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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
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2003年01月11日(土)
懐かしい音楽の先生と馬鹿な統計学

 今日は昨日の影響高なんだか知らないが、午後1時近くに電話で目を覚ました。
とりあえずいきなり昨日の夜に企画書を出すという話が出ていて、それを今日中に作れという電話だったので、できるだけやってみるとだけ行って電話を切った。
 その後、この前ニケ君が事情により置いていったパソコンを宅急便で送ってから、いつものように音楽を聴いたりWebを回ったりしていた。
4時を過ぎた頃、この前電話をしてつながらなかった高校時代の担任の先生に電話をした。
その先生には俺は高校3年間をずっと担任してもらったので、結構話は盛り上がった。
すると、その話の中で俺の知っている盲学校の先生達が、かなりの数外に移動になってしまっていることを知って、結構寂しい気分になった。
特に内の学校の音楽家のN先生がいなくなってしまったのは寂しい。
あの先生は本当の意味で音楽の楽しさを生徒全員に教えようとする、本当の情熱の持ち主だったと思う。
どんなに人数が少なくても毎年の合唱コンクールへの参加はやめようとしなかったし、音楽の授業中も決して教科書通りの授業ではなく、結構本格的な音楽を先生なりに教えてくださったことをしっかりと覚えている。
 こんなN先生だが、この先生には俺は小学生時代とても苦い思い出がある。そのころからやんちゃ坊主だった俺は、こともあろうによく小学生なんかが手でもって振って音を出す楽器の「鈴」を、落としてしまってそれを足で拾い上げたため、かなりの勢いで怒られ、1時間ずっと教室の隅にたたされたり、夢中になって教室で耕筰をやっていると、みんなが音楽の授業に行ってしまい、それにも気づかずに1時間教室で遊んでしまってこっぴどく怒られたあげく、成績表に未だかつて無い最悪な成績のゴム印を押してくれた先生なのである。
その反面高校時代には、放課後遅くまで音楽室にこもって合唱練習をしたり、休みの前の日に寄宿舎に泊まり込んで音楽コンクールに参加して見事1位を取った利など、どちらかというといい思い出の方が多い先生だった。ああ、あの先生いなくなったのは大きい。今の音楽の授業って、どんなことやっているんだろうか。

 それから7時頃になって飯を食った後、テレビの力という人捜しの番組を見ていて思ったのだが、たしかにこれを使って肉親を捜すと結構見つかる場合はあるだろうが、放送中に電話をかけて来るというのは結構勇気がいるような気がする。
だって、本人がもし放送中に電話をかけてくると、間違いなくテレビの電波に乗って全国に自分の声が流れるから、結構恥ずかしくてしょうがない。
実際今日のテレビでは、12月7日のこの番組放送の後、探していた人が見つかったという話をやっていた。
 その後は相変わらず何をする出もなく過ごしていた。
卒論前だというのに全くこんなことをしていてもいいのだろうか。
 ところで俺の学校ってどうしてこんなに卒業直前まで授業があるのだろうか。俺の会社の同期の仲間なんて、もう卒論出したら授業がないというやつがほとんどなのに・・・。
いつだったか内の学校の統計学の先生が行っていたが、俺たちは相当時間的に損をしているらしい。
内の大学は80分授業30回で3単位取得になるのだが、ほかの一般的な大学では、90分授業30回で4単位になるのだ。
これをわかりやすく書くと、内の大学は1単位取るのに授業10回分、つまり
80*10=800で、800分も勉強しなければならない。
それに対してほかの一般大学では、1単位取るのに授業が7.5時間必要なので、
90*7.5=675 つまり675分で済むのである。
こう考えると非常にばかばかしい。1単位でも125分であるが、これが卒業最低取得単位数の96単位で換算すると、同じ単位数を取るのに俺たちは、
125*96=12000 12000/60=200
おいおいおいおい、なんと200時間もよけに勉強して最低取得単位取っているのか。
ああ、計算機片手に計算し直さない方が良かった。全く俺は3年間何やっていたんだろうか・・・。
 でも、この3年間が無意味だったかというと、いろいろな意味でかなり井胃意味は会ったと思う。卒業する前に大学3年間を振り返ってエッセーのようなものを書き残しておきたいとも思うのだが、お得意の面倒くささが先に立ってしまってやるかどうかは分からない。



2003年01月12日(日)
俺の選択は正しかったのだろうか

 始めに書きますが、今日の日記は長くて非常に暗いです。元気のない人は余計に元気がなくなりますので絶対に読まないでください。
自分の元気に余裕のある人で、自分に自信のある人は読んでも害はないと思います。それほど俺にしては珍しく今日の日記は有害です。

 今日は兄貴からの電話で起きた。
なんだか明日、この部屋にインターネットを槍に来るらしい。
 それから午後に、昨日に引き続いて、盲学校時代にお世話になった国語の先生に電話をかけてみた。この先生は国語の先生と言うより、俺の中では放送部の顧問の先生としての存在の方が大きい。
しかし、はっきり言って電話をしてかなり失敗したと思う。どうも久しぶりに電話を入れた性なのか、先生の元気がないような気がするし、あのころの生き生きした話し方をしてくれない。もしかすると俺が電話を入れたことそのものが迷惑だったのだろうか・・・。そんな感じがするほど雰囲気の食らい感じの先生に、俺は結構びっくりしたしショックを受けてしまっていた。

