳しい友達にパソコンの調整とかインストールなどをやってもらっているらしい。
そこで俺はひらめいたというか以前これを使って画面の見えにくいところを見てもらうことw考えていたことを思い出し、今度困ったことがあったら、彼に助けてくれるように頼んだのだった。
彼は快く承知してくれたが、その後彼の一言が気になった
「ところでTomG、メッセンジャーのメニューにさぁ『カメラの開始』ってのがあるよなぁ。あれってたぶんテレビ電話みたいなことができるんだと思うけど、そっちでカメラ持ってれば、俺が移したもの見てやれるかも?」
こんないい話を聞いてしまったからには黙っていられない。だって、1代のパソコンでもう1代のパソコンの画面を移してそれを見てもらうことができれば、Windowsの再インストールを行うことだって夢ではない。
そんなわけでカメラということなのだが、今までカメラなんぞには見向きもしなかった俺のこと、売り場の前まで言ってもどれを買っていいものやらさっぱりわからない。
親父に一緒に店に行ってもらったのだが、親父もこんなこと知っているはずもなく、結局店員に聞いて1代のカメラにたどり着いた。
でも、俺はこの前、検証で当たったデジカメが内にあることを思い出し、結局何も買ってこなかった。
ちなみに家に帰って確かめてみると、そのカメラは電池でしか動かないため、俺の使おうとしているようなヘビーな動作には耐えられないことがわかったので、今度新年会で秋葉原に行ったときにやっぱりいいのを買ってこようと思う。
 その後で、親戚の人たちが何人か来て、もらえないと思っていたお年玉をくれた。これに気をよくした俺は、母ちゃんが田舎に年賀に行くというので、ついて行くことにした。
結果はついて行って大成功だったのだが、久しぶりに母ちゃんの実家になんて行ったものだから、まぁ従兄弟は大きくなって声が変わっていて一瞬びっくりしたり、約1年ぶりに見た子供はかなりでかくなって言葉がしっかりしているし出、ちょっとびっくりした。
 その後家に帰ってテレビを見てごろついていると、主任から電話が来た。また事務局のスケジュール表とボランティアのスケジュール表が違っていること発覚。俺は新年早々かなりの迫力で暴走してしまったのだった。
とりあえず何とか連絡を入れてスケジュール調整をしたが、全く困った話である。



2003年01月03日(金)
俺って旧友に忘れられてる?

 今日は友達が午前中に遊びに来ることになっていたのだが、いつもの癖でついつい11時頃まで寝てしまった。
9時頃に親に起こされたような気がしないでもないのだが、爆睡していてあまりよく覚えていない。
 起き出して連絡を入れてみると、ちょうど友達も起きたところだった。
そんな感じで午前中の予定だったのが、結局ほとんど午後になった。
 今日は遊ぶと行っても、別に何の予定があるわけでもなかったので、真岡市内をいろいろと回って正月のセールだのに繰り出したり、友達が携帯電話を買うというので、それを見に行ったりしていた。
しかし久しぶりに真岡市内のデパートなんて行ったので、いろいろと配置が換わっているのには驚いたが、においや雰囲気などは全く変わっていなかった。そんなとき、ちょうど俺の好きなフライドポテトのにおいがしてきたので久しぶりに買ってみると、俺が小さい頃この店に来るたびに楽しみにしていたあの味と全く変わっていなくて、なんだかものすごく懐かしい気分になってしまった。
昼飯も途中で食ってきたのだが、これがまたかなりマイナーな食堂に入ってしまったため、客は俺たち二人っきりだった。しかもその食堂、玄関と店の入り口とが一緒になっているのか何なのかは知らないが、正月に遊びに来た親戚の人たちだろうか、思いっきり店の中を通って帰っていったので、なんだかちょっとびっくりした。
しかも店と家をつないでいるドアが開けっ放しになっているのか、子供が騒いでいてうるさいのがそのまま聞こえてきたりした。まぁ料理の方はまあまあだったのでいいことにしよう。
 それから家に戻ってきて、また1時間ぐらいごろごろしながら話をしてから友達は帰っていった。
 さて、飯を食いに茶の間に行くと、今日もまた年賀状が来ていた。俺としては今年は誰からもはがきでの年賀状は来ない予定になっていたので、この前のものと併せて4枚北のには結構意外なことだった。
その中に、高校時代に3年間担任をしてもらった先生からのものがあった。それによるとその先生は、去年の4月に地元の一般高校に異動されたとのことで、これも全く知らない話だった。
他に、そのはがきには、
「TomG君は先の見通しは見えたかい?」
とか、「元気でやってますか?」などの文字が並んでいたが、これを見ているとなんだかこの先生と無性に話がしたかった。
あのころの思い出話や近況報告など、話したいことは山ほどある。そんなわけで親が買い物に出かけた後、電話番号を調べて電話を入れたのだが、残念なことに先生は留守だった。
 そんなことをしていて俺はふと考えることがある。俺の盲学校時代の友達は何をしているだろうか。
俺の方から電話しない限り、あの二人のクラスメイトが電話をくれることはほとんど無いと行っても過言ではない。俺はこの通り電話好きなので、電話して様子を聞いてみたいとは思うのだが、盲学校時代の友達が誰一人として俺の方に電話を紅という事実を思うと、やっぱり俺って忘れられているのかなと思う。
あの二人とは合計13年間机を並べて一緒にやってきた中だったはずなのに、全く連絡がこない。
確かに俺一人だけが他の学校に行ってしまったわけだが、それにしてもあまりにもひどい話ではないかと思ってしまう。
とか言いながら、先生にあれだけお世話になっておきながら、内定の報告すらしていない生徒がここにいる。
 一昨年の11月だったろうか、盲学校の学校祭に行って来たのだが、そのときは内のクラスの仲間たちは学校祭の仕事に追われていたらしく、ゆっくり話をする暇もなかった。
ああ、この辺で同窓会でも企画してみんなでパーティーでも開きたい気分だ。

