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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
Mixiのプロフィールのリンクは、トップページから、Aboutのリンクを開いて、そちらからアクセスしてください。

2003年03月01日(土)
自分を振り返ると言うこと

 自分の歩みを振り返って文章を書く。これってそのままを書けばいいのだから結構簡単なように思っていたのだが、やってみると案外難しい。覚えているようでしっかり覚えていないところがあったり、あのときなぜそうなってしまったんだ的なところが結構あったりするからだ。
特に数字に関することははっきり覚えていないことが多く、俺が幼稚部に入学した年を入れようとして迷ったり、当時○○年生だったなどと人を紹介する文章を書こうとするたびに、履歴書作成サイトのお世話になる始末だった。
でも、結構大変なのは大変なのだが、それ以上に向かし懐かしい思い出を順を追って書いていくことで、今まですっかり忘れていたようなこともいくつか思い出したりして、それだけでも結構楽しいのだ。
今日は合計で5ページほど話を進めたのだが、なんと同じだけ(すなわち5ページ)目次を追加してしまった。ああ、全然進んでいない。
 ところで俺は結構このエッセーに熱を入れてがんばっている一方、子のページを見に来てくれる人たちは、やっぱり相変わらずMS-DOSに関するコンテンツばかりしか見てくれないので悲しい限りだ。
 そんなことを言っていたら、なんと友達の某氏も、同じ状況に苦しんでいるらしい。彼のサイトは俺とは全く逆で、技術系のコンテンツに力を注いでいる。それに付属する形でコラムやちょっとした体験談などを乗せているらしいのだが、どうも向こうの方ではそのコラムとか体験談の方に人気が集中し、自分の見せたいコンテンツはあまり見てくれないと嘆いている。しかも、いくらがんばって更新しても、掲示板の書き込みは0だし、メールが来る出もないし、全く無い閲覧者からの反応には、結構やる気をなくしてしまったと早くもギブアップ気味だったりする。
俺の掲示板も、おかげさまで最近ぼちぼち書き込みがあるようになったが、サイトを解説したばかりはほとんど書き込みはなかった。でも、こうして気楽に続けている内に、リピーター数も上がり、ぼちぼちと書き込みを頂けるようになっていったのである。
だから彼には是非、サイトの更新をがんばって欲しい。そしてここを読んでいる皆さんには、面白いコンテンツやためになるページに出会ったら、是非一言掲示板なりメールなりで、管理人を励ましてあげて欲しい。

 今日は8時過ぎ頃に目を覚ましてしまった。
昨日頭が痛くて早く寝てしまったので、この時間まで寝ていられたと言うことは、やっぱり何かからだから注意信号が出ていたのだろう。それにしてもいったい何だったのだろうか。未だに原因は分からない。
 さて、起きてすぐに昨日の日記を書いていなかったことを思い出し、それを書いてからしばらくチャットをしていた。
11時頃になってネタが尽きてきたので、とりあえずチャットを終わらせて、ホームページの更新作業をやった。
とりあえず自伝を3月中に書いてしまおうと思っているので、結構これだけで最近忙しい。
 一通り更新が終わってメールをチェックしてみると、まぐまぐから「最近発行されていないマガジンについて」というメールが来ていた。そういえば俺、このサイトでメールマガジンもやっていたのだ。
確か一昨年の10月の後半に発行計画を出して、11月ぐらいから発行を始めて結構読者の人にも恵まれ、これもこれでなかなか楽しかったのだが、出会い系サイトの探検というテーマがテーマなだけに、気の弱い俺にはネタが無くなってしまって、去年9月の発行以来、全く発行が進んでいなかったのだ。
でも、これからは自伝の執筆に忙しくなり、こっちの方には手が回らなくなるので、ホームページの更新情報を載せたマガジンを発行して、今回でメールマガジンの方は拝観にすることにした。
今まで私のメールマガジンを楽しみに読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。そしてこれからもこのサイトをよろしくお願いします。



2003年03月02日(日)
あちらたてればこちらが転ぶ

 スポーツ番組というのは本当に厄介者だ。
なぜ日本のテレビ局というのは、スポーツ番組を優先させて他の番組をつぶすのだろうか。
今日俺は、午前中からずっとホームページの更新ばかりやっていたのだが、11時40分頃になって、のど自慢を見るためにすぐに飯を買いに行き、テレビをつけて待っていると、なんだか訳の分からないマラソン中継が始まってしまった。
別に俺はスポーツ中継そのものを否定するつもりは無いのだが、だからといって予定されている番組をつぶしてまでやるものではないと思う。特に今回のNHKのやり方は最悪だ。ラジオとBSでも、全く同じ内容の放送をやっていたのだから。
マラソン大会とのど自慢、どっちが面白いかと考えると、多分ほとんどの人はのど自慢だというだろうと俺は踏んでいる。まぁ、これが野球とかサッカーならのど自慢の負けになるような気がするのだが、マラソンにはのど自慢は勝てるような気がする。
しかもNHK、教育テレビという武器があるにもかかわらず、そっちを使わないのはなぜなのだろうか。
全く持ってテレビ局のスポーツ番組の扱い方には納得がいかないことが多い。
夏になればプロ野球ばかりやっているし、サッカーの試合が入ればすぐにそれに番組枠を持っていく。
しかも同じ試合を二つのチャンネルでやっていたりするんだからいやになる。
アメリカのようにチャンネル数を増やし、スポーツ専門のチャンネルを作ってそっちで番組を流して欲しいものだ。
日本人は野球が好きだと騒いでいるが、もしテレビが今のように盛んに野球中継をやらなくなったら、すぐに野球ブームは終わってしまうような気がしてならない。