 話は変わって俺は3連休だと言うのに、全くやることがない。遊んでくれる人もいない感じで結構暇だったりする。
そんなのはいつものことなのだが、今日偶然久しぶりに向かし良く聞いていたインターネットラジオのサイトに行ってみた。
ラジオそのものは前に言ったときから内容は更新されていなかったのだが、せっかくやってきたのだからとそのサイトのほかの部分を見てみることにした。
このサイトに俺は今まで難解と無く来ていたのだが、ラジオが目的でほかの部分は全く見ていなかったのだ。
 すると下の方に、
学園祭実行委員会奮闘記」というエッセーが載っていた。
考えてみると俺は、ほかの大学の学園祭には全く行ったことがなかった。実は一昨年の10月に、近くの某女子大の文化祭に誘われていたのだが、一緒に行くやつがいなくて、さすがに一人で行くと怪しまれそうだったので、行かなかったのであった。
それでほかの大学の学園祭を知らない俺にとって、これは結構新鮮なものだったし正直かなり驚いた。
今までたかが大学の学園祭だと思っていたが、これがまた1年前から企画を考え、多くの企業から協賛金や物品をもらったりして、授業をほとんどサボって働いている実行委員がいるほど巨大な企画だったことを知ったのだ。
このページの作者は自分の大学の学園祭だけでなく、ほかの大学の学園祭にも関わったりしていて、本当に学園祭一筋で2年間ぐらいやっていたようだが、ともかくすごい。お時間のある方は是非読んで頂きたい傑作エッセーである。
 実は俺は正直、このエッセーを読んでから気分がさえない。別にこのエッセーが気に入らないからではない。
基本的に俺は学園祭やら何やらと、企画をして実行することやイベントの運営などが大好きなやつだ。ところが、これも自業自得なのだが、内の大学に入ってしまったため、こういうことはやりたくてもなかなかできない。
内の大学の文化祭を見たことのある方ならおわかりだろうが、以下にも毎年やらなければならないからしょうがないからやっている的な雰囲気がないでもない。
実査に自分はそうで、情報処理学科の企画の中心になったときは、完全にやっつけ企画状態で、とりあえず何とかその場を乗り切れればいいと思って適当に企画を進行してしまった。もちろんみんなを引っ張っていって、いい企画に使用という努力をしなかったわけではない。
でも、内の学校は生徒の絶対数が少ないため、それだけでもつらいのに、情報処理学科の企画(つまりパソコンを使って何かイベントをやる企画)を盛大にやるためには、本当の意味で人の絶対数が不足してしまっていた。
 俺もこの人のように、みんなで知恵を出し合って何もかも忘れて夢中になってイベントをやってみたかった。でも、それってこれからできるのだろうか。学園祭は4月から社会に出るので全く無理、それに加えて仕事が始まるとそっちの方に時間を取られてそんな暇なことをやっている時間はなくなってしまうのではないかと思う。
 皆さんの見ている日記の中でこんな風にしみじみと書きつづるのは何かとも思うのだが、それでもやっぱり思ってしまうこと、それは。
「俺って大学生時代何やってきたんだろうか」
である。3年間の学生生活の中で、これを成し遂げたという充実感に浸れるようなものはほとんど無い。唯一の救いはBLPCの活動をやっていることと、就職活動が成功したことかも知れない。
大学に入学した頃は、こんな風になるのはいやで、すぐに点字サークルに入って、自分のポストもしっかりと確保でき、それなりに順調な滑り出しだった。
でも、そこの部長と意見が全く合わず、その上その部長、俺が1年の10月ぐらいで学校をやめてしまったのでそれとともにあのサークルも消滅してしまった。
1年の後半は彼女といちゃついていたが、2年の6月後半からひびが入り始め、10月に振られてしまった。
それからは学校では特に変わったこともなく、とりあえず授業をこなしている感じになった。それに加えて2年の2学期頃から、俺と仲良くしてくれていた友達二人がこともあろうに同時に休学し、学校に行っても誰も話し相手が以内という、とてもむなしい事態になってしまった。
3年になってからは友達も戻ってきて、それから1年の頃よく話していたほかのコースの友達ともよく話すようになり、さすがにこのとんでもない状態からは抜け出したが・・・。
とりあえずこう考えてみると、俺は学生時代いったい何をやってきたんだろうとかなり憂鬱になってしまう。
 こんな風に変なことばっかり書いていると、「おまえはBLPCであれだけやっているじゃないか」という慰めの言葉をかけてくれる人がいるかも知れないのだが、俺がやってみたいのは毎日のようにそのことだけに夢中になってできるような、結構難しいことだったりする。
こうやって自分のやりたいことを客観的に見つめてみると、俺はこの学校に入学して良かったのかどうなのかという、究極の疑問にたどり着いてしまった。今まではできる限りこういう事は考えないようにしていたのだが、やっぱり人間寂しいことや憂鬱なことがあるとこういう事を考えてしまう。
もし俺が高校3年のあの日、今の大学ではなく一般の大学を受験していたらどうなっていたのだろう。
この前テレビで見ていたら、世の中には別の世界があって、自分は二人いて、向こう側の世界の自分は必ず今の自分とは全く反対の選択を下という前提で物語が進んでいくドラマがあった。
それは、とある女の人が仕事をあきらめて結婚した場合と、その仕事を続けていた場合のことで、その選択をしてから5年後、突然別の世界の自分と話のできるテレビ電話を拾ったという設定になっていた。
もし二つの世界があるのなら、俺も一般大学に行っている自分と話がしてみたいと思う。
そして今の自分の選択が間違っていなかったと、誰かにそういって欲しいのだ。
それと同時にもしこの選択が間違っていたのなら、来年1年浪人してでも、別の大学を受け直して一般の4年生大学で自分のやりたかったことを精一杯やってみたいと、そんなよからぬ事を考えている今日のTomGなのでした。