 ところで今、なんだかのどが痛いし腰のあたりが非常にだるい。
もしかすると風引いたかもしれない。やばい!なんとしてでもあさってまでには直さないと大変なことになる。



2003年01月04日(土)
こういう年の取り方をしたいもんだ

 朝起きてみるとやっぱりひどい風だった。
昨日からどうもだるくて寝ても眠れなかったのだが、やっぱりこれは完全にやばい。
このまま行くと今までの経験上、間違いなく発熱することは目に見えている。
しかし、そんな状況だからといって明日の新年会を欠席すれば、内の副会長がボランティアから何を言われるか分からない。
そんなわけで起きてすぐに仕事場にいる親に電話を入れて、今日医者がやっているかどうか聞いてみた。
するとどうも内の方の広報には今日の当番医の名前は出ていないらしかった。つまりもしかして、世間はほとんど仕事休みなのに、医者は今日から診療を始めている確率が非常に高いと言うことだ。
これは行ける内にかかりつけの先生のところに行って、発熱する前に治療してもらうしかしょうがない。
母ちゃんはいきなり今日送っていくわけにはいかないと言い出しているので、何とか医者を説得して大丈夫と言ってもらう必要があった。
でも、もしかすると本当に風邪がひどくなっていれば行けない可能性だってあるので、一応ボランティア主任と副会長に電話を入れて事情を説明した。
 11時頃になっていつもの医者に言ってみると、やっぱりしっかり空いていた。しかも診察室には、俺が赤ん坊のときから見てくれているおじいちゃん先生が診療に出ている。どうもいつも俺が受付でこの先生を指名するので、受付の人は今日は何も言わなくてもこの先生にカルテを回してくれていた。
 先生に事情を話してみると、やっぱり昔から俺の体を見てくれている先生だけ会って、明日新年会に東京に行くことは全く問題ないと言うことだった。しかし、どうもやはり怪しいので、注射を打ってもらって帰ってきた。
それにしてもかかりつけのいしゃというものは、顔を見ただけで(俺の場合は正確に言うと声を聞いただけで)ここまで安心できる存在だとは思わなかった。正直言って、俺自身明日はもしかすると行けないかと思ったのだが、この先生の顔を見ただけで80パーセントぐらい直ったような気分になっている。
この話をピヨマルにしたら、
「内の方の先生、いくらこっちが熱出してふうふう言っていても、注射なんてしてくれないなぁ」
と言っていた。たしかに今の先生は滅多に風邪程度では注射はしないのだろう。
もし今日も、息子の方の先生に当たっていたら「明日はやめた方が良いですね」とか言われて、今こうして筑波に戻ってきていないかも知れない。
でも、薬を飲むよりも注射を1本打ってもらった方が直るのが早いように思う。
とか言いつつ、はっきり言って俺は注射は大嫌いである。
 前にもこの日記で書いたかも知れないが、俺はあの先生のような年の取り方がしたいと思う。だって、先生は今年で77歳になるのだが、いくら耳が遠くなって補聴器をしていても、毎日診療に出て患者さんを見ている。それだけではない。あの先生を頼って受付で指名する人がこの町には少なくないのだ。
これは年を取った人があの先生を指名すると言ったわけではなく、俺のような若者でも、あの先生でないと病気が治らないという気がする人が少なくないのだと思う。
こんな風に年を取っても多くの人から頼りにされ、信頼される人でいたいと思うわけだ。
良く家族からお年寄りが邪魔にされる話を聞くことがあるが、この年になっても立派に仕事をしているんだからすごいと思うし、やればいつまでも自分の生きる意味を持っていられると思う。
 それから昼飯を食って、午後はNHKの大河ドラマスペシャルの大河ドラマ「秀吉」を見ていた。
 その後6時頃に家を出て、7字ぐらいには筑波のアパートに戻ってきた。
それに体も本当にこんな状態で明日大丈夫なのだろうか。
 さて、そんなわけで今パソコンに向かって日記を書いているわけだが、ひさしぶるに家に戻ってくると、メールの整理や返信が大変だったりする。特に出会い系サイトの管理関連のメールが合計で600通も届いているのだからしょうがない。