 さて、今日は9時頃に目を覚まして、無圧布団についてちょっtばかり調べていた。実はこの前良心が無圧布団を買って持ってきてくれたのだが、正直この布団の何処がいいのか俺には分からない。せっかく買ってもらったのに親には悪いのだが、正直言って昔のシンプルな綿の布団の方がずっと寝心地が良かったように思う。
それにしてもこの不思議な形状をした布団、いったい何が体にいいのだろうと不思議になったのである。すぐにこういう事の開設ページは見つかると思ったのだが、なんだか無圧布団のお店ばっかりが引っかかってしまい、価格の話ばかりトップに出てきて、肝心な無圧布団に関する詳しい説明ページが出てきてくれない。
 最近俺の使っている有名どころの検索エンジン「Google」が、アドワーズ広告なる余計なシステムを導入してくれたおかげで、今までシンプルで使いやすかった検索エンジンもかなり使いにくいものになってしまった。
今までは何か調べたいものがあるときはGoogleで検索するとすぐに詳しく解説されたサイトにたどり着くことができたのだが、このアドワーズ広告が導入されたせいで、そのものに関するページよりも、そのものを販売したりそれに関する商売をやっているお店のページばかり出てきて非常に困る。
でも、逆に言えば何か花王と思って言いお店を探している場合、これほど便利なシステムはないと思うのだが・・・。
実際この前とある商品を通販で買ったときなどは、このアドワーズ広告が大活躍してくれている。
あちらたてればこちらが転ぶというのはこういう事を言うのだろう。
その後はひたすらホームページの更新ばかりをやっていた。
今日でやっと幼稚遠征時代のことが書き終わったので、残りはどのぐらいあるのかとちょっとばかり目次のタイトル数を数えてみると、なんと62個もあるではないか!
これは今までのペースで更新しておかないとやばいことになること間違い無しだ。
 ところで昨日、この日記でぼやいたせいなのだろうか、今日の朝早く、自伝の感想をメールでいただくことができました。
本当にありがとうございました。こういうのが来ると本当に励みになります。
どんなことでもかまいませんので、子のページの感想などメールまたは掲示板に書き込み頂けるとTomGは泣いて喜びます。



2003年03月03日(月)
ゴミの片づけ

 いよいよ本当に引っ越しの日が近づいてきている。
この部屋での生活も大体2年ぐらいだが、結構2年というのはゴミがたまるものだ。
どうせ引っ越しで片づけもやらなければならないのだからということで、今日は午後に思い切って大掃除をやることにした。
しかし、さすがにここまでゴミが多くなってくると、一人で全部を分別し、それを袋に入れて捨ててくるのはほとほと面倒でやっていられない。
そこで手伝い要因派遣決定。ということで、友達に手伝ってもらって片づけに入った。
 最初に俺たちを襲ったのは点字紙の山だ。一応大学生時代、2回引っ越しをしているのでそれなりに片づいていると自分では思っていたのだが、出てくる出てくる昔のいらなくなった点字紙とプリント。こんなものを東京に持っていってもゴミになるだけで何の意味もなさないので、すべてまとめて捨てることにしたのだが、その量は片手ではとてももてないほどの重さになるほどだった。
しかもこの中には、まだまだ使えそうなバインダーとかリングなどが入っているので、これはもったいないと思ってすべてはずして再利用することにした。
まぁ、ここまではゴミといっても自分で本当にゴミかどうか分別できるゴミなのでそんなに時間はかからなかったのだが、その後普通文字のプリントを友達に見てもらいながら整理した。
これが自分で見てすぐに必要かそうでないかの見分けが着かないため、ゴミ箱に捨てないですべて置いておいたのが原因で、ものすごい勢いでたまりまくっていた。
特に意味のないゴミとしてたまっていたのは、封筒の嵐だった。俺はなんだか知らないが、郵便が来ると封筒をゴミ箱に捨てないで引き出しにねじ込んでしまう癖があり、このせいで大量の封筒ばかりが3年間蓄積されていた。
特に多かった封筒は、銀行からお金をおろしたときの封筒と、電話代の請求書が来たときの封筒だった。もちろんこれを整理して、金額が書いてあるものなど、人に見られては困るものをすべて破るのだが、この作業中、友達に何度も
「おまえなぁ、封筒ぐらい捨てろよ」と怒られ続け、最後の頃には呆れられるほど封筒がたまっていた。
その次にため込んでいたのは「宅急便の伝票」だった。これは宅急便を出したときにこちらに残る控えと、宅急便を受け取ったときに上に乗っている代引きの領収書などの部類である。
これもかなりあって、一つ一つ見て、金額の書いてあるものはすべて破って処分したので、なかなか大変なことになっていた。
そのほかにどうしようもないゴミとして君臨していたのは、一昨年の7月頃に諏訪に行って作ってきたオルゴールとか、壊れたスピーカーなど、これも捨てよう捨てようと思ってなかなか捨てられずにたまっていたもの達だった。ちなみにおるごーるは友達が欲しいと言っていたのであげることにした。
そんな感じで友達には相当面倒くさいことを手伝わせてしまったのだが、何とかそこそこゴミは片づいた。
 さて、その後はここのところの大仕事、ホームページの更新作業である。
今日は小学生時代に入って、1年生の時に起きた出来事を書いていたのだが、ここでちょっと迷ったことがある。
それは、先輩のことを書いたりするときに、当時の呼び名のままで書いてしまうか、○○先輩といったように、俺が中学部に上がってからの呼び名にするかということである。
最初は○○先輩と書いていたのだが、どうも読み直してみてこれでは当時の雰囲気とだいぶ違ってしまうことが分かった。○○先輩では、なんだか中学生の話のように聞こえるし、おやつ作戦などといった押さない言葉とは全く不釣り合いになってしまっていた。
そこで失礼とは思ったのだが、当時の呼び名のままで書くことにしたのである。
自伝の中で話題になっている先輩方、もしここをお読みでしたらなにとぞお許し頂けますようお願い申し上げます。