2003年01月13日(月)
カメラで文字が読めた

 今日は午後から兄貴が部屋にやってきて、インターネットにふけっていた。
そんなわけで俺はその後ろで、ひたすら日記を書いたり兄貴にネットを教えたり、友達とチャットしたりしていた。
それと、兄貴が来たついでにこの前買ってきたカメラを調整してもらうことにした。
さすがに画像を扱うカメラの調整は、目の見えない俺がひっくり返ったって無理だ。
それでいろいろと調整してみたあげく、ネットミーティングの方が若干メッセンジャーよりも画像がいいことは分かったが、メッセンジャーでもピントの合わせ方をきちんとすれば、本の表紙ぐらいの大きな文字ならきちんと読みとれることが判明した。
今回もいつものようににゃすこさんに協力をお願いしたのだが、俺の持っている本の表紙に書いてある
「ADSLによる、Linuxインターネットサーバー構築ガイド」
という文字をしっかり読みとってくれた。また、内のポストに入っていた下らない広告のタイトル部分
「カーフィルム張り替えます」
というのも何とか読みとってくれた。
俺は正直、このカメラも実用上使い物にならないと思ったので、今回のお年玉で買ったものが無駄になってしまうかと思ったのだが、案外そんなことはなくて、調整次第でここまで使えることが分かって本当に良かった。
もう一つ、今日はスキャナから画像を取り込んで、それをファイル保存してメッセンジャーの送信機能を使って送りつけるという方法も編み出した。
こちらの方はカメラよりもより正確に情報を知りたいときに役に立つ方法で、この二つを使えば緊急に読まなければならない書類が来たときでも何とか対応できそうな気がした。
俺の夢は、遠くにいる人に別のパソコンの画面を見てもらって、Windowsのインストールをやることなのだが、そこまでは行かないまでも今日の結果は一歩夢に近づいたような気がした。
 その後は、久しぶりに兄貴と二人でココスに行って飯を食ってきた後、戻ってきてからテレビを見ていた。
その間に、この前から探していた
ETVというDOS上で動く通信ソフトを探してみたのだが、何処を探しても見あたらなかった。
それでこうなったらということで、そのLinuxのインストール方法を書いたページの作者にメールで問い合わせてみると、なんと親切なことに添付ファイルで送ってくれた。
 俺はここのところ考える。それは、とあるサイトを訪問して、そのサイトを参考にさせてもらって何かやろうとするとき、たとえばパソコンの設定とかサーバーの設定などがそうだが、いくら自分でがんばって調べてもできないときは、そのサイトの管理人に質問してみる。
すると、ほとんどのサイト管理人は、親切に答えてくれることが多いと言うことだ。
もちろんこれに甘えてすぐに質問をするのはどうかと思うのだが、こんな中からインターネットのコミュニティーというのが生まれてきたのではないかと思う。
そして、自分で仕入れた情報は、それが秘密事項でもない限り、積極邸に自分のホームページに公開しておくことで、自分の学習にもなるし、自然と人の役に立っているんだなぁと思う。
 ところがその一方で感じるのは、メールのマナーのできていない人があまりにも多いのではないかと言うことだ。
前にも書いたかも知れないが、俺はとある出会い系サイトの管理人を務めている。
そのサイトは結構利用者も多い無料の出会い系サイトだ。もちろん質問メールはかなりの量が俺のところに回ってくる。
ところがだ、そのほとんどが開いたとたんに答える気を失わせるような内容だったりする。
たとえば「登録できません」とか、「登録解除してください」とか、「頭に来ます」などである。カギ括弧でくくった内容だけを本文に書いたメールがどっさりと届く。
挨拶も何も無し。こんな事でいいのだろうかと真剣に思ってしまう。
それは登録できなくて頭に来ることも分からないではないし、削除できなくて焦っている気持ちでも分からないわけではない。
でも、メールだけのコミュニケーションとはいえども、これは人と人とのやりとりであり、メールの向こう側には答える相手がいると言うことを、是非忘れないで欲しいと思うのである。