2003年01月05日(日)
イベント初日

 今日はBLPCの新年会だ。とりあえず昨日から風邪を引いて大変なことになっていたが、とりあえず熱は出さずに済んだので、何とか7時頃に目を覚まして出かける準備をした。
昨日の内から準備すればいいのだが、俺は昨日はなんだかだるくてすぐに寝てしまったので、朝から結構あわただしかった。特にタクシーを8時40分に呼んでいたので、それに遅れないようにするのに焦っていた。
 今日の集合は11時になっていたので、いつもならば9時半過ぎのバスに乗っていくのだが、新年早々と言うことで道路の混雑を予想して少し早く出て行くことにした。ところが、これぞマーフィーの法則なのだろうか、こういうときに限って思いっきり早くつきすぎる。15分かかると思っていたタクシーは7分で到着し、2時間かかると思っていた高速バスはこれも半分の1時間とちょっとで到着してしまった。そんなわけで俺は、9時45分にすでに東京駅にいることになったのである。
こんな時間に付いてしまって寒い中一人でバス停で担当のボランティアさんのお迎えを待っていたのでは、せっかく治りかけた風邪がまたぶり返してしまうと思ったのと、暇つぶしの感覚で、一人で集合場所の丸の内南口の身障者待合室まで行くことにした。
もちろん東京駅は広いから、日本橋口から丸の内南口までの経路は知らない。
そこで八重洲口の改札まで行き、駅員の人に教えてもらって行くことにした。今回はなるべく人に連れて行ってもらうのではなく、道を聞いてその通りに行くことを心がけた。
これは結構たいへんなのだが、これができるようになると相当視覚障害者の中では上級者だろう。俺はというとご覧の通りの方向音痴なので、合計3人ぐらいの人に道を聞き、ようやく丸の内南の改札までたどり着くことができたと思った。ところがそれは丸の内中央口の改札で、この後はさすがに外を通るので、そばにいた親切な人に連れて行ってもらうことになった。
 10字20分頃に俺が到着すると、内の総務のインストラクターの人が一人、俺より早く来ていてびっくりしたりした。
 その後みんな集まり始めたのだが、一人9時半頃に「今置きました」とか電話をしたきた人がいて、
「○○さん、遅れたら遅れた分数かける1000円罰金ですからね」
とか騒いでいた。でも、さすがに待っていると時間がもったいないので、その人には現地に来てもらうことにして、一通りの日程説明などを済ませた後、本日の目的地、秋葉原へと繰り出した。
正月明けということで、この時期の学生はおとしだまで懐が暖かく、パソコンという同じ趣味を持つ仲間達との買い物ということもあって、結構目的をしっかり持っている人が多かった。
ちなみに俺の本日の目的は、携帯・リンクという、携帯電話のメモリ内容をパソコンから編集するためのソフトとか、デジカメの安いやつ(詳しくは明日の日記に起債予定)、そしてプリンタサーバーだった。
 ところが、BLPCの特徴として「腹が減っては戦ができない」というのがある。もちろん秋葉原に着いたのがこの時間では、みんな飯食わずにはいられない。
そんな感じでともかく近くのファミレスに入って飯を食うことにした。
 そのとき、俺と猿君の二人が一緒になったのだが、俺の担当のボランティアさんが男性、猿君の担当の人が女性で、女性がその人だけになってしまい、結構話の間をつなぐのが大変な感じもあった。でも、その人が(というかその子)は高校生で、かなり明るい子だったので、何とか楽しくやったが、俺たちよりもその子の方が大変だったことだろう。
ああ、こんな子としているから内のボラ主任、恨まれるのである。
 それからしばらくして、食べ終わった人から早速買い物に出かけ始めた。ところが、俺たちがいざ出かける段になって、よく考えてみると会計担当のピヨマルがいなくなっていることに気づき、しかも会費の範囲では収まらない値段になっている人もいたので、結局みんなしてまたファミレスに戻って来る羽目になった。
 そんなこんなやっていたので、結局買い物を始めたのは1時半を過ぎた辺りからだった。俺は真っ先に、携帯リンクを探しに行った。これがないと電話帳の編集がかなり面倒だったり、音声が不十分なのでとかく編集にミスが発生するので、発売されたときから欲しいと思っていた。ところが、このソフトの音声対応版がバージョンいくつからだったか分からなくて、それを調べるのに結構手間取ってしまった。
すると、俺と一緒に来ていた猿君もこれを買うと言い出した。
それから、本当に偶然に手に触れた特価品だったのだが、8MBのUSBメディアも500円で買ってきた。
 2時台の後半になった頃、ニケ君と合流して、今度は彼のデスクトップパソコン選びを手伝うことにした。
どうもこいつ、お年玉のほかに親から特別に金が入ったらしい。そこでせっかく買うのならやっぱりできるだけ項スペックのものが良いと言うことになり、こうなったら良く俺たちがネット通販で安いと騒いでいるマウスコンピューターに行くと言うことになった。
でも、いざそうなってみると、誰もこの店に行ったことが無く、何処にあるのか分からなくて104で春日部の本店を調べて、電話で秋葉原店の場所を教えてもらってやっとたどり着いた。
個々まで結構迷ったので、そのころには3時半近くになっていた。それから早速店員さんを捕まえて、いろいろと聞きながらニケ君は1台結構はいスペックのやつを買っていた。
俺はできるだけ値段を負けてくれるように交渉したのだが、ここはやっぱり一番安いだけあって、値引きが全く聞かないようだ。でも、その代わり、パソコンの中をあけてメモリスロットなどの位置を説明してもらってしまったりした。
 そのころちょうど集合時間になったので、そこから宿泊先のスポーツセンターに行って、飯を食いながら会議になった。
 ところで新年早々俺はやっぱりかなり運が悪いらしい。俺とピヨマルの二人で唐揚げ定食を頼んだのだが、ピヨマルの文は来たが、俺の文だけ忘れられてしまうという、何とも頭に来る事件が発生した。
お詫びにサラダサービスしてもらったから良いけど、全く本当に何でこんなに俺って運が悪いのだろう。
 その後は風呂に入っていつものようにBLPCメンバーでかなり夜中遅くまで語り明かして寝たのだが、今回は次の日も講習会などお客さんを呼ぶような予定になっていなかったことが安心の元になり、次の日大変なことになるのである。
(明日に続きます)