2003年03月04日(火)
突然のクレーム

 今日は学生生活最後のバイトがあったので、朝少し早めに起きて、日程表をっ確認してから学校に行こうとした。
しかし、日程表によると、10時半からは準備となっている。もしかするとこれって俺は行かなくてもいいのかと思い、念のためにバイトの担当の先生に連絡を入れてみると、やっぱりその通りだった。
 そんなわけで予定外に午後が暇になったので、この時間に各種の住所変更の手続きをやった。
実は俺の引っ越しは、俺自身の引っ越しの他に、BLPC事務所の引っ越しもかねているため、場所によっては住所変更を2重に行わなければならない場合もある。
特に視覚障害者関連ソフトのメーカーさんなどの場合、私が個人で持っているものと、会の方で持っているものの両方のユーザー登録情報を変更しなければならない。
それに、ドメインのWhois登録情報もすべて変更しなければならない。
ということで、午前中はこれらの作業をひたすら行って、その後学校に行った。
 学校について飯を食おうと食堂に入っていくと、珍しいことに俺の好きな鮭の焼き魚が出ていた。最近近くの弁当屋にも鮭弁当が無いので、久しぶりにおいしかった。
 飯の後、事務室に行って最終成績証明書の発行手続きを取ってからバイトをして家に戻ってきた。
そしてメールをチェックしてみると、YahooBBから公示日の連絡が来ていた。なんとその日は3月7日、本当にいいタイミングでネット接続が間無くつながったと感激してしまった。
ところが、そんなメールだけなら良かったのだが、今回受診したメールの中に、掲示板に投稿があったことを知らせるメールが来ていた。
しかもその内容は自分勝手に俺のエッセーや日記を批判するもので、到底許せないような内容だった。
一応今のところ掲示板に残っているのだが、そのうち消そうと思うのでここにそれを貼り付けながら何処が気に入らないか述べてみよう



>  視覚的な表現がなくて
> も匂いでの表現もあると思うのです。
>  たとえば、「母は農家の仕事をしていた」というのも「母は新緑のむせるような匂いの中、遠
> くでカエルの鳴き声を聞きながら帰路についた」とかすると自然に全体のイメージが伝わってく
> ると思います。

 不通、俺が今書いているような自伝の中でこのような表現を使うだろうか。
これが文芸作品ならまだしも、俺はこれを「五体不満足」という本と似たようなのりで書いている。
だからこういう堅苦しい表現は嫌いだし、むしろこのような表現をする必要はないと感じている。まぁ正確に言うと、俺は頭が悪いのでこのような文芸作品的表現はやろうとしても不可能なのだが・・・。

>  それにしてもなんでこうもガムシャラに自伝なんて書いていこうとされているのかがわかりま
> せん。ポリシーがわからないのです。

 これは俺が自伝のトップページに書いている。
この人は読んでいないんだかなんだか知らないが、目的など無い。
だからポリシーなど感じられないのが不通なのだ。
ちゃんと自伝の目次の上の方に、
「私はどんな人生を過ごしていたのか、ちょっと懐かしく振り返りながら、文章に書き残しておきたいと思った」
って書いてあるのに。

>  たとえば、書き進んでいくエネルギーは社会のひずみに対して自らのこみ上げるものによって
> 書き進められると思います。

 これは完全にその人の持論に過ぎない。
多分俺が障害者でこんなエッセーを書いているからこういう風に思ってしまう、いや思いたいのだろう。
それが社会の偏見の一部であることぐらい俺には分かるのだが、あえて言うと、障害者の各エッセーが、上記のような目的や理由で書かれているとは決して思わないで欲しい。

> ひとつのテーマに込められたメッセージによって読み進むものです。

 これも完全にこの人の持論に過ぎない。
たしか国語の時間に「徒然草」だっただろうか?そんなものを中学時代習ったことがあるのだが、この作者も
「特に何もすることがないので硯に向かって心に移りゆく様々なことを書きつづれば」
(いかどうのこうの)
と言ったようなエッセーを書いている。

> しかし、この自伝やエッセイや日記にはそんなメッセージが汲み取れません。
>  社会の矛盾を切り込んでいく視点があってもいいはずなのに退屈な時間を埋めているようにし
> か受け取れません。

 この人はもしかして、自分の中に「ある障害者の理想像」があって、俺がそれと違うから講義をしているようにとれる。
極論を申し上げると、
「俺のエッセーや日記がそんなに気に入らないのなら、これ以上読み進めなければいいし、このホームページにこなければいい」
だけの話なのに、こういう風に文句を言ってくると言うことは、そんな風にしか考えられないのである。

>  音声の信号機の矛盾、紙幣の矛盾、そんなテーマが幾つもあるのにもったいないって雰囲気で
> す。

 これも上記の「視覚障害者の理想像」があるが故に出てくる言葉だと思う。
視覚障害者はこういう事に対してたしかに矛盾を感じているし頭にも来ているのだが、だからといってすべての人が社会に対して働きかけようと思っているとは限らないのである。



 以上あまりにも頭に来たので、ここに残しておく。
 ちなみにこういった俺への批判やご意見はどんどんいただいてもかまわないが、その際は掲示板ではなくメールで願います。
あまりにも頭に来るものは上記のように日記に掲載させて頂きます。また、該当ホストをアクセス制限するのでそのつもりでお願い致します。