2003年01月14日(火)
俺の馬鹿

 今日はバイトの日なので、9時頃に起きてちょっとコーヒーを飲みながら友達とチャットしてから学校に行った。
バイトの方も残り少ない時間になってきたので、いよいよ仕事も大詰めになっているので、どちらかというと話し合いをして仕事の課題みたいなものを持って帰ってくる感じになっているので、今回も面倒くさそうな仕事を渡されて、1時間と少しで帰ってきた。
でも、勘違いしないで欲しい。2時間バイトするよりも、仕事を内で片づける方がずっと時間がかかるのだから。
 その後研究室に行ってもらった仕事を片づけようとすると、Winona君がなんだかDHCPサーバーと戦っていた。しかも気が付いてみると、ちょうど飯の時間になっていたので食堂に行ってからまた戻ってきて今度はサーバーと格闘している彼の横でひたすら原因調査を手伝ったりしていた。
 さて、3時間目も終わりに近くなった頃、技官さんが俺たちの研究室に入ってきた。そして思いがけない言葉を聞いてしまったのである
「あのさぁ、TomG君もWinona君もさぁ、先週の特別講義何でこなかったの」
あれれ、あれれ、ああああああああ、!!
そういえば良く思い出してみると、去年の11月頃にやってきたメールに、1月10日が特別講義だと、しかも、IBMの先生が来ると書いてあったのである。
しかしのんきな俺、こんな貴重な人がやってくるというのに、すっかり忘れて家で眠りこけていた。「俺の馬鹿!」、ホームページリーダーを実際に作っている人の話が聞けるはずだと前から楽しみにしていたのに、ろくな事は覚えていないくせにどうしてこんな重要なことを忘れてしまうのだ。
しかもこれに加えて、今日は4時間目の教科書まで忘れてきていること発覚。
 
 
 
死亡

 
 
 
何で俺ってこんなに1月から忘れっぽいのだろう。
しかも今日は研究授業とかで、他の人が授業を見学に来るのではなかったか。そんな中
「先生、教科書忘れました・・・」
こんな子といったら恥ずかしくてしょうがない。こうなったらやっぱりサボるしかない。
ということで、家に帰って友達とチャット品柄ふてくされてから、5時間目に近づいた頃、卒検の授業があったので、研究室に戻っていった。
 この時間のテーマは、先週に引き続きLinuxの自力インストールだった。このページに書いてある方法を実践したのだが、なぜか知らないが
Boot:
と表示されたところで必要事項を入力してエンターを叩くと、しばらくした後無言でリセットされてしまって全くうまくいかない。
このパソコンが悪いのかと思って、メモリを増設したり、ほかのパソコンでやってみたりしたのだが、全く持ってうまくいかなかった。
なんとしてでも根性でやりたいのだが、そろそろ今までの研究内容を論文に書き始めなければならないので、今回の研究ではこれはふれないことにして、今日は5時半頃に切り上げた。
 その後サンクスによって弁当を買ってきたのだが、今回手伝ってくれた人、最初の頃全く気が付かなかったのだが、どうも中国かどこかからの留学生らしい。
日本語は本当に上手でちょっと聞いただけでは気が付かなかったわけだが、弁当の名前を読んでもらっているときに分かったようなものだ。
俺は基本的に、日本語の上手な留学生を見ると話しかけたくなる衝動に駆られるので、今日も何か話しかけようと思った。ところがなんだか時間も時間なだけに、店が混んでいてそんな暇ではなかった。
 飯の後久しぶりに面白そうな特集をやっていたのでテレビを見ていると、内のボラ主任から電話がかかってきて、昨日とおととい行われたらしい、ほかの団体のイベントについてさんざん愚痴を聞かされる羽目になった。取り合え得ずあまりにもこいつ動揺していたので、ひたすら何も言わずに聞きに徹していると、気が付いたときには9時近くなっていた。電話が来たのが6時を少し過ぎた頃だったから、3時間近くもこいつの話を書かされたことになる。ああ、とりあえず疲れた。
それになんだか知らないが、やたらと気持ち悪くなってきた。頭も痛い。風でもぶり返したかなぁ・・・。