2003年01月06日(月)
イベント2日目(寝坊、鍵忘れ、音声化不能なユーティリティ)

 何か枕元で鳴っている。朝なのだろう。
昨日夜中遅くまで語り明かしたから、不通なら起き出すはずの俺の体は、それに対して全く反応を示さなかったらしい。
 俺がはっきりと意識を持ったのは、それから何分ぐらいたってからのことだったろうか。かなり激しく扉をたたく音、そして部屋の入り口のブザーを押す音が聞こえる。それに混じってどこかで聞いたことのある甲高い声が耳に付く。ああ、これはピヨマルの声。そしてこいつだけじゃねぇ。みんな男子部屋の前に立っている。
鈍感な俺は、そこまで状況を飲み込んでやっと時計を見る気になった。そしてその針のメッセージに顔色が失われていくのを感じた。
そう、集合時間を20分も過ぎていたのだ。これは何の疑いも言い訳の余地もなく、寝坊である。
昨日最終ミーティングであれほど
「皆さん明日の朝は7時50分男子部屋前集合です。特に女子、いつもおまえら時間に遅れて迷惑かけるんだから、さっさと起きて準備すること。そうだな、おまえら7時には起きろ」
とか偉そうなことを言った手前、これはかなりやばい話だった。
 とりあえず一緒の部屋のニケ君と猿君、そして主任をたたき起こすが、全くあわてる気配もない。これではさらにやばいではないか。俺はまじめに焦った。そして何とか8時25分に食堂に到着したが、女子はあまりの男子の寝坊に呆れて部屋に戻ってしまったらしい。
 そんなわけで今日ははじめから大変なスタートだ。しかもこの寝坊の性で、今日予定していた映画の時間には、いくら急いでも間に合わないだろうと言うことになってしまったからかなり罪悪感を感じてしまった。
リーダーの俺がこれでは、会員に示しが着かないのである。ともかくここでへこんでいてもしょうがないので、代わりの日程をロビーで相談することにした。
最初午前中カラオケという話があったが、ちょっとみんなテンションが低いと言うことで、池袋をぶらつくことにした。
そんなわけでスポーツセンターを10時に出発するバスで池袋に出かけたのだが、このときまた俺は大変なミスを犯していることに、全く気が付いていなかった。
 バスを降りて外に出ると、町中とは家かなりの寒さだった。そこをしゃべりながら歩いている内に、すっかり目が覚めて俺はやっとこの時点でいつもの調子を取り戻すことができた。
 今日のぶらつきは、最初みんなでサンシャインの方の東急ハンズという店でパーティーグッズを見ることになった。俺はここでいたずらグッズでも買っていって、友達の女をいじめようと思ったのだが、ちょっと俺の地元の某市のデパートのように、過激ないたずらグッズは売っていなかった。しかし、ここはなんと言ってもコスプレ関連のグッズがいっぱいあるみたいで、主任なんかはどの高校生ボランティアよりもはしゃいでいろいろなかぶり物を頭からかぶったり、人にかぶせようとしたりしていた。
 その後は二手に分かれての行動になった。昨日ではパソコン関連グッズが見足りない男どもは、ビッグP館に入って、また店員を捕まえていろいろと探し始めた。
携帯電話を探すやつ、それにDVDの内蔵ドライブを探すやつ、HDDの外付けを探すやつなどいろいろ説いたのだが、俺は昨日買っていなかった、プリンタサーバーとカメラを買うことにしていた。
プリンタサーバーはとりあえずWeb上から設定できると言うこともあって、PlanexのMini100/2を買ってきた。ちなみにこの後、さんざんこいつに苦しめられることになる。
カメラの方だが、俺はWindowsメッセンジャーを使って、相手に自分の見て欲しいものを映し、人の目を貸してもらえるようなカメラが欲しかった。
どうも俺の地元の電気屋さんの店員に言わせると、簡易型のデジタルカメラがそれに適しているらしいが、やっぱり東京の町に出てくると店員はしっかりしている。用途を伝えただけで、すぐにWebカメラというそういうことに使う線宇用のものがあることを教えてくれた。
値段は3900円ぐらいからあるらしかったが、やっぱり性能の良いものでないと、カメラで写したものの文字を読んでもらうことまではできないので、ちょっと高かったが、I-O Dataの「USB-CCDCHAT」というやつを買ってきた。何でもこの手のカメラは大きく分けて2種類ほどあるらしく、CCDカメラというものの方が鮮明に画像が写るらしい。
 その後は、去年の7月に入ってきたインストラクターの女の子に、今までご苦労さまでしたの意味を込めて、俺とピヨマルの二人でマイクを買ってやった。とか言っても、たいしたものではないのだが・・・。
 さて、その後飯を食うことになってまた近くのファミレスに入ったのだが、席について
上着を脱いで、俺はとんでもないことに気が付いた。
上着のポケットに、なんと昨日宿泊したスポーツセンターの部屋の鍵が入ったままになっていたのである。俺は自分で鍵を持っていることをすっかり忘れて、フロントに鍵を返さないままバスに乗ってここまで来てしまったのだった。