2003年03月05日(水)
メールアドレスの変更

 起きてみると無性に背中と肩が痛い。
何でこんな事になったかというと、多分この前布団を交換したせいではないかと思っている。
俺は昔から枕が変わったり布団が変わったりすると眠れなくなる体質で、今回も布団を新居にそのまま持っていくとがんばったのだが、親というものは或意味ものすごくお節介なもので、結構高価な無圧布団を買ってくれた。
高いものを買ってもらって非常に申し訳ないのだが、はっきり言ってこれはかなり迷惑だ。
上にかぶる布団はこれ以上気に入ったものはないと言っていいほどのお気に入りなのだが、どうも敷き布団が頂けない。
3日ぐらいはせっかく買ってもらったのだからと我慢して使っていたのだが、やっぱりどうしても耐えられなくなった。
 でも、これってもしかするとキーボードのたたき過ぎなのかも知れない。ここのところ自伝の更新ばかりやっているので、キーボードを叩いている時間は以前にも増して増えている。とりあえずこの状態はまずいので、明日布団を持ってきてもらって、無圧布団の上に不通の布団を敷いて寝ることにしようと思っている。
それともう一つ気になるのは枕だ。今までは布団が自然とベッドの下側に下がってきてしまっていたため、枕が直接ベッドの上に置かれる形に自然となっていて、布団の厚さの分枕は低く調整されていた。
無圧布団は重たいから、ベッドの下の方に下がっていってしまうこともないし、頭の重さで枕が布団ノン赤に沈んでくれないような気がする。
これが寝やすくてわざとそんな風にしたこともあったぐらいだから、これも一つの原因だろう。

 さて、今日は午後から研究室のデータ消去をやるために学校に行って来た。
俺に割り当てられたパソコンは、この研究室では合計3台会ったので、それらすべてのデータを消去してきた。念のため領域解放とフォーマットをやっておいたのだが、これだけではデータ復活ツールで弄くられると、復活する可能性があるのでその辺りがちょっと心配である。
それが終わってから、久しぶりに床屋に行って来た。
 その後は家に戻ってきてひたすら自伝の更新を続けていた。
昨日夜に一気に5ページ更新して肩が痛くてしょうがなかったので、今日は1ページ更新するごとに休みを入れながらやった。
するとやっぱりという感じなのだが、昨日より楽に更新できた。
 それから今日は、7時頃から各種のメールアドレスの変更手続きをやっていた。
俺は視覚障害者関連を中心に、たくさんのメーリングリストに入っているので、それらすべてを変更するのはかなり時間がかかってしまった。
すべてのメーリングリストで同じシステムを使っていてくれれば助かるのだが、今回やっただけでも、ezml FML Majordomo Cmldなど、本当にいろいろある。
しかもこれらすべてに置いて、アドレス変更の方法が全く違う。
いったん大会処理して入会しなければならないシステムがあるかと思うと、変更コマンドを用意しているシステムがある。コマンドをサーバーに送ってすぐに反映されるものがあるかと思えば、返信したりWeb上から変更確認の作業をしないと駄目なものまであるからほとほと参ってしまった。
メーリングリストの次はメールマガジンの配信先を全部変更したのだが、まぐまぐでは暇なことに、100誌を超えるマガジンを購読しているため、さすがに手動では体力が持たないので、マグマグの方に変更申請を出した。
それに加えてアドレス帳に登録している人全員にメールアドレス変更のお知らせを送って、やっと終わったのは9時半を過ぎた頃だった。
ちなみにいくつかのメーリングリストは、使い方が全く分からないので、アドレス変更ができていないものがある。



2003年03月06日(木)
いよいよ筑波最後の日

 今日で筑波での生活も最後だ。
気に入っていたこの部屋ともお別れである。
 この部屋では2年近く生活したので、それなりに思い出は詰まっている。
彼女と過ごしたこと、一人でいじけてメールマガジンを発行したこと、就職の内定をもらった日の夜のこと、友達と遊んだことなど、数え切れないぐらいたくさんの思い出を与えてくれたこの部屋。次はどんな人が住むのだろうか。
うるさい寮に嫌気がさして逃げ込んだこの部屋は、俺にとって楽園と言っていいぐらい快適な空間だった。
隣の人はきわめて静かだったし、冷暖房完備、そしてケーブルテレビインターネットまでできる。
入り口のドアは電子ロックで、風呂とトイレは別になっている。
便所はウォシュレットになっているし、ドアフォンも着いている。
 俺が明日引っ越す部屋は、便所と風呂が一緒になっている。それに入り口は電子ロックではない。しかし、その反面駅までは2分で歩いていけるのでとても便利になる。大きな一歩を踏み出す俺を、新居はどのように迎えてくれるのだろうか。
新しい家からは友達の家も近くなるし、困ったら助けてくれると行ってくれている人もいる。だから不安は最初の頃よりも相当薄らいだ。
行こう。もう後戻りはできない。進むしかないのだ。
会社も俺を受け入れるために準備をしてくれているし、そんなことより何よりも、俺には実現したい大きな夢があるんだから。

 さて、今日は10時頃に起き出して、早速ホームページの更新作業に入った。
今日は午後に用事があることと、6時過ぎから追い出しコンパ、そしてその後は兄貴が明日の引っ越しの手伝いのために泊まりに来ることになっているから、夜中にホームページを更新するのは不可能だと思った。
それに、あまり今詰めて更新すると、肩と頸が持たないのでゆっくりやるためだ。
 学校に行って飯を食う前に友達を呼び出したのだが、最後の日だというのに全く人が集まってくれなかった。やっぱり俺の大学生活ってこんなものだったのかとちょっとがっかりした。
その後研究室に行くと、小動物君が来てくれたので、ちょっと話し込んでから、先生に鍵を返した。この研究室もなんやかんや行って1年間使わせて頂いた。この部屋では休校などで時間が突然空いてしまったときの暇つぶしとか、Linuxの勉強とか、その他いろいろとやったのだが、いよいよ鍵を返す時期になってしまったわけだ。
その後は、最後と言うことでお世話になった先生のところに行って、少し話をしてきた。すると、途中でちょっと前にお世話になった内の学校の先輩がやってきた。この先輩は、俺の興味のある業界で仕事をしている人なので、いろいろと長話をしてしまった。
そんなわけでともかく1度家に戻ってきた。
 その後は更新の続きをすませた後、追い出しコンパをやってくれるというので出かけていった。
実は去年、俺たちは事情があって追い出しコンパをやることができなかったので、去年の先輩に本当に申し訳ないと思いながらも、ちゃっかりと自分たちは後輩の好意に甘えることにした。
すると、コンパにはこないことで有名なWinona君が珍しく来ていて、内のクラスにしては本当にまれに見る高出席率だった。
そんなわけでいろいろとしぇべりながら飲んだり食べたりしている内に、あっという間に時間は過ぎていった。
実は俺は、この後8時から兄貴が来ることになっており、それまでに帰らなければならなかった。そこで先に帰ろうと部屋を出ようとすると、なんだかいきなり蛍の光の音楽が流れ始め、司会者の人が、
「先輩方前にお願いします」
と言った。何が始まるのかとどきどきしていると、俺たち一人一人に、後輩達がみんなで書いた色紙をくれた。これにはさすがに感動してしまった。
後輩達とは一部の人を覗いて今までほとんど関わることはなかったが、そんな俺たちのために、こんなすばらしい送別会を用意してくれたなんて。
久しぶりにじんと来てしまった。
みんな本当にありがとう。嬉しかったです。