2003年01月15日(水)
休みなのに結局

 今日は実は学校が休みだったりする。
2時間しかない授業が休講になったので、休みというわけだ。
しかし、だからといって俺は学校に行かなくていいのかというとそれは違う。
悲しいかな、一番近くて安く飯が食えるところは弁当屋なのだが、それだと野菜不足になるのでやっぱり学校が開いている日は食堂まで行ってしまった方が早いというわけだ。
 それで飯を悔いにだけ学校に行ったつもりだったのだが、研究室に行ってみると鍵が開いていて暖房もつけっぱなしになっていた。
もしかするとこれはそろそろWinona君がやって来るのではないかと思って、暇なことだししばらくここで遊んでいようと思っていろいろやっていると、彼は現れた。それで気が付いてみると2時近くなっていたので、俺はこの辺で帰ろうとしたのだが、ちょうどそのとき先生が入ってきた。どうもこの教室、次の時間授業だったらしい。
ところが、その先生は俺が出て行こうとすると「まぁ気にしなくていいよ」ということだったので、ついでにその先生も授業の半分ぐらい雑談に引き込んでから3時過ぎに帰ることにした。
 外に出てみると風も強くてものすごい寒さだった。それで早いところ家に帰って暖まろうと思い、早足で家の前まで来たのだが、そのときに携帯電話が鳴った。相手は友達のアニメマニア君で、どうもピンディスプレイの接続がうまくいかないと言う。
技官さんがやっても駄目だというのでこういうときはほとんどの場合電話では解決不可能なことが多々ある。
そこでせっかく家の前まで来たのだが、寒い中引き返して直しに行った。
 ところが、やっぱり内の学科の技官さんに手に負えない現象だけに、俺みたいな素人が行ったってすぐに直るものではない。
具体的な現象は、WinBES99という点訳ソフトの点字ディスプレイ機能が正常に働かない。
機種はPC-9821RA40、ディスプレイはKGSのBN40Aだったのだが、一瞬は表示されるものの、すぐに消えてしまって全く使い物にならなかった。
俺は実際過去に、PC-98シリーズのパソコンで、この型式のピンディスプレイでWinBES99の動作を確認したことがあったので、これはおそらくケーブルの問題ではないかということになった。
ともかくこれ似合うケーブルがないので仕方なく帰ろうとすると、なんだか俺はいったい寒い中何しにここまで来たんだというむなしさが頭の中を通り過ぎていった。
そうだ、俺は何でこのソフトにこだわっているのだ。俺のやっているパソボラ団体のBLPCは、この手の同じようなソフトを作っている会社とそれなりに中がいいのではなかったのか・・・。
そうだ、点訳ソフトはWinBES99だけではない。こんな時の強い身方、ブレイルスターForWindowsというのが、ちゃんと内の学科にあったではないか。
こいつならちょっとケーブルの結線が違っていても確か動作したような気がする。
よし、こうなったらさっさとこの駄目ソフトはあきらめて、技官さんに学科の方から持ってきてもらおう。ということでそれを行ってみると、ライセンスはちゃんとあるそうだ。
そこで早速インストールして試してみると、ちょっとキーディスクが壊れていて発売元に連絡したとかそういうことはあったが、何とか動作してくれた。やっぱり偉いよブレイルスター、見方だよブレイルスター。
 そんなわけで結局休みなのに午後はほとんど学校にいた。

 ところで8時頃、某テレビ番組で近いうちに地震が起きるという特集をやっていて、どうも今年2003年から2007年までの間がもっとも危ないとか言っているではないか。
しかも俺は今まで東海地震と言うから静岡とかあの辺だけが怪しいと思っていたら、運が悪ければ東京まで危ないという。
俺、来年から東京に住むんですけど・・・。

 さて、その後昨日からというか前々から迷宮入りになっている、
Alt+Ctrl+F12
キーを押してもPC-TalkerXPのメニューが出ない件について、インストラクターから連絡が来て、どうもモニターがおかしいのではないかという結論に達した。
今他の人にも同じ現象が出る人を集めて聞いているのだが、どうもこの可能性濃厚である。



2003年01月16日(木)
理系のための恋愛論

 木曜日。やっぱり毎週この日は憂鬱になる。
今週はとりあえず、5時間目だけ先生の都合で休校になっているので、いつもよりは少しはいいだろう。
 ところで今日の気温は、日本列島ほとんどで氷点下に下がり、この冬一番の冷え込みだったらしい。1時間目があるからいつも午前中は寝ている俺も、8時頃に起き出したのだが、やっぱりいつもよりそういわれてみると寒かった。
何でも今日の寒さ、夕方のテレビによると、川から湯気が立ってしまうほどのものだったということだ。川から湯気が出るというのは何とも不思議な話だが、これは水は暖まりやすく冷えにくいと言う性質を持っているため、川の水の温度よりも気温が低くなると、湯気が出ることがあるという説明だった。
 さて、今日はというか今日もなのだが、3時間目の授業中にネットにいそしんでいると、
理系のための恋愛論
というコラムを発見した。このサイト、俺は結構暇だと見ているのだが、パソコン関連の話題ばっかりのこのサイトにこんなものが乗っているとは全く知らなかった。
 この記事は女性ライターが書いているものなのだが、最初の頃はたしかにかなり面白かった。久しぶりのヒットコラムだと俺の中では思っていたのだが、授業中では読み終わらず、家に帰って続きを読んでいると、突然20回目辺りからこの人の本心が見え始め、どうひいき目に見ても、女性を擁護する視点の文章が目立つようになってきて、結構むかつきだした。
このコラム、たしかに最初の頃は面白かったが、「理系のための」という趣旨を外れていることは確かだ。理系は男性の方が圧倒的に多いのだから、もう少し男性の立場も考えて、できるだけ公平なコラムを書いて欲しいと思った。
 でも、ふと考える。俺が恋愛の手引き書にしている本、3冊の内の2冊は男性学者の書いた本だ。
やっぱり恋愛論とかそういう形の本は、男性と女性の共同執筆が良さそうだ。
事実、主婦の友社から発売になっている「話を聞かない男、地図の読めない女」という本は、かなり両方の視点から物事を見つめた形で書いてあってとても気に入っている。
 ところで例のサイトを見つけた後、俺は性懲りもなく内のリストに「面白いぞ」というメールを流したのだが、これと全く同じ内容のメールが内の某インストラクターから数時間後に転送されてきた。そしてしばらくした後に「すいません、アドレス間違えて転送しました」という内容のメールが来たので、やっぱりこれって最初の方は特に面白いらしい。皆さんも是非クリックして読んでみてください。