全く今日の朝の寝坊といい、この事件といい、全く昨日に引き続いて本当にろくなことがなかった。
 でも、やっぱり同じ趣味の仲間達や優しい人たちと一緒に新年会をやることができて楽しいのには代わりはない。まぁ正確に言うならば、あまりの自分の馬鹿さ加減に腹が立つと言うことになるだろう。
とりあえず今回は俺たちが午後カラオケをやっている間に、主任が親切にスポーツセンターに鍵を持っていってくれたが、本当に今回手伝ってくれたボランティアさんが優しい人で良かった。
 ということで、飯の後はカラオケだったのだが、ちょっと風を引いていてそれが直り切れていなかった俺は、本調子が出なくて残念だった。
それから今回は、せっかくなのでみんな必ず一人1局ずつという感じで、時計回りでマイクを回していたので、普段あまり歌わないやつもなんだか照れ長歌っていたりしてかなりおもしろかった。
 4時頃になって主任がスポーツセンターから戻ってきたので、今回の新年会は池袋で解散となった。
今回二日間、新年会に協力して頂いた皆さん、本当にありがとうございました。
会員の皆さんもどうもありがとう。
そして多くの皆様方に、寝坊、鍵忘れでご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。

 さて、いろいろと事情があって、ニケ君も俺のところに遊びに来るというので、池袋から二人で帰ったわけだが、東京駅についてバスに乗るとき、かなり混んでいる中、係の人に案内されていきなり列に割り込んで乗せてもらうと言うことがあった。
不通に考えれば結構ラッキーな話なのかも知れないが、正直言って俺は結構頭に来た。自分が逆の立場だったら、早くから並んでいたのに、いくら障害のある人だからといって先に乗せるというのは許せない感じがしたからだ。
もちろん係員の方は親切心でしてくださったことなのだろうが、はっきり言ってこれはちょっとやめて欲しいと思う。俺たちは足は悪くない。
 家について飯を食った後、早速今日買ってきたものを開いてそれらをパソコンに取り付ける作業を始めた。
嬉しいことに今回は3つもものがあるので、簡単そうなものからやると言うことで、携帯リンク→カメラ→プリンタサーバの順で設定を始めた。
 さて早速最初の携帯リンク。こちらの方は1階設定ミスでエラーが出ただけで、そんなに問題になることはなかった。
それにしてもこいつはかなり便利である。携帯電話の中のメモリの内容を、パソコンの画面で自由に編集できるし、取り込んだ電話帳などのデータをファイルとして保存しておけば、もし携帯が壊れても復旧作業が簡単だ。何せ携帯が壊れると、機械の方は最近安価になっているから良いものの、データの方は自分だけのものなので、こればかりはいくら高い金を払ったって買えるものではない。そんな大事なものだからこそ、やっぱりいざというとき亡くして泣かないように、俺はこいつで取り込んでおきたいと思うのである。
 お次はWebカメラだ。ここで早速最初の問題発生。いくら友達に協力してもらっても、いっこうに画像が移ってくれないのだ。もちろん墨字のマニュアルしかないので、これはどうしようもなかった。
しかし、そんなこと言ったってここには目はない。何とかしてマニュアルを読まないで自分たちの力で解決する以外方法は残っていなかった。
そんなときというのは人間パワーが出るもので、いろいろとやっている内に、サポートソフトをインストールしてから、カメラをつないで認識させると、正しいドライバが入ることが分かった。
最初俺は、サポートソフトのCDを入れたまま、ドライバを自動認識でインストールしていたのだが、これが大きな間違いのようだった。
それでやっと映像が映るようになったのだが、やっぱり期待していたほどメッセンジャーのカメラ機能というのは細かい画像を映すことはできないらしい。
にゃすこさんに協力してもらって実験をやったのだが、なんだか画像がぼけているというか、文字が書いてあるのは分かっても、その文字を読みとることはできないと言っていた。
 次に俺を襲ったのは、プリンタサーバーのトラブルだった。詳しく書くと日が暮れるのでやめるが、とりあえずプリンタサーバーのマックアドレスが墨字で書かれているため、それを読みとれずに、Web上からのIPアドレスの設定ができないは目になった。
そこで付属ユーティリティを使って設定をやったのだが、これまたこのユーティリティが音声との相性最悪で、やっとOutSpokenでWindows98環境で研究して、何とかサーバー側の初期設定は終了した。
ところがどっこいい、今度はプリンタポートの設定ができないために、未だにこれには足踏みさせられている。
 Planexの製品はPDFのマニュアルがネットに落ちているのでそれはそれで助かるが、設定ユーティリティの音声との相性の悪さには全くまいってしまった。
ああ、今日は本当に長い1日だったなぁ・・・。