 その後は家に戻って明日の準備をいろいろと行った後、今日の更新のラストを書いて、風呂に入ってこの日記を書いている。
明日は猫の楽々パックで引っ越しなので、荷造りはすべて無効任せ、もちろん荷ほどきも無効がやるので引っ越し準備をしなくてすんでとても楽である。
って本当に言われたとおり何もしなかったのだが、これでいいのだろうか。
実はとある友達から
「引っ越し日記が楽しみだ」と言われております。
さ〜て、猫の楽々パックとはどんな便利な商品なのか、この私がレポートをさせて頂く予定で降りますので、興味のある人は是非明日の日記をご覧くださいませ。
なお、明日はインターネットに接続不可能な可能性がありますので、その場合にはホームページの更新、メール受信をお休みさせて頂きます。



2003年03月07日(金)
引っ越し

 子のページではたびたび俺の引っ越しネタを取り上げてきたが、ついに本日3月7日、引っ越しを挙行することとなりました。
そこで今日の引っ越しの様子を、覚えている限り詳しくレポートしてみたいと思います。

 兄貴と二人で7時半に起床した俺は、腹が減っては戦はできぬの理論に基づき、冷凍の鮭おにぎりを食ってコーヒーを飲んだ後、兄貴は洗濯、俺はパソコンの配線はずしに取りかかった。
本当は高級な楽々パックなので何もしなくて良かったのだが、パソコンの周りだけは自分でやらないと、何処二度のコードがしまってあるか分からなくなり、現地に着いてからパソコンができなくなってしまうと思ったので、できるだけすぐにパソコンの前に座れるように、配線だけは自分ではずし、衣装ケースの引き出しにまとめてコードをしまった。
 さて、9時になって約束通り猫の職員が到着した。
楽々パックは荷造り、荷ほどき、搬室から搬入まで全部猫の職員に任せてしまうことができるので、当の本人は横で見ながら「あれはどうしろ、これはこうしろ」などと騒いでいればいい。
今回は最初作業スタッフが4人現れた、「おじさん、兄ちゃん、おばさん、お姉さん」の4人である。
まずおばさんが最初に入ってきて、部屋を見回しながら的リズ書く。そしてカラーボックスや衣装ケースなどにすべて番号を振っていった。
それを元にして無効の作業スタッフがこちらの状況と似たように復元するとのことだった。
その後は早い早い、さすが引っ越し業者手慣れた手つきでその辺のものを手際よく番号を書いた箱に詰め込んでいった。
机の引き出しの中身などは、「上から何番目」という単位にまで小分けをして詰め込んでいった。
梱包はすべて、空気の入ったシートで、つぶすとぷちぷちと音のするものをトイレットペーパーのお化けみたいに巻いたのを持ってきて、それをふんだんに使って包んでいる。
もちろんそれを箱に入れるのだが、これもかなり丁寧に箱に入れていた。
引っ越しの時や部屋を整理するとき、重いものを箱に入れようとすると、どうしても「どしん」とか「どかん」などと音がするものだが、さすが運送や、全くそんな音はしないのだった。
そして自然と一人一人が持ち場を決め、それぞれに荷造り作業をする。その中でゴミなのかどうなのか分からないものや、持っていくのか残していくのか分からないものが出てくると、
「お客様こちらはお持ちになりますか?」とか、
「お客様こちらはゴミでしょうか?」
などと質問してくるので、俺たち客は、ひたすら、
「持っていきます」とか「ゴミです」と答えていればいい。
後は職員がすべてやってしまうのだ。
 さて、作業開始から30分ぐらいたった頃だろうか、いきなり玄関の方で
「向こうの方、もう「終わっちゃったんですよ。手伝いに来ました。」
とかいって、さらにもう1舞台応援に現れた。
これで分かるように、俺は楽々パックの中でも大荷物に属する客らしい。
そんなわけで8人が一部屋に入り、ものすごい勢いで段ボールやらガムテープを使って荷造りをしていたので、見ている方が圧倒されてしまうほどだった。
あの部屋に最初引っ越してきたときには搬入だけで半日以上かかっていたのに、8人でやると1時間半で部屋の中はすっかりきれいになってしまった。
 さて、すべてがうまくいけば良かったのだが、ここでちょっくら事件が発生した。それは猫の職員が、ケーブルモデムの電源ケーブルを間違ってトラックに積み込んでしまったのだ。
ACCSの係の人がモデムを回収に来たのだが、アダプターがなかったのでそれを探すのに20分ぐらい悪戦苦闘した。
しかし、どうやらアダプターはトラックの奥の方にしまわれてしまったらしく、仕方なくACCSに弁償金を払おうと思っていたとき、その部分の箱詰めをしていたお兄ちゃんが財布から弁償金の分の金を出し、ACCSの係の人に払おうとしていた。
さすがに自腹はかわいそうだったので、向こうに着いてから電源ケーブルを探して宅急便で送ることにした。
 そんなわけで10時50分にタクシーで筑波を出発した。今日は運が悪いことに、外はものすごい雨になっていたので、バスに乗るまで寒くて寒くて仕方なかった。
 さて、バスに乗った配意のだが、首都高速に乗った辺りからものすごい勢いで渋滞していて、予定の時間よりも1時間近く上野駅に着くのが遅くなってしまった。ともかく急がないと猫の職員が寒い中待っていると思ったので、こちらとしては結構急いだつもりだったのだが、何せ田舎ものの東京行き、すんなりいくはずもない。
まずバスを降りてから早速迷い、池袋駅でも迷い、地元の駅に着いたのは予定よりも30分遅い、14時30分だった。そこから不動産屋に行き、鍵をもらって急いで新居に向かおうとすると、なんだか建物の説明があるといわれた。しかし、これ以上猫を待たせるわけに行かないと思ったので、荷物の搬入が終わってからということにして、すぐに新居に行った。