2003年01月17日(金)
ビデオメモリの恥

 「もしもし、やばい。おとといに続いてパソコンが飛んだ」
こんな電話で目を覚ましてみると、時計の針は9時を回った頃だった。
俺の師匠の先生、どうやらおととい愛機のノートパソコンが吹っ飛んで悲しんでいたと思ったら、それに引き続いてもう1台のモバイル用のノートパソコンが飛んでしまったらしい。
とりあえずおととい1台飛んだときは、もう1台あるからそれなりに落ち着いていた先生だったが、今日はかなりあわてている。
たかがパソコンが飛んだぐらいでと思う方もいるかも知れないが、俺たち視覚障害者にとって、パソコンが飛ぶと言うことは、すなわち「目をつぶされたようなもの」になるから、本当にしゃれにならない。
それでとりあえずマウスコンピューターの安いパソコンを花王という話になって、ビデオメモリが8MBしか無いが、それでもWindowsXPは動作するかという質問の電話がかかってきたわけだ。
俺はとあるメーリングリストで、「ビデオメモリが遅いと画面の処理速度が遅くなるから、音声だけで使っていてもかなり影響が多い」という記事を目にしたことがあったので、ちょっと今時8MBというのは時代にそぐわないと思ったので、
「多分それだとXP重いでしょうねぇ。音声入れたら厳しいと思いますよ」
と答えて電話を切ったのだが、ちょっと引っかかる。
俺の使っているメインマシーンはビデオメモリが64MBなのだが、よく考えてみるとサブマシーンのビデオメモリの値っていくつなのだろうか?
でも、気になるのは気になるのだが何処で調べたらいいか分からない。Windowsを2000パーセント弄くるツールのCCPU機能を使ったが、ビデオメモリの値は表示されなかった。
それでどうしたものかと考えてみると、俺の使っているアクセス解析のプログラムの中に、「ビデオメモリ」という項目があったことを思い出し、早速サブマシーンから自分のサイトにアクセスしてログを調べてみると、なんとそこに記録されていた値は憎き「8MB」。
おいおい、誰だよあんな記事を投稿したのは。ってそのまま検証もしないで信じなかった俺も悪いのだが、ここで思ったのは
「人の言ったことを参考にしてパソコン購入のアドバイスをするときは、絶対に自分で検証しないといけない」
である。その人には急いで訂正の電話をかけ、8MBのビデオメモリでも十分音声環境でWindowsXPは動作することを伝えた。しかしこれが内のお客様とかじゃなくて本当に良かった。
 さて、今日は午後に「情報処理学特別講義」という授業があった。
これは外部の講師の先生方を呼んで、普段の授業ではできないような専門分野のお話を聞いたりするもので、今日が今年4回目の授業だった。俺は先週これの3回目があったのを忘れたというのは、この日記に書いたので記憶に新しい話である。
内の学科では毎年こんな授業が行われているのだが、今日のそれは結構すごかった。
なぜなら、今まで俺が受講したものの中でもっともわかりにくく、外国語以外の何者でもなかったからだ。
しかももっと間が悪いことに、その授業を受講していたのはすべて経営コースの仲間達で、システムコースの人がいなかったから「パターン認識」などという思いっきり理系の授業が分かる人は誰一人としておらず、先生は微分という言葉を聞いただけで下を向いてぼうっとしている学生に頭を悩ませる羽目になったのである。
それで結局微分の説明を省いて何とか分かるところだけを解説してくれたため、嬉しいことにかなり早く授業は終了した。
 家に戻ってからピヨマルにかなり用事があったので電話をかけて、久しぶりにちょっとシビアな話をした。
 夕方になった頃、前から探していた4月からの東京での部屋の物件がいくつか見つかったと連絡が来たので、それを親に伝えて、その周辺の駅から会社までの行き方を調べてみると、案外乗り換えをすれば近いらしい。
もしこの物件が俺にぴったりなタイプの作りだったら俺ってかなり運がいい。



2003年01月18日(土)
気が付いたら鉄や

 面白い本や面白いホームページ、突然思いもがけずそんなものを見つけてしまったとき、俺にはどうも少しずつ読み進めようとはせず、一気に時間が許す限り読み進めてしまう癖がある。
それは高校3年の夏のある夜、宿題の読書感想文を書くため、仕方なく読み始めた本を読んでいると、なぜか面白くて当時の俺には珍しくはまりこんでしまった。
「ご飯だよ」という母ちゃんの声で気が付いてみると、すっかり夜は明け、朝の7時頃になっていたという事があった。
 今日の俺も全くそのときと同じ状況だった。
昨日の日記を書き終えた後、布団に潜ってブックマークの整理をしていると、私ネットというものを発見した。
確かこれ、俺が1年の頃に取り始めたメールマガジンの発行者さんのサイトとして、このサイトの中の一部が紹介されており、それを登録したものだったと思う。
俺は基本的に、トップページ以外のページをお気に入りに入れるのは嫌いなので、今回もちゃんとこのサイトのトップページが入っていたのだが、そのときはブックマークに入れておいただけで、このサイトがいったい鈍なサイトなのか、よく見ないままブラウザを閉じてしまった。
俺はこのブックマークを見て、それ以来アクセスしていないのだから、削除してしまっても問題ないだろうとも思ったが、何がそうさせたのか、このブックマークが気になった。
 このサイトは、自分の日記やエッセー、そして様々な体験などのノンフィクションを掲載しているもので、よく見てみると俺が今までに想像もしたことの無いような体験談や、暖かいコラムなどが掲載されていた。
そんな様々な文章の中に、「生めないのに」という妊娠中絶の体験記があった。
これを読みながら俺は、4年前の秋の記憶をたどっていた。そして、大きなショックを受けたのも事実だった。
それからここにある様々な文章を読んでいると、しばらくして友達にメッセンジャーで呼ばれた。
「今日は徹夜なの」そのメッセージで俺は我に返った。そう、時計の針は6時少し前のところまで来てしまっていたのだ。
たしかに言われてみれば眠い。とりあえずパソコンの電源を切って寝ることにした。