2003年01月07日(火)
ペリカン便はいい加減だ

 今日は昨日の夜中相当遅くまで起きていたので、11時頃に起き出した。
それにしても今日本当はにけ君の荷物が届くはずなのに、どうもなんだかいつになっても届かない。
できれば今日の昼間十にはある程度のインストール作業を終了させておきたかったので、早いところきてくれないと非常に困るのである。
そんなわけで午前中指定にもかかわらず1時になっても荷物がこないので、起こってペリカン便の筑波配送センターに電話を入れて確認してみると、調べて電話を入れるといっていた。しかしいつになっても電話がかかってこないので、頭にきてまた2時少し前に電話を入れてみると、なんだか午後の瓶で配送センターに届いたらしい。
全くなんだか知らないが、本当にペリカン便は時間がいい加減である。今回持ってきた運転手も、会社の方のいい加減さには結構頭にきているらしい顔をしていた。
 それから早速パソコンを開封し、ケースを開けてDVDのドライブを取り付けようとした。ところが、この時点でやばいことに気がついた。にけ君は、バルク品のDVDドライブを買ってきたため、ねじがついていない。つまりねじ止めできないのだから、ドライブの増設は不可能だった。
しかもこのケース、なんだかおかしい。ふつうミドルタワーのケースというのは、両サイドの板が外れるようになっているのに、このケースは上面の板と右側面の板がつながっていて、全く外れない。しかもねじは特殊なねじになっているので、俺たちにはこれをどうすることもできなかった。
いろいろとこのねじを考えてみたが、六角レンチもだめだったし、俺の持っていた特殊ドライバーでも開かなかった。もしかするとマウスコンピューター、分解できないようにねじを固定してしまったのだろうか。全く本当に変なケースだった。
 その後はWindowsXP名物のライセンス認証だ。もちろんネットワークで認証すると、無効のデータベースにこちらのプロダクトキーが登録され、あまり精神的によろしくないので、認証窓口に電話をして、マニュアルでライセンス認証をかけることにした。
しかしなんでまたこんなに面倒な仕組みを開発したのか知らないが、本当に電話で認証手続きをやるとかなり面倒だ。
ひたすら長い数字をIDのエディットボックスに入力しなければならないのである。俺は数ヶ月前だったか、先生のところに入っているパソコンのOSを移し替えたのだが、これは相当面倒な話だった。
 その後は面倒なこともなく、寸ありとインストールと設定をすませ、飯を食って夜になった。
俺はそれからしばらく寝てしまって、11時頃に起き出したのだが、その後甘いものが悔いたくなって、にけ君がパソコンを梱包している間に、セブンにいっておやつを買ってきた。
 それから今度はWindows2000のマシーンとこっちのマシーンで、去る君と俺とにけの3人で明け方までチャットしていた。
それにしてもこのときの光景はかなり微妙だった。俺たち二人は目の前にいるにもかかわらず、2時間近く一言もしゃべらずにひたすらチャットの方で会話していたのだから。
そんなわけで結局寝たのは4時過ぎになってしまっていた。



