プロローグ なぜ俺は鍼灸師の道を選ばなかったのか


「目の見えない人はあんまや針の仕事をするんだよ」
「TomG君もたくさん勉強して将来はいい先生になるんだよ」

 この言葉は俺が盲学校在学中に先生から何度と泣く聞かされてきたおなじみの言葉であった。
 俺たち視覚障害者は、ほとんどが盲学校を卒業すると、按摩や鍼の道に進み、病院などで働くか、もしくは自分で開業する道を選ぶ。
そして俺は、そんな先輩方の姿を見て、全く違和感を感じなかったし、むしろ先生からそんなことを言われているうちに、
「いい鍼灸師になって、肩が痛くて困っている人たちを助けてあげたい」
とまで思っていたぐらいだった。
ところが、俺の両親は違っていた。何とか俺に鍼灸以外の道に進んで欲しいと、いろいろと資料を集めていたらしいが、俺が小学5年生になった頃、幼稚部時代によく遊んでくれた先輩が、自分の治療院を開業し、なかなか軌道に乗り始め、そこを見学に行って帰ってきた後、
「母ちゃん、僕はこの先輩みたいになる」
と言った瞬間から、それが息子の本当の夢だとあきらめて、子供が鍼灸の道に進むことを仕方がないことだと思うようになったと後から聞かされた。
こんな具合に、俺は目が見えない人が鍼灸の道に進むことを、全くおかしいとも感じていなかったし、むしろ誇りのあるいい仕事だと感じていたから、高校受験の時に、鍼灸も一緒に学べる保健理療科に入学して、いち早く社会に出たいと考えたほどだった。
しかしこの考えは、周囲の人からの反対で実現しなかった。何でも俺の周囲の人間は、どう血迷ったのか俺が頭のいい人だと勘違いし、俺には鍼灸はもったいないと大反対を食らってしまったのであった。
そこで仕方なく、普通科に入学して、その後に専門課程を卒業して進級しになろうと考え、その時点での保健理療科への入学はあきらめてしまった。
 もちろん放送やミニFMの好きだった俺のこと、放送やアナウンスに関わる仕事がしたいという夢がないでもなかったが、放送局を見学したとき、それは現実的に絶対に不可能だとあきらめざるを得ない状況だった。

 それは高校2年のある日のこと、当時英語の担当をしていたF先生が、いきなり難しい教科書を持ってきた。
俺はそれを開いて唖然とした。だって中身は英語にすら見えないほど、その教科書は俺にはちんぷんかんぷんな代物だった。
しかも運が悪いことに、その先生は予習・復習をサボっていると、天地がひっくり返るような声で怒鳴りつけるという、何とも恐ろしい魔物のような先生であった。
そうなると必然的に俺は、この教科書と向かい合いながら、ほとんど毎晩遅くまで予習・復習を始めた。この中でもっとも時間をとられたのが英和辞典との格闘だった。
そのとき俺が使っていた点字の辞書は、全部で100冊にも分かれており、その中から目的の単語を探し出してノートに書き取るだけで、少なくとも2分以上は必要だった。しかもこの教科書はちんぷんかんぷんだったので、一晩のうちに最低でも60〜100程度の単語の意味を調べなければならなかった。そしてそれを元に和訳を完成させると、夜の1時はざらに過ぎてしまう。
ちょうどそのとき、俺は寄宿舎生活から家から通う通学に切り替える時期だったので、たちまち体も心も悲鳴を上げそうになった。昼間はなれない通学、そして夜は好きでもない英語の勉強と、本当に地獄のような生活が始まってしまったのだった。
 そんなある日の夜、俺はついに切れてしまって、両親に向かって
「何とか電子辞書が引きたい、このまま言ったら俺は高校生活をエンジョイできない。見える人は電子辞書が引けてうらやましい。」
と愚痴をこぼした。すると両親は、
「それじゃあ今から電気屋でも行って探してくっか。今時の高校生は電子辞書ぐれえもってっからな」
と言って、すぐに一緒に出かけることになった。
 しかし電気屋を探しては見たものの、音声で利用できる電子辞書は見あたらなかった。実は俺は、パソコンを使って電子辞書を検索する方法を、用語訓練の時間に学んでおり、それが欲しかったが、まさか両親に当時50万円程度した音声パソコンシステムを買ってくれとは言いにくかったのであった。
しかし、やっぱり欲しかったので、帰りの車の中で「パソコンならばっちりなんだけどなあ」と漏らしてみると、予想もしない答えが返ってきた。
「よし、パソコン買ってやる」
この言葉が俺の方向を変える一言になった。

 次の日から俺は、夢中で学校のパソコン質にこもって、音声パソコンの研究をしたり、詳しい先生に聞いたりして情報収集を始め、数ヶ月後に念願のパソコンが家に到着した。
 それからの俺は子の高級な道具というかおもちゃにすっかりはまりこんでしまい、暇さえあればパソコンばかりやっていた。しかし困ったことに、何か分からないことがあっても身の回りにパソコンをやっている友達はいても、音声での特殊な操作方法を知っている人がいなかった。そこで、パソコンを購入した業者の人に、いちいち聞いて教えてもらった。折しもその業者には、うちの学校の先輩で全盲のAさんが働いており、同じ学校の後輩と言うことで、特に丁寧にいろいろと教えてくれた。
俺が何度聞き返してもいやな顔一つせず教えてくれた。
そんな日々を過ごすうちに、俺は「この人のようになりたい」と考えるようになった。パソコンも大好きだし、鍼灸の道よりも俺にはこのパソコンという無限の可能性を秘めたものに関わる仕事がしたい、パソコンのことで困っている人に、この便利な道具の使い方を教えてあげたい。この思いは日に日に強くなっていった。
 そんなある日、或1通の手紙が俺の意志を確実なものにしてくれた。その手紙はとあるパソコン業者からのもので、新しく開店したから是非ご利用くださいという案内の手紙だった。
その手紙の3行目に会った文字を、俺は見逃すことができなかった。
「有限会社○○ 代表取締役社長A○
全盲でもちゃんとこんな会社を作ってがんばっている先輩がいる。俺にもやってできないことは無いはずだ。俺は鍼灸はやめてパソコンをやるとこのとき強く決心した。
そして、2個上のM先輩が、ちょうど今の学校の情報処理学科に言っていたので、俺もここに進学して道を究めようと自分で勝手に決めてしまったのだった。


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