 8時頃になってピヨマルから電話が来て目を覚ました。
しかし、電話を切った後またすぐに眠くなってきてしまって、気が付いてみると午後の4時頃だったりする。
これでは完璧に夜と昼が逆転だ。まぁ学生の内しかこんな事はできないだろうから、今の内にやっておこうと思うので、明日も何時に寝るかは分からないのだが・・・。
 それはさておき、最近はどうも千里眼とかサイコメトラーなどの超能力者を使って、人捜しをするのがはやっているのだろうか。
毎週テレビ朝日で「テレビの力」という番組にもこの手の人間がたくさん出てくるし、今日の日本テレビの番組でもこの手の人が人捜しをやっていた。
でも、ここで一つの疑問がわく。テレビの中ではこの人達の透視がさも大当たりしたかのような設定になっているが、人間にはこんな能力本当に備わっているのだろうか。
少なくとも現在の科学では全く説明できないだろう。
いつだったか難民キャンプで、泥だらけの服を着たかわいそうな人を映すために、不通の格好をしている人に、お金を渡して泥の坂の上を転げ回ってもらったという話を聞いたことがあるが、これに似たような感じで、ここで出てきている超能力者達も、撮影が始まる前に何らかの情報を仕込まれているのではないかと疑ってしまうのは俺だけだろうか。
 その後はにゃすこさんとチャットを始めたので、明日に続きます。



2003年01月19日(日)
アクセスカウンタ

 あなたは30034番目のお客様です。
俺はぼうっとしながらその音声に耳を澄ました。そしてはっとした。
それは誰のページでもなく、自分のページの掲示板をチェックしようとした朝方のことである。
昨日から昼夜逆転現象が起きていた俺は、今日も相変わらずにゃすこさんとチャットにいそしんでいたのだが、それが終わって風呂に入って、寝ようとしたときの出来事だった。
考えてみれば俺は、ここ数週間というものカウンタのチェックなんか全くやっていなかった。それよりも、何とか面白い日記を書けないかと、自分のページにアクセスしては、過去の日記を読み返し、あまりのつまらなさに絶望したりしていた。
でも、そろそろこのページを解説してから2年になるが、やっとアクセスカウンタはここまで回り始めた。
最初の頃はアクセスカウンタが進むのがかなり楽しみで、10増えただけでも「誰かが見てくれている」という確かな手応えがあった。
100、200、300・・・・・・1000
それを見るたびに俺の胸の中には、何者にも返られない充実感と、これまでアクセスしてくれた人に対する感謝の気持ちがわいていた。
それからしばらくの間はあまりアクセスカウンタなどは気にしなかったのだが、去年の8月後半頃から適すとサイトというものにあこがれ始め、テキストだけでも驚異のアクセス数を誇るこれらのサイトに追いつきたい一心で、ホームページのリニューアルやエッセーコーナーへの文章の加筆などを行ってきた。しかし、その効果はほとんど上がらず、相変わらずカウンタのすすみはゆっくりとしたものだった。
「どうしてだ。どうしてカウンタが上がらないんだ。」
俺は様々な角度から、自分のホームページへのアクセス数がのびない原因は何なのかを考えるようになった。
ちょうどそんなとき、以前に設置していたアクセス解析をチェックしていて気が付いたこと、それは、このページを見に来てくれる人のほとんどは検索エンジンからやって来るので、トップページを通らないという事実だった。
それを見て俺が考えた作戦は、トップページを通らないと俺のサイトのほかのページに行けないようにする、とても変な仕掛けだった。
その結果は見事、この数字が示すように俺にはっきりとした形で帰ってきた。
ついに3万アクセスを超えたのか。しかしあまり嬉しくはない。なぜなのだろうか。
あんなに欲しかったアクセス数が今では1日に150以上はあるのに・・・。
 でも、たしかにカウンタは上がるようになったが、アクセス解析が俺に見せる現実は、ページビュー解析の10位以内に、自分のもっとも見て欲しいコンテンツが入ってこないと言うことだ。
これではせっかくエッセーを加筆したり、日記を毎日更新している意味が全くないのである。俺が本当に欲しかったのはアクセス数などというものではなかったのだ。自分のもっとも読んで欲しい文章を読んでくれる人がいるという実感が欲しかったと言うことを、強く実感した出来事だった。