するとやっぱり猫の地元の営業所のスタッフが待っていた。すみません、大変お待たせ致しました。
 そこで早速搬入作業開始と思いきや、ななななんと、また事件発生。
「カーペットを引いた配意のだが、ドアが内側に閉まるタイプの部屋だったので、カーペットに阻まれてドアが閉まらない。
仕方なくカーペットを切って、ドアの開く部分にカーペットを引かないようにしたのだが、これだけでかなりの時間を要してしまった。
でも、さすがこれも手慣れたもの、カッターを使ってカーペットをさっさとサイズに切り、切り口をうまく折りたたんで見えないようにしてしまった。
 そして、カーペットの上に無効で用意した敷物を敷いて、その上に段ボールを置いたので、カーペットは全く汚れなかった。また、キッチンの方にも敷物を敷いてくれたので、キッチンの板に梱包に使ったガムテープが張り付くことは全くなかった。
これを見て、俺はさすがプロのやることだと感心してしまった。
そのうちにガス屋がやってきて、ここのガスレンジの仕組みと給湯器の仕組みを説明していった。ところがここでまた問題発生!
ここのガスのスイッチ、なんと液晶が見えないと温度調節ができない。全くこれは前回の家よりも酷い話だ。その代わりエアコンのスイッチはアナログで、リモコンはリモコンでも思いっきりコードがつながっていた。これはこれで電池がいらなくていいのだが・・・。
そうだ、電池で思い出したのだが、引っ越しの時に電池の入ったものがあり、その機械の電源が切れなかったり、搬送中に音が出そうなものを発見すると、すぐにお姉さんが電池を抜いて、丁寧に梱包していたことを一応書いておく。
 さて、そんなわけでほとんど片づいてきた頃、係の人はちゃんと筑波の営業所から連絡を受けていたらしく、ケーブルモデムの電源コードを探してくれて、なんと無料で宅急便でACCSに送ってくれた。
さすがこの辺り、宅急便屋さんがやっている引っ越し屋さんちっくなサービスだとこれまた関心。
 その後猫の人が、俺の手を取って丁寧に何処に何を置いたか説明してくれたのでまた関心だった。
 そんなわけで引っ越しで金に余裕があって、楽をしたいという肩は猫の楽々パックがいいかも知れない。
 その後不動産屋に行って例の建物の説明を受けてから、マックで飯を食って家に戻ってきた。
それからすぐに電話をつなげたり、パソコンの配線をやったりして今に至る。
 明日はベッドが来るので、少しは今日よりも片づくだろう。ああ、疲れた疲れた。って疲れたのは猫の職員だったかも?




2003年03月08日(土)
引っ越しのごたごた

 昨日から引っ越してきたばかりで大変落ち着かない。
それは当然のことなのだが、俺の場合は何処に何があるか分からないからもっとおもっと落ち着かないのだ。
 今日は8時頃に起きて、とりあえず9時頃に兄貴がこの辺を回って来るというので、引っ越し完了の報告の電話をいろいろなところにかけていた。
その後ゴミ処理をどうするかという話になり、ともかく何も分からないのでは話が進まないので、不動産屋さんに電話をかけて、この辺のゴミの収集法法の概略を説明してもらった。すると、思っていたよりも面倒ではないらしくて安心明日のだが、今日が土曜日なのでちょっと困ってしまう。
引っ越しというのは非常にゴミが出るもので、今日大量のゴミを放出してしまうと、あさってまでこれらを処分できないことになるのである。
筑波の昔の家では、ゴミの日ではなくてもゴミを出しておいても怒られなかったのだが、さすがにこの辺ではそうはいかないのだ。
 その後、兄貴が帰ってきたので、洗濯機の横に置くカラーボックスを買ってきた。
昔の家では流しの上に天袋が会ったのだが、この家にはそれがない。仕方がないからキッチンにカラーボックスを2個おいて、その中に向かし旧居の天袋に入っていたものと、部屋周りで入りきれなくなってしまったものを入れることにした。
 その後コンビニまでの道を教えてもらってから、家に帰ってきて飯を食って、しばらくテレビを見ながらくつろいでいると、注文しておいたベッドが届いた。
もしかすると入らないかと思ったのだが、何とか無理矢理押し込んで入れることに成功した。
大変だったのはその後である。旧居の机の上や中に置いてあったものを持ってきた4段と5段のケースに入れるため、この二つのケースに入っていたものを、すべてベッドの下に収納してから、荷物をほどいて移し替えの作業をやった。
その後、買ってきたカラーボックスを組み立てて、次にラックの組み立てに入った。
その途中でYBBのモデムが届いたのだが、接続作業をやっている暇もなく区、とりあえずラックの組み立てをすませた。そんなわけでこれだけ終わってみると、いろいろあって7時近くなってしまっていた。
 その後にパソコンの接続作業をしたのだが、モデムをつないでもインターネットにつながってくれない。どうしてこうなるのかと思ったら、なんと単にモデムの電源を入れてから時間がたっていないだけの話で、しばらく立つとしっかりとつながってくれた。
 そんな感じで今日はひたすら疲れた1日だった。
ちなみにYBBの調子だが、内の方ではなんと6MBPSでている。
さすが局者間の距離が短いだけあるなぁと感心してしまった。
さて、今日の日記はこれで終わりではありません。この後はお友達専用ページに入ってからパスワードを使ってみてください。