2003年01月08日(水)
スタートメニューがおかしくなる

 今日は10字半過ぎに起き出して、それからちょっと昨日買ってきたパンを食ってから、ニケ君は帰っていった。
俺の方もいよいよ今日から学校なので、11時半頃に出かけた。
飯を食いに食堂にはいると、Winona君が帰ってきた板。それでこの前買ってきたプリンタサーバーの話で少し盛り上がった後、久しぶりに教室に行ってパソコンを立ち上げてみると、なんだか変なことに、スタートメニューがこの前のパソコン変更をしたせいなのだろうか、完全にスタートメニューがおかしくなってしまっていた。
そこで仕方がないので、すべてスタートメニューを作り直した後、授業中に昨日の日記を書いた。
授業が終わった後、一応今日は卒検の日になっているので研究室に行ったが、先生はいなかったので電話で今日やるのか聞いてみると、どちらでもいいというのでせっかくだからLinuxの自力インストールの準備をすることにした。
 さて、始めて見るといろいろと問題が起きてきた。このサイトを参考にして行ったのだが、DOSで動く通信ソフトが何処を探しても見つからない。
このサイトの説明文の中にもダウンロードのリンクはあるものの、なぜかリンク切れになっていてダウンロードができないのだ。
そこでVectorとかGoogleで検索してみたのだが、全くそれらしいものは出てこなかった。
そんなわけで今日はケーブル探しとソフトの検索で終わってしまったのであった。

 家に帰ってくると、久しぶりにMelodyさんとメッセンジャーの音声チャットで話をしていた。その途中、今日友達が携帯電話を買ったというので、電話帳に無音操作で適当に友達の名前を入れておいたことを思い出し、携帯リンクで何とかしようとしてやってみると、いくら待っても通信が完了しないではないか。
しかもあまりにも遅いのでひたすらESCキーを押し続けたら、いきなりスタンバイ状態になってしまってかなり驚いた。
 さて、10時頃になっていきなりニケ君がメッセンジャーで呼んできて、いよいよ彼のVAIOが壊れそうな雰囲気だという。
たしかにノートパソコンをメインマシーンにして、彼のようなPCのヘビーユーザーが良くも2年間使ってきたと感心してしまうぐらい、そのパソコンはものすごい働きようだった。あれだけ働けば故障しても何らおかしくはない。
この前内に持ってきたときも、HDDがものすごい音を立てていたから、今回新しくパソコンを買って正解だったろう。

 ところで俺は、今月の4日から風邪を引いているのだが、今年の風は何でこんなにしつこいのだろうか。
今までの風よりも遙かにのどが痛い。しかしなぜか分からないが熱が出る気配はない。
去年の風は非常に頭痛がひどいという特徴があったと思うが、今年のはやり風邪は野ぞが痛くて駄目らしい。



2003年01月09日(木)
掲示板に俺の本名が乗ってる

 今日は久しぶりの木曜日だ。
この曜日は俺にとって一番疲れるもっともいやな曜日なのである。
 そんなわけでとりあえず授業に行かないと行けないので、久しぶりに8時頃起きて冷凍庫に入っていた肉まんを食って学校に行った。
1時間目はシステムシンキングとか言う、物事を構造的に見て図解して考える力がどうしたこうしたという内容の授業をやっていたが、俺はあまり聞いていなかった。
でも、これは最初はあまりおもしろくなかったのだが、2時間目ぐらいから少し聞いていて価値のありそうな話をしていたので、それなりに役に立つかな?
ともかくそんなカンジダ他。2時間目の終わりの頃に、内のクラス担任がやってきて、今度の卒論の最終発表会の連絡をしていった。
 その後飯を食って授業中に遊んでいたのだが、そのときになんと、日記の過去ログに妙な日図毛のものを発見した。
それは「1992年1月上旬」という何とも古いもので、俺はこんなものを書いた覚えは何処にもなかった。
でも、この中身は今年の1月の日記だったので、とりあえず間違って設定してしまったものを正しく修正しておいた。
それから去年の今頃の日記を見ていたのだが、なんだか去年の今頃と現在では日記の書き方にかなり大きな差があるような気がした。
去年の今頃は、「○○なんだけど」とか「○○だったんだけど」などが使われていて自分の書いた文章ながら妙に押さないところを感じてしまう。
今でさえこんなに恥ずかしい文章を垂れ流しているのに、そのころの文章と来たら小学生の作文並みなのである。
でもやっぱりこういう風に昔の日記を眺めてみると、ちょっと面倒くさくてもやっぱり毎日日記をつけてきて良かったと思う。
 授業が終わって家に戻ってからは、いつものように何一つ変わったことなくチャットしたりインターネットしたりしている。
 さて、それで今日、掲示板に書き込んでくださった方がいらしたのだが、なんだか掲示板の上に俺の本名がでかでかと2回も乗っていてかなりびっくりした。たしかに俺の本名なんて何処でも知ることはできるのだが、それにしてもちょっとこれは勘弁して欲しいものだ。念のために明日掲示板の禁止ワードに自分の本名でも登録しておこうかとまじめに思うTomGなのでした。