 さて、最近テレビやラジオの番組の中で、北朝鮮の歌が流れてくることがある。
もちろんこれらはすべて金正日をたたえる歌である。
そのことだけは前々から知っていたのだが、物好きな俺にはちょっと気になっていることがあった。
それは、「金正日をたたえる歌」とは言っても、実際にあの言葉は日本語に直すとどんな意味になるのだろうか。
どんな内容を歌っているのだろうかと言うことだった。
ちょうどそのときは、にゃすこさんとEQSOで話している最中だったので、二人で探してみると、こんなサイトが見つかった。
ここにその答えはすべてあったのだが、しかしあの歌達は全くすごいものだ。
もう一つこのサイトで俺の耳を引いたのは、韓国国歌と北朝鮮国歌を変奏曲風にアレンジし、とてもきれいなハーモニーに仕立て上げた音楽だった。
管理人の言葉を借りると、俺もこの音楽のように、二つの国が手をつなぎあって仲良くやっていって欲しいと感じる。元はあの半島は同じ民族で、戦争の前までは結構仲良くやっていたのだから。
 ところで皆さんは日本の国歌って好きですか?俺はどうも好きになれないんですけど。それは歌詞がどうこうとか言った理由ではなくて、メロディーが食らい感じがするんですねあの歌。

 実はここまでは朝方の話で、4時頃に布団に入って眠り込んだ俺は、3時半に電話がかかってくるまでひたすら眠り込んでいて、それから飯を買ってきてテレビを見てから、友達とまたチャットして、今夜も徹夜しそうな雰囲気全快なのです。



2003年01月20日(月)
たまにはこんな日記も在処

 去年の9月頃だったろうか。俺は視覚障害者の恋愛話というエッセーの中で、
「視覚障害者が17歳で童貞を捨てる」
ということは、比較的早いと書いた。
これは性格に統計を取ったわけではないのだが、身の回りの知人などを見ても、そんな感じがしたという、ただそれだけのことだった。
 それでは視覚障害者以外の障害者、たとえば脳性麻痺などで体のほとんどを動かすことのできない人はどうなのだろうか。今までは障害者と性の問題は、なるべく切り離して考えられがちだったが、最近少しずつこういったことが表に出てくるようになってきた。
そして、これをテーマにした本も徐々に出版されるようになってきた。
その本の中で多く聞く現実は、当たり前のことだがいくら重い障害を体に持っていても、性欲は不通の人並みで、それらの障害者の生活している施設では、これを無理矢理押さえつけるような管理体制を取っていると言うことだった。
それどころか、これらの本を読んでいると分かってくるのは、こういった施設では個人のプライバシーを維持するののですら難しいという。
しかし、そんな彼らが性体験をすることは金さえあれば難しいことではない。そう、それは風俗店に行けばいいという話だ。
 実はこの俺も、そんなところに行ってみたいと思ったことがなかったわけではない。
はっきり言って興味はかなりある。でも、こういう人たちってどんな生活をしているんだろうか。この話題がスケベな俺の友達との間で出てくるたびに、疑問には思っていたが、まさかそんなジャンルの暴露本を点薬ボランティアさんに持っていく勇気は起きなかった。
 しかし、今日の朝方相変わらず昼夜が逆になっていた俺は、ネットをいろいろと回っている内に、なんと見つけてしまったのだ「風俗嬢のサイト」を。
俺は今までこういう世界の女性は、何か事情があってこの仕事をしなければならないのではないかと考えていたのだが、どうやらそんな人ばかりではないようだ。この筆者もそんな一人で、昼間の会社でなんとパソコンインストラクターやカスタマーサポートの仕事をしながら風俗嬢として働いていたようだ。
詳しくはこちらのサイトの物語を見て頂きたいのだが、ともかくこの人は、俺とは全く違った世界で生きているだけに、書いてあることがほとんど俺にはショックというかびっくりすることばかりで、ほとんど全部を一夜で読み進めてしまった。
こんな具合だから寝たのは朝の6時頃だった。

 それから11時頃に一度目を覚ましたのはさましたのだが、やっぱり眠かったので今日も3時まで寝てしまった。
その後起き出して友達と音声チャットをしようとすると、なんだかエラーでつながらない。そんなわけで久しぶりにネットミーティングを使って話をした。
 7時頃になってテレビを見ていると、車が雪で滑って動けなくなったときにどうするかというのをやっていた。それによると、これは案外簡単に脱出できるもので、タイヤの空気を半分ほど抜いてしまうか、それかタイヤの周辺に塩をふりかけるとすぐに出られるらしい。
いつだったか足尾の半月峠で雪に埋もれて無線で助けを呼んだという話を聞いたことがあったが、こういうときもこの方法で助かるのだろうかとちょっと考えてしまった。
 その後9時頃から、色素性乾皮症という病気の人たちが、厚生省に対してこの原因の研究をして欲しいと訴える番組が放送されていた。
こういうのを見ていると、俺はたしかに目が全く見えなくて結構苦労することが多いのだが、まだ自分は外で自由に遊べるし、子供時代も思いっきり行程を走り回ったり、プールに入って日焼けしたりできた。
そんな風に考えると俺は今ここで元気に生きていることが、何とも幸せに感じるのだった。



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