2003年03月09日(日)
ユニットバス利用の心構え

日本人というのは何百年も前から風呂に入る習慣を持っている。
その日本にあるマンションが、どうしてユニットバスを採用するところが多いのだろう。これは基本的に考え方が間違っている。
風呂とトイレと洗面所が全く一緒の部屋に入っているんだから参ったものである。
しかも、ちょっと間違えるとシャワールームからの水漏れでトイレットペーパーが水浸しになる可能性も否定できない。
こんな外国人の恥じるべき文化を、どうして日本人の建築家は積極的に採用しているのかがはっきり言って分からない。
 なんて騒いでも新居がユニットバスである以上、何とかこれを快適に使う方法というか心構えを会得しないとストレスがたまってしまうので、ちょっとばっかりこの「ユニットバを上手に活用する方法」について心構えから実践テクニックを今日風呂の中で考えてみた。

 1.ユニットバス利用の心構え
 日本人にとって風呂というのは湯につかって疲れをいやすための方法として古来より用いられてきた。
そして私たちの体の中にもこれは根強く染みついている。
しかし、引っ越し先がユニットバスだったあなたは、すぐにこの考えを改めて欲しい。
ユニットバスには浴槽があるので風呂の代わりになりそうなものだが、この考えも捨てて欲しい。
ユニットバス利用の心構えは項だ。
「ユニットバスは風呂ではない。体の汚れを洗い落とすための洗い場である」

 2.ユニットバス利用時の注意点
 (1)事前に自分が風呂の中で必要なものの内、ぬれてもいいものをすべて浴槽に放り込んでおく。
これは下手下に水浸しの手を外に出すことで、トイレを汚さないための極意である。
シャワーを出したまま水浸しの手を外に出したりすると、シャワーカーテンに隙間ができてしまい、トイレが水浸しになる確率が大きくなるのでこれは必ず守って頂きたい。
 (2)髪の毛が長い人で、洗髪の後、体を洗う前にまず頭を乾いたタオルで拭きたい人は、シャワーカーテンを閉めた状態で、手だけを出して外を見ないでタオルを探せるようにした方がいい。
これも理由は上記のものと同じく、水浸しの手を外に出して、長時間振り回さないための方法である。
また、シャワーカーテンを開ければこんな面倒くさいことをしなくていいという話しもあるが、冬場の寒い時期にシャワーカーテンを開けると非常に寒いのでこれはおすすめできない。
 (3)これは当たり前のことかも知れないが、シャワーカーテンは浴槽の内側に引く。
外側に引くと水がトイレの方に行ってしまってトイレが水浸しになる。
 (4)シャワーを浴びるときは、絶対にカーテンと反対方に体のシャワーの当たる面を向けてはいけない。
これも同じくシャワーカーテン側に水を飛ばさないことでトイレに水が進出するのを防ぐ方法だ。
 (5)シャワーの温度は少し熱いぐらいに設定しておく。
ぬるいシャワーを浴びると体が温まらないので非常に寒い。
 (6)体を洗い終わったら、カーテンを開ける前に絞ったタオルで体を良く拭く。

 以上俺なりにユニットバスの使い方をまとめてみた。
少しは参考になっただろうか。
特に1.の心構えはしっかり気持ちを持っておかないと悲しくてしょうがなくなるのでよろしくお願いします。