 ところでこの前ニケ君のパソコンが届いて気が付いたのだが、このマシーンはなぜかOSをシャットダウンするのが非常に遅い。これを解決するためにちょっとしたツールを使ってレジストリを書き換えて、シャットダウン待ち時間を調整してみたのだが、ほとんど効果はなかった。
どうして機種によってこんなにもシャットダウンの時間に差が出るのかは疑問だが、俺は同じような経験をWindows98時代にもしている。
ここでWindows2000をインストールしたファイルサーバーとして使っているサブマシーン、俺の手元に来た頃はWindows98が入っていた。そのときもやたらと電源が切れるのに時間がかかっていたのだが、リカバーしたらすぐに直ってしまっていた。
ちなみにこのDellのマシーンはWin98とXPのマルチブートになっているが、シャットダウンが遅いのはXP[の方だけで、98の方は電源を切れる状態にするを選択してすぐに電源が切れる。
これはいったい何が原因なのだろうか。



2003年01月10日(金)
イラクと北朝鮮

 今日は昨日4時頃まで本を読んでいたので、さすがに眠くて11時反語路まで寝ていた。
その後学校に行って、授業中に内のボラ主任とひたすらチャットに励んでいた。
どうもなんだか最近内の副会長がやっているもう一つの視覚障害者関連団体のまとまりが悪いらしい。
それで俺のところに何とかしてくれと苦情が北野だ。
でも、正直俺に何とかしてくれと言われても、内の副会長がやっているだけで、俺のやっているBLPCとは全く関係ないので何ともしようがない。
 学校から帰ってからは、どうも眠くて6時頃まで寝てしまった。
それから飯を買いに行ってテレビを付けてみると、なんだか世の中は俺が寝ている間にとんでもないことが起きていたことに気が付いた。
NHKの7時のニュースによると、北朝鮮は今日、核拡散防止条約からの脱退を表明したらしい。
しかし何でまた、こんな強硬姿勢に出るのだろうか。
 俺の予感では、北朝鮮はアメリカに対して驚異を抱いているのではないかと思う。それもそのはず、アメリカ国内の世論は、一昔前まではイラクを危険な国として認識していたが、最近になってどちらかというとイラクよりも北朝鮮の方が驚異なのではないかという考えが広まっているという話だ。
そんな世論が高まってくると、戦争の好きなアメリカは、必ず北朝鮮を攻撃するのではないかという不安があるのだろう。
確かにアメリカは過去に置いても現在に置いても戦争が大好きな国だから、戦力は他の国に比べて格段に強い。そんなのが自分の国に攻めてくるおそれがあるというのだから、北朝鮮政府もおちおちしてはいられないだろう。
それを防ぐために、アメリカを対話のテーブルに引き出して、不可侵条約を結びたい野ではないかと言うのが俺の予想だ。
 ところで話はイラクに飛ぶが、国連査察団の報告によると、イラクは特に査察を妨害することもなく、その上国内の関連施設からは怪しい者は今のところ全く見つかっていないということだが、アメリカは相変わらずペルシャ湾周辺に兵力を投入しているらしい。
このまま行くと戦争になるのはほぼ確実だろうが、なにを根拠にイラク側に攻め込むというのだろう。
個人的にはあの国は確かに怪しいにおいがぷんぷんと漂っているように思うが、においはする者のそのにおいの原因を発見できないのだから、攻撃するのは国際世論に反するのではないかと感じる。
ともかく俺は、正直どんな理由があろうとも戦争になることは望まない。
人が人を殺し合って何の得になるのかはっきり言って傷つけ合う以外の何者でもないからだ。

 さて、その後はこの前マイクを買って上げたと言うことで、その女の子と2時間ぐらい音声チャットをしてから、今度はまたMelodyさんと音声チャットして風呂に入って今の時間である。

 ところで話は全く違うのだが、俺はいま、久しぶりにこのパソコンのWindows98を使って日記を書いている。
このOS、WinXPに比べて、アプリケーションが強制終了したときにOSそのものまで一緒にどこかに旅立ってしまうという、とてもすばらしい機能が付加されているため、最近は使わなかったのだが、Windowsを2000パーセント弄くるツールというソフトの中に、最近おもしろいチェックボックスを発見した。
それは、起動画面のメニューで「その他」を選択すると出てくるのだが、「応答なしになったアプリケーションを強制終了させる」という便利な代物だ。
こいつをチェックすると、強制終了ダイアログが出ることなく、応答なしになった時点でアプリケーションをすぐにOSが終了させてくれるため、手遅れになってOSも一緒に旅立ってしまうことが減るような気がした。
WindowsXPでこいつを使ったときは、不正な処理を行ったアプリケーションはこの機能ですんなりとおさらばしてくれたが、98ではどうだろうか。
いま何か強制終了しない者かとさっきから一生懸命無謀なことをやっているのだが、こういうときに限っていつもむかついている例の機能は働いてくれないのであった。



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