 このした刃結構言いたい放題なので、愚痴を聞きたくない人はここでやめておきましょう。
 新居の周りを早いところ覚えなければと、俺は今日から本格的に歩行訓練を始めた。
しかし、俺の住んでいる町はなんと視覚障害者が歩きにくいのだろう。
信号が多いくせに、それらのほとんどは音声式になっていない。しかももっと酷いのは、俺の家の近くの信号が時差式になっていることだ。
これでは車の動きを読んで信号の色が判断できない。
こういう信号は積極的に無視するしかないのだが、あまり豪快に無視をしすぎると、思い切りクラクションを鳴らされたり、時にはあの世行きになる可能性も否定できない。
運が悪いとあの世行きに鳴らず、重傷を負って2重障害者になる可能性がある。
あの世に行くのは怖くはないのだが、後者の方はちょっと勘弁して欲しい。
 さて、そんな感じで10時過ぎ頃に歩行訓練を始めた。
とりあえずこの家の周辺と言うことで、通勤に使う駅への行き方と、ホームセンターやスーパーの位置などを教えてもらった。
ところが、昨日の日記にも書いたかも知れないが、いくら兄貴でも俺とは小さいときから遠く離れて暮らしていたので、視覚障害者の誘導の仕方を実はほとんど知らなかったりする。
また、折れに道を教える野なんて今回が初めてだったので、説明がわかりにくくてたまらなかった。実際1カ所の変形十字路を理解するまでに、30分ぐらい説明と格闘していた。
でも、まぁ俺の場合兄貴が教えてくれるだけましだといわれればそれで終わりなのだが・・・。
そんな感じで午前中は歩行訓練の後、駅の中のトンカツ屋で飯を食ってきた。
 午後はひたすら兄貴と俺は全く別のことをしていた。
兄貴と俺は兄弟ながら性格が全く違い、趣味も全く違っている。
兄貴はテレビが大好きで、テレビがないと生きていられない人だ。全くどうしてこうなるのかと思うぐらい、部屋にいるときはテレビをつけないと気が済まない。部屋に入ってまず何をするかというと、テレビのスイッチを押すのだ。
それに引き替え弟の俺は、テレビはあまり好きではなく、むしろ情報を獲得するための道具としてしか考えていない。だからバラエティ系の番組はほとんど見ない。ニュース番組や世界丸見えのような情報番組を見る程度なのだ。
そんな感じだからせっかくたまに一緒にいるのだから兄弟仲良く遊べと親に言われても「絶対無理」なのである。
もう一つ兄貴と俺の大きな違いは、俺は酒もたばこもやらないのに対し、兄貴は両方大好きだ。
とりあえず何が何でも俺の部屋の中でたばこを吸われるのだけはたまらないので禁止しているのだが、酒を飲むなとは言いにくい。そんな感じで俺は結構今ストレスがたまっている。
全く俺の良心も「全盲のおまえを一人で東京にやるのは不安だから、兄貴をお守りに置いておけ」
とはよく言ったものだ。自分の兄貴を悪い人だとは思わないし、良くやってくれるとも思うのだが、はっきり言って5泊も同じ部屋で同棲するのは苦痛だ。
 それから昨日の夜気が付いたのだが、この部屋は旧居に比べて確実に壁が薄い。
隣の人がしゃべっていると、何を言っているのかは分からないのだが、しゃべっていることそのものはしっかり分かる。
また、ドアを開けるとしっかりと音がするし、隣でがたがたと騒がしい気がする。
もしかするとこの時期だから無効も引っ越し前でばたばたしているのかと思うぐらい、壁煮物があたる音がうるさいのである。
とりあえず兄貴が帰るまでは俺はストレスがたまっているので、あまり面白いことは浮かんでこないかも知れない。




2003年03月10日(月)
区役所ってこんなに親切だったの?

 引っ越しの締めくくりを飾るもの。
それは役所への手続きではないだろうか。
俺は今日、この町への転入届と、福祉関連のサービスを受けるための手続きをしに区役所へ行った。
俺はこれまで、役所と言うところにはあまりいいイメージを持っていなかった。
これまで住んでいた筑波の市役所は対応が悪かったし、言ってもなんだか面倒くさそうに応対するのでできる限り市役所に行かないように努めていた。
ところが、今日区役所の区民台帳課に行ったとき、その印象はがらっと変わった。
窓口の人のなんとさわやかなこと。全く面倒くさそうにしないでこちらの質問にもきっちりと答えてくれた。
しかも言葉遣いが客商売の人のような感じで、とても好感を持つことができた。
次に障害基礎年金の住所変更届を出しに行った年金給付係の対応もすばらしかった。
これは所得の話が絡んでいるので、ちょっと学生の俺には難しいところがあり、何度も質問をしてしまったのだが、その質問にも丁寧に答えてくれただけでなく、分からないところについては、前にいた筑波の市役所に聞いてくれたり、私の本籍地の町役場に聞いてくれたりした。
次に行った福祉事務所でも同じ様な感じで、この区は区役所全体で何か区民に対してさわやかに対応するようにとか、失礼にならないようになどの教育を行っているのではないかと思うほど、対応がとても良かった。
ところでこの町は、やっぱり都内だけあって福祉サービスが結構いい。中でももっとも俺が利用しそうなのはタクシー券だ。筑波にいたときは初乗り料金を負担してくれるだけのタクシー券が24枚でるだけ。それ以外は何の補助もなかった。
年間24枚というのは多いように感じるかも知れないが、1ヶ月に直すと2枚の割り当てになり、これではとても足りない。実際俺は去年の10月時点で使い切ってしまっていた。
ところがこの町では1年に4500円ものタクシー券が給付されるので、大雨の日や雪の日などに外出したいとき、これを使うことができてとても便利だと思う。
もう一つ、タクシーを使いたいときというのは、買い物に行ってでかいものを買ってきたときだ。特にカラーボックスなどの大きくて値段の安いものを買ってきたときが困る。まさかこんな安いものを配達してくれとも言えないし、片手に白杖を持ってこれらのでかいものを家まで持って買えるのは非常に面倒だ。
しかしちょっとばっかり気になるのは、このタクシー券、東京23区内と一部の町で乗れば適応なのだが、それ以外のところでタクシーに乗ると適応にならない。だからいくらタクシー券があるからといって、3月の終わり頃に一気にそれを使って県外に行くと、帰ってくるときうっかりこのことを知らないでタクシーに乗ると本等位どうしようもない結果になる。
こんな時にただでタクシーが使えると本当に嬉しい。
区役所での用事が済んで昼飯を食った後、銀行に行って講座を作ってきた。
講座を自分で開設したのは今回が初めてだったので、良い経験になった。でもなぁ、なんだか俺の通帳の講座のふりがな、何かが違うんだよなぁ。
 その後は、一度家に戻ってきてから会社の入り口までの歩行訓練をやった。
これもまた最初は結構迷ったのだが、何回か繰り返して練習するたびに、どんどんできるようになってきた。
それが終わってから、ガスの口座振替の申し込みとか、会社に出すいろいろな書類を兄貴に書いてもらって、ホームページの更新をして今に至っている。
 ところで引っ越しの方はこれでうまく行ったと思ったのだが、なんと今日探してみると、電気ポットの電源コードが見あたらない。
前の部屋の中には何も残っていなかったので、こちらに来るときに持ってきたことはほぼ確実なのだが、何処を探しても見あたらないのだ。
これははっきり言ってかなり困ってしまう。
俺の大好きな珈琲屋紅茶が飲めないなんてとても耐えられない。
そんなわけでもしかすると明日辺り電気ポットを買ってくるかも知れない。



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